生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

最終成果物

2014年05月25日 22時34分21秒 | ちょっと立ち止まって・・・
大学院に行くと修士論文やそれに相当する最終成果物を作成しなければならない。

時に、大学院を修了したことが明るみにでると、「論文は何というテーマで作成されたのですか?」と聞かれることがある。とはいえ、痴呆が進行しているのか、最終成果物のテーマがスラスラとでてくることはない。ということで、ちょっと、まとめてみた。

①『銀行における人的資源活用プラン-行員のスキル向上とモチベーション維持の施策-』(産業能率大学)
②『生涯学習社会における資格の役割についての考察-社会人が取り組むべき生涯学習-』(明星大学)
③『キャリア形成におけるビジネス・キャリア制度の活用』(武蔵野大学)
④『大学評価・学位授与機構の学位授与制度に関する一考察』(放送大学)

となっている。あと、機構でもレポートという名の成果物を書かなければならない。以下、合格した12の学士の学位に関するレポートである。レポートといっても、卒業論文と大差はない。

①「産業カウンセラーの現状と今後の課題」(文学/心理学分野)
②「ビジネス・キャリア制度の現状と今後の課題」(経営学)
③「生涯学習に果たす大学通信教育の役割と今後の課題」(教育学)
④「新しい信用状統一規則と今後の課題」(商学)
⑤「銀行員のための労働環境整備とコンプライアンス遵守の経営」(社会科学)
⑥「生涯学習社会の現状と今後の課題」(社会学)
⑦「技術大国日本における「トヨタ生産方式」についての考察」(学芸)
⑧「日本の中の韓国・朝鮮文化」(教養)
⑨「外為決済システムの現状と今後の課題」(経済学)
⑩「旧石器時代の小平・国分寺 -我が街の古代を探る-」(文学/歴史学分野)
⑪「企業の国際化における銀行の役割と今後の課題」(学芸/国際関係分野)
⑫「新BIS規制とオペレーショナルリスク」(工学/社会システム工学分野)

あと、通学制と通信制の大学に在籍した時の卒業論文が2本ある。

①「国債-日本における歴史と諸問題について-」
②「ビジネス・キャリア制度の活用と課題-ホワイトカラーの人材流動化-」(産能大学)

一般の支店勤務の銀行員で、ここまで書いている人間も、そうそういないと思っている。書くのが苦痛だと、やっていられない分量と思っている。特に、機構のレポートの⑧とか⑩については、実際、現地に足を伸ばして写真を撮って、レポートを完成させたので、思い出に残るものとなっている。

とはいえ、1つ書くごとに、燃え尽き症候群に陥ってしまうほど、本当に消耗するので注意が必要といえる。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉野家!

2014年05月25日 21時22分32秒 | その他
吉野家さんに行ったところ、50円割引券を頂戴した。

「牛丼は、どこまでうまくなれるのか。」という文言。まぁ、昔のフリーズドライの牛肉時代と比べると、今の牛丼は確実にうまいのだが、やはり、税込み価格300円では、挑戦できるうまさの限界というものは当然存在するはずである。

そもそも、牛丼に限りない美味さを期待するだろうか?「限りなく美味いけど高額」とか「限りなく美味いけど作るのに1時間もかかる」とか「限りなく美味いけど提供する店は北海道」とか・・・「早い、安い、うまい」という3つのポイントが絶妙なコンビネーションを醸し出しているから、牛丼という業界を成立させているのだと思っている。

ワンコインでお釣りがくる価格帯で、5分以内に提供される、そこそこのカロリーがあり満腹感が得られる食事。忙しい社会において、5分程度で完食できる食べ物。しかも、ある程度の人口のある都市には複数の店舗が存在し、身近な存在として市民権を獲得している食べ物屋。

そういう、存在だからこそ、我々は牛丼を支持するのではないだろうか。企業努力として、うまさを追求していただくのは結構だが、そのために、価格が大幅に高騰するのはどうだろう。

とはいえ、最近、アルバイトが集まらず、閉店したり、休業したりする牛丼店も出ているとのこと。さきほど、テレビでやっていたが、深夜の時間帯では時給1,500円超でも人手が集まらないそうである。今までの安い価格も、アルバイト従業員や店長さんの労働力を搾取して実現していた、偽りの価格なのかもしれない。

アベノミクス効果による、賃金上昇や円安は、牛丼を虐げるものといえる。しかし、それが世の流れというのなら、仕方がないのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学ぶこととは・・・

2014年05月25日 09時12分23秒 | 生涯学習
野暮用で、メールで送られてきた文書を校正する作業を仰せつかったのだが・・・

その中に、「学ぶことは、自分の引き出しにいつ役立つかわからないものをしまっていく作業です。それは、ある時必ず、大事なことを考える手がかりになります。」という一文を見つけ、なるほどな~と思った次第である。

この文章を書かれた方は、生涯学習は「蓄積」というか「保存」というか・・・何かしら、不確実だが、無意味ではないものを自分に備わっている「引き出し」に格納していくと捕らえているわけである。

確かに、私も、成果物を作成し、知識やスキルを身につけていくという点では、この「蓄積・保存型」の考えには納得するのである。

ただ、何のために生まれてきて、何故、この時代に生かされているかということを考えると、やはり、与えられた時間を、自己責任において、消化していくという思いにさいなまれるわけである。

「消化型」といってしまうと、何だか、味気なく、残念な気もするのであるが、人生という時間をいかに削っていくかを真剣に考えておかないと、いつまでも、自分は生き続けるのだと錯覚してしまうのである。何年、何十年という話だと思ってしまうと、真剣に学ぶ気力も起こらないし、「明日でいいか!」と先送りしてしまう。

必ず死ぬ以上、富と名誉だけでなく、自分の肉体も含め、最後には何も残らない。また、当然のことながら、来世に持ち運ぶこともできないのである。では、何故、人は学ぶのか?

そんなことをまともに考えているのだが、正直、人間は学ぶように作りこまれているのだと思っている。好奇心というトリガーを引くたびに、新たな知識が増えていく。それにより、より楽な労力で、より快適な生活を送れるようにインプットされているのである。

学習すればするだけ、めんどうになり、苦労も多くなるのが前提条件なら、学ぶ人など出てくるわけはないのである。

そんな生涯学習に関することも、言い古したような気もするのだが、同じ内容でも、年に1度は、思いついたときに述べておきたいのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする