基本的にホリエモンは嫌い。で、今回のご意見を拝見するに、首肯できる点と、納得できない点がそれぞれある。全面的に否定はしない。
堀江氏は奨学金480万円を借りて大学に行き、理学療法士になったという記事を取り上げた投稿を引用。奨学金の返済で経済的に苦境に陥っているという内容の記事だが、堀江氏は「資格さえ取れば安心とかアホだよな。。その資格そんな大金かけて元取れんの?っていう考えにいかないんだよね」と大金をかけて国家資格を取った後の収入面を考えることの重要性を指摘。
たしかにその通り。資格を取得するだけでは人生安泰ではないことは、資格を200以上取得している私が平凡なサラリーマンをしていることを見ればわかる。あるいはMBAを取れば明るい未来が拓けるわけではないってことも、MBAどころか山のように学位を取得している私が平凡なサラリーマンをしている事実が反例として挙げられる。
しかし、若干、言いたいこともある。理学療法士の資格がなければ、就職さえできず、路頭に迷っていることも可能性としてある。あるいは、理学療法士という国家資格すら取得できない大学を卒業するにも私立なら480万円ぐらい掛かってしまう。なら、国家資格だけでも取得できたのは凄いことではないだろうか。
今の大学進学について、「元を取ること」を主眼において進学している人がいるだろうか?元を取ることを考えるなら、歴史を学びたいとか、古文書を学びたいとか、フランス文学をやりたいとか、進学する人は皆無だろう。そんなニッチな教養が社会に通用する企業は稀少であり、リスクが高すぎて志望校から外れてしまう。弁護士を目指して法科大学院に行く人だって、100%司法試験に合格できるわけではない。なら、大学に行くことさえ、否定されてしまうのだろうか?
とはいえ、未来を見据えず、多額の借金してまで大学に進学することの是非は別物。親が学費をだすのではなく、自分の借金で進学するのは、高学歴ワーキングプアとして、大学院の修士課程や博士課程を修了して経済的に困窮している人と変らない。別に、理学療法士を目指した人だけが陥った借金地獄ではなく、今の日本の大学にかかる費用を慮れば誰でも陥るトラップに過ぎない。
ゆえに、私のように社会人やりながら、資格を目指したり、学校に行くのも、また一つの学びに対する「解」と考える。仕事をしながら学ぶのは苦しい。しかし、経済的には困窮しにくい。つまり、継続的に学修することが可能となる。
私は学ぶ人を否定したくないが、やはり経済的に困窮するほど借金をして学ぶのはどうかと思ってしまう。博士ですら就職先に困る時代、弁護士資格を持っていても安泰ではない時代、そんな時代だからこそ、借金してまで取得した学位や資格は、それを活かす才覚や、それを見極める伯楽に恵まれないと「無用の長物」になりかねない
自分自身も、相応の経済的対価を払って資格や学位を取得しているので、ついつい、そんなことを考えてしまう。。。