ある人が言っていたのですが、簡潔でまとまっていたからちょっと紹介してみます。
好きなクルマは長所を探し出し、嫌いなクルマは欠点を探し出そうとするクルマだそうです。
目から鱗が落ちるぐらい的を得ているような気がしました。
そしてこの手法はよく自動車評価に使われているような・・・
好きなクルマの特異な部分は“個性”や“伝統”、“アイデンティティ”と言葉を濁すのですが、嫌いなクルマは“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”よろしく、とことん欠点として劣っているかのようにこき下ろします。。
例えば、当方が持つカリーナGT(4A-GE,6MT)を例に挙げますと・・・
好きな車種として評価したら、「地味なセダンボディに高回転型で回し強い名機4A-GEを搭載し、そのおいしいところをうまく使えるクロスレシオの6MTの組み合わせで、ボディの重さを感じさせない走りを実現している。」
嫌いな車種として評価したら。「古臭く個性のないセダンボディに低速トルクがなく、高回転を多用しなくてはならない4A-GEを載せ、パワーバンドをキープするのにビジーな操作を要求する6MTとの組み合わせで、重たいボディを走らせている。」
これ、同じことを言っているんですけど、まったく違った印象を受けますよね。
好きなクルマとして見るか嫌いなクルマとして見るかでここまで違った印象になるんですね。
もうひとつの手法として・・・
ありえない例えやライバル(絵に描いた餅ともいう)を出して、嫌いなクルマに対する評価を下げようとする行為も見受けられます。
存在しない仮想ライバルを出して、現行モデルを評価する。
そのモデルに対する更なる発展の為の叱咤激励な良いのかもしれませんが、結びが酷評になっていたら駄目ですよね。
補足
いわゆる“自動車評論家”にこの様なスタンスで評論している方が意外と多いような。。
接待に応じて評価が変わる評論家より性質が悪いような気がします。
好きなクルマは長所を探し出し、嫌いなクルマは欠点を探し出そうとするクルマだそうです。
目から鱗が落ちるぐらい的を得ているような気がしました。
そしてこの手法はよく自動車評価に使われているような・・・
好きなクルマの特異な部分は“個性”や“伝統”、“アイデンティティ”と言葉を濁すのですが、嫌いなクルマは“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”よろしく、とことん欠点として劣っているかのようにこき下ろします。。
例えば、当方が持つカリーナGT(4A-GE,6MT)を例に挙げますと・・・
好きな車種として評価したら、「地味なセダンボディに高回転型で回し強い名機4A-GEを搭載し、そのおいしいところをうまく使えるクロスレシオの6MTの組み合わせで、ボディの重さを感じさせない走りを実現している。」
嫌いな車種として評価したら。「古臭く個性のないセダンボディに低速トルクがなく、高回転を多用しなくてはならない4A-GEを載せ、パワーバンドをキープするのにビジーな操作を要求する6MTとの組み合わせで、重たいボディを走らせている。」
これ、同じことを言っているんですけど、まったく違った印象を受けますよね。
好きなクルマとして見るか嫌いなクルマとして見るかでここまで違った印象になるんですね。
もうひとつの手法として・・・
ありえない例えやライバル(絵に描いた餅ともいう)を出して、嫌いなクルマに対する評価を下げようとする行為も見受けられます。
存在しない仮想ライバルを出して、現行モデルを評価する。
そのモデルに対する更なる発展の為の叱咤激励な良いのかもしれませんが、結びが酷評になっていたら駄目ですよね。
補足
いわゆる“自動車評論家”にこの様なスタンスで評論している方が意外と多いような。。
接待に応じて評価が変わる評論家より性質が悪いような気がします。