Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

うつむくなよ ゴールキーパー

2007-01-07 | Weblog
仕事初めの翌日からは3連休。しかし今日は大変な雨。それも氷雨。最近の天気予報は本当によく当たる様になったと感心させられる。 お正月の定番の一つ、全国高校サッカー選手権大会も今年で85回目。私が子供の時はまだ大阪で開催されていた。そして昭和48年度大会は大阪代表の北陽高校が山野兄弟が地元大阪では大会前から話題を呼び見事全国優勝を果たした。決勝の藤枝東戦では1点を先制されたが2-1と逆転。そして同点ゴールを決められたかと思ったがオフサイドの判定で取り消されたがこの判定が非常に微妙で後に物議を醸し出した。この大会の5ヶ月前の全国高校野球でも大阪代表は北陽高校。今の阪神の岡田監督が内野手で出場していた。北陽と言えば先に高校野球でその名を覚えた。そして作新学院には怪物江川がいた。昭和51年度から首都圏の開催となり開会式と決勝戦は東京の国立競技場で行われることに。そしてあの“うつむくなよ、ふりむくなよ….君は美しい、戦いにやぶれても…” のテーマ音楽が始まり、この曲がテレビから聞こえなくなると3学期の始まりを告げる目安となった。首都圏開催以降優勝争いをするのは関東勢ばかりとなった。浦和南や帝京高校等関西での開催時代から優勝経験のある高校から古河一高校、武南高校。それに静岡勢も清水東、清水商が優勝するようになり、西日本勢ではようやく昭和60年度に島原商業が帝京と優勝を分け合う。そして当時島原商業の監督であった小嶺氏は国見高校に移り翌61年度には決勝戦で東海大一高校に敗れたが準優勝を収め、以降高校サッカーの優勝常連校だ。
高校サッカー球児達の憧れ、国立競技場のピッチには準決勝進出の四校しかプレーが許されない。今年は作陽(岡山)上村学園(鹿児島)盛岡商業(岩手)八千代(千葉)の選手達が国立に登場した。 今大会はPK戦が多いらしく、ここまで15試合が80分間で勝負が着かずPK戦に持ち込まれた。 巷ではストライカー不足とか言われているが、私はそれ以外の理由があると思う。確かにストライカー豊作とは思えないが。
この少子化のご時世、同時期に全国大会を行っている高校ラグビーは参加高校数が1000校を下回っているが、まだまだサッカー部を持つ高校は全国で4000校を超えるらしい。それにサッカーは今や日本人の間では1,2を争う人気スポーツ。自校の宣伝や生徒獲得の為にこぞってサッカーに投資をしている私立高校も増加しておりハード面では専用グランドを造ったり、野球部や他の球技部を押し出してでも練習スペースを与えたり。ソフト面では指導者をがんがん引き抜いて来たり(そして結果が出なければバシバシ解雇したり。)中学生、または小学校の高学年から有能な選手をスカウトしたり。完全にプロ球団並みだ。例えば福岡県代表の神村学園の竹元監督は鹿児島実業時代は全国大会準優勝経験者。他のスタッフも鹿児島実業や東福岡高校といった全国大会上位入賞校のOBだ。 それにこの少子化。限られた生徒数を多くの高校が取り合うのでレベルも次第に均等化されてくる。その上最近ではどこの街、地域の少年団でもしっかりとした指導者がついて基本をきっちり教えるので一時よくあった“地方格差”は激減している。昔は県庁所在地のある都市でしか立派な競技場がなかったものだが、今やどんな小さな都市でも規模の差はあれ1つはスタンド付きのスタジアムがあるのではないか?それでも名門校には部員が100人以上もいる。これは少し異常だ。せめて50人までだろう。高校生はまだまだ発展途上で伸びしろの多い世代。もっともっと試合経験を積ませる土壌が必要だ。

