元・副会長のCinema Days

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「人間の約束」

2024-06-28 06:26:38 | 映画の感想(な行)
 86年作品。鬼才・吉田喜重監督の、端倪すべからざる実力を十分に堪能できるシャシンだ。題材としては高齢化問題を取り上げているが、そこに留まらず普遍的な人間性や社会性の深いところを突いてくる。決して観て楽しい作品ではないものの、世の中の在り方に関して考察を加えたくなる訴求力を備えた重量級の映画であることは確かだ。

 多摩市の新興住宅地で、寝たきりの老婦人である森本タツが死んでいるのが発見される。現場に向かった警視庁の田上刑事と吉川刑事は、他殺であると断定。するとタツの夫の亮作が、自分が絞殺したと自首する。だが、亮作自身も認知症に罹患していた。元々森本家は家長の依志男と妻の律子、子供の鷹男と直子、そして亮作とタツの6人家族だった。一応は平穏な生活が続いていたらしいが、タツに認知症の兆候が現われてから一気に家の中の雰囲気は暗くなる。佐江衆一の小説「老熟家族」の映画化だ。



 本作の非凡なところは、老夫婦の認知症によって普通の家庭が崩壊してゆくという、お決まりの図式を採用していないことだ。森本家は一見裕福に思えるし、夫も妻も子供たちも健康そうで何も問題が無いようだが、実は認知症を患った老人たちを抱え込むだけの度量の大きさなど、最初から微塵も持ち合わせていなかったのだ。むしろ、そちらの方が深刻であることをこの映画のイメージが無言で語っている。

 真面目そうに見える依志男は、かつて浮気に走っていた。律子に気付かれて一度は愛人との仲を清算するように思えたが、本当は今でも懇ろな仲だ。律子はそれを関知しており、夫を信用していない。子供たちに至っては、できるだけこの問題から距離を置きたいようだ。映像面もそれらを強調する。この映画はモノトーンに近い寒色系に統一され、温かみは無い。

 家の中はもちろんのこと、依志男が勤務する職場や、タツが一時身を寄せる介護施設も同様に暗鬱だ。それどころか、住宅地全体も沈んだカラーリングで捉えられている。極めつけはの依志男の愛人宅で、雰囲気はまるで刑務所だ。登場人物のほとんどが、この無機質な牢獄に閉じ込められているような描き方で、すなわちこれが現代社会の暗喩として示されている。

 だが、亮作だけが唯一人間性を喪失していない存在だ。もちろん認知症を患ってはいるが、症状はタツよりも軽い。彼は妻を必死で守ろうとするのである。そして、もし自分が限界に達したら、彼女を安楽死させようと心に決める。老妻を病院から助け出そうとしたり、故郷の菩提寺の先祖代々の墓の前に穴を掘って自ら生き埋めになろうとしたり、その行動はまるでヒーローだ。

 このモノクロームの世界で自己表現を試みようとすると、彼のような突出したパフォーマンスに走らざるを得ないという、不条理極まりない図式。その有様を見せつけられると、観ているこちらは為す術も無く立ち尽くすだけだ。

 吉田の演出は一点の緩みも無い硬質なもので、観る側に逃げ場を与えない。亮作に扮する三國連太郎は渾身の演技で、彼の生涯を通じての代表作の一つだと思う。村瀬幸子に河原崎長一郎、佐藤オリエ、杉本哲太、武田久美子、佐藤浩市、米倉斉加年、田島令子、若山富三郎など、隙の無いキャスティングも要チェックだ。山崎善弘によるカメラワークは見事の一言。そしして注目すべきは音楽を細野晴臣が担当していることで、普段の彼とは一線を画した現代音楽的なアプローチで観る者を驚かせる。

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