五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

高山右近

2017年02月09日 | 第2章 五感と体感
高山右近2017年2月9日

子供の頃にカトリックの洗礼を受け、摂津の国を治めながら信長、秀吉に仕え、バテレン追放によって1614年300人の家臣と共にマニラに流され、1615年2月3日に病で逝去。
盲目の琵琶法師から切支丹の考え方に感銘を受けた両親が洗礼を受け、右近は12歳ぐらいで洗礼を受けたそうです。右近は、もともとは奈良で生まれ育ったとのこと。
信長、秀吉の頃は、キリシタンが大流行し、出雲の阿国等の旅役者もロザリオを身に付ける事がファッションでもあったようですし、千利休がロザリオを持つ画もあり、茶の湯の所作がカトリックのミサの時に扱う聖杯の扱い方と似ている事は最近では誰でも知っている事でしょう。
堺の商人達は、外国との交易と共にこぞって教会を建てたそうです。
新しいもの、物珍しいものの中に、新たな概念が加わると比較考察しながら考える事が身につき、それが、日本古来からの既存の「信心」と重なり、解釈しながら色々な形で生き抜くツールへと成っていったのだと思うのです。
黒田官兵衛にしても受洗しながらも生き延びる術を先行させたのは、当然の成り行きだったと思います。
織田信長亡き後、安土のセミナリヨを自分の領地高槻に移し、修道士の擁護にも尽くし、江戸時代に入り切支丹追放令が強くなっても、身を引き金沢に居たにも関わらず、自ら京都、長崎へと移動し、結果的にマニラに経つ事となるのです。多分、他の殉教者と同じく、巡り歩くことで高山右近の心の内の柱が太くなっていったのでありましょう。

そして、400年後、意志を貫き通した右近がバチカンから福者として認められ、長い歴史の出来事がリアルに私達の目の前に蘇ったのです。
過去の「ある人」の意思が歴史の情報として受け継がれ、それが現在の新たな解釈として後世に引き継がれる事が、改めて今を生きている私自身の心に感慨深く留るのです。

きっとこの繰り返しなのでしょう。
森羅万象と人の成すことの織り合いがちぎれる事無く繋がっている証拠を垣間見た一日に感謝です。

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