ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

オジサン51♂の洗礼

2011年08月21日 22時42分59秒 | 知言葉
オレねぇ、中学3年間ってのはバレーやってたのね。
これがかなり強い部だったのよ。
で、高校進学の時に一応スカウトとか来ちゃったわけ。


ははぁ。
あ、セッターやってた人でしょ?


そうそう。


わかるな。
うちの弟も中学バレー部でセッターやって部長やってたわ。
アタッカーにトスあげる役ね。
そういう役の人って、なんか雰囲気でわかるわぁ。


そうそう。


でさぁ、オレ、そのスカウトは蹴っちゃったの。
だってよぉ、そんな「バレー入魂!バレー命!!」みたいな青春はバカみたいじゃなーい?
一番遊べる高校時代をねぇ、「バレー一色!」なんかにしたくないもんねぇ。
だから蹴っちゃったんだよねぇ。


へぇぇ。
こないだ会社で○○さんとほぼ同じ年代、52歳の男性がこう言ってましたっけよ。
「中学では野球をやってて、学校の野球部が強くて、野球の有名高校からスカウトが来て。」ってね。
だけどこの男性の方は、「野球一本で高校を過ごしてもしもプロになれなければ大学進学に影響もあるだろうからスカウトを断って進学校に進んだ。」ってね。


ハハハハ・・・
それとは違うのよ~~~ん、オレの場合は。
「青春が送れない、こんなつまらないのはイヤだ!」ってそれだけだから。


ハハハハ・・・
わたしも「う~~~ん、この人の人柄を象徴してるなぁ・・・、だからオジサンは・・・(以下省略)」って聞きながら思ったんですけどね。


でもねぇ、そのバレーの道に進んだ先輩から洗礼ってのがありましてねぇ。
お約束といいましょうかねぇ。
時代ですねぇ。


なんですか、それ、やっぱり、「呼び出されてボっコボコにされる」ってヤツですか?


そうそう、そうです。
顔はハズしてくれたけど、腹をボッコボコにされてねぇ。
いやぁ、殴られましたよ。


うわぁぁぁぁ・・・・
「顔はやめなよ、ボディボディ・・・(by三原順子)」って例のヤツですねぇ。
ウハハハハ・・・
あ、笑い事じゃないですね。(笑)


そう、顔やっちゃうと先輩なんかも「やったな」ってことがバレやすくなるからねぇ。
それはそれで別にどうでもいいんだけどさぁ、腹はボッコボコやられたわぁ・・。


「ちょっとお前こっち来いよ。」あたりから始まってぇ・・・


はいはい、そうです。
「わかってるよね?」ってな感じで、もう、ボッコボコに。


きゃ~~~~。


でもね、「そこまでされてもオレはバレーはやりたくない!」って思ってたからさ。
「高校は遊びたいの、オレは!」ってね。
考えてみてよ、高校時代よ?一番の青春よ?
大学生以上の青春時代よ?高校生ってのはさぁ。
なんで、バレーに命かけなきゃいかんのよ。


わかりますよぉ、それ。
わたしもですねぇ、中学3年間は卓球地獄でして、学校がそこそこ伝統的に卓球が強い学校でしてねぇ。
神奈川の高校じゃ今でも全国区の学校の夏の強化特訓とかにも突っ込まれたりですねぇ。
「な、なんで、わたしを選びます?顧問!?」って感じでしたよ。
まぁ、「打たれ強そう」って判断したんでしょうねぇ。きっと。
「打たれても打たれても跳ね返す、逃げない」ってあたりをもっとこうなんか「しごいてやりたい!」みたいな風だったんでしょうかねぇ。
わかりませんけど、確かめてないから。


「サァ!」ってやってた?


あぁ、あれは誰でもやります。
愛ちゃんの専売特許みたいになってますけど、私でもやってましたよ。
「さっ!一本っ!!さっ!!」は、定番のかけ声です、ハイ。
「ラケットで(自分で自分の)太ももをひっぱたく」っていうのも気合いを入れるための定番で。
でもこれは「ちょっとお行儀的にどうか・・・」ってなって、みんなでやめたような記憶もありますけどね。


とにもかくにも、洗礼ってあれ、なんでしょうねぇ。
わたしも高校に進学して、そこに卓球部の先輩も進学してたんですよぉ。
先輩はやっぱり卓球を続けてて、当たり前のように入部の誘いに何度も来てくれて。
わたしも「高校まで卓球命なんてやだやだ、冗談じゃない!追っかけ!原宿!渋谷!!(困ったことに「進学の為の勉強!!」では無い)○流行(×ブーム)を追うの、わたしは!」って思ってたんで、断ったんですねぇ。
まぁ、洗礼はなかったですけどもぉ。
ビクつきましたよぉ、「もしも待ち伏せされたらどうしよう・・・」とかねぇ。
そうこうしたら母親が「部活もやらずに勉強もやらずに帰宅部やらバイトなんて冗談じゃないわよ!学生のうちは勉強と部活は(わたしは)欠かさせないわよ。やるまで言い続けるからね。」ってこうなりまして、「だったらやってみたかったダンス部にしよ~~~っと!先輩にも「他のことやりたいからこの部に入ったんで!」って言えるしな。」と、こうなりましてね。






