Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

試合後 Hindmarsh Stadium …..

2009-09-24 | Aussie & Kiwi

試合終了のホイッスルが鳴った。
周囲の Adelaide サポーター達と二言、三言 言葉をかわして私は通路に向かった。ハーフタイムの間、屋内のバーで知り合った地元サポーター達に紹介してもらった Tony = Vidmar と記念撮影をする為だ。 
Tony = Vidmar と言えば日本ではあまり知られていないようだけど、オーストラリアそして欧州では名の知れた Defender で1991年から15年間オーストラリア代表Socceroos に選ばれ続けた。出身はここ Adelaide。 Adelaide United の Aurelio Vidmar 監督は実兄になる。
欧州では Glasgow Rangers そして Middlesbrough でもプレーした。ワールドカップ予選はアメリカ大会から出場し、2005年11月 Sydney で行われたウルグアイとの死闘にも出場し、4回目の挑戦でついにワールドカップ出場の悲願を達成した。
しかし彼には不幸が襲う。大会開幕約1か月前の5月9日、不整脈の為にチームからの離脱を発表。文字通り目前であったワールドカップ出場が果たせなかった。
この時既に初戦で日本との対戦が決まっていたが、私は彼の長きにわたるワールドカップへの挑戦を知っていたので非常に残念に思った。そして大変不謹慎であるがこれで日本がかなり有利になる、と胸算用までしてしまった。

私が写真撮影を頼むと快く承諾してくれた。撮影している近くを通る人達が何人も彼の存在に気付き驚いていた。

ワールドカップに出られなくて残念だった事、でも日本が負けてしまい自分が大変ショックだった事、A-League の Central Coast Mariners に移籍後、一度試合後にサインを貰った事、そして引退試合となった 2007-08 のGrand Final を観戦した事を話した。彼がどこに住んでいるのか?と尋ねるので、日本から観戦に来た。試合結果は残念だけど….と話すと非常に驚いていた。 握手もしてくれ、丁寧に御礼を言いその場を離れた。

そしてピッチの近くに行った。何人かのサポーター達と共に選手達にサインを貰おうと待っていた。しかしこの日は負け試合だったので試合終了後のクールダウンやストレッチを終えた選手達はみな控室に帰ってしまった。すると1人だけ戻って来た。 かつては Sydney FC でプレーしたサイドバックの Iain Fyfe だった。 
2007年URAWA Reds との ACL の試合はSydney でもさいたまでも観戦したことを話すと喜んでいた様子。来年はAdelaide United はACL出場権があるはずだからまた J-League との対戦もあると思う…

今夜は Vidmar と写真が撮れたし、 Fyfe のサインも貰えたしこれでよしとしようと通路に戻りスタンドを出た。するとハーフタイム中に入った Bar の入り口に球団職員らしき女性が何やら案内してくれている。どうやら選手達がここの来てサイン会を催すようだ。私も促されるまま中に入った。そこには老若男女多くの人達がいた。 
大きなモニターでは Australian Football League の試合が中継されていた…….
そして中には昨年の ACL の時に販売されたであろう赤と青のマフラーをする子供も。青地のところには GAMBA OSAKA と書かれていた。
やがて選手達が出て来た。 そしてみな丁寧にサインや記念撮影に応じる。メンバーと服装から見ておそらくこの日ベンチ入りしなかった選手達だろう。 
20歳の建国大学出身の Inseob Shin の姿も。彼は私の日本代表のレプリカを指し “ Japanese か?” と尋ねて来たので “イルボンサラムニダ !! “ と答えた。

通じたかな?そしてある御婦人が 日本から来たのか?と声を掛けて来た。 
仕事で年に何回かオーストラリアに来ている事や A-League 発足以来ものすごく A-League のチームに興味を持っている事を話した。 こちらの御婦人には男の子がいて “ Korean だ。“と言っていた。だから御主人が韓国人だと思って訊いたら違うとの答え。御主人はすぐ隣に立っておられ、明らかな白人男性。
そして “ Adopt ( 養子 ) “ と言われた。思わず一瞬硬直してしまった。

しかしすぐに “ 日本のチームではどこを応援しているのか?“と訊かれたので、しばらくおいてから ” Gamba Osaka !! “ と言うと大いに受けた。 そしてすぐ横にいた綺麗なおねぇさん二人組に色々私の事を話しだした。どうもガンバサポーターが来ている事になったらしい….. しかし、試合終了後 Tony Vidmar と記念撮影をしたことや日本でのオーストラリアサッカーの事、3年前ワールドカップでショッキングな敗れ方をして以来多くの人がオーストラリアに興味を持っているけど、代表クラスの選手しかあまり知られていない、しかし ACL で Adelaide が活躍し昨年 FIFA Club World Cup に出場したので A-League そして Adelaide United の事を覚えた人も多いと話をし、持参した小道具を出した。 それは昨年の FIFA Club World Cup のプログラムと Melbourne で見つけた掘り出し物のプログラム。Adelaide の監督である Aurelio Vidmar がまだ現役の頃であった1996年に行われたあるサッカーの試合のプログラムでそこに Vidmar 監督のサインを貰いたいと話をした。 
監督は試合後の記者会見に応じているのでここに来れるかは解らない…と言っていた。それでも選手達が次々に会場に現れると1人1人に私のプログラムにサインをしてやってくれと頼んでくれていた。御蔭でほとんどの選手のサインを貰えた。 
おれもミーハーかな…と思ったけどもっとここではもっと年上の人だって“堂々と”サインや写真撮影を頼んでいてそれに応じてもらっていた。 
私が持っていた A-League の Season Guide を見て先ほどの御婦人がこれはどこで入手できるか、私と職員のおねぇさんに訊いていた、ここではなかなか売っていないのかなぁ…私は Sydney の Book Store で買ったけど...と答えるとおねぇさんがここの競技場内で Kiosk で購入できる、と教えていた。

やがておねぇさんの1人が、“どうやら記者会見は終わったけど、監督はここに来そうにない…” と教えてくれた。まぁ仕方ないか…と思っていると、もう1人のおねぇさんが“私がプログラムを持って行って頼んでみましょう。”と云ってくれ、2冊のプログラムを持って行った。 
そして5分もすると、しっかりとサインのされたページを開いて、サインが貰えた事を教えてくれた。 あぁ、日本じゃ考えられないなぁ…… おねぇさん達と御婦人に何度も御礼を言い、そして“サイン会”が終わった事も告げられて帰途に着くこととした。

競技場を出て駐車場を見るとどうやら Vidmar 監督らしき人がいた。
サインの御礼を言おうかともしたけど、追い回すみたいなのでやめた。 
すると偶然駐車場に向かう途中だったさっきの職員のおねぇさんと出くわしたので、もう一度御礼を言った。 そして“来年日本で会いましょう。 Asia Champions League で….” と言うと

“ Definitely ( もちろん) !! “

と答えてくれた。 関東地区のチームと同じ組にならないかぁ… 今の順位は……

帰りは懸念されたけどタクシーがすぐにつかまった。ホテルの周囲はとても賑やかだった。そうか世間は金曜日だったか….でも私はすぐにベッドにもぐりこんだ。 
そして思った。

本当に日本じゃ考えられない事ばかりだったなぁ…

    



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