仕事初めの翌日からは3連休。しかし今日は大変な雨。それも氷雨。最近の天気予報は本当によく当たる様になったと感心させられる。 お正月の定番の一つ、全国高校サッカー選手権大会も今年で85回目。私が子供の時はまだ大阪で開催されていた。そして昭和48年度大会は大阪代表の北陽高校が山野兄弟が地元大阪では大会前から話題を呼び見事全国優勝を果たした。決勝の藤枝東戦では1点を先制されたが2-1と逆転。そして同点ゴールを決められたかと思ったがオフサイドの判定で取り消されたがこの判定が非常に微妙で後に物議を醸し出した。この大会の5ヶ月前の全国高校野球でも大阪代表は北陽高校。今の阪神の岡田監督が内野手で出場していた。北陽と言えば先に高校野球でその名を覚えた。そして作新学院には怪物江川がいた。昭和51年度から首都圏の開催となり開会式と決勝戦は東京の国立競技場で行われることに。そしてあの“うつむくなよ、ふりむくなよ….君は美しい、戦いにやぶれても…” のテーマ音楽が始まり、この曲がテレビから聞こえなくなると3学期の始まりを告げる目安となった。首都圏開催以降優勝争いをするのは関東勢ばかりとなった。浦和南や帝京高校等関西での開催時代から優勝経験のある高校から古河一高校、武南高校。それに静岡勢も清水東、清水商が優勝するようになり、西日本勢ではようやく昭和60年度に島原商業が帝京と優勝を分け合う。そして当時島原商業の監督であった小嶺氏は国見高校に移り翌61年度には決勝戦で東海大一高校に敗れたが準優勝を収め、以降高校サッカーの優勝常連校だ。
高校サッカー球児達の憧れ、国立競技場のピッチには準決勝進出の四校しかプレーが許されない。今年は作陽(岡山)上村学園(鹿児島)盛岡商業(岩手)八千代(千葉)の選手達が国立に登場した。 今大会はPK戦が多いらしく、ここまで15試合が80分間で勝負が着かずPK戦に持ち込まれた。 巷ではストライカー不足とか言われているが、私はそれ以外の理由があると思う。確かにストライカー豊作とは思えないが。
この少子化のご時世、同時期に全国大会を行っている高校ラグビーは参加高校数が1000校を下回っているが、まだまだサッカー部を持つ高校は全国で4000校を超えるらしい。それにサッカーは今や日本人の間では1,2を争う人気スポーツ。自校の宣伝や生徒獲得の為にこぞってサッカーに投資をしている私立高校も増加しておりハード面では専用グランドを造ったり、野球部や他の球技部を押し出してでも練習スペースを与えたり。ソフト面では指導者をがんがん引き抜いて来たり(そして結果が出なければバシバシ解雇したり。)中学生、または小学校の高学年から有能な選手をスカウトしたり。完全にプロ球団並みだ。例えば福岡県代表の神村学園の竹元監督は鹿児島実業時代は全国大会準優勝経験者。他のスタッフも鹿児島実業や東福岡高校といった全国大会上位入賞校のOBだ。 それにこの少子化。限られた生徒数を多くの高校が取り合うのでレベルも次第に均等化されてくる。その上最近ではどこの街、地域の少年団でもしっかりとした指導者がついて基本をきっちり教えるので一時よくあった“地方格差”は激減している。昔は県庁所在地のある都市でしか立派な競技場がなかったものだが、今やどんな小さな都市でも規模の差はあれ1つはスタンド付きのスタジアムがあるのではないか?それでも名門校には部員が100人以上もいる。これは少し異常だ。せめて50人までだろう。高校生はまだまだ発展途上で伸びしろの多い世代。もっともっと試合経験を積ませる土壌が必要だ。
