さそりのらびりんす~たわごと~

慢性膵炎持ちのあゆが気ままに書く、たわごと日記です。

ごあいさつ

ようこそ、いらっしゃいました。あゆと申します。
2005年に慢性膵炎を発症いたしました。
闘病記録に日々のあれこれ、趣味のこと。
たわごとに寝言、なんでもありの内容となっております。
時折現れる、さそりの毒にはご注意を。(^_-)-☆

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硫黄島といえば

2007年01月18日 20時54分46秒 | たわごと
年末に「硫黄島の郵便配達」というドラマを見ました。
硫黄島のことはそれまで聞いたことがなかったので、興味を覚えてネットで調べてみたところ、
硫黄島から還した人の日記を見つけることができました。
(その方の孫にあたる人がアップされてました)

それを読んだ時に、この人はなんて運の強い人だとびっくりするのと同時に
これが「生かされる」ということなのだろうなと思いました。
何度も何度も「死」をかわしていく様は、映画での二宮くんの役どころよりもっとすごくて、
人間の常識を越えた力が働いていたとしか考えられませんでした。
ただ、その方が生還した時には、奥様は亡くなってしまっていたそうです。

そこまで読んで思ったことがあります。

母方の祖父は戦争でソ連の捕虜になり、シベリア送りになりました。
仲間がどんどん死んでいく中、無事生きて戻ってきました。
確か昭和22年だったそうで、一番に帰ってくるぐらい早い帰国でした。
祖父曰く「もう1年冬を越したら命はないと思った」とのこと。
無事に帰ってくるのも奇跡なら、そんなに早く帰国できたのも奇跡。

しかし、その代わりなのだかどうだか。
母の兄(=叔父)が祖父が帰還して、半年もたたないうちに盲腸が悪化した腹膜炎で死亡。
小学四年生だったそう。
祖父がシベリアから奇跡に近い帰還をしたかわりに、叔父は身代わりになったのかなあ・・・とも思いました。

昨日の映画の中で、戦うことで家族を守るという台詞がありました。

亡くなった人の家族は、夫や父が死んだかわりに生き残ったのかもしれないし、
生き残った人は代わりに家族が亡くなったのかもしれませんね。

ところで、うちの母は生まれて100日の時に祖父が出征してしまったため、3歳まで父の顔を見ずに育ちました。
祖父が戻ってきた時に、祖母に
「あの、おじさん、いつになったら帰るの?」と聞いたそう。
祖母が「あれは、あんたのお父さんや」と言うと
「私のお父さんは足がないはずや。あの人は足があるからお父さんと違う。」
と宣ったそうな。(爆)
母は、写真でしか祖父の顔を見たことがなかったので、お父さんといえば足のない人だと思っていたらしいです。
3歳にしては立派な理屈でございますな
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