しかしなぁ。
スポーツでも音楽でもいいんだけど、「それ一筋に命をかけて強くなる」って人はいるわけでね。

何がそうさせるのかしらん・・・。

1.義務感を抱え続ける強さ
2.期待感へ応える責任感の強さ
3.ナルシスト
4.「将来の収入の糧!わたし(ぼく)の就職先はこれ!」とすでに腹を括ってる
5.まわりの人間に固められちゃってとにかく逃れられない
6.「こりゃ面白い!奥深いっ!!」って感じるものを早々掴んでしまった

「面白くって楽しくって仕方がない、それで強い」って人って、ヘンに一筋でもなかったりするじゃんね。
「遊びがあっても強い」っていうかね。
まわりが負けちゃうんだろうなぁ、こういう人を相手に勝負すると。



面白くなかったんだよね、オバチャマにとっての卓球は。
卓球部という集団や顧問に対しては、「面白くない!」ってこともなくそこそこ面白かったけど、「卓球」については面白くなかったんだよねぇぇぇ。
(だってそもそも「バトン部」をやりたかったのに、母親に「それは却下!運動会系のみ認めます!文化系もダメよ!!」ってされたからねー。あの時代は得に「運動会系の部活を3年間やり続けました=進学の時の内申書にとてもいい」みたいな○定説(×常識)が流れていたんだよねー。
多分そのせいも相まって、高校入学時、1年生の時のクラスの学級委員に指名されちまってなぁ、先生から。
「ゲッ(汗)、なんでっ、うわ~~~ん。」だったよなぁ、しかし。)

多分、このオジサンにとっても、バレーは面白いものではなかったんだろうな。
バレーが面白ければ、バレーやり続けてでも、遊んだだろうしなぁ。


いつも現実的な観点に立つ人

2011年08月21日 21時59分59秒 | 考えるねーさん
現実に立つ人は「最悪のケースが来たらどうするか?」ってことばかり考えてるよね。
だからこそ「危機対策」が出来るってこった。
腹の据わりもいいってこった。


これが「絶望的発想」になっちゃうと、対策を通り越して、「とにかくじっとして動かないのが良し」みたいなことになっちゃうんだろう。
それではどーにもこーにもだよね。


現実から逃避して夢見る夢子ちゃん(夢男くん)みたい人が「最悪のケースがこないようにどうしたらいいか?」ってことばかり考えてるのね。
だから「危機対策」よりも「安全対策をどうしたらいいか?」って安心していたいほうに傾くのよね。
「いや、だから、それもそうだけど、危機はどうやたって襲ってくるから!そのときの策を考えておく方が大事だってば!」って言ったって、効き目無し。
「大体さ、こういうヤツが危機を起こすんだわぁ!」くらいなことを言うでしょう?



最悪のケースはどんなに周到に事を運ぼうが、襲ってくるときは襲ってくるんだよ~だ。



モノの分配。

2011年08月21日 19時29分31秒 | 考えるねーさん
「貰えるモノはタダなんだから欲しいわ。」

「貰えるということでもわたしはそれを別に欲しくもないわ。」

「平等に2つづつの分配ということはわかるけど、わたしは今、それが4つないとどうしても足りないの。ものすごく困ってるんです。」

「「○△配布券」っていうのが2枚づつ、どの家にも公平に配られたのよ。」

「この○△配布券、わたしは不要だから、欲しいならばあなたにあげるわ。」



とにもかくにも、こういうことって、大抵、「して貰う側の発想で語られることが多い」と思うが、「自分が分配する側の立場で大勢の人に対して何か公平に与えてやる側の発想で語りあったほうが、何かが解決できるんじゃないのかねぇ・・・」って思うんだけどね。


自分が分配する側に立つと、

「そんなのさ、自分にメリットのある人にしか分配しないに決まってるじゃん!!
自分のいうことを聞いてくれる人、自分が好きな人に与えるのさ。
あったり前じゃ~~ん!」

こうなったら公平も平等もなんもないよね。



よく店で、特売品が「お一人様2点まで!」なんて張り紙がしてある。

こないだも家庭の基本消耗品「(旭化成の)サランラップ」がとある店先で100円とお買い得になっていたんだが、「お一人様2点まで!」って張り紙がしてあったのね。
もちろん2点掴んで買ったんだけども。

「特定の一人のお客に買い占められちゃうと、他のお客様に公平にお買い得品が行き渡らないから、その防止策です」っていう店側の配慮だろうと思うんですがね。

これがさ、特定のお客だけ贔屓にしているようなお店だったら「お一人様2点まで!」っていう張り紙をわざわざやるかね?

