本日は栃木県小山市の河川敷にて花火大会がありました。
それなりに大きなイベントだし、自動車社会の推進県である北関東の一県でおこなわれているので、花火が終わると当然駐車場沿道は渋滞になります。
メイン会場はJR小山駅から徒歩圏内だし、会場でお酒も飲めなくなってしまう(ビールのない花火大会なんて高校卒業以来考えられません)ので当方は電車で行ったんですけどね。
駅へ向かう帰り道で素晴らしい車を目撃しました。
クルマは40系マークⅡグランデ。通称“ブタ目”、ハの字切っていたから多分MX41(4独サスのほう)です。
今日見たのは、ワンオーナー車ッぽい個体ではなく、ハタチそこそこのカップルが乗った「とちぎ500」ナンバーの付く個体でした。
純正ホワイトのボディカラーとメッキ類はステキなコンディション保っており、リヤフェンダーには「CORONA MARKⅡ Grande」という立派なエンブレムもしっかり残っていました。
若さゆえにいじり過ぎてしまった個体ではなく、外装はシャコタンにワークの十字ホイールがハの字を切る状態で履いているのとチンスポイラーが付いているぐらいです。(メッキフェンダーミラー車でした)内装はチンチラのダッシュマットと小径ステアリング(不明)とリヤにはパイオニアTSX-11のが乗っていました。
まぁスキのない当時仕様なのかもしれませんが、オーナーはこんなクルマが現役だった当時は生まれていないような年齢です。
オーナーはビッシと固めたリーゼントに甚平姿。横に乗っていた彼女らしき女性は浴衣にポニーテールと中に乗っている人物まで当時仕様(?)でまとめていました。
とても花火大会の会場に相応しい感じのカップルとクルマでしたが、時間軸が20年ぐらいずれているような印象があります。
でも、周りにいたエアロがバリバリに割れたオデッセイやハリボテエアロのセルシオよりも雰囲気は良かったと思います。(こういった仕様も20年後に見ると、郷愁を誘うようになるのでしょうか)
当方がはじめて(そして最後)にクルマで行った時は、スムージングと称しリヤナンバーをバンパーに移設したアベニールバンやカローラバンが一世を風靡していました。88ナンバー(放送宣伝車か事務室登録で取得)だったあれらのクルマは何処へ行ったのでしょうか。FRPのパネルをはがして元の戻され彼の地で元気に働いていればいいですけど。(ブームが去り、そんなバンが山ほど解体屋に積まれていたのも見たことがあります)
甚平を着ていた、オーナーは見覚えがあります。数年前、前出の旧車イベントで知り合いのヨンメリを舐める様に見ていた高校生ではありませんか。立派な(?)青年に成長したようです。
補足
確か、この型まではTOYOPET CORONA MARKⅡだったはず。
それなりに大きなイベントだし、自動車社会の推進県である北関東の一県でおこなわれているので、花火が終わると当然駐車場沿道は渋滞になります。
メイン会場はJR小山駅から徒歩圏内だし、会場でお酒も飲めなくなってしまう(ビールのない花火大会なんて高校卒業以来考えられません)ので当方は電車で行ったんですけどね。
駅へ向かう帰り道で素晴らしい車を目撃しました。
クルマは40系マークⅡグランデ。通称“ブタ目”、ハの字切っていたから多分MX41(4独サスのほう)です。
今日見たのは、ワンオーナー車ッぽい個体ではなく、ハタチそこそこのカップルが乗った「とちぎ500」ナンバーの付く個体でした。
純正ホワイトのボディカラーとメッキ類はステキなコンディション保っており、リヤフェンダーには「CORONA MARKⅡ Grande」という立派なエンブレムもしっかり残っていました。
若さゆえにいじり過ぎてしまった個体ではなく、外装はシャコタンにワークの十字ホイールがハの字を切る状態で履いているのとチンスポイラーが付いているぐらいです。(メッキフェンダーミラー車でした)内装はチンチラのダッシュマットと小径ステアリング(不明)とリヤにはパイオニアTSX-11のが乗っていました。
まぁスキのない当時仕様なのかもしれませんが、オーナーはこんなクルマが現役だった当時は生まれていないような年齢です。
オーナーはビッシと固めたリーゼントに甚平姿。横に乗っていた彼女らしき女性は浴衣にポニーテールと中に乗っている人物まで当時仕様(?)でまとめていました。
とても花火大会の会場に相応しい感じのカップルとクルマでしたが、時間軸が20年ぐらいずれているような印象があります。
でも、周りにいたエアロがバリバリに割れたオデッセイやハリボテエアロのセルシオよりも雰囲気は良かったと思います。(こういった仕様も20年後に見ると、郷愁を誘うようになるのでしょうか)
当方がはじめて(そして最後)にクルマで行った時は、スムージングと称しリヤナンバーをバンパーに移設したアベニールバンやカローラバンが一世を風靡していました。88ナンバー(放送宣伝車か事務室登録で取得)だったあれらのクルマは何処へ行ったのでしょうか。FRPのパネルをはがして元の戻され彼の地で元気に働いていればいいですけど。(ブームが去り、そんなバンが山ほど解体屋に積まれていたのも見たことがあります)
甚平を着ていた、オーナーは見覚えがあります。数年前、前出の旧車イベントで知り合いのヨンメリを舐める様に見ていた高校生ではありませんか。立派な(?)青年に成長したようです。
補足
確か、この型まではTOYOPET CORONA MARKⅡだったはず。