五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

お雛様の裂の塵

2014年01月26日 | 第2章 五感と体感
表装の世界では布の事を未だに「裂(キレ)」と呼んでいます。

「東博」こと「東京国立博物館」の敷地に法隆寺館があります。東博で大がかりな展覧会を観ると精根尽き果てます。
美術展で癒されるということはあまり無く、正直、脳みそがグルグル動き、長い間立って観るので大抵疲れ果てることのほうが多いかもしれません。
そんな時、自分の脳みそを元に整えるために必ず寄るのが敷地内の「法隆寺館」です。

法隆寺の別館の様な役割で、法隆寺に収蔵されていた仏様が、数多く陳列されているのです。

飛鳥の仏たちの何と美しい事よ。。。

好きな形状として慣れ親しんでいる仏の姿を観ると、脳と身体が凪いでいくのを感じます。

その法隆寺館には、触れたら塵になってしまうような「裂」が陳列されています。裂を扱う者として持てば塵になるような裂くと向き合うことは至極の喜びなのです。「こんな裂と直に戯れてみたいものだ」と贅沢な幻想を抱くことはその裂と向き合う私の毎回のご挨拶の様なものです。

昨日、20年ぶりぐらいに実家のお雛様の箱を開けました。戦前に作られたお雛様です。良い物が無くなる直前の時代の物で、作られてから80年くらいは経つでしょうか。叔母のお雛様だったものを半世紀前に受け継ぎました。
箱を開けると、ハリーポッター並みの埃が舞いあがり、霧箱の底を観ると、砂よりも細かい紫色の塵が積もっているのです。
「ああ、、、これが裂の塵なんだ」と、初めて裂の劣化の状態を目の当たりにしたわけです。

お雛様達の裂が少しずつ劣化する様子は、まるで昔読んだ萩尾望都の漫画「ポーの一族」です。
登場する美しい吸血鬼達がこの世から消える時、塵となりはらはらと散ってしまうのです。

ふと、その漫画を思い出し、裂の儚さが東博で逢瀬する天平の裂と重なりました。

第二次世界大戦直前の雛人形であるので裂は良くないと聞き及んでいましたが、そんなことはありません。今、このレベルの裂で作るとしたらかなりの贅沢です。表装の世界で裂と戯れ、多少は目を養われてきたようです。

持てば崩れるくらいの裂を丁寧に扱う暮らしは、やはり好いものです。
崩れる寸前のものを裏打ちしながら使うためには、好いものを選び設えることが、その暮らしの始まりなのです。

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