この氷雨の中、選手達は悪天候もなんのその憧れのピッチで存分にプレーをした事だろう。かつて私がインカレでフィールドの中から初めて見上げたスタンドや電光掲示板は格別なものだった。(とはいっても陸上競技なのでトラックから見た光景だけど) 第一試合の作陽高校対神村学園。前半24分に石崎君のゴールで先制。しかしその前にFKをDFと競り合いながら宮澤君がヘッドでゴールを狙い、GK矢野君がいったんはセーブしてそのこぼれ球を押し込んだもの。宮澤君はあの体制でよく頭に当ててしかもゴール方向にコントロールしたものだった。 神村学園は先制されてもベンチには攻撃的能力の高い選手が残っている。後半の選手投入からまだまだチャンスがあると思われた。後半開始から五領君、11分には中村君、18分には村田君が次々と投入される。また右サイドの遠藤君も縦に積極的に切れ込んでチャンスを作る。彼は種子島から中学時代に親元を離れて神村学園で寮生活をしているらしい。母親は学生時代陸上のインカレで200m, 400m そして 400m リレーで好成績を挙げたとの事。旧姓は何と言うのだろう?そしてどこの大学かな?母親がアスリートの場合子供がスポーツ選手になる可能性は高い。一緒にいる時間が長いので母親の影響は大きい。うちは家内がさっぱりスポーツ経験が無いので5年生の息子は….. 母は偉大だ。 しかし作陽も20分にエース、村井匠君を投入する。岡山県予選で膝を痛めて全国大会では満足にプレー出来ていないが、そのボールキープ力は他の選手との格の違いの片鱗をみせる。この村井君は勉強もよく出来て1日7時間も勉強する日があるとか。文武両道を行く選手だ。文部科学省の推薦高校生だろう。だがドリブルで抜け出したり、裏を取る動きでチャンスを演出したのはもう一人のFW小室君だった。後半35分にはペナルティーエリアの中にドリブルで侵入し相手DFそしてGKまでかわして決定的な場面を作るが神村学園DFが必死に戻ってクリアー。その小室君にキラーパスを送ったのは村井君だった。 神村学園も交代選手を中心に攻撃に出るがラストパスが作陽DF陣の網にかかりシュートに持ち込めない。そしてゴールネットを揺らせぬままタイムアップ。作陽が岡山県勢としては初めて決勝戦に進むこととなった。作陽高校のある地域は美作地区と呼ばれており、作陽の野村監督は“美作地区をサッカーの盛んな地域にしたい。”と語っておられたそうだ。 ここには美作女子大と言う陸上競技の強い大学があり(今も強いのかな?)ソウル五輪に槍投げで出場した松井江美という選手がいて彼女は美作高校出身であった。化粧をすればなかなかいい女であった。

準決勝の第二試合。この試合ほど“せっかくの国立競技場だから良いコンディションでプレーさせてあげたかった。”と思わなかった試合は無い。もうPK戦か?と思われたロスタイム。ロスタイム表示が2分と出た直後に盛岡商の林君がドリブルで右サイドを駆け上がる。ペナルティーエリアまで持ち込んで最後は粘ってCKを取る。CKではその林君が蹴るがその前にゴール前の八千代GK植田君や盛岡商のFWが映し出される。そして林君が蹴ったCKを植田君がパンチングを試みるがそれが真下に落ち自分の足にあたりゴールに転がり込んでしまった。パンチングをする前にどこに弾き出すか、すこし目を切ったかもしれない。そして雨でボールが滑ったのかもしれない。晴天なら難なくキャッチ出来たかもしれない。結局このゴールが決勝点となり盛岡が決勝進出となった。試合前は米倉(千葉)山崎(磐田)のJリーグ内定者の両君を擁する八千代が有利であったが、この氷雨が彼らの高速ドリブル、そしてボールテクニックを邪魔してしまい、逆に強豪武南高校をPK戦の末に破ったようなしぶとさを見せてきた盛岡商に味方をしてしまった。盛岡商は東館君が累積警告で出場停止。しかし、替わって出場した成田君がカウンターによくからむ。後半に風上に立った盛岡商が猛攻を仕掛けるが15分には中央で抜け出した成田君のシュートを八千代のGK植田君がファインセーブ。18分にも左サイドを抜け出した成田君からがゴール前にラストパスを出し、林君が飛び込んでいったが、またもGK植田君が体を張ってゴールを死守した。試合終盤になると、ようやく風雨が収まり始め、PK戦に突入かと思われた後半ロスタイムに、その悲劇が。 八千代の砂金監督は“こういう事はサッカーでは良くあること。”と植田君をかばったそうだ。勝利インタビューを受ける盛岡商斉藤監督。3回戦の武南高校戦後でも喉を押さえながらのインタビューであったが、喉頭がんで1年間療養されていたと、この試合後に知った。その苦しい間に斉藤監督を支えたスタンドで観戦されていた奥様が何度も映し出された。感動的だった。 岩手県勢は昨年の遠野に次いで2年連続の決勝進出。八千代は28年ぶりのベスト4であったが、またも決勝戦には手が届かなかった。28年前は、川崎フロンターレの関塚監督がこの八千代高校の選手であったはずだ。 
明後日の決勝戦。天気はどうなるだろう。 テレビでは何度も涙に暮れる植田君と失点シーンが映し出された(本当にしつこい程に。) でも明日からはうつむくなよ、ゴールキーパー。

