放送大学の入学について検討中・・・
生涯学習を愛する者にとってはこの瞬間が一番楽しい時間なのだが、今、まさに大学入学を検討している人にとっては、一番苦しい時間だと思っている。インターネット出願という便利な機能があるのだが、多くの人々が、この画面の前で悩み、苦しみ、後戻りしてしまったことだろう・・・
そう、その出願をしてしまうと、これから、いくつもの人生の制約を受けることとなるのだから。「今まで自由だった時間を学習に振り替えなければならない」「今まで自由だったお金を学習に投下しなければならない」「今まで見えなかった自分の無知を学習の中で知らなければならない」・・・いろいろなことがのしかかってくるのだからやるせない。
まあ、人生なんて苦しくてなんぼの世界。というか、全く苦しくもなく、ぬるい世界に浸っていて何が楽しいのだろう?そのぬるさの中で、人生を浪費し、朽ちていくだけ。鉄は熱せられて、叩かれて、より強くなるが、ぬるい世界の鉄は、時間に任せて錆びてゆくだけ。人もまた同じ。ストレスという名の「刺激」のない世界では、人間も成長できないのだ。
それなりに苦しい学習の世界だが、私のように何度も学びを経験していると、この出願申請さえしてしまえば、あとは時間が勝手に学位取得までいざなってくれることを知っている。なんせ、人間は勝手に学ぶようにプログラムされているのだから。そのDNAに染み込んだ好奇心が、勝手に学ばずにはおかれなくしてしまうのだ。学位取得者の方が退学者より多いことを見ても一目瞭然。人間は課題を与えられると、解決せずにはおられない。
思い返してみても、クイズが出されるとどうしても答えてしまうし、正解を知りたいと思う。あるいは、星座の占いでも、「さそり座の今日の運勢は・・・」と言われると、当たるも八卦当たらぬも八卦って知りつつも、どうしても内容を聞きたくなる。そう、何か条件が与えられると、それを成し遂げるのが人間の普通の行動なのだから。
だからこそ、出願さえすれば、よほどのことが無い限り、学位取得に向けて人間は動き出す。ましてや、社会人大学生は、そもそも強制でもなければ義務感でもない中に、学生になろうと志しているのだから、意欲も桁外れに高いわけだ。
そんな社会人大学生がドロップアウトするのは「仕事が忙しい」か「お金が続かない」か「時間がない」ってこともないわけじゃないが、概ね「学び方がわからない」とか「意欲がなくなった」ってことが多い。通信制とかだと、自分から学ばない限り、ほったらかしになっちゃうし。
その点、私は恵まれていたかもしれない。なんせ、家内と同時に通信制大学生になったので。スタート時点で同志がいたのだ。そして、家内の友人の影響でブログを始めたのだから人の縁とは不思議なものである。恩師に同期、先輩後輩と繋がりが広がってくると、もうリタイアすることもできないし、それ以上に楽しかったから。その後の結果は見ての通り、いつのまにか、こんなところまで辿り着いてしまっていた。
「もう十分でしょ」って思う反面、「まだ道半ば」っていう感情も捨てきれず、科目履修の検討を続けている今の私。