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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

磯崎憲一郎「終の住処」

2010-01-14 21:18:38 | 読書感想文
 30歳を過ぎて結婚した男女が初老に至るまでの年月を、夫の視線から描いた第141回芥川賞受賞作。長い期間を凝縮して手際よく描こうという作者・磯崎の意図はまあ理解できるが、小説としてはまったく面白くない。

 何よりこの主人公像が実に嫌味なのだ。身勝手を絵に描いたような野郎で、とことん受け身で生きていながら屁理屈をこねるのが人一倍上手い。もちろん、ダメな奴を主人公にしてはイケナイという決まりはないのだが、残念ながら本作は“愛嬌”に欠ける。この男にはダメっぷりを引き受ける潔さが無く、全然共感出来ない。

 主人公は折あるごとに自分の不甲斐なさを嘆いてはみるものの、浮気の常習犯でありながら“自分はモテる”という前提が何の暗示もなく設定されている無神経さには失笑する。さらには、エリートを気取った夜郎自大ぶりが散見されるのも不愉快だ。実際、作者の磯崎は有名大学を出て一流企業に勤めているのだが、ここでは“エリートだからこういう言動も当然”とか“読む方もエリートならばオレの気持ちは分かるよね”とかいう手前勝手な決めつけが目立つような印象を受ける。

 最も脱力したのは、不本意ながらアメリカに飛ばされた主人公が仕事に行き詰まり、本社に泣きついた挙げ句に言い渡される“最後通告”のくだりである。ここだけ突然に啓発ハウツー本の記述みたいなタッチに早変わり。しかも不必要に長い。これもたぶん“オレみたいな期待されているエリートは、厳しい忠告もちゃんと仕事に活かすのだ”とでも言いたいのだろうが、とにかく鼻持ちならない態度が全開だ。

 文章にはキレが無く、弛緩したフレーズがダラダラと続くのみ。ほとんど段落を空けない冗長な展開で、途中から面倒くさくなってくる。さほど長い小説ではなく中編と言っても良い分量なのだが、読んでいるときの不快なストレスは相当なものだ。

 それにしても、ここ十数年間芥川賞の受賞作には全て目を通しているのだが、良かったのは3つか4つぐらいに過ぎない。あとは一体誰に読ませたいのかさっぱり分からない低レベルなシロモノばかりだ。ロクな作品が無かったのならば“受賞作なし”とすればいいものを、無理矢理に賞を進呈してしまうから、賞自体の質も下がる一方なのだと思う。
コメント
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