この氷雨の中、選手達は悪天候もなんのその憧れのピッチで存分にプレーをした事だろう。かつて私がインカレでフィールドの中から初めて見上げたスタンドや電光掲示板は格別なものだった。(とはいっても陸上競技なのでトラックから見た光景だけど) 第一試合の作陽高校対神村学園。前半24分に石崎君のゴールで先制。しかしその前にFKをDFと競り合いながら宮澤君がヘッドでゴールを狙い、GK矢野君がいったんはセーブしてそのこぼれ球を押し込んだもの。宮澤君はあの体制でよく頭に当ててしかもゴール方向にコントロールしたものだった。 神村学園は先制されてもベンチには攻撃的能力の高い選手が残っている。後半の選手投入からまだまだチャンスがあると思われた。後半開始から五領君、11分には中村君、18分には村田君が次々と投入される。また右サイドの遠藤君も縦に積極的に切れ込んでチャンスを作る。彼は種子島から中学時代に親元を離れて神村学園で寮生活をしているらしい。母親は学生時代陸上のインカレで200m, 400m そして 400m リレーで好成績を挙げたとの事。旧姓は何と言うのだろう?そしてどこの大学かな?母親がアスリートの場合子供がスポーツ選手になる可能性は高い。一緒にいる時間が長いので母親の影響は大きい。うちは家内がさっぱりスポーツ経験が無いので5年生の息子は….. 母は偉大だ。 しかし作陽も20分にエース、村井匠君を投入する。岡山県予選で膝を痛めて全国大会では満足にプレー出来ていないが、そのボールキープ力は他の選手との格の違いの片鱗をみせる。この村井君は勉強もよく出来て1日7時間も勉強する日があるとか。文武両道を行く選手だ。文部科学省の推薦高校生だろう。だがドリブルで抜け出したり、裏を取る動きでチャンスを演出したのはもう一人のFW小室君だった。後半35分にはペナルティーエリアの中にドリブルで侵入し相手DFそしてGKまでかわして決定的な場面を作るが神村学園DFが必死に戻ってクリアー。その小室君にキラーパスを送ったのは村井君だった。 神村学園も交代選手を中心に攻撃に出るがラストパスが作陽DF陣の網にかかりシュートに持ち込めない。そしてゴールネットを揺らせぬままタイムアップ。作陽が岡山県勢としては初めて決勝戦に進むこととなった。作陽高校のある地域は美作地区と呼ばれており、作陽の野村監督は“美作地区をサッカーの盛んな地域にしたい。”と語っておられたそうだ。 ここには美作女子大と言う陸上競技の強い大学があり(今も強いのかな?)ソウル五輪に槍投げで出場した松井江美という選手がいて彼女は美作高校出身であった。化粧をすればなかなかいい女であった。
準決勝の第二試合。この試合ほど“せっかくの国立競技場だから良いコンディションでプレーさせてあげたかった。”と思わなかった試合は無い。もうPK戦か?と思われたロスタイム。ロスタイム表示が2分と出た直後に盛岡商の林君がドリブルで右サイドを駆け上がる。ペナルティーエリアまで持ち込んで最後は粘ってCKを取る。CKではその林君が蹴るがその前にゴール前の八千代GK植田君や盛岡商のFWが映し出される。そして林君が蹴ったCKを植田君がパンチングを試みるがそれが真下に落ち自分の足にあたりゴールに転がり込んでしまった。パンチングをする前にどこに弾き出すか、すこし目を切ったかもしれない。そして雨でボールが滑ったのかもしれない。晴天なら難なくキャッチ出来たかもしれない。結局このゴールが決勝点となり盛岡が決勝進出となった。試合前は米倉(千葉)山崎(磐田)のJリーグ内定者の両君を擁する八千代が有利であったが、この氷雨が彼らの高速ドリブル、そしてボールテクニックを邪魔してしまい、逆に強豪武南高校をPK戦の末に破ったようなしぶとさを見せてきた盛岡商に味方をしてしまった。盛岡商は東館君が累積警告で出場停止。しかし、替わって出場した成田君がカウンターによくからむ。後半に風上に立った盛岡商が猛攻を仕掛けるが15分には中央で抜け出した成田君のシュートを八千代のGK植田君がファインセーブ。18分にも左サイドを抜け出した成田君からがゴール前にラストパスを出し、林君が飛び込んでいったが、またもGK植田君が体を張ってゴールを死守した。試合終盤になると、ようやく風雨が収まり始め、PK戦に突入かと思われた後半ロスタイムに、その悲劇が。 八千代の砂金監督は“こういう事はサッカーでは良くあること。”と植田君をかばったそうだ。勝利インタビューを受ける盛岡商斉藤監督。3回戦の武南高校戦後でも喉を押さえながらのインタビューであったが、喉頭がんで1年間療養されていたと、この試合後に知った。その苦しい間に斉藤監督を支えたスタンドで観戦されていた奥様が何度も映し出された。感動的だった。 岩手県勢は昨年の遠野に次いで2年連続の決勝進出。八千代は28年ぶりのベスト4であったが、またも決勝戦には手が届かなかった。28年前は、川崎フロンターレの関塚監督がこの八千代高校の選手であったはずだ。
