鬼平や竹鶴~私のお気に入り~

60代前半のオヤジがお気に入りを書いています。

お気に入りその1928~土に贖う

2020-05-13 12:38:23 | 鬼平・竹鶴以外のお気に入り
今回のお気に入りは、「土に贖(あなが)う」です。

著者・河崎秋子さんは北海道の別海で羊飼いをしながら小説を書いていた方で、つい先日羊たちの世話をやめて小説家に専念したというニュースが流れました。
やはりご当地作家の桜木紫乃の作品をたくさん読んだので、河崎秋子も読んでみることにしました。

AMAZONの内容紹介を引用します。
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明治時代の札幌で蚕が桑を食べる音を子守唄に育った少女が見つめる父の姿。
「未来なんて全て鉈で刻んでしまえればいいのに」(「蛹の家」)。
昭和35年、江別市。
蹄鉄屋の父を持つ雄一は、自身の通う小学校の畑が馬によって耕される様子を固唾を飲んで見つめていた。木が折れるような不吉な音を立てて、馬が倒れ、もがき、死んでいくまでをも。
「俺ら人間はみな阿呆です。馬ばかりが偉えんです」(「うまねむる」)。
昭和26年、レンガ工場で最年少の頭目である吉正が担当している下方のひとり、渡が急死した。
「人の旦那、殺しといてこれか」(「土に贖う」)など北海道を舞台に描かれた全7編。
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明治から昭和にかけての北海道を舞台にした短編集です。
生まれ育った地が舞台の上、それなりに年を食っているので、自分の記憶と重なる部分が多かったです。
今回は本の感想よりも自分の記憶に残る風景を書き留めたいと思います。

「蛹の家」(養蚕業者)
物語は明治時代の札幌・桑園地区が舞台。
私と妹が桑園で生まれたことや、父の実家が山形で養蚕をしていたため、興味深く読みました。
50年も前になりますが、小学生だった私は昆虫少年でした。
たくさんのカイコガの幼虫がクワの葉をモリモリ食べる姿をワクワクしながら見たことを鮮明に覚えています。
兄弟が多かった父は幼いころ倉庫のカイコ棚の脇が寝床で、夜通しサクサクと葉をはむ音が聞こえていたといいます。
そんなことを思い出しつつ読んだ北海道の養蚕業の栄枯盛衰物語は、まさに目に見える様、耳に聞こえる様でした。

「頸、冷える」(ミンク飼育業者)
学生時代にサイクリング部だったこともあり、札幌に戻ってからも自転車であちこちに行きました。
石狩市生振を走っていたときに目の前の草むらから黒い獣が顔を出しました。
上半身まで出てきたあたりで私に気づき、しばしの間にらめっこをしてUターンしていきました。
小柄で細長くしなやかな獣。
おそらくあれがミンク。
むかし飼育されていて野生化したのでしょう。
この作品もそんなことを思い出しつつ読みました。

「翠に蔓延る」(ハッカ栽培農家)
北見のハッカが産出量で世界一だったことは知りませんでした。
戦後ブラジルにシェアを奪われ、さらに合成品で代用されるようになり、一気に衰退したことも知りませんでした。
今はハッカあめなどが北見名物として細々と続いているだけ。
まさに栄枯盛衰物語です。

「南北海鳥異聞」(海鳥採取)
伊豆諸島の鳥島でアホウドリ採取に明け暮れた男。
体が重いアホウドリはすぐに飛び立つことができないため棒で叩くだけで大量に採取できました。
男の屈折した心は鳥をたたき殺すことで満たされていました。
美しい羽根が西洋の貴婦人に珍重されたことから事業化され、アホウドリが絶滅する直前まで続いたとは何とも残酷な話です。
各地を流転した男はやがて根室に入り、白鳥採取にむかしを重ねます。
まさか白鳥たちの強力な翼、脚、くちばしによる逆襲で落命するとは思ってもいなかったことでしょう。

「うまねむる」(蹄鉄屋)
かつて馬は農家の貴重な労働力でした。
腕の良い蹄鉄屋に遠くから馬を連れて男たちが訪れたと、本書には書かれていました。
私の生まれ育った辺りが住宅地だったことと、すでに機械化が進んでいたため、働く馬を見たことはほとんどありません。
一度だけワラを山のように積んだ馬車がゆっくりと進んでいくのを見かけたことがあるくらいです。
この作品で馬は畑を耕す途中で脚の骨が折れて薬殺されます。
その後の埋葬や葬儀の中で語られていた言葉が印象的でした。
「馬たちはあちこちに故障を抱えながらも懸命に働き、やがて力尽きて死んでいく」
農家の人々は故障を知りながらも馬を働かせ続けたのですね。
農家が供養碑として馬頭観音を建て、懇ろに葬った気持ちが少しだけわかった気がしました。

「土に贖う」(レンガ工場)
札幌にほど近い江別の野幌丘陵には3mもの厚さがある良質な粘土層があったことからレンガ工場が林立したそう。
需要の増大に応えるべく過重労働を続ける労働者たちが描かれています。
レンガがこれほどもてはやされた時代があったことは、この作品を読むまで知りませんでした。
札幌の古い建物といえば、レンガ造りの建物より札幌軟石造りの建物の方が多いように思います。
当時のレンガ工場の繁栄ぶりを知ると、レンガ造りの建物はたくさん建てられたけれど、解体されて後まで残らなかっただけなのかも、と想像をめぐらしました。
ここまで書いてもしや?と思いついたことがあります。
それは石狩市や札幌市北区で見かける古い古いブロック住宅のこと。
戸建、二戸建の住宅群が団地として大造成され、その多くが今も残っています。
あの大量のブロックはもしかしたら江別のレンガ工場で作られたものだったのでしょうか?

「温む骨」(陶芸家)
発表当初は「土に贖う」と一体の作品でしたが、書籍化するにあたり、独立した作品に改めたそうです。
こちらは「土に贖う」の主人公の息子が主人公。
北海道拓殖銀行で働いていたが、銀行破綻後陶芸家に転身して、やがて野幌の粘土で独自の作風に目覚めるまでを描いています。
「土に贖う」の焦点をはっきりさせるためには、「温む骨」は分離して良かったと思います。
さらにいえば「温む骨」はこの短編集に載せない方が良かったとも思います。
本書の他の作品は北海道を舞台にした栄枯盛衰物語であり、「温む骨」は主題から大きく外れています。
この作品を削って全6篇とするか、全く別の作品に差し替えた方が良かったと思います。

改めて書きますが、本書は北海道を舞台にした栄枯盛衰物語です。
懐かしい話、初めて知る話、いろいろありました。
こういう話を丁寧に取材して小説にしてくれた著者に感謝を申し上げます。
時代の変化に翻弄される人々の人生ドラマをとても興味深く読むことができましたし、ぐいぐいと読ませる筆力は見事でした。
牧畜というまさに北海道から始まった仕事に就いていた著者だからこそ、当事者たちを深いところまで理解し表現することができたのではないでしょうか。

むかし父の友人から聞いた話です。
「鴻ノ舞金山からススキノに遊びに来る男たちはリュックサックを札束で一杯にして来たものだ」
あの話も栄枯盛衰物語でした。
コメント
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