写真紀行

日々の風景と将来に残したい風景を求めて

室町・春の装い

2015-03-09 14:18:59 | 1019

現在三越本店がある場所は江戸時代に駿河町、コレド室町がある地は瀬戸物町と呼ばれ、商業の中心として栄えました。
慶長8年(1603)徳川家康が江戸に幕府を開いた後、市中の司法・行政を町奉行に任せましたが、実際に町行政を担ったのは三家(奈良家、樽屋、喜多村)の町年寄でした、三家共に家康に従って江戸に移ったた古町町人で、三家は本町(現在の室町)に幕府から屋敷(町年寄役所)を拝領していました。

慶長8年(1603)に家康が江戸に幕府を開いて以降、慶喜の大政奉還まで265年間、徳川家の統治が続いたが、江戸時代中期には人口は100万(町人50万人、武士・僧侶等50万人)と世界最大の都市でありました。
市中の治安維持は北・南町奉行所の各々与力25人、同心120人がその任に当たったが、月番制であった為、北が担当の月には、南は担当した月に受け付けた業務の内部処理を行い、武士・僧侶を除く町人50万人
を与力25人、同心120人で担当しましたが、実際は町奉行ー町年寄ー名主ー月行事(かちぎょうじ)と系統だった支配・管理体制が確立していて、多くのの案件は奉行所に上げられるまでに処理されていました。
(大名・旗本・御家人は老中、大目付が担当、寺社地は寺社奉行担当)

駿河町
徳川家の出自が駿河であり、富士山と江戸城(千代田城)が望めることからつけられたといわれます。


     
                            葛飾北斎「富岳三十六景」江都駿河町三井見世略図(三井越後屋は現在の三越のことです)


      
                   安藤広重「東都名所図絵」駿河町之図        室町から日本橋を望む、右奥に三越本店が見える


井不動産が開発した「コレド室町1」と「2」の間の通りを2万個の桜色のLEDで覆っていました


    

      
  


         


          


福徳神社
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/02_chuou/2002.html

貞観年間(860~876)にはこの地に鎮座していたといわれますが、永い時代の変遷を経て、社はこじんまりとした佇まいでしたが、三井不動産による街区の再開発に伴って社殿が新築されました。
徳川家康をはじめとする歴代将軍も信仰し、二代将軍・秀忠が1614年の正月に参詣した折には、「福徳とはまことにめでたい神号である」と称賛の言葉を残したといわれ、この時、椚(くぬぎ)の木からなる鳥居に若芽が萌え出たことから「別名:芽吹稲荷」と命名された。この由緒にちなんで、新しい社殿の横にはお御籤を結び付ける木として、くぬぎの木を植えている。

    
                                          ビルの谷間に鎮座する福徳神社拝殿


        
                    神社周囲は、現在も再開発中でした      
       
         


            


        
        江戸時代、町年寄であった喜多村家の屋敷があった場所                          再建された一里塚

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