明後日の決勝戦。天気はどうなるだろう。 テレビでは何度も涙に暮れる植田君と失点シーンが映し出された(本当にしつこい程に。) でも明日からはうつむくなよ、ゴールキーパー。
高校サッカー球児達の憧れ、国立競技場のピッチには準決勝進出の四校しかプレーが許されない。今年は作陽(岡山)上村学園(鹿児島)盛岡商業(岩手)八千代(千葉)の選手達が国立に登場した。 今大会はPK戦が多いらしく、ここまで15試合が80分間で勝負が着かずPK戦に持ち込まれた。 巷ではストライカー不足とか言われているが、私はそれ以外の理由があると思う。確かにストライカー豊作とは思えないが。
この少子化のご時世、同時期に全国大会を行っている高校ラグビーは参加高校数が1000校を下回っているが、まだまだサッカー部を持つ高校は全国で4000校を超えるらしい。それにサッカーは今や日本人の間では1,2を争う人気スポーツ。自校の宣伝や生徒獲得の為にこぞってサッカーに投資をしている私立高校も増加しておりハード面では専用グランドを造ったり、野球部や他の球技部を押し出してでも練習スペースを与えたり。ソフト面では指導者をがんがん引き抜いて来たり(そして結果が出なければバシバシ解雇したり。)中学生、または小学校の高学年から有能な選手をスカウトしたり。完全にプロ球団並みだ。例えば福岡県代表の神村学園の竹元監督は鹿児島実業時代は全国大会準優勝経験者。他のスタッフも鹿児島実業や東福岡高校といった全国大会上位入賞校のOBだ。 それにこの少子化。限られた生徒数を多くの高校が取り合うのでレベルも次第に均等化されてくる。その上最近ではどこの街、地域の少年団でもしっかりとした指導者がついて基本をきっちり教えるので一時よくあった“地方格差”は激減している。昔は県庁所在地のある都市でしか立派な競技場がなかったものだが、今やどんな小さな都市でも規模の差はあれ1つはスタンド付きのスタジアムがあるのではないか?それでも名門校には部員が100人以上もいる。これは少し異常だ。せめて50人までだろう。高校生はまだまだ発展途上で伸びしろの多い世代。もっともっと試合経験を積ませる土壌が必要だ。
この氷雨の中、選手達は悪天候もなんのその憧れのピッチで存分にプレーをした事だろう。かつて私がインカレでフィールドの中から初めて見上げたスタンドや電光掲示板は格別なものだった。(とはいっても陸上競技なのでトラックから見た光景だけど) 第一試合の作陽高校対神村学園。前半24分に石崎君のゴールで先制。しかしその前にFKをDFと競り合いながら宮澤君がヘッドでゴールを狙い、GK矢野君がいったんはセーブしてそのこぼれ球を押し込んだもの。宮澤君はあの体制でよく頭に当ててしかもゴール方向にコントロールしたものだった。 神村学園は先制されてもベンチには攻撃的能力の高い選手が残っている。後半の選手投入からまだまだチャンスがあると思われた。後半開始から五領君、11分には中村君、18分には村田君が次々と投入される。また右サイドの遠藤君も縦に積極的に切れ込んでチャンスを作る。彼は種子島から中学時代に親元を離れて神村学園で寮生活をしているらしい。母親は学生時代陸上のインカレで200m, 400m そして 400m リレーで好成績を挙げたとの事。旧姓は何と言うのだろう?そしてどこの大学かな?母親がアスリートの場合子供がスポーツ選手になる可能性は高い。