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ねーさんとバンビーナの毎日

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今日(先週)突かれたお言葉・その657

2011年08月30日 12時28分22秒 | 突言葉ねーさん
いいよなぁ、麻子(アサコ)さん、素直で。
だって・・・、こんなオレにだって気持ちのままを言ってくれるから。


成長してないんだよ。

いやぁ、成長して素直でなくなるなら、
成長なんかしないほうがいいよ。


縁遠いわけだ。

う~~ん、じゃ僕も素直なんだな。
縁遠いから。



「抱きしめたい!'90」の中での、
浅野温子演じる麻子(アサコ)と、奥田瑛二演じる(???)との会話。

確かに麻子タイプは縁遠くなっちゃうんだよね~。
あたしゃキライじゃないけどもね。
「性質は素直なくせに、正直になれない・・・」みたいなね。
率直な物言いじゃなくて、素直な物言いなんですよね、このタイプって。
率直なのは「単にキツイ感じがする」けど、素直な物言いは「時に手厳しかったりする」っていうか。
「率直でもなく素直でもなく、でも、なんか言わないと気が済まない」ってようなタイプがいるんですけども、苦手です、アレ。
その巧妙な○作り(×やらせ)加減に「吐き戻したくなる一瞬の気分の悪さを感じる」っていうか。
どうもそこが狙いみたいでね、こういう人。
何が楽しいのかしらないんだけど。



いじけちゃいけないのよ。
見栄を張ることも大事なの。


「抱きしめたい!'90」より。

この時代も見栄は大事だったかも。
その一昔まえの見栄とは違う見栄ね。
この時代の見栄っていうのは「やれそうもないことを「やれる」ように見せるハッタリ」という見栄。
その一昔前の見栄は「(相手のプライドを害さないために)自分もいいところの出の人のように装飾するためのちょっとしたウソ」という見栄。

で、この'90年代ってのは、それで上昇気流に乗っていた人はいると思うし。
そうやって見栄張ってカッコよく見せつつ、「ひ~~、辛いな、厳しいなぁ・・・」と感じる感情は殺してたんだと思われ。

「見栄ではなくて演技で「なんちゃって」のハッタリ」を演出してきた人は、別感情をも作っていたかと思われ。



ちょんがぁ

「抱きしめたい!'90」より。

「この言葉、忘れてたわ~~~っ」て思い出され。

「父親のする会話の言葉であったなぁ・・・
「あいつはちょんがぁで・・・」みたいななぁ・・・」

って思い出され。
岩城滉一演じる圭介(ケイスケ)が、奥田瑛二演じる(???)のことをこう言ってて。

それって「独り身」ってことっすね。
由来は朝鮮語からきてるみたいですけども、うち、朝鮮の血は入ってないんで。

父方のおばあちゃん(「あい」って名前)は当時にしてみたら広い愛(開かれた心)を持った人で、「人だ、朝鮮人だっていう、そういう偏見から入って人を見ちゃ、絶対にいかんよ。」ってよく聞かされたっけ。
で、このおばあちゃん自身、に出かけていってたもんね、平気で。(いや、ぼけて徘徊してたんじゃありませんよ。)

従兄弟とか父の兄とか、「やめな~い(「やめなよぉ」という静岡弁)、おばあさんはぁ。」って呆れてたけど、「いいだよぉ、大丈夫だよぉ、同じ人間同士だもんで。(「だもんで」ってのは静岡弁の代表格だな。(笑))」ってスタスタ行ってた記憶。

父親は縁故で入った地元農協の事務が嫌(そういう○特権(×利権)みたいなのにすがるのも相当イヤだったんだろう、従兄弟のオジサンらの話しっぷりでわかる気がする。「いっつも○難しいこと(×ややこしいこと)言ったり、デカイ話しをしてたよ。ああ見えて」って。)で「辞める」ってだだをこねて、「しょうがないねぇ・・・」と思った姉が縁故(縁故先は静岡富士の大地主さん)で話しをつけて、鎌倉(下宿)→ヨコハマ(仕事場が鶴屋町で自宅アパートが白楽)に出てきてからこの言葉を覚えたんだと思われ。

若い頃は「野毛」とか御用達にしてたみたいだし。
スーツを作ってたのも野毛、カメラを買ってたのも野毛、そんな記憶。
それもこれもこの縁故先のオジサンの御用達の店だったんだろう。
野毛って柄はあんまりよろしくないけど、ヨコハマなんだよね、アレが。
東京で言ったら、上野とか浅草みたいなもんかしら。