ZICO 衝撃の復活

2006-12-27 | Weblog
ZICOと言っても前の日本代表監督では無い。キャティサック=セナムアン。タイ史上屈指のFWと言われる選手だ。しかしこの発音が難しい。地元ではキィティサックと言えと指導する人もおれば、キャティサックで良いのよと言う人もいる。彼の好きなサッカー選手はあの ZICO で、タイではキャティサックのニックネームであり、私のキャティサックの発音が現地人に通じなければ ZICO と言えばすぐにわかるくらいだ。最後にキャティサック・ZICO・セナムアンがタイ代表としてプレーしたのが2004年のワールドカップ予選の北朝鮮戦。バンコックで行われたホームゲームにもかかわらずタイは 1-4 で完敗。キャティサックはPKを外すなど良い所が無かった。そしてサッカー好きで知られる当時のタクシン首相は“スピリットの感じられない試合”と自国の代表を批判。それ以降、代表を離れていた。
タイ史上最高のプレーヤーは1984年シンガポールの五輪予選で日本を粉砕したピヤポン=プゥオンを挙げる人が多い。しかし、キャティサックも日本戦には実績を残している。1997年ワールドカップ1次予選のオマーン戦に臨む前の週にバンコックに立ち寄った日本代表はタイ代表とスパラチャイ競技場(昨年北朝鮮代表と無観客試合を行った競技場)で日本は 1-3 と敗れるのだが、この日本相手に2得点を決めたのがキャティサックだった。この年のワールドカップ1次予選でタイ代表は韓国と対戦するがその試合でも韓国DF相手に力強いボールキープからピヤポンのゴールを演出した。1998年のアジア大会準々決勝、タイは韓国を 2-1 で破ったがその試合でもゴールを挙げている。そして続く釜山大会でも1次リーグではイエメン、ヴェトナム、UAE戦と連続ゴールを挙げ3連勝で準々決勝進出に貢献。その他の代表での活躍の一つとして1996 , 2000, 2002年の ASEAN Cup ( Tiger Cup とも呼ばれるASEAN 諸国が集って行われるサッカーの国際大会)でタイを優勝に導いた事が上げられる。 
しかし、代表としての国際舞台での活躍はそこまでだ。2000年のアジアカップではエントリーされながら大会の試合には出場していない、と言うよりも大会に来なかった。それは当時所属していた England League の ハダーズフィールドタウンとの出場の調整がつかなかったらしい。しかしそれでもタイ史上、イングランドでプレーしたのは彼一人。その後2001年のシーズンに Bury (現在は3部リーグ) で少しプレーをしてからシンガポールSリーグの Singapore Armed Force FC に移籍。翌 2002年のシーズンには当時ヴェトナムリーグ2部だった Hoang Anh Gia Lai に移籍し、1年でチームを昇格させている。2005年の Asia Champions League ではジュビロ磐田との対戦で来日している。(試合はジュビロが 6-0 で圧勝 ) そして昨年は監督業も兼任したがらいシーズンからは元タイ代表監督のChatchai Paholpatが就任する事に。

一昨年中国で開催されたアジアカップでも国民の期待をよそに代表入りを固辞。1次リーグでタイは日本と同じグループであったのでもし彼がプレーをしていればもっともっと日本でも存在が知られただろう。

