斜視自動車評議会備忘録

実用車4台による12輪生活と気になるクルマの話題を中心に気になることをぼちぼちと

えっ!下限じゃなくて上限なの!!

2006年10月31日 | 本日のニュース
もう呆れている必修科目未履修及び単位改竄(この言い方ってあまり無いよね)問題です。
ほぼ救済策の内容が決定しそうです。
なんか、死者も出てしまったみたいですしね。
先延ばしにすればそれだけ、自体は大きくなってしまうし・・・

上限が70時間ということは1時間でもイイという事なの?
まさか、1科目というかひと単位当たりということですよね?
えっ、ひとコマ50分でいいの?どーせ、大学進学希望なんだから、ひとコマ90分にして体を慣らすぐらいの配慮をしておけばいいのに。
補習の時間数を70時間にするなら、開催時期は12月末から1月上旬に指定してくださいよ。
センター直前の追い込みが出来なくなるぐらいのペナルティは無くちゃね。(これでも大甘だと考えています)
71回以上補習が必要な生徒が約1万人いるということは、その方々は残念ながら留年という事でいいんじゃないのかな。

モチロン、単位改竄による補講を行なった高校や教育委員会の関係者にはそれなりのペナルティはあるんでしょうね。
最低限、補助金の減額と校長や教頭を始めとした管理職教員の更迭ぐらいはしていただかないと。

栃木県の県立高校は一般に3月1日が卒業式なのですが、2月末まで普通に授業をやっていたし、普通に単位を落として、3月中旬過ぎに何とか卒業したのもいます。

いちばんの卑怯者は救済策(この言い方イヤだな)が決定した後に、改竄があった事実を公表する学校でしょう。(絶対あるよね)
ここはいちばん悪質なので、今回の対応を適用除外でいいんじゃないかと。

今回の対応が決まった途端に、実写版“芥川龍之介作、蜘蛛の糸”みたいになるかもね。

補足
真っ当に履修した生徒さんへの配慮はないのですか?
少なくとも勝った人が正しいのではなく、正しい事をした結果が勝ちに結びつくようなシステムになることを願います。

バックカメラ&モニターが使いずらいわけ

2006年10月30日 | クルマ
今日ちょっと運転する機会のあったハイエースで気が付いた事です。

“別にガイドがでないと意味は無い”とか“映し出す映像が夜は暗くて良く見えない”というカメラの性能に起因するものではありません。
問題はモニターの位置です。

最近ではナビ装着率の向上と共に、インパネの上部にモニターは装着される様になりましたが、リヤウインドウの下端線よりはまだ下です。
個人的にはバックをするときにダッシュボードより視線を下げるという動作に非常に違和感があるため、出来ないのです。
いくら高性能のバックカメラ&モニターが装着されていても、習慣的に見難い位置についているのではあまり活躍しません。
それに目視を補う物なので、それに視線を集中してしまうような位置に付いているのは、視野が狭めているのと同じで、あまりい事ではないような気がします。
目視だと、気配を感じ取りやすいしね。

個人的にはJZX110型マークⅡのEMVの位置でも低くて違和感があるので、たまに運転する機会があっても怖いので使いません。(あのぐらいのセダンならミラーと目視で充分対応可能だし)

ただバックミラーモニターは単体で600グラムもあるモノなので、走行中は結構揺れますね。
純正ミラーに被せて装着する物ではなく、フロントガラス接着式のバックミラーアッセンブリーで好感できるモノが商品としてあるといいかもしれません。

最近の主流は7インチモニターになるそうですが、今回のハイエースに装着されていた、5.8インチで電源オフ時はフルミラーになるタイプのほうがバランスがいいと思います。

単なるドレスアップパーツだと思っていたら、意外な実用品だったのは目から鱗が落ちた気分です。
荷物を満載する事が多い1BOXバンはバックミラーを塞いでしまう事もざらなので、ナビと独立して排他的に使えるようにしたそうです。(通常走行中に活用する事もあるとか)

補足
今日乗せて貰ったハイエースのバックモニターミラーは5.8インチなので、カローラアクシオに装着されている者と大きさは変わりません。
どうせ標準装備にするならあんな低い位置につけないで、バックミラーに内蔵すればよかったのに。。
ここにあると非常に使い易いですよ。鮮明で距離感の掴みやすいリヤアンダーミラーのように活躍します。

何か不安になってきた

2006年10月29日 | 本日のニュース
日産がOEM軽自動車の販売に力を入れるそうです。
理由としては国内市場の軽自動車へのシフトが予想以上に進んでいるからだそうです。

販売不振が続きシェアが低下している国内市場の販売戦略として、軽自動車のラインアップ拡充をはかるそうです。

OEMのクルマが人気で、OEMのクルマで国内市場のテコ入れ、それでいいのでしょうか?

