さそりのらびりんす~たわごと~

慢性膵炎持ちのあゆが気ままに書く、たわごと日記です。

正倉院展

2022年11月13日 19時12分00秒 | おでかけ

今月はなんでこんなに忙しいのかってぐらいバタバタしているのですが、

合間を縫って、こちらに行って参りました。
 
第74回、正倉院展です。
 


雨女のワタクシ、久々の雨を降らせてしまいました。
ずーっと晴れが続いていたのに、何故に今日だけ降るかなぁ。💦
 
正倉院展の前に奈良公園へ。
と、奈良公園の途中に興福寺があります。
 
東金堂


この建物は、聖武天皇の叔母である、元正太上天皇の病気快癒を願って作られたもの。
高校で日本史を学んだ人ならご存知でしょうが、
天武天皇と持統天皇の叔父姪結婚から血族結婚が相次いだため、
聖武天皇の父、祖父とも早世しています。
天武天皇と持統天皇の息子→草壁皇子(27歳で皇太子のまま死去)
草壁皇子の正妻が元明天皇で、元明天皇は持統天皇の実妹。
つまり、叔母、甥結婚。
この二人の間に産まれた文武天皇が聖武天皇の父。
文武天皇は皇太子になるには幼少だったために、
祖母である持統天皇が中継ぎとして即位します。
ところが、文武天皇も25歳という若さで崩御してしまったので、
今度は聖武天皇への中継ぎとして、
草壁皇子の妻(文武の母)である元明天皇、
更には、文武天皇の姉(聖武天皇の叔母)である元正天皇が即位します。
 
中学校の歴史では「大化の改新で蘇我氏滅亡」と教えられますが、
持統天皇の母は蘇我氏ですから、
蘇我の血は聖武天皇まで直系で続いていたわけです。
 
と、長くなりましたが、聖武天皇の母は中臣鎌足の孫娘で、
ようやく血族結婚から逃れられたおかげか、
聖武天皇は早世せずにすみました。
ただし、かなり精神不安定だったため
遷都と大仏作りに没頭したと考えられています。
なお、聖武天皇の子供も男子が早世したので、娘が孝謙天皇として即位します。
聖武天皇の正妻である光明皇后は聖武天皇の実母の異母妹ですから、
またもや血族結婚。
血族結婚だと男子が育ちにくくなるということでしょうかね。
 
長い日本史の中で、ここまで女帝が続く時代は他にはなく、
奈良時代は女性が強い時代だったと言えるかもしれません。
もっとも女帝乱立の裏にあったのは、
蘇我系と中臣系(藤原系)の争いだったともいえますが。
 
興福寺五十塔
 
平成30年に再建されたばかりの中金堂。
映画のワンシーンに出てきそうな感じ。
 
奈良公園では鹿がお迎えです。


紅葉はまあまあな色づき具合ですが、曇天では映えません。


鹿と紅葉


花札みたい、と友達が言った、鹿と紅葉。(笑)


赤ちゃん鹿がカメラ目線。


正倉院は10年に一度ずつ虫干しを兼ねて宝物を取り出し、それが展示されるそう。
なので、全部見ようと思ったら10年かかるそうです。(笑)
古代史が好きな私としては、過去にプチタイムスリップのできた、興味深い展示でした。

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