小口で買う客が沢山来ようが、一人が独占的に独裁的に買おうが、店側としたらどっちでもいいはずでね。

逆に言えば、一人が「わっさ~~っ」と一度にたっくさん買ってくれれば、店だって沢山お客を集めなくていいから合理的に売上げが立っていいってのもあるハズ。
(これをやりたい場合って、「資金繰りが厳しくて在庫を一括買い上げて欲しい」とか、「そういう時ならあえてやるだろう」とオバチャマは考えますけどね。
まぁあとは「広く大衆に向けた商品ではない」って場合とかね。
日々の経営の中でこれをやってしまうと不公平感でお客離れが起こっちゃう危惧を考えるケドも。)

だから、なぜ、「お一人様2点まで!」という縛りをつけて公平感を出すのか?って考えません??
「うちは特定のお客さんだけにお得を提供するんじゃなくて、公平に沢山のお客様にお得をご提供したいのです」っていう考えが現れてると思いません?



ってこともあって、公平感ってすごく、○与える側(×与えてもらう側)からの開かれてる感じが伝わってくるんだよね。
縛りがつけられてようが開かれてる感っていうかさ。


例えば、子ども手当に公平感を出したいのか、平等感を出したいのか、年収縛りってのを必死に考えてるようだけどもさ。

公平さであれば、自公がやってた児童手当(これは元もと公明党が推進したものだと聞いてるけど。)で十分だと思うんだよねぇ。
理念に添ってると思ってる。
あれは年齢で一律でしょう?

平等にしたいなら、その家庭の年収ごとに金額を細々設定する必要があるでしょうよね。
「どこまでの年収なら出す、出さない!」の問題と違うと思うよね。
それにこれをやっちゃうとさぁ、「子ども手当の国としての理念って何?」って聞きたくなるね。
「子どもの育成に対する国からの(最低限の)金銭的援助」ってより、「金ばらまきま~~す!あなたの年収に沿って金額はこうで~~す!!」ってだけじゃん。

「だったら働かないでいっぱい(国から)お金貰った方がいいかな。」っていう方向に人間の思考なんて傾いていっちゃうから。
そうしたら弱っちゃうよぉ、国力が。
働かないのはヒマが出来て勉強しようが、そうやって鍛えた「頭を使う機会が無い」わけだからさぁ。
勉強だけ突っ込んでも使わなきゃ意味ないしね。
「いっそうの馬鹿まっしぐら」って感じでね。


つまり平等なんて追求しているうちに、弱っちゃうわ、馬鹿になっちゃうわ、困るのよね。(笑)




作りこんだ面白さが面白いと感じるか。

2011年08月21日 19時08分31秒 | 考えるねーさん
なんだろうね、こう、評論や鑑賞域であればさ、

「「作り込んだ面白さ」に面白がるという行為をして面白がる」

みたいなことは出来ると思うんだけど、

これってあくまで趣味の領域で、なんていうかね、「現実味が乏しい」っていうかさ。

「仮想とか虚構とか作りとか現実離れのところに行っては、遊泳して面白がってる」みたいな風っていうかさ。

芸術とかなんかっていうのは、所詮は虚構の世界だからそれで十分いいんでしょうけど、「個人趣味を見せつけられたり押しつけられるのはなんだかどっちでもいいな。」って人はいるでしょうよね。

究極のところにいるのが「ディズニーランド」で、あの虚構の中で面白がる行為で面白がってるじゃん、みんな。
それなのに「個人趣味を押しつけるな!」という押し付け感は感じないよね。

「ディズニーランドがそんなに好きじゃない」って人はいてもよ?

それって多分、こういう趣味の押し付け感を感じて「好きだ嫌いだ」を言ってるんじゃなくて、生理的なものなんでしょう。

「あそこで浮かれてる連中を見てると「どーにもこーにも呆れてくる」っていうか・・・こっちはそんな暇も与えてもらえないくらい社会がオレを離さないんだ・・・・こっちはこんだけ働いてるのになぁ・・・暇もてあまして、ああやって遊べてなぁ・・・いい気なもんだよなぁ・・・このご時世によ・・・」とかそういう・・・(フフフフフ・・・)


