Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

英国紙が報じた FIFA Club World Cup Vol.3

2009-01-10 | EURO Football

12月18日 Sir Alex Ferguson turns to old guard for Machester United in  Club World Cup

Sir Alex Ferguson は自分の崇高なベテラン選手達を近い将来徐々に削減していくこと述べていたその一方で東京の多くのSFお宅の期待を損ねないその冷徹な言葉でロボット的なその人間のついた嘘は結局人々の心を打つことを発見したことはいい事だ。  England のクラブチームとしては初めて Club World Cup のタイトルを Manchester United に狙わせる Ferguson は本日(12月18日)の準決勝、ガンバ大阪戦では Gary Neville, Paul Scholes そして Ryan Giggs に出場を与える機会を見つけた。  そこには現実的な理由も選出の背後にあった。 United は4日間で2試合をこなした後は長旅の後に地元に帰って Boxing Day に Stoke City との試合が控えており、 Ferguson は疑いも無くアジア王者のガンバ大阪には若い最強のメンバーで臨む必要は無いと見積もっている。そこには生齧りの感傷があるのだろうが、現在の Manchester United の成功を築いた選手達が Ferguson の望みを確実にするために Nissan Stadium ( 大会のメインスポンサーは TOYOTA であるが、競技場はネーミングライツの関係で Nissan Stadium と呼ばれる ) のピッチに送られる。
Scholes, Neville そして Giggs らはもしガンバ大阪を破ればおそらく日曜日の決勝戦には出てこないだろう。しかしそれは Old Trafford を変えるチャンスのサインだ。
世界のメディアが伝える Scholes に替わって Ferguson の隣に座る人物は創造的なインテリジェンスを持った United のCentral Midfielder のMichael Carrick だった。United に21シーズン在籍した Giggs は朴智星にとって替わられ、 Nani が左ウィングのポジションを占める。
今も United の主将であるNevile は最も頭を悩ますところだ。例えもし Rio Ferdinand が Premier League トロフィーを掲げる姿がみられて、England 代表でのポジション確保が Ferguson を安心させ、もし仮に右サイドバックのポジションを若い18歳 Rafael Da Silva が有能でなければ。
この3人の選手は United の中では“黄昏”の選手達であることは疑いない。  Ferguson の心は決まっているがそれにもかかわらず、彼ら歴史を作った男達は長年勤めた副官のごとくこの任務を遂行しようとする姿には敬意を払える。

“彼らを再び今回の様に見られる事は難しいだろう。 Ryan は21年ここにいて Paul と Gary は19シーズン目になるそしてWes Brown は我々と13年ここにいる。これは完全に例外的なことで我々は大変ラッキーだ。全てのクラブが選手達とこうなることを臨んでいるだろうが今日の自由契約ではこれ以上見られるとは思えない。 Rafael が国際試合で抜けた時を除けば私のベストメンバーだ。 この大会のように12人もベンチに選手を置いておけることは安心させてくれる。 Premier League でも同じようにしたいのだが。国際的な選手をスタンドに置くことは恥ずかしいことで、それを告げることさえ私は恥ずかしい。彼らとて試合には出たい。しかし若い選手達が台頭してきても彼らは素晴らしいプロフェッショナリズムを発揮してくれる。彼らの行為が勇気付けられる。 Gary Neiville と West Brown を観てみれば彼らは England でも最高の右サイドバックの選手だとわかる。しかし、今は少し問題があるのでブラジルからやってきた Rafael を今は起用している。かれは言葉がわからないが Football は解る。全ての選手達が彼をサポートする。  Gary Neville が右サイドバックでインパクトを見せた時、多くの彼と同じ年齢の選手達がチームにいた。それは兄弟だった。私は Gary を England 代表でも使い続けるだろうがゲームに出ない彼を Fabio Capello が起用することは難しいことだ。私は Gary を知っているが Fabio はそうではない。彼の問題は理解できる。
Paul Scholes に就いては彼の能力を測るのは容易ではない。なぜなら彼は全てにおいて常に良いからだ。先週の Aalborg 戦で彼の幅広いプレーは我々の試合に秩序をもたらす。彼はファンタスティックな選手で、私にシーズン当り 12~15ゴールをもたらしてくれた。今はそれが出来ないが他に彼のインテリジェンスとポゼッションコントロールはといった強さをもたらしてくれる。
Giggs は同様に国際舞台ではベテランの選手でここ東京で1999年に Palmeiras を破った試合では Man of the Match に選ばれた。 
Ferguson の大会への尊敬のコメントは続けられる。 Ryan Giggs は Club World Cup のトロフィーは最も入手し難いもとと語る。なぜなら UEFA Champions League で勝たないとこの大会に出られないからだ。 

