咲とその夫

 定年退職後、「咲」と共に第二の人生を謳歌しながら、趣味のグラウンド・ゴルフに没頭。
 週末にちょこっと競馬も。
 

池波小説・・・闇の狩人

2012-10-23 22:40:40 | レビュー
 秋の夜長に娘の送ってくれた浅田次郎著「天切り松 闇がたり」のページをめくっている。当方、何と言っても池波正太郎小説ファンであるが、時折寄り道しながら違った作家の本を読むのもいいものである。

 その本についての感想は、いつになるか分からないが4巻すべて読破後にでも・・・。
 ところで、先日購入の「闇の狩人」は、1ページ目からノンストップで読みきるまで、次々とページをめくってしまう魔力がある。

 「今年で42歳の弥平次は、盗賊・釜塚の金右衛門の[片腕]などと、盗賊仲間でうわさされている男だ」

 「小柄で細い身体つきなのだが、裸になると筋肉が針金でも縒り合わせたかのように、ひきしまっていた」

 「頬骨の張り出した顔いっぱいを、ふとい鼻がしめている。目は小さい。細い目が柔和であった。

 筆にふくませた濃い墨が、ぽたりと紙へ落ちたような眉毛なのである」

 このように書き込まれていると、つい、読み進んでしまうから、さすがは池波小説の書きだしである・・・。

 江戸の盗賊の小頭・雲津の弥平次が、足を痛めて山奥の湯治場で療養中、ふとしたことから、刺客に追われていた若い浪人を助けた。ところが、この若い浪人は崖から落ちたらしく今までの記憶を失っている。

 その後、弥平次はこの浪人に「谷川弥太郎」と名付けることになった。それから2年が経過し、盗賊・釜塚の金右衛門が亡くなり、その跡目相続で気をもんでいた弥平次が、ある夜偶然にも一人の武士を殺めていた谷川弥太郎と出会った。

 2年の流浪の中で、弥太郎は香具師(やし)の元締め五名の清右衛門に助けられ、その剣技を見込まれ仕掛人として生きていた・・・。

 この小説のタイトル「闇の狩人」とは、主人公の若き浪人・谷川弥太郎が刺客に追われており、その暗い闇の過去に何があったのか。
 一方、弥太郎の過去を探るため側面的に支援する雲津の弥平次は、親分の死後の跡目相続に絡み、盗賊としての闇の世界での生き様など二つの“闇” を指しているらしい。

 時は徳川政権が確固たる江戸時代、参勤交代で江戸と自国を1年置きに往来している武家社会、跡目相続において正室と側室の確執なども日常茶飯事である。
 また、闇の世界の盗賊集団における跡目相続も似たような確執があり、香具師の裏社会においても、同様の跡目相続や縄張り争いの諍いは絶えない・・・。

 よく言われていることであるが、人は一人で生きてゆけるものではない。お互いがお互いを助け合い、関わり合って生きなければならない。
 その助け合い、関わり合いの中で義理を果たすのである。ところが、余りにも複雑に入り組んだ人間関係のため、時には世話になった人に不義理を果たすことになるのも世の習いであろう。

 「これは、どのように科学が進歩した現代社会でも、人の社会の仕組みというものは、呼称こそ変わってもその仕組みは同じであり、そこで複雑に関わっている人間という生きもの本質は不変である・・・とのテーマが基本になっているのが池波小説である」

 と、評する池波小説ファンが多いが、まさにその通りである。本編の武家社会でも、盗賊や香具師の裏社会でも煎じつめれば同じ悩みに生きており、そこに自らの生き方を見い出すものである。

 このように、池波小説に触れることによって、人としての生き方を体得できるところが、著者の作風に大きな魅力を感じるのかも知れない。

 いみじくも本編で著者が言いたかったことが、弥平次の言葉を通じて如実に表現されている。

 「盗(つと)めの世界も、人の世界だ。だから、煎じつめれば、ほかの堅気の暮らしをしている人たちとも、大仰にいえば将軍さまから大名、武家方とも同じことなのだ。おれも、おれのしなくてはならねえことを、しておきたいのだよ」

 複雑に入り組んだ人間関係の中でこそ、自らの生きる道を求めなさい・・・とのことであろう。(夫)



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