フランスの大統領選挙。
オランド氏の勝利、17年ぶりに社会党が勝ちました。
サルコジ氏とは競り合いながらの戦いでした。
戸籍上「妻」ではありませんが、奥様のバレリーさんは政治ジャーナリスト。奥様が歌手からジャーナリストに変換というのも興味の対象です。
「サルコジ氏が勝てば、コンコルド広場に人が集まり、オランド氏が勝てばバスティーユ広場に人が集まる」ことにフランスの歴史背景がそのまま積み上げられながら時を刻んてきたことの象徴として、はてさてどちらになるかを注目してきました。
結果、バスティーユに勝利を祝う人々が集まることとなったわけです。
東京では、関ヶ原の戦いから明治維新。そして、第二次世界大戦での敗戦と大きな歴史の流れはあったとしても、広場を埋め尽くす人の波といったら60年代、70年代安保の頃以来、記憶に無いように思います。
もともと「広場」という場所はあっても、広場の使用方法は、フランスとは大きく違うのです。
東京駅から皇居までの大通りはあったとしても、人が集まるための放射線状の中心の場というのは東京にはありません。
行幸を見送るためのまっすぐな通りとは、使い方は違うわけで、せいぜい日比谷公園の広場くらいでしょうか。
日本の場合、広場は路には無く、路から逸れた場所にあるのです。
ヨーロッパの小さな村に行けば明らかに解りますが、教会とその広場を中心に放射線状に路が広がり、広がった路を中心に路地が形成されています。
日本は、奈良時代から四角い都市を作り続けてきました。
自己主張することと自分の属する組を明確に意識している文化。
社会的、政治的なことはお上に任せてきた文化。
民主主義的な、そして「自由・平等・博愛」の民衆の思考と行動を改めて考えさせられた一日でした。
かく言う私も、腕組みして達観し、このように批評しているわけです。
自分の身の置き場をどう選択するか。ほんとうはとても大事な事なのです。
「何でもあり」のようでそうで無い日本の都市計画事情。将来の都市計画のデザインが日本の行方を変えていくかもしれません。(ますます達観的になってきました(笑)、、、)
クリックありがとうございます
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オランド氏の勝利、17年ぶりに社会党が勝ちました。
サルコジ氏とは競り合いながらの戦いでした。
戸籍上「妻」ではありませんが、奥様のバレリーさんは政治ジャーナリスト。奥様が歌手からジャーナリストに変換というのも興味の対象です。
「サルコジ氏が勝てば、コンコルド広場に人が集まり、オランド氏が勝てばバスティーユ広場に人が集まる」ことにフランスの歴史背景がそのまま積み上げられながら時を刻んてきたことの象徴として、はてさてどちらになるかを注目してきました。
結果、バスティーユに勝利を祝う人々が集まることとなったわけです。
東京では、関ヶ原の戦いから明治維新。そして、第二次世界大戦での敗戦と大きな歴史の流れはあったとしても、広場を埋め尽くす人の波といったら60年代、70年代安保の頃以来、記憶に無いように思います。
もともと「広場」という場所はあっても、広場の使用方法は、フランスとは大きく違うのです。
東京駅から皇居までの大通りはあったとしても、人が集まるための放射線状の中心の場というのは東京にはありません。
行幸を見送るためのまっすぐな通りとは、使い方は違うわけで、せいぜい日比谷公園の広場くらいでしょうか。
日本の場合、広場は路には無く、路から逸れた場所にあるのです。
ヨーロッパの小さな村に行けば明らかに解りますが、教会とその広場を中心に放射線状に路が広がり、広がった路を中心に路地が形成されています。
日本は、奈良時代から四角い都市を作り続けてきました。
自己主張することと自分の属する組を明確に意識している文化。
社会的、政治的なことはお上に任せてきた文化。
民主主義的な、そして「自由・平等・博愛」の民衆の思考と行動を改めて考えさせられた一日でした。
かく言う私も、腕組みして達観し、このように批評しているわけです。
自分の身の置き場をどう選択するか。ほんとうはとても大事な事なのです。
「何でもあり」のようでそうで無い日本の都市計画事情。将来の都市計画のデザインが日本の行方を変えていくかもしれません。(ますます達観的になってきました(笑)、、、)
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