   

“それらを全て成し遂げても更に南米王者を破らねばならない。彼らもまた我々が成し遂げたことをやってきたのだ。我々が Palmeiras を破った時、監督はこのクラブはまだ世界王者になった事がないと念を押してくれたので集中することが出来た。そして今は更に大会は大きくなった。世界王者になると言うことは Manchester United を違ったクラブにするという事だ。歴史、数々の成功、 Busby Babe, ミュンヘンの悲劇、偉大な選手達、クラブ、 Sir Alex のもとでの勝利。それら全てを合わせると膨大なものになる。他のどこにも魅惑されたことは無いそれらは地元の選手達に還元されるものだ。 私や Gary Neville の様な選手はどうすれば United の選手となれるかをわかっている。そして若い選手達のよき模範となる。 United でプレーすることは異なったことだ。それを伝えていくのは次の世代の選手達による。” 

    

12月19日 Wayne Rooney’s two-goal salvo takes Manchester United into World  
              Club Cup Final

不思議な民族、それは日本人。彼らは我々の最も野性的な想像を超えた創案を引き出す事が出来る – MP3 トイレに醤油のでる箸 – しかし彼らはシンプルなコーナーキックと中盤からのスルーパスは止められなかった。もしそれで出来ていたなら、 Manchester United は決勝戦に進めなかっただろう。

カーボンコピーの様な Ryan Giggs からのCK からの2得点で試合は前半で決まったと思われた。しかし後半息を吹き返したアジア王者のガンバ大阪に対しては72分に交代出場した Wayne Rooney riposte ( フェンシング用語で防御から攻撃に移ること) が必要となった。 欧州の征服者のエゴにとって幸運だったことに、ガンバ大阪は Giggs のCKへの抵抗の試みと同様に Rooney の動きを取り扱う事が出来なかった様に見えた。スコアーを見ると恐らくその通りであっただろう。

United の監督Sir Alex Ferguson は試合前は日本の Football の大きな前進に就いて話し、単にホスト国に優しいだけではなかった。 ガンバは United に追いつけなかったのだろうか – 後半彼らが 2-1 としたその直後に Rooney がすぐ2点差に突き離し、ガンバの最後の2ゴールは 5-1とされてからのものであった – 彼らのプレーの中には。特に彼らのゲームメーカー Yasuhito Endo の素晴らしいパスワークなどまとまった印象付けるものがあった。
3失点を喫したものの Ferguson は GK のEdwin van der Sar を自分の Man of the Match とされた。 それ以外は18分間ピッチに入った Rooney であった。火曜日夕方の練習中の負傷に為に Ferguson はスタメンで彼を起用するリスクを回避した。 Rooney に替わってベンチに下がった Carlos Tevez は自分の存在が Rooney の登場によって弱められた様に見られる。
Rooney がピッチに入るや否や全ての United の攻撃がゴールに結び付いた。自分達の持っている全ての方法では無かったが最後の17分間で両チーム3ゴールずつ合計6ゴールが生まれた。 Ferguson は束の間ナーバスになった事を認めたが3点目の Rooney のゴールで勝利を確信した。 もう一人の交替選手 Darren Fletcher のパスが送られたがやはり最後に決めたのは England の FW の攻撃の動きが Fergason を満足そうに話させた。
“見てみたかい? 彼は2回動きを見せた。横に動いて下がり、横に動いて下がった。そして選手としての選手としての決定的な仕事をこなした。我々は彼を本格的な No.9 に育てようとしている。シーズンの多くをそのポジションで使おうとしている。なぜなら彼の動きや強さそして突出したもとは大変重要だからだ。”
確かにこのカメオは, Rooney は引き気味のポジションでターゲットマンをサポートする方が向いていると信じた人々は機知に富んだ答えであった。

