元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「メアリーの総て」

2019-01-07 06:36:08 | 映画の感想(ま行)

 (原題:MARY SHELLEY)英国の若き女流作家メアリー・シェリーが「フランケンシュタイン」を執筆するまでを描いた作品だが、クリエーターの内面を鋭く抉った作劇を期待すると裏切られる。これはいわゆる“女性映画”なのだ。ヒロインが不遇な生い立ちや甲斐性の無い周りの野郎どもとの軋轢にもめげず、何とか自分の信念を貫いたという、一種の苦労話を主人公に寄り添って綴った映画である。そう割り切れば、大した不満も覚えずに最後までスクリーンに向き合える。

 19世紀前半のイギリス。社会思想家のメアリー・ウルストンクラフトを母、無神論者でアナキストであったウィリアム・ゴドウィンを父に持つ少女メアリーは、妻子ある詩人のパーシー・シェリーと出会う。作家志望の彼女はパーシーの独特の存在感に魅せられ、情熱に身を任せて駆け落ちする。しかし、もとよりパーシーはいい加減な男で、メアリーは辛酸を嘗めることになる。

 あるとき、メアリー達は詩人バイロンに誘われてスイスにある彼の別荘で過ごすことになる。だが、悪天候のため彼らは一歩も外に出られない。そこでバイロンが“皆で一つずつ怪奇小説を書いて披露しよう”と持ちかける。

 メアリーは十代であの小説をモノにしたのだが、その迸るような才気は描出されないし、強烈な製作動機も見られない。せいぜい、熱心に本を読むシーンが挿入されるのみだ。しかし、監督のハイファ・アル=マンスールの前作「少女は自転車にのって」(2012年)がそうであったように、作品の焦点は主人公の葛藤などではなく、男性および社会との関係にあることは確かだろう。

 パーシーやバイロンらのいい加減さや、社会の無理解ぶりは(史実かもしれないが)ヒロインの“意識の高さ”を際立たせるモチーフとして機能しており、本作のフェミニズム的内容を強調する。ただし、押しつけがましさが感じられないのは良いと思う。

 そのことに大きく貢献しているのが、主演のエル・ファニングのキャラクターである。外見の可愛らしさもさることながら、ソフトで人当たりの良い持ち味が、作品をいたずらにセンセーショナルな方向に行かせない。このキャスティングは成功だ。

 パーシー役のダグラス・ブースやバイロンに扮したトム・スターリッジは楽しそうにヘタレ男を演じているし、父親役のスティーヴン・ディレインも渋い。そしてポリドリを演じるベン・ハーディが、「ボヘミアン・ラプソディ」の時とはまるで違う雰囲気だったのには個人的にウケた。
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