生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

飲み会から帰ってきました・・・

2006年11月04日 21時14分02秒 | その他
今、飲み会から帰ってきました。携帯を見ると、大学院の同期からも飲み会の誘いがあったらしく、留守電に入っていました。しかも3回も・・・スマヌ。申し訳なかとです。やはり、管理会計と情報システム論の最終講義だったので、同期ははじけていることでしょう!


私は、別件の飲み会があるので、出れなかったのです。でも、携帯の電源を入れていなかったのは、私の責任です。しかし、携帯は使えないのです・・・。


さて、本日の飲み会は、懐かしい面々との再会となりました。少々酒を飲み、食事をしながら、話をしていると・・・

「フラ夫のブログ、文章長すぎ!3行ぐらいにしないと読まないよ!」と罵詈雑言・・・。「どうせ、誰も読んでくれてないからいいよ!」と思いながらも、やはり自分の文章が長いのはまずいと反省しました。(と、いいながら、ドンドン文章は長くなっていく・・・)

2次会にも誘っていただきましたが、本日は、課題作成のため、あまり寝ていなかったので、帰ることにしました。

明日も飲み会があるので、本当に申し訳ございません・・・。
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隣の部屋では・・・

2006年11月04日 17時05分10秒 | 産業能率大学大学院
1年生はすべて帰ってしまったが、隣の部屋では2年生が修士論文の作成に力を入れている。たった一人でいる私を先輩が見つけて声をかけてくださった。

先輩いわく、「資料をまとめると100枚は超えるんだけど、まだまだ・・・」と語っておられた。ほかの先輩も「50枚仕上がった」な~んて話をされている。

それはそうと、かなり多くの先輩方とも、親しく語ることができるようになった。入学当初は、まったく面識がなかったのに、同窓とはかくも強固な結びつきになるもんなんですね。

私は、引っ込み思案で、いたって目立たないタイプの人間なのですが、ありがたい限りです。
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時間つぶし

2006年11月04日 16時55分55秒 | 産業能率大学大学院
本日は飲み会があるので、大学院の教室で時間をつぶしていている。

それはそうと、本日は「管理会計」と「情報システム論」の最終日であった。3連休の中日に学校に行くのもつらいが、なかなか、そうは言っておれない。

よくよく思い出すと、産能大学時代、3連休はSCの絶好の機会であった。自由が丘ではSCが執り行われているはずだ。

さて、話は戻って・・・「管理会計」は最終日、テストがあった。管理会計のプロになる!と宣言したものの、テストに耐えうるだけの知力・体力を構築することはできなかった。残念!これからも継続して学習を続けていく所存だ。

でも、本当に会計アレルギーから開放されたのは、ありがたいことである。やはり、教えていただいた先生が、実務に長けた人だから、教え方も上手なのでしょうね。

「情報システム論」はPPTによる発表で、なんとか、乗り切ることができた。これで、5科目中2科目が終わったことになる。

で、残っているのが・・・
①人材戦略論のレポート
②寄附講座の授業×1回+レポート
③グローバルパーチェシングの授業×2回+レポート×2本

ということとなりました。それが終われば秋休みということで、来年まで授業はありません。

でも、11月18・19・25・26日は放送大学の面接授業があります。来月の9・10日も放送大学の授業です。せっかくの休みなんだから、ゆっくりすればいいのに、相変わらず、時間に対する貧乏性で、何かしていないと落ち着きません。

前後を考えず、申し込んでしまいましたが、12月も終わるころには、授業を受けてよかった!と書き込んでいることでしょう。何事も、アクションあるのみです!

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ある種、ささやかな幸せ!

2006年11月04日 04時15分59秒 | その他
草木も眠るこの時間帯に、温かいコーヒーを飲みながら、好きなCDを聴けることは本当にささやかな幸せといえる。

その昔は、コーヒーも一般の人が飲めないものだったし、CDもレコードと呼ばれて蓄音機で聴いていた時代は、ある種の金持ちしか聴けないものであった。それ以前に、レコードもない時代は、コンサート形式でないと聴けない状態であった。

先達の努力と知識の集約があり、昔なら、活動のできない時間帯に電気というエネルギーを使って人は活動することができるようになった。いわば、1日が2倍になったようなものだ。

そして、その昔は、王侯貴族でしかたしなむことができなかったものでさえ、若干のお金を支払えば、無尽蔵に手に入れることができるようになった。なんと、贅沢な世の中になったことであろう。

もちろん、発展と同時に人類は失ったものも多々あるが・・・。

学習に目を向けてみるとどうだろう?日本最古の学校は足利学校といわれる。当時生まれていても、足利の地は遠いし、そんなところにいけるような上流階級の出ではない。つまり、学習することはできなかっただろう。

それが、今では、多くの人が学びたいと思えば、いくらでも学べる時代になった。テレビやラジオで、放送大学の授業が無料で視聴できるし、ちょっとお金を払えば正式に履修することもできる。図書館には本が山のようにあるし、NHKは色々と教育番組を提供してくれている。

大学や大学院も社会人が会社に行きながらにして学位が取れるように配慮してくれている。通信教育で博士をとることもできる時代だ。

先ほど、先達の創意と工夫と努力により、昔の王侯貴族の生活を一般の人々が享受できると書いたが、将来の世代においては、我々がその先達となる。つまり、将来世代に感謝されるような発展を我々が担う必要があるということだ。

文化の発展を享受している人は、それを更に発展させて、将来世代にバトンタッチさせなければならない。そうしない人は、文化のフリーライダーと呼ばれても仕方がないと私は考える。

先達が残した文化という財産を増やして将来世代につなぐことが、はかなくも、現世の人の役割ではないだろうか?もちろん、一番大きな部分は仕事である。しかし、私は、それ以外の部分も貪欲に自分のものにしていきたいし、それを将来世代に引き継ぎたい。

そのために、与えられた人生の一部を、学業というものに置き換えている。人として、今を生きるものとして。
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