“ Wayne は投入されて我々に機動力を与えた。数年前で彼は穴に落ちた選手,( スペースを必要とする選手 ) と言われたが、今や今や中盤を疾走するセンターフォワードだ。彼はより Alan Shearer に近くなるだろう。しかし Shearer はゴールを狙うマインドをもっているが Rooney はチーム道徳の考えをより持っている。しかし今や彼はチームの No.9 だ。そしてもし私が Centre Back として彼と相対したならば他の選手と相対するよりもずっと深い位置を取り彼のペースやポジションチェンジと同じスピードで位置を変えるだろう。彼の様な強さとパワーをもった選手に密着するのは難しい。“  ティームメイトの Gary Neville は言った。

Tevez はハードワークをこなした。いつものように。
しかし前半の United のリードは殆ど彼によるものでなく右コーナーフラッグからの Giggs の正確な CK からだ。28分 Cristiano Ronaldo のショットが阻まれえたCKから Giggs は完璧な弾道でマークから外れた Nemanja Vidic の頭に合わせた。このときガンバのDF陣は Ronald に気を取られていた。
   
前半終了間際には全く同じCKの弾道が今度は Vidic にマークが集中していてマークが甘くなっていた Ronald のヘッドに合わされた。
   
後半が始まる前には United はゲームを収束させる為には Rooney の助けなど必要とするはずではなかったが最終章になり両監督は喜んだり悔しそうにしたりするふりをする。ガンバは対戦相手に煙に巻かれる間に最後は大胆になってきた。 Masato Yamazaki が Endo からのパスを受け、Rio Ferdinand を振り切りゴールを破り J-League のチームをすぐ手の届くところに押し上げた。
殆どその後のキックオフの直後に Rooney は抜群のボールコントロールで二人のセンターバックをかわしてゴールを決めた。その二分後には Nani の左からのクロスに Flecture が頭で合わせて4点目、そして Giggs のスルーパスを受けた Rooney が5点目を決めた。 スコアーは日本人を酷く打ちのめしたが United が本当に攻撃全開を始めたことを疑うものはいなかった。 Rooney の投入をより引き立てたのは Michiro Yasuda が Neville からPKを勝ち取り、Endo が印象的にクールなPKを決め、Hideo Hashimoto の素晴らしいシュートが敗北の尊厳を演出した事だった。

  

“ Wayne は世界で最高の No.9 だ。 彼はこのポジションを担うどの選手よりもより多くの道具を備えている。彼にはただゴールを決める時間が必要なだけだ。決勝戦のある土曜日(12月21日)はガンバが許したほど Liga de Quito の選手達は “時間”を与えないだろう。故に彼は United が完全に任務を果たす為に5ゴールも必要にならない事を望んでいるだろう。“ Ferdinand は語った。  

  
Gamba Osaka (4-3-1-2): Y Fujigaya — A Kaji, S Nakazawa, S Yamaguchi, M Yasuda — H Hashimoto, Y Endo, T Myojin — Lucas — R Bando (sub: S Terada, 84min), M Yamakazi. Substitutes not used: N Matsuyo, T Futagawa, Roni, T Shimohira, S Kurata, T Takei. Booked: Yamaguchi.

Manchester United (4-4-2): E van der Sar — G Neville, R Ferdinand, N Vidic (sub: J Evans, 68), P Evra — C Ronaldo, Anderson, P Scholes (sub: D Fletcher, 67), Nani — R Giggs, C Tévez (sub: W Rooney, 72). Substitutes not used: Park Ji Sung, M Carrick, D Welbeck, Rafael Da Silva, J O’Shea, D Gibson, T Kuszczak, B Amos. Booked: Rooney.