自分を倒影したり、自分の表現の糧になったり、そういう芸術とか音楽とか文学ってあるじゃんね。

作り込んだ面白さに面白がる」とかいうそういうことじゃなくて、何だろうね、「これはこの時のこの人の素だね、共感出来るね。」ってところに面白がれるっていうかね。

作り込むような高尚な技とか高尚な理論がなくても、十分面白がれるもの。
評論とか鑑賞してるんじゃなくて、観賞の面白さっていうかね。




かんしょう【観賞】

物を見て、その美しさや趣などを味わい楽しむこと。


ひょうろん【評論】

物事の価値・善悪・優劣などを批評し論じること。


かんしょう【鑑賞】

芸術作品などを見たり聞いたり読んだりして、それが表現しようとするところをつかみとり、そのよさを味わうこと。



例えば、後者みたいなの(観賞領域のもの)は「真面目で面白くない」と思う人がいたとするよね。
「逆つけば真面目ほど面白いものないよ?」って思うんだけどもねぇ。
だってそっこら中に面白いものが散乱してるじゃない。

何だろうね、真面目なものほどその当人(そのモノ)が知らない(気がついてない)引き出しを沢山見つけられるからかなぁ。

不真面目な面白さってね、もう、「こことここが面白いでしょ?見てよ?わかる??」って作り込んじゃってるから、わかりやすいよね、確かにね。
「あぁ面白くするセンス(センスなのかなぁ?)が出てますね!技が素晴らしいですね!」みたいにね。
だけども「あぁハイハイ。まぁ面白いけどねぇ。」でそれで終わっちゃうんだよね。
繰り返しやられちゃうとすっごく飽きてくる感じ。


繰り返しやられて面白いのは西の漫才か?
単純じゃんね。
灰皿で頭叩いてるだけの繰り返しとかさ。
あれ、やってる人が相当真面目だから面白さになるんだと思うんだ。


なんで「怒っちゃいけない」と思い込んでるんだろうか。

2011年08月21日 16時51分15秒 | 考えるねーさん
あのねぇ、これ世代があってさぁ、特に顕著なのが昭和30年代生まれの人達の中の○定説(×常識)な気がする。

だから自分の子どもにも怒らないでしょう、ね。


「怒っちゃいけない」って耳にする度に、「それって「キレちゃいけない」ってこととは違うのかね?」


って、同じ日本人なのに異国の人と会話している気分になる。


だから案外「怒れない人が多い」と思うの、この世代の人達ね?

で、単に「キレそうになる感情」を、なんだろうかなぁ、別の表現で誤魔化す術ばっかり発達してるっていうかね。
そういう理論とか言葉をいっぱい暗記(勉強)してあって、利用するわけよ、そういう場面が来ると。

まぁそれで「その場の空気が荒れないから面倒臭くならない」ってことには繋がってるのもあるんだけど、「だからぁ・・・?かえってややこしいんだよ。ちっ。」ってココロがシラケルことは幾たびもあるんだよね、正直・・・。


違うかなぁ、そう思うよぉ、昭和61年から社会人24年間やってきて。
今、上は70代~下は20代と、仕事でも、幅広い年代(いろんな性格)と関わってきましたよ。

プライベートじゃ、祖父が90代、親が70代、叔父叔母連が80代~50代、従兄弟連が50代~30代、甥姪連が10代~その下、いるしさぁ。



怒れないとダメだと思うのよぉ、真剣ならばねぇ。
キレてるのとま~~~~~~るで違うからね、怒るのは。
ワガママなだけじゃん、キレてるのはね?

諸先輩方からも「怒れるくらいにならなきゃダメだ」って指導されたぜ?

真剣に怒るのって伝わるんですよ、相手に本当の気持ちが。
怒られて「嫌悪感」が沸くのは、「素直でない(聞き分けが良いだけとも違う)」か、「○聴く(×聞く)耳が育ってない(だから幼稚だと言われる)」だと思うの。

でね、キレてる場合を相手にした時って嫌悪感にならないハズなのねぇ。
ホントよぉ。
即・恐怖感になって当たり前だからさ。
「こわいっ・・・(ワナワナ・・・マズイッ・・・)」って思うハズなのね。

嫌悪感としての「むかつくぜ!(面倒臭いから逃げたいわ・・・)」「キライ、こういうの。(わたしは受け付けません!キライだから!)」こうじゃないハズなのよ。


まずね、親が子どもに怒れないのは、子どもに伝わってないと思う、親の気持ちなんて。(ホント、ホント!)
伝わってるのは気持ちじゃなくて「単なる定説だけ」じゃないのかねぇぇ。(しらぁぁ~~~)

つまりそれって「相手の気持ちを考える(×相手の立場を計算する)」って訓練もされてないことになりませんかね。


怒るのに嫌悪感を抱く人も、「○定説(×常識)だけを説いて欲しい」ってだけかと思うから、いくら情がありそうな演技ポーズしてても、いざって時はホントに薄情だったりしますよ?(自覚ないけどね)
他人の不幸に自分の安心を抱く人って薄情だったりするで。
執着心だけでひっついてくるだけでね。(←ここに騙されちゃうのはダ~メダメ!)