12月24日からタイの首都バンコックで開催されている第37回 King’s Cup 。ヴェトナム、シンガポール、カザフスタンを迎えて4年ぶりに優勝を狙う地元タイ代表はヴェトナムを 2-1 シンガポールを 2-0 で連覇し2位以内を確定させ決勝進出を決めた。28日の試合結果で(ヴェトナム対シンガポール、タイ対カザフスタン)の30日の決勝戦の相手が決まる。 この大会から背番号11を付けたキャティサックが2年ぶりに代表に復帰した。これで代表試合数は118を数えることに。これは同国での歴代1位記録だ。 
タイサッカーがアジア予選を突破し世界の舞台に出られたのは 1968年のメキシコ五輪のみ。今年6月、ワールドカップの日本対クロアチア戦を観戦した帰りニュルンベルグ駅でタイから試合観戦に来ていた数人の男女の若者達と一緒になったが彼らを含めてタイサッカーファンの夢は自国の代表が世界の舞台にもう一度出てくる事だろう。
来年1月からは ASEAN CUP ( Tiger Cup ) が始まる。前回2004年大会ではマレーシアに破れ、ミャンマーと引き分けグループリーグ3位となり準決勝には進めなかった。今年はその借りを返すべく1月12日のミャンマー戦から大会に臨む。 今年は五輪予選もあるが、地元サポーターの最大の関心は7月のアジアカップ。キャティサックも自らの存在をアジア諸国にもう一度見せたいところだろう。1次リーグの相手はイラク、オマーンそしてオーストラリア。ホームでは無類の強さを見せるタイだけに、オーストラリアとて楽観は出来ないだろう。大会直前の6月にはドイツで合宿を行う。 キャティサックがプレーをするのならますますアジアカップもスタンドで観戦したくなってきた。 その時までせめて彼の名前をタイ文字で書けるように勉強を始めよう…..

