元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「呉清源 極みの棋譜」

2007-12-17 06:40:14 | 映画の感想(か行)

 (原題:呉清源 The Go Master)何を描きたいのかよく分からない映画である。昭和初期に弱冠14歳で中国から日本に囲碁留学し、その後伝説的な活躍を見せて“昭和の碁聖”とまで言われた呉清源の伝記映画。とはいっても日本映画ではなく田壮壮監督による中国作品だ。

 前にも書いたが、囲碁は私の趣味の一つである。もっとも映画鑑賞や音楽鑑賞(オーディオを含む)と比べると私の中でのウェイトは低いが、人から“趣味は何ですか?”と尋ねられた時に“囲碁です”と答えておくとヘンな奴とは思われないというメリットはある(笑)。それはさておき、呉清源の棋譜は何度か並べたことがあるが、その圧倒的な強さ・アイデアの豊富さには舌を巻いた。

 よく囲碁界では“地に辛い○○”とか“大模様の××”とか“二枚腰の△△”とかいった、それぞれの特徴や得意技などを冠したキャッチフレーズで呼ばれるプロ棋士がいるが、呉清源の場合はひとつの形容詞で表現できないほど懐が深い。まさにオールマイティであり“碁聖”の名にふさわしいものだ。そんな怪物的な人間をどうスクリーン上に活写するのか大いに興味があったのだが、これがどうも要領を得ない。

 呉清源は日中戦争が勃発する前に中国に一時帰国し、新興宗教の紅卍字会に入っている。日本に戻ってからも彼は紅卍字会の流れをくむ璽宇教の活動に没頭するのだが、その背景が意味不明だ。

 おそらく中国人でありながら日本を社会的な活躍の場に選んだ主人公が、日中戦争によりアイデンティティの危機を迎え、それを克服しようとして平和共存を趣旨とする紅卍字会にすがったのだろうと思われるが、映画はそのへんをまったく具体的に描かない。何の暗示も明示もなく、行き当たりばったりに主人公を“狂信”に走らせる乱暴な展開に呆れるばかり。これは作者の独りよがりと言って良い。

 新しい布石などを編み出した鬼才ぶりや、兄弟子でライバルの木谷実との関係性、そして並み居る強豪達との名勝負をスリルたっぷりに描出して欲しかったのだが、完全に空振りである。

 主演のチャン・チェンは異文化に馴染めない主人公像を好演していしたし、柄本明や松坂慶子などの日本側のキャストも悪くなく、清涼な映像と落ち着いたカメラワークによって一種の風格のようなものもある映画だが、主題の捉え方がチグハグなので評価する気にはなれない。冒頭には呉清源本人も顔を出しているだけに、残念な結果だ。
コメント
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