ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

無茶をする

2012-09-12 | 雑記
こぼれ話はまた後日ということで、しかし、ある意味こぼれ話かもしれない話をやろうかと思う。


子供の頃、母親の手ほどきを受け、茶を飲むようになった。その後、紅茶の入れ方を勉強、というほどでもないが何かで読んで実践したり、烏龍茶を飲んだりもしていた。

そして、大学時代は茶をやっていた。茶自体、まあ、テレビだとかの話だが、体にいいという話を聞いていたし、高校時代には陳瞬臣の『茶の話』なる本を読んでいたりもしたからというのと、兄貴のいるビューグルバンドには近づきたくなかったからというのもある。単純に「日本人なら日本文化やれや」と思ったのは言うまでもない。おかげで着物で暮らす仙人にクラスチェンジしたわけである。なんのこっちゃ。


その『茶の話』の中に書かれていた話で、「支那の伝説上の皇帝が茶葉で傷を癒していた」という話をうろ覚えで覚えていて、喋ったり書いたりしたものである。


間違えてはいないのだが、「皇帝」は伝説上の存在ではなく、始皇帝から皇帝である。それ以前は皇帝とは呼んでいなかった・・・はず。


じゃあなんなのかと。大帝だとか帝王だとか、あとは天帝であろう。皇帝と天帝は意味は同じである。


陳氏が書いた話はもしかしたら別の話だったのか?と思うが、こういう内容を見つけた。

「神農が人にとってどの植物が大丈夫か日に七十二の草を自分で食べて調べ、茶を使い解毒していた」という話だという。

本当に解毒できたかは定かではないが、それほど効果が高いということが古来より言われているというわけだ。

『喫茶養生記』を記した栄西が、二日酔いで苦しんでいた源実朝に茶を献じただとかいう逸話もあるそうだが、詳しくは判らない。




で、話は変わるが、お茶も農薬塗れ。ならば将来は茶畑を作るか!と思って、茶の栽培についてちょっと調べていた。


なかなか栽培するのは難しいもののようである。まあ、採算ベースに乗せようと思えば、だが。簡単に見つかるところはそういう話しかない。

しかし、父方の祖父母の家は山の中にあり、農地もある。茶の木も生えていたのだが、そんな丁寧に作っているようには見えなかった。(ナニを持って「丁寧」かはのどかな農薬散布風景でもご想像いただくことにする)

商業として美味い茶を作ろうとしたら、実は本質的にはまずくて飲めたものじゃないのが今の茶なのかもしれない。

よし、わしは仙人を乗り越えて、神農になるか!なんてことはない。毎日茶で解毒するだけである。



話が脱線していくので軌道修正を施すことにする。


以前、Beyond 5 Sensesで掲載されていた、トニー・ライト著『レフト・イン・ザ・ダーク』の記事

これを解説するような記事を書き、その後ラヂヲでも喋った。再掲載しておくかね。

記事はこちら「レフト・イン・ザ・ライト
少々パロディをかましたタイトルで、右なのか左なのかなんなのか、英語にするとバレバレになるが、日本語ならうまくいく洒落だなぁと自負している。

お次は動画。

どこだったか探すのにお世話になっているサイトを探し回っていたのはナイショである。

http://blog.goo.ne.jp/baggage/e/c574f6ec0a4a251dcb343e163778ec44

ウシの話から始っている。食べるよりなでる方が好きです。ええ。ウシさんは賢いそうだ。人にされたことを覚えていたり、細やかな心配りをしたりするそうだ。
菜食を勧めているサイトの動画で、豚、鶏、牛の本来を紹介しているのだが、そこに映っている、のんびりと暮らしている牛が、牛のご飯たる干草の山の蔭で座り込んでいる子供に気付いたのか、後から覗き込んで顔を近づけているシーンがある。このまま動物達とは仲良く暮らせればと考えているが、わしはまだまだ因業なので、時間がかかるだろう。




さて、冗談と宣伝はさておき、またちょっと人間の脳と食べ物について復習しよう。


本来人間が食べるべきものは果物であった。消化器官の構造からしてそうなっている上に、脳の肥大化(肥大化、なんつうと変だが)には果物に含まれる化学物質との相乗作用が不可欠だったが、現代はそれが損なわれた食べ物ばかりになり、ついには縮小に転じ、「正常な状態だと思っていたものが実は異常だった」というところに至ったという。


相乗作用というのは、脳の成長に果物の化学物質自体がいるというのと、脳からも元から出されている物質がある。松果体から出てくるメラトニンなんかがそれである。細かいところは記事を呼んでいただくとして、メラトニンについては瞑想などでもある程度出すことは可能という話もある。

果物の化学物質といい、脳内で分泌されるそれといい、つまりは強烈な抗酸化物質である。

色々な病気の原因が酸化である、という話も出ている。要するに腐るわけだ。


老けるというのは、見た目なら皮膚やそれを形成している細胞の酸化が進んだ状態である。シールドがないのだから、病気にはかかるわすぐぼろぼろになるわ、と泣きっ面に蜂状態になるわけである。


果物の化学物質で特に有用として名前が挙がっていたのが、フラボノイドである。

メラトニンにしろそれにしろ、抗酸化物質として有名なビタミンCを遥かに凌ぐ能力であるそうな。ただ、フラボノイドはあまり摂れてないのが現状である。飽くまで「普通」の食事をしている場合だが。


少々うろ覚えだったが、緑茶にも入っていたような気がする、と書いたものだが、茶の成分を、栽培について調べていたら出てきたので、改めて眺めていた。茶の成分については、茶道の本か、前述の『茶の話』に載っていた気がするが、遠い昔である。

ここに載っている。http://p.tl/_i1i


水溶性成分に「フラボノール類」とある。

フラボノイドの仲間だそうな。ちなみに、リンク先のWikipediaでは、フラボノイドの一種に「カテキン」があがっている。

カテキンは農薬なんじゃないか、という話もあるが、その話は措く。


ところで、そのカテキンだが、茶の成分表のリンク先の下の方には、緑茶に含まれるカテキンの一種が、ビタミン類の数十倍の抗酸化作用があると判明した、などという話が出ている。


魏志倭人伝によると、倭の国は温暖なので、冬でも生野菜を食べている、とあるそうな。


時代が下るにつれて、果物はおろか生野菜すら食べなくなっていくのが日本の状態であったが(まあ、今みたいに杓子定規的に沸騰させたものでグラグラ煮立てるのを「下茹で」とは言ってなかろうが)、案外、この茶で助かったところがあったのかもしれない。生はなかったが、食べるもの自体もあるだろうとしても。

葉を選別して残った茎などの茶の場合は、沸騰したのに近い湯で煎れるのだが、葉の方は質が高いものになればなるほど温度を下げる。一般に煎茶で思い浮かべるであろう茶は大体80℃あたりで煎れる。玉露の如きは60℃という低温である。


湯の温度で出てくる物質も変わる。旨み成分といわれるテアニンなんかは低いほうがよく出るそうだ。


冬になったら仕方がない。お茶飲んで暮らすか・・・っていつものことだった。


メインは果物に野菜で、間を置いて(温かいお茶だったらか)茶を飲んでみる、というのもいいかもしれない。いやなに、使えそうなものは使い倒そうというだけの話である。


茶にそれだけ効能があるのならば!農薬なんぞ神農の如く解毒してくれよう!と息巻いてみたものの、無茶はしないほうがよろしいか。
そして、普通の食事を成されている方々も(こちらも片足突っ込んでいるが)努々「無茶」はなさらぬよう・・・。嗚呼、しかし、農薬が憎い。では、また。

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