ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

97、チャレンジャー爆発事故

2008年01月28日 | Weblog
“7、三大から四大へ“でも書きましたが、私がニューヨークにいた頃、アメリカ人が「その出来事」を何処でどのように知ったか、鮮明に覚えていることが三つあると言われていました。
1つはケネディー大統領の暗殺
2つめはアポロ11号の月着陸とアームストロング船長の月面への第1歩
3つめはスペースシャトルのチャレンジャー爆発事故
その後起きた同時多発テロでの「トレードセンター崩壊」を加え“四大ニュース”と私は呼んでいますが。

そのうちの一つチャレンジャー爆発事故が起きたのは1986年1月28日でした。
私は東京の妹のマンションでテレビを見ているときに知りました。
1973年に渡米し1985年の12月に一時帰国していました。
1月30日にアメリカに帰る直前のニュースでした。
12年ぶりの日本で、その間一度も日本に帰りませんでした。
出発したのは羽田で、帰ってきたときは成田でした。
成田から電車で家に帰りましたが、車窓から見える田園風景が懐かしく感慨に耽ったのを覚えています。

フロリダ州ケネディー宇宙センターから打ち上げられたチャレンジャーは、1分13秒(73秒)後にフロリダ沖合の上空で爆発し大西洋に落下しました。
フランシス・スコービー船長、女性高校教師のクリスタ・マコーリフさん、日系宇宙飛行士エリソン・オニズカ氏など7人のクルー全員が死亡しました。
打ち上げの瞬間、成功を祝った人々の歓喜の表情は一瞬言葉を失い凍りつきました。
チャレンジャーの爆発事故はその後のアメリカの宇宙開発計画の変更を余儀なくさせ、2年8カ月後の88年9月まで中止されました。

このときのチャレンジャーはスペースシャトル25回目の区切りの飛行で、初の一般市民が搭乗していました。
7名のうち2名が女性で、アフリカ系アメリカ人、日系アメリカ人など乗員の構成も多彩でした。
最も注目を集めたのは1万l000人の志顧者から選ばれた女性高校教師クリスタ・マコーリフさんで、幼い二人の子供を持つ普通の教師でした。
周回軌道上から生徒たちと交信し「宇宙授業」を行う予定でしたが事故によって実現することはありませんでした。

その宇宙授業が実現するのは21年後のエンデバー号でした。
同じく学校の先生をしていたバーバラ・モーガンさんは、死亡したマコーリフさんと同じく85年に「宇宙の先生」に選ばれていました。
86年のチャレンジャーではマコーリフさんのバックアップクルー(予備要員)でした。
宇宙からの授業はマコーリフさんの夢と同時にバーバラさんの夢も絶たせてしまいました。
しかし、バーバラ先生は夢をあきらめませんでした。
チャレンジャーの惨事の後、地元小学校の教師に戻っていたバーバラさんは、1998年に正規の宇宙飛行士(ミッション・スペシャリスト)としてNASAに復帰します。
(チャレンジャー爆発事故以後一般市民の搭乗は禁止されていました。)
2007年、エンデバーでバーバラ・モーガン飛行士はようやく宇宙へ飛び立つことができました。
チャレンジャーの悲劇から21年、85年の選抜から22年を経て夢だった「宇宙授業」を実現します。
国際宇宙ステーションにドッキングしている「エンデバー」から生徒たちの質問に答えました。
長年勤めた小学校があるアイダホ州の子どもたちに向け、宇宙の微小重力状態を理解してもらおうと、同僚飛行士2人を軽々と持ち上げて見せるなど、子どもたちの疑問に「実演付き」で答え、マコーリフさんが果たせなかった「宇宙授業」の夢を21年ぶりにかなえました。

私がケネディー宇宙センターを訪ねたのは1985年の夏でした。
広大な敷地の中にさまざまな施設がありバスで移動しました。
宇宙飛行士の訓練施設や大きなplant(組立施設)の中を見学しましたが、特に印象に残っているのはバスの窓から見た巨大なロケットと、スペースシャトルの発射台です。
それから半年後に起きた事故でした。


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3 コメント

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Unknown (シカゴのおじさん)
2008-01-29 12:51:16
こやさん  こんにちは

  こやさんの文章 とてもわかり易いです
  あのときのことは今も心から離れませんね

  太田 
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Unknown (bunchan)
2008-01-30 07:10:25
冬のシカゴは寒いでしょうね。
シアーズ・タワーの展望台からの眺めはすばらしかったです。
私が尋ねたときは世界一の高さでした。
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チャレンジャー号 (平松悟)
2008-06-16 04:01:30
ナショナルジオグラフィックスのドキュメンタリー番組のビデオをみて「チャンレンジャー クリスタ 鬼塚」で検索してここにたどり着きました
気温の低さのせいでのOリングの破損とジェット気流の横風が原因だそうです。

偶然と偶然が重なり起こった事故の様子を知り、
プロジェクトや事故の意味の大きさを知りました。
このブログを拝見した記録をここに残します。
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