Manchester United はこれまで何度来日したのだろう?そして日本のチームと何回”親善試合”を行った事があったのだろう? 
1989年8月初旬、既にワールドカップイタリア大会のアジア予選で敗退の決まっていた日本代表は Everton と Manchester United を招待し”対抗戦”を行った。日本代表は約1か月前にイタリアワールドカップのアジア地区1次予選で早々と敗退していた。なのに7月にはブラジル代表との”記念すべき”Aマッチを含む南米遠征。そしてこの試合。さらにアルゼンチンのボカ・ジュニアーズとの”親善試合”が組まれるなどその当時でも”何で今更...." と思ったものだった。8月4日に行われた Everton との試合は水沼貴史のゴールで先制するも後半に3失点を喫し敗れ、3日後神宮球場で行われた Manchester United の試合も 0-1 で敗れた。その後日本代表の試合は1年後、北京で開催された第1回 ダイナスティカップ までなく,このUnited 戦
が水沼の日本代表の最後の試合となってしまった。
Manchester United には当時 Barcelona から戻ってきた Mark Hughes, Neil Webb そして Bryan Robson らがいた。そして指揮をとっていたのは Alex Ferguson 。 私は当時まだ独身で会社が神宮球場からそう遠いところにはなかったので仕事帰りに試合観戦に立ち寄らなかった事を今でも後悔している。
Neiville は開幕戦はベンチ入り出来なかったが Villareal との CL戦、そして Chelsea 戦はフル出場を果たした。しかしその後はベンチから外れる試合が続き12月10日の Champions League の AaB 戦では久しぶりにスタメン出場を果たし77分間プレーした。この試合には Gyggs はスタメンで45分間、そして Scholes は後半からそれぞれ出場を果たしたがこの試合は消化試合でもあった。 大会直前の Tottenham 戦では Gyggs, Scholes は揃って69分から投入され Neiville はベンチ入りするも出番は無かった。 Scholes は開幕戦の Newcastle 戦こそフル出場を果たしその後も9月17日の C.L.  Villareal 戦を除いてスタメン出場や途中出場を続けたが10月4日の Blackburn Rovers 戦でベンチで外れてからは故障のせいかベンチ入りも出来ず AaB 戦でようやくピッチに立てた。
Gyggs は3人の中では最も出場機会に恵まれ開幕戦ではスタメン出場を果たし10月18日の WBA 戦、10月25日の Everton 戦そして11月22日の Astonvilla 戦でフル出場を果たした。しかし他の試合では交替出場が多く今季はかつてほど長い時間ピッチに立てていなかった。
ガンバ戦では”3人揃い踏み”が観られると言う幸運に恵まれたが、それが Ferguson 監督の指摘する”決勝戦に向けての主力温存”といわれるとちょっと.......と思ってしまう。

多くの日本国民あ楽しみにしていた Club World Cup での Manchester United 戦は
”壮絶な”ゴールの応酬のであったが、恐らく前半に United が2点を入れたので後半ガンバが1点を還すことが出来て、 1-5 まで点差が開いたのでガンバの2点目、3点目が決まったと言えると思う。 惜しむらくは前半の先制ゴールのチャンスであった播戸のシュート、そして 1-3 とされた後の遠藤の直接 FK を GK van der Sar にストップされた事。 Ferguson 監督が彼を " Man of the Match " に挙げ様とした事もよく理解できる。私が最もうれしかった瞬間は橋本のゴールが決まった直後に van der Sar がゴールポストを蹴り上げて悔しがったシーンだった。
しかし試合内容を”善戦”と感じるガンバの選手は皆無だった。 Rooney が登場してからの10分程度しか彼らは本気を出さなかったと思っただろう。
だがUnited も幸運があったと言えるはずだ。3人目の交代選手Rooney がピッチに入る準備をしてた時に山崎のゴールが決まって 2-1 となった。山崎のゴールが決まる前から交替の準備をしていた選手が Rooney 以外の選手であったなら行方はどうなっていだか.....?

  
United の選手達の目には J-League はどの様に映ったんだろう?事前にリネカーに何か訊いたのかな?? 
しかし、試合終了後 Rooney を初め殆どの United の選手達はユニフォームの交換に応じた。それは United の選手達がガンバの選手達を対戦相手と”認めた”からだろう。遠藤は青のユニフォームのまま試合後のインタビューに応じそのままロッカールームに消えていった様だったが後で誰かと交換したのかな...... 2002年ワールドカップではブラジルの選手達は誰も中国の選手達とユニフォームを交換しなかった。 それにしても MP3 トイレとはなぁ.....

ガンバの選手達は試合のスコアーに浮かれる事はなく続く Pachuca 戦をものにし、勝利で日程を終えた。そして1月1日には天皇杯決勝戦に勝利しACL出場権を手に入れた。これはもう一度世界への挑戦をと思わせた彼らの野望であると信じたい。
    続く