サワディ~カップ 国王の誕生日

2006-12-09 | Weblog
最近,アジアの空港の充実振りを見ると成田空港がかすんで見える。シンガポールのチャンギ空港は言うまでも無くクアラルンプールの KLIA 。ジャカルタの空港も大変な大きさだ。しかしクアラルンプールから私の搭乗した航空会社は Air Asia 。発着空港は KLIA ではなく、 LCCT 。それは Low Cost Carrier Terminal という名の文字通り安いキャリアーのターミナル。空港内は見送りと出迎えの人も含めて大変な人だった。チェックインをする時に“当機の1人当たりの機内預け重量は 15kg までです”、とエクセスチャージをしっかりと取られた。機中は1杯の水から有料。2時間のフライトを過ぎて到着したのはこれまでのドンアン空港と異なり新しくなったバンコック国際空港。この日も相変わらず大変な人だ。しかしその規模の大きさはそんな訪問客の多さなど気にならない。そして両替所を含めた全ての施設が超近代的の見える。パスポートコントロールもスムースに抜けて外に出るとわんさと人が。しかも着ている物は殆ど黄色だ。12月4日はプミポン=アドンヤッデ国王の79回目の誕生日。そして即位60周年。国民は王家の色である黄色の衣料を身に纏い国王の誕生日と今後の健康を祈願しているのだ。国民から絶大なる支持を受け続けている国王。先の軍事クーデターも国王の“退任勧告”を無視したタクシン前首相を追い出す為と言われており、その銃口は一般市民には一切向けられなかった。その絶対的な支持は近隣諸国が欧州列強の植民地にされながら、タイだけは植民地にされることは無く、それは国王のおかげと信じられている。しかし“この地域はフランス領とイギリス領との緩衝地帯になっており、両国列強は手が出しづらかった事もある”と言う歴史家もいる。 
12月1日よりカタールの首都ドーハで開幕した第15回アジア大会。丁度1週間を過ぎたメダル争いは相変わらず中国が87個とダントツでトップを快走しており、日本の23、韓国17、カザフスタン10、更に北朝鮮そしてインドに続いてタイが6番目にいるが、タイの金メダルは4個。アジア大会とは言え上位3カ国とは競技力の差が歴然だ。 それでも大会3日目の女子重量挙げ 63 kg 級では Pawina Thogsuk がジャークで 142kg の世界記録を樹立し金メダル。しかもこのクラスには世界王者の中国のオウヤン=シャオファンがおり、彼女を破り、これまで6階級の女子重量挙げ金メダルを独占し続けた中国勢に待ったをかけた。そしてこのミャンマーの Faw Thaw Yae が3位に入った。アジアの選手で世界に通用する選手は多くは無いが、ここタイにもそういう選手がいるのだ。マレーシアの New Straights Times は Thongsuk の世界記録は “国王への完璧なプレゼント”と紹介している。女子 50m ライフル団体でも金メダルを獲得。女子の射撃競技では中国とカザフスタンが抜きん出た実力国とされているが、その両国の間にタイ女性達が割って入った。同種目の個人競技で銀メダルを獲得した16歳の Thanyalak Chotpaibunsin が“この金メダルを私は国王に送る。これより良いプレゼントは贈れない。”とコメント。もし日本の選手が“このメダルを天皇陛下に…” などと公式の場で言おうものなら左翼連中は何と言うだろう?タイでは誰も彼女に非難の声を浴びせない。 そして大会六日目のタイ国民のハイライトはサッカーの1次リーグ最終戦のクウェート戦だろう。いつもは青か赤のユニフォームを着るタイ代表だがこの日のユニフォームはもちろん黄色。前半37分に Teeratep Winothai のPKで先制するも、後はクウェートの攻撃に押される苦しい展開。しかも55分にはベテランFW Nutchum Suchaoを怪我で失う。1次リーグのこれまでの相手、パレスティナ、キルギスタンとは明らかに実力差が異なる相手。しかしそれはクウェートも同じ事。イエローカードが6枚出されたタフな試合はそのままタイが逃げ切り準々決勝進出を決めた。試合終了後スタンドの応援団の前に平伏し感謝の意を表わすタイイレブン。来年開催される ASIA CUP の開催国の中でただ1ヵ国ベスト8進出を決めた。 タイのサッカーはアジア大会では無類の強さを見せこれまで2大会連続してベスト4に進出している。12月8日の準々決勝戦は開催国カタールが相手だ。しかし上述した Suchao のみならず Sutee Suksomkit , Hadtaporn Suwan, Thana Chanabut が怪我で出場が危ぶまれる。Charnavit Phalajivin 監督もカタール戦に向けて特に Suchao の代役探しに苦悩しそうだ。この準々決勝に日本がいないのが寂しい。 
そしてこの地域では盛んな よく空き地で子供達が竹で編んだボールを足でコントロールして遊んでいる東南アジアで盛んな競技、セパタクロー。タイではタクロゥーとクにアクセントがかかりタは小さく発音する。そして“セパ”は言わないらしい。 決勝戦はマレーシア。この両国がこの世界では1,2を争うがこの宿敵を 2-0 ( 21-15, 21-15 ) 2-0 ( 22-20, 21-12 ) で破り金メダルを獲得した。 しかし、いいことばかりは続かない。女子の決勝戦はヴェトナムが 2-1 ( 13-21, 21-14, 15-11 ) 0-2 ( 12-21, 15-21 ) 2-1 ( 12-21, 21-15, 15-11 ) でタイを破り大会3連覇を阻止した。ヴェトナム女子は1998年バンコック大会銅メダル。2002年釜山大会銀メダル、と着実に力をつけ、昨年のバンコックでの世界選手権、マニラでの SEA GAME でもタイに続いて2位になり、遂に今大会タイを破った。 Chucheep Kongmeechon ヘッドコーチは“緊迫した試合だった。ヴェトナムの精神的なアプローチが勝敗を決めた。最後まで集中を切らさなかった。ヴェトナムの選手達は勝つべく資質を兼ね備えていた。我々(タイ)の選手は出だしは良かったが次第にプレッシャーに襲われた。各チームのストライカー達は思い切りを保持できなかった。選手起用に迷いがあった私の責任だ。”とコメントを残した。この競技のおかげで東南アジアのサッカー選手の足元は大変器用だ。欧州勢はどうだろう?しかし、欧州で、もしこの競技がメジャーになれば国際ルールを彼等の都合の良い様に変えられてしまうだろう。このままが良いのかも?最後に、タイテニス界の英雄 Paradorn Srichaphan が団体戦で日本の添田に敗れた。そして痛めていた手首が悪化し、個人戦を含めた以降の試合をパスする事に。4年前、久し振りにバンコックに来たとき、彼はテニスの4大大会でも結構上位に進出していた。 もうピークは過ぎたのだろうか…… 今日も競技は続く。そして暑いバンコックの夜も…..

