写真紀行

日々の風景と将来に残したい風景を求めて

深川散歩

2011-02-07 22:35:43 | 大江戸の風景

富岡八幡宮
この日は節分に当たり境内には豆も貰う行列ができていました。                  

           
                                                                                                                                     法被姿が粋です

                     
           節分の豆を貰う行列ができていました                 節分祭のポスター

                     
           本殿                                    境内にある「深川めし」の店と当地出身の伊能忠敬像

深川不動堂(成田山新勝寺東京別院)

例祭は8月15日を中心に行われ赤坂日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに「江戸三大祭」の一つに数えられ、現在も脈々とその伝統が引き継がれています。

富岡八幡の隣にある深川不動堂では節分の豆まきが行われており多くの人が詰めかけていました。

        
     下町の風情が残る参道                  本堂は豆まきの人であふれていました                

                     
             豆まきは新設された内仏殿で行われました                       

深川ゑんま堂

寛永6年(1629)開山、本山は奈良県桜井市の長谷寺、江戸三えんま『深川ゑんま堂』として知られています。
本体は地蔵様です。

                     

                         


滝沢馬琴生誕の碑

門仲から清澄通りを進むと江戸時代後期の作家滝沢馬琴の生誕碑がありました、馬琴と言えば「椿説弓張月」、「南総里見八犬伝」が有名です。」

                   

霊巌寺 

寛永元年(1624)に開山した浄土宗の寺院、当初は日本橋付近の芦原を埋めた霊巌島に創建されましたが明暦の大火で延焼、万治元年(1658)に現在地に移転しました。
同寺には11代将軍徳川家斉の元で「寛政の改革」を断行した老中首座松平定信の墓所があります。
                                                     

                                                   

                            
              霊巌寺正門                                   正門脇には松平定信の史跡碑

深川江戸資料館

 江東区白河にある江戸後期(天保)の深川佐賀町を実物大の模型で展示しています、火の見櫓、掘割の猪牙舟、船宿や大店が並び、町木戸の向こう側には長屋が軒を連ねていて往時の庶民の暮らしを偲ばせます。
長屋は商人が表長屋、庶民は裏長屋に住んでいました。
熊さん、八つぁんが出てきそうです。

               
               資料館に向かう道路角に灯篭を模した案内が立っています        

                     
              資料館入口                                館内は吹き抜けとで江戸時代の町屋が現れます

                                  
                                      町内毎に設けられた木戸を入ると長屋が続いています、木戸は夜四つ時
                                   (午後10時)に閉められ町の治安が維持されてました、江戸には1600
                                  ~1700程の町あったと言われ町単位で木戸が設けられ、自身番屋、木戸
                                  番屋が設けられ、町の管理は大家(家守)が行っておりました

                   

                       
            表長屋にある肥料問屋「多田屋」                    両側町の間の通路

                      
            春米屋「上総屋」の店内                          八百屋「八百新」(実物の野菜が並んでいました)

         
 長屋の住まい①                        長屋の住まい②                       台所と竃
          
            
                     
             長屋の住まい③                            長屋の住まい④


                     
            どの家にも神棚がありました                     雪隠(共同便所)と芥溜(ごみ箱)は共用です
                                                  井戸も共同でした

                     
            速度が速く広く使われた猪牙船                     舟屋の看板

                     
            天麩羅やの屋台                            二八そばの屋台
   

          
       寿司屋の屋台                           裏長屋にある職人の家、広さは9尺2間(約4畳半)+土間が標準で
                                        月の家賃は銀五匁(1両の1/12)程でした

深川に縁が深い人の案内がありました。

                 


        
      資料館前に深川飯(あさり飯)の店がりました


都営新宿線菊川駅近くに長谷川平蔵屋敷跡がありました。
長谷川 宣以(通称は平蔵)は延享2年(1745)生まれ、10代将軍家治治世時に火付盗賊改方(長官)を務めた石高1500石の旗本で、時代小説の大家である池波正太郎の「鬼平犯科帳」の主人公としても有名です。
また平蔵の屋敷跡には後年、江戸町(北、南)奉行を務めた遠山景元(通称金四郎)が移り住んでいました。

     
      屋敷跡の表示

 






 

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