一緒にいる時間が長いので母親の影響は大きい。うちは家内がさっぱりスポーツ経験が無いので5年生の息子は….. 母は偉大だ。 しかし作陽も20分にエース、村井匠君を投入する。岡山県予選で膝を痛めて全国大会では満足にプレー出来ていないが、そのボールキープ力は他の選手との格の違いの片鱗をみせる。この村井君は勉強もよく出来て1日7時間も勉強する日があるとか。文武両道を行く選手だ。文部科学省の推薦高校生だろう。だがドリブルで抜け出したり、裏を取る動きでチャンスを演出したのはもう一人のFW小室君だった。後半35分にはペナルティーエリアの中にドリブルで侵入し相手DFそしてGKまでかわして決定的な場面を作るが神村学園DFが必死に戻ってクリアー。その小室君にキラーパスを送ったのは村井君だった。 神村学園も交代選手を中心に攻撃に出るがラストパスが作陽DF陣の網にかかりシュートに持ち込めない。そしてゴールネットを揺らせぬままタイムアップ。作陽が岡山県勢としては初めて決勝戦に進むこととなった。作陽高校のある地域は美作地区と呼ばれており、作陽の野村監督は“美作地区をサッカーの盛んな地域にしたい。”と語っておられたそうだ。 ここには美作女子大と言う陸上競技の強い大学があり(今も強いのかな?)ソウル五輪に槍投げで出場した松井江美という選手がいて彼女は美作高校出身であった。化粧をすればなかなかいい女であった。
準決勝の第二試合。この試合ほど“せっかくの国立競技場だから良いコンディションでプレーさせてあげたかった。”と思わなかった試合は無い。もうPK戦か?と思われたロスタイム。ロスタイム表示が2分と出た直後に盛岡商の林君がドリブルで右サイドを駆け上がる。ペナルティーエリアまで持ち込んで最後は粘ってCKを取る。CKではその林君が蹴るがその前にゴール前の八千代GK植田君や盛岡商のFWが映し出される。そして林君が蹴ったCKを植田君がパンチングを試みるがそれが真下に落ち自分の足にあたりゴールに転がり込んでしまった。パンチングをする前にどこに弾き出すか、すこし目を切ったかもしれない。そして雨でボールが滑ったのかもしれない。晴天なら難なくキャッチ出来たかもしれない。結局このゴールが決勝点となり盛岡が決勝進出となった。試合前は米倉(千葉)山崎(磐田)のJリーグ内定者の両君を擁する八千代が有利であったが、この氷雨が彼らの高速ドリブル、そしてボールテクニックを邪魔してしまい、逆に強豪武南高校をPK戦の末に破ったようなしぶとさを見せてきた盛岡商に味方をしてしまった。盛岡商は東館君が累積警告で出場停止。しかし、替わって出場した成田君がカウンターによくからむ。後半に風上に立った盛岡商が猛攻を仕掛けるが15分には中央で抜け出した成田君のシュートを八千代のGK植田君がファインセーブ。18分にも左サイドを抜け出した成田君からがゴール前にラストパスを出し、林君が飛び込んでいったが、またもGK植田君が体を張ってゴールを死守した。試合終盤になると、ようやく風雨が収まり始め、PK戦に突入かと思われた後半ロスタイムに、その悲劇が。 八千代の砂金監督は“こういう事はサッカーでは良くあること。”と植田君をかばったそうだ。勝利インタビューを受ける盛岡商斉藤監督。3回戦の武南高校戦後でも喉を押さえながらのインタビューであったが、喉頭がんで1年間療養されていたと、この試合後に知った。その苦しい間に斉藤監督を支えたスタンドで観戦されていた奥様が何度も映し出された。感動的だった。 岩手県勢は昨年の遠野に次いで2年連続の決勝進出。八千代は28年ぶりのベスト4であったが、またも決勝戦には手が届かなかった。28年前は、川崎フロンターレの関塚監督がこの八千代高校の選手であったはずだ。
明後日の決勝戦。天気はどうなるだろう。 テレビでは何度も涙に暮れる植田君と失点シーンが映し出された(本当にしつこい程に。) でも明日からはうつむくなよ、ゴールキーパー。