アジア諸国で見るアジア大会

2006-12-08 | Weblog
11月下旬より南半球のニュージーランドより東南アジアに移動しました。シンガポール、ペナン、クアラルンプールを経て今はタイの首都バンコック。アジア大会も開幕して7日目を終え、日本以外の国で見るアジア大会もなかなかおつなもの。仕事が忙しくてゆっくり見る暇も無いけど、これからご期待に応えて(誰も期待していないか?)現地レポートを?順次送ります。あぁそれにしても暑い。

駒場にて 浦和 vs 高槻 その2

2006-09-25 | Weblog
ハーフタイム中に試合前に購入したプログラムをパラパラとめくる。モックなでしこリーグと名付けられた女子サッカーでは日本最高峰のリーグ戦。モックとはリーグ戦のスポンサーで1994年に設立された新興の会社で、外食、ブライダルビジネスを手がけている。ブライダル市場に参入するあたり、なでしこ達にふさわしいかもしれない。Division 1は8チームで構成され、2回戦総当りで順位を決め、上位,下位4チームずつが順位決定リーグ戦を総当りで行うがレギュラーリーグでの結果はそのまま加算される。そして Division 2 も8チームで構成され3回戦総当りで順位を決めて、1位が自動昇格。2位が Division 1 の7位チームとホームアンドアウェーでプレーオフリーグを行い昇格を争う。Division 2にはアルビレックス新潟や ジョエフユナイテッドがいる。そしてかつて女子サッカーの代名詞とも言われた清水第八がここにいる。全盛期は静岡県の鈴与グループのスポンサーを受け、女子サッカー全国制覇8連覇を成し遂げた古豪だが、はやく1部入りをして欲しい。 そして Division 1 の各チームの代表的な選手1名の“生活ぶり”も紹介されていた。学生あり、主婦あり、そしてOLあり。殆どの選手がプロではなく限られた時間で精進している。かつて(男子の)日本リーグサッカーは企業に所属しておりサッカー部に居る間は給料の心配は少なかった。その後ライセンスプロ選手制度が出来、プロリーグ発足に繋がったが、女子の今の現状は男子の日本リーグよりも厳しい。そんな中で世界を相手に戦うのだから、判官贔屓の私は彼女達の応援に拍車をかけたくなる。 
後半も浦和の攻勢で始まる。47分には右から北本、安藤、そして柳田に渡りシュートを撃たれるが惜しくも外れる。54分にはカウンターから安藤に撃たれるがGK正面。55分にはDF笠嶋の左からのナイスクロスが入るが惜しくも安藤には合わない。エンドが替わって今度は高槻がこちら側のゴールに攻め込んでくるので初めて浦和DF陣がよく判るのだが、この笠嶋は身長170cmと長身。清水第八にも所属したベテランではあるが色白でこの身長だからモデルでも行けたのではないかな(関係ないか?)。どうりで、前半なかなか高槻はサイドからクロスが入れられないわけだ。細田監督はここで二人目の交替選手、MF櫻田有幾子をFW伊丹絵美に替えて投入し中盤を厚くする。これが功を奏して中盤で高槻のボールが廻るようになった。(だったら前半の交替時にそれをやっていれば?・・・)64分にはFKを得て庭田が直接狙うが惜しくもバーを直撃し、またもや我々高槻サポは天を仰ぐ。高槻は交替出場の金房が左に開いてそこにボールが渡ればなにか可能性を見出せるようになってきた。しかし、浦和の攻撃の要、安藤が守備に戻って来るのでなかなかシュートが撃てない。その安藤は66分にミドルを撃つがGK海堀がナイスキャッチ。 浦和ベンチの永井監督がここで立ち上がった。永井良和と言えば、地元、市立浦和高校出身で全国優勝を果たし“赤き血のイレブン”のモデルとなった。だが私はむしろ、後に古河電工に入社し、日本代表のFWとしても活躍し、特に韓国戦では強いところを見せてくれたという印象の方が強い。だから彼が浦和で指揮を取るのは少し違和感を感じるが、地元の人にとっては心強い経験者と映るのかもしれない。永井監督はMF法師人に替えて地元埼玉栄高校出身の保坂のどかを投入。どちらも身長150cmに満たないが早くて細かい動きをする。これで高槻中盤での攻勢を抑えに出て、カウンター攻撃が増える。69分には北本がドリブルで上がってそのままシュートに持ち込むがGK海堀がキャッチ。76分には保坂が左からクロスを入れて若林があわせるがこれも海掘の正面。海掘はこの日大忙しだ。78分にはその若林が下がり同じFWの松田典子が入るがこれで前線からのプレスを掛ける。浦和はこの2試合ベレーザ、TASAKI と強豪相手に連敗中なのでこの試合は何とか勝ちたいと言う執念が徐々に伝わってくる。それでも高槻は79分、相澤がドリブルで上がりそのままシュート。そのこぼれ球に伊丹が迫るがゴールは割れない。85分にはDF高見を下げてFW藤川を投入して同点ゴールを狙うが、結局ボールは届かず無情のホイッスルが鳴った。試合終了後は我々の所に挨拶に来る高槻イレブンに精一杯の声援を送り、高槻サポの方からエールの交換を始める。私も力いっぱい“うらぁ~わレッズ”と叫ぶ。浦和サポ及び観客席からは拍手が送られ、続いて“高槻FC!!”のエールが返ってくる。10人にも満たない我々の応援席から精一杯の拍手を送る。 学生スポーツの様だが、ここには共通の意識がある。女子サッカーを盛り上げようとする意識だ。我々に出来る精一杯の事だ。そして関西から着たサポーターの人達に労いの言葉をかける。昔、高槻FCが全国優勝したときに私は西が丘競技場でその現場に居合わせたことを話した。“時間が有ったら高槻に来て応援してください。”といってくれた。スペランツァ高槻のホームゲームは高槻総合、高槻萩谷、神戸ユニバー等で行われた。浦和の様に“聖地”を持たない。だが彼女達のプレーに郷土意識を再び齎してくれた。 最後にもう一度言わしてもらおう。

