五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

琵琶湖・唐崎から堅田へ2

2014年03月18日 | 第2章 五感と体感
まし宿泊先の食堂からは大津が正面に、その左は草津が見えます。
日が明ける頃になるとどこからか鴨がやってきます。修道院の岸に寄り、釣り人の舟を避けてはいるものの大波を立てるモーターボート以外にはさほど気にすることも無く静かに群れています。
このあたりは、護岸工事をしていないために、水面と岸がフラットに繋がっており、鴨達も楽に岸辺に上がってきます。

唐崎の駅を真っ直ぐ岸辺に向かって161号線を越えたこのあたりは、つい最近までは森が広がり、広大な敷地に茶室もある家が建っていたそうです。お隣のメリノール会のお陰で、その名残を知ることが出来ますが、ここ5,6年で一気に開発され住宅地になったそうです。

そして、二日目の昼食後に堅田へ。
唐崎のお隣の駅が坂本。比叡山にはここから登ります。そしてさらに北に上っていくと堅田の庄があります。琵琶湖大橋があるので対岸の守山が近くに見えます。古来から水の民として有名で、平家物語にも登場します。吉川英治の新平家物語には「湖族」と書かれてあります。湖にせり出している臨済宗満月寺の浮御堂と立派な老松を鑑賞し、湖に面している最近できた古民家Caféに行こうと歩いていると伊豆神社が見えてきました。そこで参拝していると地元の子供会の集団に出くわしました。皆、堅田の歴史が書かれてある資料を持っています。「これ、どこで頂いたの?」と聞くと、堅田資料館で頂いたとのこと。早速その資料館に向かいました。元民家が資料館になっており一階の土間に4,5人のおじいちゃん達がのんびりお茶を飲んでいます。
その頭領ともいえそうな地元を愛する岡本さんから、堅田の歴史をたっぷりと聞くこととなりました。
新平家物語の「湖族」は吉川英治氏の造語だそうで、地元の人々と町おこしを企み、その際に生まれた言葉だそうです。
私はてっきり、最古の土器が出土する様な場所なのでてっきりそういう名称が昔からあるのかと思っていました。行ってみないと本当に解らないものです。
縄文時代、平安時代、室町時代、明治時代の堅田に纏わることを色々とお聴きし、最後は近江八景の歌や万葉集をすらすらとそらんじてくださり、勉強仲間は絶大なる拍手を贈り、岡本さんと記念撮影して資料館を後にしました。
たぶん、こんな歴史オタクの訪問はそうそう無いと思います。岡本さんの経験と勉強の成果をお聞き出来た事は奇跡に近いものを感じました。
堅田歴史資料館でたっぷりと時間を費やし、古民家Caféに寄り、琵琶湖の絶景を眺めながら皆で歴史談議に花が咲き、幸せな午後を過ごしました。

堅田には、千利休の孫が住んでいたそうです。そのような縁で臨済宗大徳寺派の満月寺のほかにも大徳寺派の寺が多くあることに納得しました。利休切腹の後、この土地の豪族が擁護したのでしょう。
平安時代には下賀茂神社の御膳の食料を献上していたそうで、悠久の時に重ねられた豊かさのアイデンティティの根源も知ることとなりました。
敦賀に行けば魚も手に入り、気候も穏やか。比叡山からは近からず遠からず。。福井や石川方面にも道が繋がり、情報の拠点とも成り得る場所であり、義経も見たであろう湖の風景を感慨深く眺め、心底幸福感を頂きました。長谷川等伯もこの道を辿ったのだと思うと、松の画の見え方が解ったような気にもなり、私の頭の中は縄文から江戸時代まで時空間が交錯してしまい、大変なことになっておりました^^;

そうそう、堅田の岸辺に立つと琵琶湖の先には三上山を望むことができます。別名近江富士です。

松尾芭蕉が愛してやまなかった琵琶湖の風景。私も沢山歌が詠めるかな、、、と、思いきや、興奮しすぎて頭はグルグル、、、とても歌を詠む等と云う余裕はありませんでした((笑))

明日も琵琶湖報告続きます。

☆☆

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