少なくとも、長期的な戦略とはとても思えません。
もっとはっきり言ってしまうと、自らの経営戦略にキズをつけずに“7期連続の増収・増益という目先の目標を達成する為”だけの戦略にしか見えません。
サプライヤーのためにクルマを作らないのも結構ですが、サプライヤーと共にひとつのモデルを纏め上げてきたということ忘れないで欲しいのです。

中間決算報告を聞くととても恐ろしいような気がしました。
先行技術開発が実を結ぶ頃には、日産はメーカーではなく、ブランドのひとつになっていない事を祈るしかありませんね。
お客様のためのクルマが、OEMの軽自動車だとしたら開発と製造をしないのが一番のコストダウンになりますよ。

補足
一般に旧車イベントでは歴代フェアレディスカイラインに限らず、日産車が多く出ます。
ブルーバードやサニーは数多く出ても、コロナやカローラはマイナーな存在です。
でも、今後この勢力地図は変わって行きそうです。

もう全員留年でいいんじゃないの

2006年10月28日 | 本日のニュース
何かと話題の高校の特定科目(多くは受験に関係ない科目)の未履修による単位不足若しくは未履修科目の単位改竄です。
受験に有利にする為、自校の進学実績を上げる為、生徒からの要望があった為という、すべての思惑が合致したので行なわれたようです。(要は全員当事者だね)

事の発端になった高岡南高校では日本史Aか地理Aの履修をチョンボしたので、70時間分の補習が必要だとか。(1日6時間やれば、2週間で対応可能ですね。)
中には350時間の補習をしないと、卒業単位が得られない生徒もいるとか。

全国的な話題になって、文部科学省も対応を迫られているそうですが、温情は無しで厳格な対応をお願いします。
“未履修科目はレポートだけで済ます”という救済案も出ているようですが、それは絶対にとってはいけない対応だと思っています。
ズルしてゴネた方が得をして、きちんとやったほうが損をする社会を具現化してしまうことになるので・・・(堀江被告の検察側みたいだ)
今度の総理大臣は“再チャレンジの支援”をするみたいなので、1年ぐらい留年しても不利にならない社会になることでしょうから。。(まぁ政権が続けばの話ですけど)
おそらく、単位問題が明るみに出た高校ではこの様な対応は恒常化しており、「自分の年だけトバッチリを喰らうのはゴメンだ。」という感情があるのかもしれません。
でも、対応方法は正攻法しかありません。
きちっと正規の時間を掛けて補習をしてください。
生徒からは「追い込みの時期に補習は受けていられない。」という不満が出ているそうですが、おかしな話です。
だって、正規の授業の時間に受験に使用する科目の勉強をしていたでしょ。
トータルすると正規に履修していた生徒さんと差は発生しないはずなんですが・・・
おそらく学校や教育委員会は補習を行なう事で、黙認していた事や虚偽の報告をしていた無かった事にしようとしているのでしょうから。

今回の件での一番の被害者が、キチンと授業を行なって単位を取得した生徒さん達にならないように、タイトルのように考えている次第です。
あと、「生徒の希望に応えた」という会見をした校長の対応を見て、情状酌量の余地無しと思っています。(希望があればルール違反もOKかよ!)

補足
3年の学年末試験後も普通に授業をやっていたという、非進学校な普通科高校を卒業した当方の雑感です。
そういえば、これらの高校からも3年の1学期末で“卒業見込み”を出した高校は“公正証書不実記載”とか“有印私文書不実記載”といったような別の罪になっているような気がします。これは単位をとっても覆せないような・・・(法的にはどうなんでしょ?)

カブリオレの時代

2006年10月28日 | クルマ
写真はところざわで撮ってきたシティカブリオレです。

排ガス規制のひと段落した80年代には、様々な魅力のある車が登場しました。
ひとつは、ツインカム対ターボ論争に終止符を打った、ツインカムターボをはじめとした高性能エンジンの登場。
もうひとつは、ソアラを皮切りにしたハイテク満載の豪華なハイソカーの登場。
さらに、ハイラックスサーフやパジェロといったSUVの元祖となるモデルが登場したのもこの頃です。

そして忘れてはならないのは、オープンカーの復活です。
ただ時代が時代だったので、オープンスポーツではなく、オープンエアーを楽しむフル4シーターオープンの登場です。(当時の運輸省は2シーターオープンを認可しなかったとか)
そして、スポーツモデルと認識されないように“オープン”や“ロードスター”とは名乗らず、“カブリオレ”や“コンバーチブル”と名乗るのが一般的でした。

シティはこの手のオープンとしては、2番目に登場しました。
完成度の高い幌や珍しいパステルカラーの採用により、とても目立つ存在でした。
新車時から多くの方に大切にされた、シティカブリオレは当時のモデルとしては群を抜く、残存数を誇っております。
初代シティで一番見かけるのはカブリオレであることは間違いないと思います。
あれ程走っていた記憶のある標準モデルやターボモデル(含むブルドック)は特殊な場所でもない限り見かけません。

シティ意外でカブリオレを名乗ったのはマツダ・ファミリアとフォードレーザーの兄弟です。
こちらもシティと同様に3ドアハッチバックをベースにセンターピラーを備えた、フル4シーターオープンです。

これらのクルマが礎となったからこそ、ユーノス・ロードスターが送り出せたのではないでしょうか?

補足
個人的にはオープンモデルの皮切りとなった、ニッサン・パルサーEXAコンバーチブルを目撃したいと思います。(今までに1度しか見たことがありません。)
100台限定で登場した、日本で初めてドアミラーが認可されたクルマでもあります。