“私、女子サッカーのファンです。”

駒場にて 浦和 vs 高槻 その1

2006-09-25 | Weblog
先週末、9月23、24日はこれぞ秋晴れと言う天気、そして絶好の屋外スポーツ日和。それは Do Sports ( ちょっと表現が古いか?) とスポーツ観戦に共通した。この週末は前から楽しみにしていた。土曜日には我が愛する京都パープルサンガがフクダ電子アリーナにやって来て JEF United との試合が。日曜日には私の故郷からスペランツァ高槻が駒場競技場で浦和レッドダイヤモンズレディースと対戦する。本音は両方とも競技場に出向きたかったのだが、そこは独身時代(もう16年前)とは異なり自由時間の限られている身。悩み抜いた揚句、駒場に行く事にした。当日は秋晴れの涼風に誘われて何と私は自宅から駒場まで自転車で行ったのです。それでも気ままにペダルを漕いで45分程度でもう競技場近くの本太坂付近まで着いた。この近くにある本太中学校。今、横浜マリノスで指揮をとる水沼監督が卒業された中学校との事。在校当時は全国優勝を果たしたとの事。卒業後、彼は浦和南高校に進学しそこでも全国優勝を果たした。駒場競技場のサブグラウンドでは浦和南高校と浦和レッズユースが練習試合をしていた。その本太中学は昭和52年度も全国優勝を果たした(と思う。)が、その時の全国中学校大会に私の同級生達が大阪代表(高槻市立第九中学校です。)で出場をした。残念ながら1回戦で千葉県の宮本中学校に破れたが、彼らの頑張りは大変な刺激になり、私の陸上競技人生と言うよりも、人生そのものに大きく影響を与えてくれたと今でも感謝している。その陸上競技人生でもここ駒場競技場は縁がある。実業団時代、何度かここで練習や5000mのタイムトライアルを行った。当時はまだJリーグが発足する前で、観客席はまだ増設されておらず、スタンドの壁によく五輪等で出て来るサッカー選手を象った大きな“ロゴ”が貼ってあった。 Jリーグが発足してからここが一般開放される事も少なくなり、陸上の練習で使う事は滅多に無くなったらしい。競技場横には Red Voltage のテントが設営されそこで当日券が販売されている。価格は1000円。日本リーグ時代と同じ価格だ。そして驚いたことに日本サッカー後援会の会員証を見せれば入場は無料との事。昔は個人だと年会費1万円で日本サッカー後援会に入会できて、五輪やワールドカップ予選などの代表の試合が無料で観戦出来た。今はそんな特典等ないだろうが、まだこの後援会が存在するとは吉報であった。入会方法を尋ねるも、ここでは判らないとの事。それではこちらで調べてみましょう…とスタンドに向う。 モックなでしこリーグの第12節の浦和レッズレディース対スペランツァF.C.高槻戦。浦和レッズの試合では毎試合前売りチケットは完売であるが、レディースのこの試合、観客は1000人入ったかな?ヴィジターブロックに足を入れる。するとエスペランサのブルーのユニフォームを着た男性が5人。横断幕を張ったり応援旗のチェックをしたり。訊ねてみると高槻からわざわざ来られたらしい。“私は高槻出身でこの試合を楽しみにしていました。”と言うと彼らも応援頑張りましょう、と。 そしてメインスタンドの方では赤いシャツを着た一角が。お馴染みのレッズサポーターだ。スタメン紹介の時にはレディースの試合とは言えあの手拍子と掛け声が発せられて、良い雰囲気を醸しだしてくれる。 浦和はGKの山郷のぞみ、MF柳田美幸そして安藤梢が先月アデレードで開催されたAFC女子選手権兼ワールドカップ予選での日本代表メンバーそしてFW北本綾子が昨年の東アジア選手権での日本代表。