藤田嗣治展と終戦日 2018年8月15日
本日は終戦日です。終戦記念日とは書きたくないので、敢えて終戦日とさせていただきます。
同時に被昇天マリアの日でもあります。
終戦日前日、「藤田嗣治展・都立美術館」を画家の友人達と静静と観てまいりました。
藤田嗣治の作品を、
1原風景 家族と風景
2はじまりのParis 第一次世界大戦をはさんで
31920年代の自画像と肖像
4乳白色の裸婦の時代
51930年代の北米・中南米・アジア
6歴史に直面する二度の対戦との遭遇
7歴史に直面する 作戦記録画へ
8戦後の20年 東京 ニューヨーク パリ
9カトリックへの道行き
というカテゴリーに分類し、順次展示するという内容です。
(藤田嗣治展 東京都立美術館 目録参照)
今回の藤田嗣治の展覧会では、国立近代美術館に永久貸与されている「アッツ島玉砕」他、巨大なに作品も展示されています。同時に軍部の記録画家としての展示もあり、今まで点と点で理解していた藤田嗣治の人生をそのまま体感させられる展覧会になっています。
国立近代美術館では、見たくないけれど、見なくてはならない、と、心に決めて必ずこの絵の前に立って見てきたアッツ島玉砕が、藤田嗣治の作品の一部として時系列的に並べられたことに、戦後73年の時間というものを痛感させられたのでした。
この時代の藤田は、私個人的には、なるべく抜かしたいのですが、これらの作品が無くては、「カテゴリー9カトリックへの道行き」の作品に意味をなさないのです。
「真実と虚飾。」「自己顕示欲と情動。」
という前々から感じていた藤田嗣治の作品に
「飽くなき探求心」と「原罪」による罪の重さと抑圧的な苦しみのようなものを、ますます感じながらの観覧となりました。
戦後に描かれた乳白色の下地による絵画からは、過去の一切を抑圧するような息苦しさをも感じ、それでも藤田の絵に惹き込まれていく怖さのような感情も湧き、彼の生育史を改めて読み返す終戦日前夜を過ごしました。
「絵を描く罪。」とは、あまりにも深すぎる罪かもしれないとも考えに至り、これ以上考えるのは止めにすることにします。写真よりも怖いのは、絵筆を持ち、一瞬の事を時間を経て描き上げるからでしょう。感情を無くして描くものが記録画であるとしたら、それこそが人に与えられた罪そのものかもしれません。
それがゆえ、情動として欲した信仰は、きっと飽くなき情動として絵筆を握ったのと同じくらいの情動としての信仰であったかもしれない、とも思い、宗教絵画の中に描く自分の姿に、藤田嗣治自身の顕示欲が、私には見えてくるのでした。
人は無私の人にはなれない事実を観たようにも思いつつ、鑑賞を終えました。
ピカソのゲルニカの前に立った時の、恐怖と清浄感とは違い、真逆の感覚が起こったことは、私にとって何なのか、怖いけれど、考えてみたいテーマを貰ったようにも思います。
絵描きであった私の祖父は、戦争中は絵を表向きに描くことなく、疎開していた伊東の家の小川の流れる庭で、米軍の戦闘機が真上に飛ぶ中、挑発をするかのように上半身裸で風景画を描いていたそうです。勿論、周囲から祖父は国賊と呼ばれていたそうです。
藤田も祖父もどちらもきっと自分に正直な情動を貫き通したのでしょう。
上記は、あくまでも、私の所感ですので、悪しからず。
とはいえ、藤田嗣治の作品は、嫉妬を思うほどの魅力を感じます。
終戦日に合掌。
戦争は二度と起こしてはなりません。
巻き込まれたくもありません。
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