ワールドユース開幕!!
うっかりしていた。6月10日、オランダでワールドユース大会が始まっていた。この大会、我々の世代に取っては思いで深い大会である。1979年第二回大会は日本で開催され、物心がついてから最初に世界の扉を開けてくれた大会であった。日本はホスト国で予選免除。韓国、インドネシア(北朝鮮の辞退を受けて振り替え出場)と共に参加。一次リーグで1敗(スペイン 0-1 )2分け(アルジェリア 0-0 メキシコ 1-1) で3位となり決勝トーナメントには進めなかった。この唯一の得点者は現解説者の水沼貴史で、他に尾崎、柱谷兄、風間らがいた。その後、アジアの壁を破って世界に飛び出したのも15年後、アジアユース大会で2位になり翌1995年カタールで開催されたワールドユース大会に出場しベスト8に入ったユース代表であった。以降、五輪、ワールド杯そしてワールドユースの全てのアジア予選を勝ち抜いている。
オランダに惜敗
一次リーグはA組にホスト国のオランダ、ベナン、オーストラリアと組みいれられ、上位2カ国と3位の中で上位プラス4カ国が決勝トーナメントに進出する。1999年ナイジェリア大会では小野、高原らを擁して準優勝に輝いている。前回のUAE大会では決勝トーナメント1回戦戦で韓国を坂田(横浜マリノス)の延長Vゴールで下し、ベスト8に入った。しかし、1999年は内戦と流行病で、2003年大会は米軍のイラク進攻が原因で開催が延期されての大会であった。これにより欧州クラブでプレーする選手達の合流が不可能になり、そんな中での好成績と言えなくも無い。事実予定通り6月に開催された2001年の大会では一次リーグで敗退している。
今大会、ホスト国オランダは優勝候補。本来欧州各国はユースチームの育成には力を入れていなかったが、今大会のオランダは地元開催という事で2008年の北京五輪までも視野に入れての強化を施したらしい。2日前のワールド杯予選フィンランド戦には3名が(DF フラール、マドゥール, FW バベル)召集され、バベルは後半23分から出場を果たしている。そのほかFWオウスーアーベィはアーセナルでデビューも果たしている。3トップのFWは攻撃のみでなく、日本のサイドバックの上がりも押さえ込む。一方日本は平山のワントップで中盤を厚くしての4バックと言う守備的布陣。だが立ち上がりからオランダの3トップの早くて強い突破に成す術無く振り切られるシーンが続き立ち上がり18分で早くも2失点(7分アフェレー、18分バベル)。共に日本の左サイドをオアスーアベィに崩されての失点で、ボール支配率もオランダに7割も取られていた。しかしその直後に最初のシュートを家永が放つと徐々にボール支配率も上がる。特に平山は空中戦でも足元でもただ一人試合開始から相手DFを完全に圧倒しており、彼からのセカンドボールの寄せから好機を作りたいところであった。41分に苔口に変わってカレン=ロバートが投入され2トップに。すると前線でためが出来、後半からは攻勢に転じる。62分には水野が入り兵藤がボランチに入り、4バックのDFからの繋ぎにも連動が生まれる。そしてその6分後、水野のFKを平山が頭で合わせて1点を返した。尚も76分には16歳の森本が登場。これにより足の止まったオランダDF陣は彼の早いドリブルからペナルティーエリア付近に釘付けとなる。3トップの前線もスタミナ切れか足が止まり日本のDF網に引っかかる。日本は攻勢を続け、ロスタイムに入っても平山、カレンが決定的なシュートを放つがゴールは捕らえられずそのままタイムアップ。日本の猛攻を耐え忍んだオランダイレブンの喜び様が印象的だった。15日にベニン、18日にはオーストラリア戦に臨む。ベニン対オーストラリアは引き分けているのでベニンには負けられないがオランダ戦の試合内容に今大会への手ごたえは掴めた筈だ。
がんばれ若武者達。日本の強さを見せ付けてやれぃ!!