他にもDF笠島由恵、MF高橋彩子が代表経験有りと、タレントぞろい。一方の高槻は、FW相澤舞衣が代表経験者。主将の庭田亜樹子が京都の龍谷大学所属のユニバーシアード代表選手。昨年のトルコ、イズミールユニバーでは銅メダル獲得のユニバー代表の主将。しかしそれ以外、代表経験者は無く個人能力の差は歴然だが、それを戦術でカバーできるのがサッカーの醍醐味、と期待をかける。 しかし地力に優る浦和の猛攻で幕が開く。開始2分、右から北本のスルーが安藤に通ってGKと1対1になるが最後は高槻DF高見惠子がブロック。4分に今度は安藤からのスルーを右に流れて受けた北本がそのまま持ち込み再びGKと1対1になるも、高槻GK海堀あゆみがブロック。その直後には浦和DF西口柄早がミドルを放ちそれがクロスバーを直撃。こぼれた所をMF法師人美佳が詰めるがその前にオフサイド。いつ失点してもおかしくない立ち上がりだ。クリアーボールを拾われ、というよりも女子の筋力では大きく飛ばないのか?常にボールの先には赤いユニフォームがおり、波状攻撃を許す。高槻はようやくFW庭田がサイドからドリブルで上がって相手ペナルティーエリア内まで持ち込んでチャンスを作る。14分にはMF小野村亜矢のロングフィードを受けた庭田が粘ってCKを得る。そのCKから167cm長身の奥田亜希子が惜しいシュートを放つ。高槻はロングボールを入れてそこにボールキープの出来る庭田を走らせる。なんとか早いうちに先制出来ないかと思っていると、浦和に先制されてしまった。18分にFW若林エリが前線にロブをいれるとそこには北本がおりそのまま持ち込まれてループ気味にシュートを撃たれてゴールネットを揺すられた。どうしても欲しかった先制点は浦和に決められてしまった。尚も浦和は当たり前だが攻撃の手を緩めない。21分には安藤のスルーを受けた北本がフリーで撃つがGK海堀がブロックし、こぼれ球はDF奥田がクリアー。25分にはMF高橋に粘られて何とかコーナーに逃げるもそこから波状攻撃を受けて最後は安藤にシュートを放たれるがそれは外してくれた。26分、法師人のスルーを受けた安藤のシュートはGK正面。35分には再び法師人がドリブル、奥田を交わしてクロスを入れられるが安藤のヘッドはクロスバーのやや上に。安藤のシュートがゴールネットに届くことはないが、彼女の決定力が上がらないと反対に11月のワールドカップ最終予選となる北中米国とのプレーオフが心配なのだが。個人能力で優る浦和は中盤でも細かいパスを繋ぎ、若林がすばしこい動きで高槻の中盤を翻弄。後方からも法師人が良いフィードを入れてくる。高槻はロングフィード頼りだがその後のサポートが遅くバイタルエリアでボールが廻らない。女子は男子と決定的に違うのはパワーとスピード。しかし、そのせいでロングボールがぎりぎりラインを割らなかったりするのでロングボールは有効に見える。しかしテクニックはなかなか男子顔負けだ。36分には高槻、細田監督は早くも中江真紀に替えて金房夏希を投入しFWを入れ替える。そして41分、庭田がミドルを放ちそれがクロスバーに当たって真下に落ちるが僅かにゴールラインを割れない。数少ない高槻サポは全員立ち上がって天を仰ぐが、これが前半最初で最後のチャンスだった。 以降浦和の攻勢が続き44分には安藤が3人に囲まれてもクロスを上げて柳田がフリーで撃つも左に外れ、ロスタイムには岩倉三恵が左からナイスクロスを入れるが安藤がまたもフリーシュートを外してくれた。更に前半終了直前には北本がミドルを放つが枠を越えて行った。 こうして前半は何とか1失点で済んだが、後半、高槻は打開策があるのだろうか?…..