今回のお気に入りは、日高晤郎です。
昼過ぎに妻が突然叫びました。
「日高晤郎が死んだ!」と。
離れた場所にいましたが、それからしばらくの間、鼻をすする音が聞こえていました。
晤郎さんが亡くなってしまったのですね。
認めたくないけれど、ついにその日が来てしまいました。
「日高晤郎ショー」のファンは予感していました。
この1か月、晤郎さんの衰えを知りつつ、そ知らぬ顔で大笑いして付き合っていたはず。
もう自分を偽らなくてもいいのですね。
本当は心配で心配で笑っている場合ではなかったのですが、晤郎さんを気づかって大笑いしていました。
晤郎ショーを聴き始めたのは今の仕事に就いてからなので1984年夏。
放送開始から1年目だったのですね。
あれから34年お世話になりました。
パワフルな語り、笑い、怒りに圧倒され続けました。
この10年ほどはラジオの置き場が遠くなったこともあり、あまり熱心なファンではありませんでした。
ラジオは妻のそばに移動し、代わりに熱心なファンになってくれました。
冬が忙しい仕事をしているため、ディナーショーには行けませんでした。
でも「ひとり語り」に3年連続行ったことは自慢です。
2013年の「上方寄席芸人伝 桂文京」、2014年の「松風の門」、2015年の「紺屋高尾」。
「松風の門」では幕が上がる前に、静かな会場を滝の音が包み込みました。
幕が上がり、若い武士が一人、山奥の滝の前にたたずむシーンから語りが始まりました。
まるですぐ側に自分もいるような錯覚さえ感じる素敵な演出でした。
途中で披露した見事な抜刀術も忘れられません。
「紺屋高尾」も絶品でした。
生の人間が真剣勝負の芸を披露し、時を共有する、何物にも代えがたい素敵な時間でした。
固唾をのんで見守り、聴き入ったものです。
テレビを時間つぶしにだらだら見るのとは大違い。
生涯の宝物となりました。
もうひとつ、今度は手元にある宝物の話。
晤郎さん監修のパイロットの万年筆。
何とこれはニッカウヰスキーの樽材を使用しており、二重の意味で宝物となりました。
購入から12年、手の油が馴染んで良い色に育ちつつあります。
さらにもうひとつ手元の宝物。
オーストラリアのメーカー、R・M・ウイリアムズの牛革ベルトは、晤郎さんが勧めているからって妻が買ってくれたもの。
今でも傷みが全くきません。
やっぱり本物は違いますね、晤郎さん!
最後に、晤郎さんが以前ご執心だったボブ・グリーンのこと。
晤郎さんが亡くなったと聞いて、ボブの「アメリカン・ビート ベストコラム34」に収録されている「ジョン・レノンが死んだ夜。」を真っ先に思い出しました。
1980年12月のあの日、ジョンの死をきっかけに全米の若者たちが一晩中友人たちと電話で語り合ったという名コラム。
ひとつの時代が終わったと肌で感じた人々の行動が、今の心境と重なったのでしょうか?
あのコラムを朗読した晤郎さんの声が耳に蘇ります。
本書はかなり前に手放したけれど、たまたま去年また買いました。
今夜は「ジョン・レノンが死んだ夜。」を読んで晤郎さんを偲ぶことにします。
芸人魂を最期まで見せつけてあの世に旅立った晤郎さん。
あなたの人生そのものが、葉室麟が描く美しい小説のようでした。
感動をありがとうございました。
昼過ぎに妻が突然叫びました。
「日高晤郎が死んだ!」と。
離れた場所にいましたが、それからしばらくの間、鼻をすする音が聞こえていました。
晤郎さんが亡くなってしまったのですね。
認めたくないけれど、ついにその日が来てしまいました。
「日高晤郎ショー」のファンは予感していました。
この1か月、晤郎さんの衰えを知りつつ、そ知らぬ顔で大笑いして付き合っていたはず。
もう自分を偽らなくてもいいのですね。
本当は心配で心配で笑っている場合ではなかったのですが、晤郎さんを気づかって大笑いしていました。
晤郎ショーを聴き始めたのは今の仕事に就いてからなので1984年夏。
放送開始から1年目だったのですね。
あれから34年お世話になりました。
パワフルな語り、笑い、怒りに圧倒され続けました。
この10年ほどはラジオの置き場が遠くなったこともあり、あまり熱心なファンではありませんでした。
ラジオは妻のそばに移動し、代わりに熱心なファンになってくれました。
冬が忙しい仕事をしているため、ディナーショーには行けませんでした。
でも「ひとり語り」に3年連続行ったことは自慢です。
2013年の「上方寄席芸人伝 桂文京」、2014年の「松風の門」、2015年の「紺屋高尾」。
「松風の門」では幕が上がる前に、静かな会場を滝の音が包み込みました。
幕が上がり、若い武士が一人、山奥の滝の前にたたずむシーンから語りが始まりました。
まるですぐ側に自分もいるような錯覚さえ感じる素敵な演出でした。
途中で披露した見事な抜刀術も忘れられません。
「紺屋高尾」も絶品でした。
生の人間が真剣勝負の芸を披露し、時を共有する、何物にも代えがたい素敵な時間でした。
固唾をのんで見守り、聴き入ったものです。
テレビを時間つぶしにだらだら見るのとは大違い。
生涯の宝物となりました。
もうひとつ、今度は手元にある宝物の話。
晤郎さん監修のパイロットの万年筆。
何とこれはニッカウヰスキーの樽材を使用しており、二重の意味で宝物となりました。
購入から12年、手の油が馴染んで良い色に育ちつつあります。
さらにもうひとつ手元の宝物。
オーストラリアのメーカー、R・M・ウイリアムズの牛革ベルトは、晤郎さんが勧めているからって妻が買ってくれたもの。
今でも傷みが全くきません。
やっぱり本物は違いますね、晤郎さん!
最後に、晤郎さんが以前ご執心だったボブ・グリーンのこと。
晤郎さんが亡くなったと聞いて、ボブの「アメリカン・ビート ベストコラム34」に収録されている「ジョン・レノンが死んだ夜。」を真っ先に思い出しました。
1980年12月のあの日、ジョンの死をきっかけに全米の若者たちが一晩中友人たちと電話で語り合ったという名コラム。
ひとつの時代が終わったと肌で感じた人々の行動が、今の心境と重なったのでしょうか?
あのコラムを朗読した晤郎さんの声が耳に蘇ります。
本書はかなり前に手放したけれど、たまたま去年また買いました。
今夜は「ジョン・レノンが死んだ夜。」を読んで晤郎さんを偲ぶことにします。
芸人魂を最期まで見せつけてあの世に旅立った晤郎さん。
あなたの人生そのものが、葉室麟が描く美しい小説のようでした。
感動をありがとうございました。
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