
面白くない。何がイヤかと言って、この映画の登場人物たちほど見ていてイライラする連中はそういないだろう。主人公は大学を卒業して2年、学生の頃に組んでいたバンドの活動は継続しているものの、プロを目指す実力も度胸もなく、さりとて自分の本業をしっかりと持っていて音楽を“趣味の一つ”として割り切れるような要領の良さもない。
そんな彼と同棲しているヒロインもまた似たようなものだ。勤めていた職場を些細なコミュニケーション・ギャップから辞めてしまい、かといって新たに仕事を積極的に探すでもなく、日々を無為に送る。二人を取り巻く者達も同様で、自分の居場所を見つけられない根無し草のような頼りなさが付いて回る。彼らに出来るのは同病相憐れむような微温的な会話を交わしたり、時には子供のようにじゃれ合うことだけだ(こういうのを草食系と言うのだろうか)。
断っておくが、こういうヤワなキャラクターを画面の中心に置いてはイケナイという決まりはない。ダメぶりを容赦なく突き詰めて映画的興趣を醸し出していた作品など、過去にいくらでもある。ただ、本作のつまらなさは“ダメ描写”が表面的で少しも登場人物たち内面を抉っていないところだ。すべてが微温的で上っ面しか捉えていない。生々しさがまったくないのだ。
これがデビュー作となる監督の三木孝浩の演出力は未熟で、サラサラとした肌触りの良い映像タッチは披露できても、肝心の人間ドラマの構築についてはお寒い限りだ。その代わりと言っては何だが、エクスキューズめいた説明的モノローグが山のように挿入されている。ドラマ運びで映画のテーマを語れない素人監督(および周りのスタッフ)がよくやるパターンだ。
そして致命的なのが、音楽の扱い方が全然なっていないこと。主人公達がどうしてバンド活動にのめり込むのか、最後にはヒロインまでもがギターを手にするその理由が示されていない。演奏シーンは“ただ、カメラを置いて撮りました”というレベルで、音楽の素晴らしさ、ロックの熱気は皆無である。
呆れるのは監督の三木は元々プロモーション・ビデオの製作スタッフ出身であることだ。彼の過去の仕事ぶりは知らないが、斯様に音楽の躍動感をも引き出せない者がプロモーション・ビデオを手掛けていられるとは、日本の音楽業界のレベルの低さが分かろうというものだ。
ギターを弾いて歌まで歌った宮崎あおいも“御苦労様でした”という程度だし、共演の高良健吾や桐谷健太、近藤洋一などの面々もパッとしない。浅野いにおによる原作(私は未読)に対して思い入れのある者以外は、あまり観る必要のないシャシンだと思う。