うっかりしていた。6月10日、オランダでワールドユース大会が始まっていた。この大会、我々の世代に取っては思いで深い大会である。1979年第二回大会は日本で開催され、物心がついてから最初に世界の扉を開けてくれた大会であった。日本はホスト国で予選免除。韓国、インドネシア(北朝鮮の辞退を受けて振り替え出場)と共に参加。一次リーグで1敗(スペイン 0-1 )2分け(アルジェリア 0-0 メキシコ 1-1) で3位となり決勝トーナメントには進めなかった。この唯一の得点者は現解説者の水沼貴史で、他に尾崎、柱谷兄、風間らがいた。その後、アジアの壁を破って世界に飛び出したのも15年後、アジアユース大会で2位になり翌1995年カタールで開催されたワールドユース大会に出場しベスト8に入ったユース代表であった。以降、五輪、ワールド杯そしてワールドユースの全てのアジア予選を勝ち抜いている。
オランダに惜敗
一次リーグはA組にホスト国のオランダ、ベナン、オーストラリアと組みいれられ、上位2カ国と3位の中で上位プラス4カ国が決勝トーナメントに進出する。1999年ナイジェリア大会では小野、高原らを擁して準優勝に輝いている。前回のUAE大会では決勝トーナメント1回戦戦で韓国を坂田(横浜マリノス)の延長Vゴールで下し、ベスト8に入った。しかし、1999年は内戦と流行病で、2003年大会は米軍のイラク進攻が原因で開催が延期されての大会であった。これにより欧州クラブでプレーする選手達の合流が不可能になり、そんな中での好成績と言えなくも無い。事実予定通り6月に開催された2001年の大会では一次リーグで敗退している。
今大会、ホスト国オランダは優勝候補。本来欧州各国はユースチームの育成には力を入れていなかったが、今大会のオランダは地元開催という事で2008年の北京五輪までも視野に入れての強化を施したらしい。2日前のワールド杯予選フィンランド戦には3名が(DF フラール、マドゥール, FW バベル)召集され、バベルは後半23分から出場を果たしている。そのほかFWオウスーアーベィはアーセナルでデビューも果たしている。3トップのFWは攻撃のみでなく、日本のサイドバックの上がりも押さえ込む。一方日本は平山のワントップで中盤を厚くしての4バックと言う守備的布陣。だが立ち上がりからオランダの3トップの早くて強い突破に成す術無く振り切られるシーンが続き立ち上がり18分で早くも2失点(7分アフェレー、18分バベル)。共に日本の左サイドをオアスーアベィに崩されての失点で、ボール支配率もオランダに7割も取られていた。しかしその直後に最初のシュートを家永が放つと徐々にボール支配率も上がる。特に平山は空中戦でも足元でもただ一人試合開始から相手DFを完全に圧倒しており、彼からのセカンドボールの寄せから好機を作りたいところであった。41分に苔口に変わってカレン=ロバートが投入され2トップに。すると前線でためが出来、後半からは攻勢に転じる。62分には水野が入り兵藤がボランチに入り、4バックのDFからの繋ぎにも連動が生まれる。そしてその6分後、水野のFKを平山が頭で合わせて1点を返した。尚も76分には16歳の森本が登場。これにより足の止まったオランダDF陣は彼の早いドリブルからペナルティーエリア付近に釘付けとなる。3トップの前線もスタミナ切れか足が止まり日本のDF網に引っかかる。日本は攻勢を続け、ロスタイムに入っても平山、カレンが決定的なシュートを放つがゴールは捕らえられずそのままタイムアップ。日本の猛攻を耐え忍んだオランダイレブンの喜び様が印象的だった。15日にベニン、18日にはオーストラリア戦に臨む。ベニン対オーストラリアは引き分けているのでベニンには負けられないがオランダ戦の試合内容に今大会への手ごたえは掴めた筈だ。
がんばれ若武者達。日本の強さを見せ付けてやれぃ!!