木曽路3宿(奈良井・妻籠・馬籠)
江戸時代、日本橋から武蔵・上野・信濃・美濃を経て近江・草津で東海道と合流して京都に至る中山道は東海道とともに江戸と京都を結ぶ街道でした。
しかしながら東海道の53宿(126里)に比べて67宿(139里)と距離が長い上に山道や峠道も多くあって人馬の往来、継立が困難であった事から東海道に比べて利用度は低かったと言われています。
名古屋在勤中、中山道のうちで往時の姿を残していると言われる南木曽道11宿のうち3宿を歩きました。
〝木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。"
藤村の名作「夜明け前」の冒頭です、中山道は信濃路の平坦な道が木曽に入ると山間を貫く嶮しい路となります。
奈良井宿
街道の難関である鳥居峠をひかえて「奈良井千軒」と言われ、木曽路一番の賑わいを見せた町並みは妻籠、馬篭ほど人気度が高くない為か、あまり俗化されておらず往時の面影を色濃く残していました。
奈良井川に沿って続く中山道の両側に町並みが続きます。
JR中央本線奈良井駅脇の表示板 宿場案内図 落ち着いた佇いの町並みです
町中には国指定の重要伝統的建物が並んでおり、町並みは「美しい歴史風土100選」に選定されています
妻籠宿
JR中央本線南木曽駅で下車しました、妻籠宿まではバスの路線がありますが、ハイキングコース(山道)を歩くことにしました。
木曽川に架かる桃介橋(国の重文)を渡りしばらく歩くと細い山道に出ます、その道を歩くこと30分ほどで関西電力読書発電所(国の重文)の脇に出て国道19号線を歩くこと20分程で妻籠宿の大標識が見えました。
国道を逸れて10分程で妻籠宿です。
電線は地下に埋められていて電柱は無く、奈良井宿と共に国の「重要伝統的建物群保存地域」に指定された宿場です。
宿場の佇まいは往時そのままを残していて時代劇のセットと見まごうほどで過去に「座頭市」の撮影にも使われているそうです。
千本格子、連子格子の建物が目立ちます
松代屋は創業180年の旅籠です
妻籠から馬籠へ
妻籠宿から馬籠宿までは9km、路線バスに乗らずに旧道を歩くと3時間かかります、途中に大妻籠、男滝/女滝、馬籠峠と変化に富んだ山道が続きます。
道路脇には道祖神がありました アップした夫婦です 石畳が残っていました
妻籠宿と馬籠宿の間に建つ道しるべ、脇には昔の道標と道祖神が残されています
両宿場の間にあった旅籠
馬籠宿
木曽11宿の最南端に位置しており美濃との国境にあります。
妻籠から旧道を歩くこと約2.5時間、馬籠峠の茶屋で一休みしてから先を目指しました、峠を少し下り国道を渡ってアップダウンの旧道をしばらく行くと馬籠です、宿場の手前に展望台が設けられており深田久弥が選んだ日本百名山のひとつ恵那山(2191m)の全容が望めます。
宿場の入口には高札場があり、馬の背の様な山の斜面に沿った細長い宿場が眼下に見えてきます。
この宿場は敵に対する防備の為、道を直角に曲げた桝形という町造りがされております、また馬籠は島崎藤村の生誕の地としても有名で、宿中には藤村記念館(島崎家本家跡)や本陣、脇本陣が残っていましたが、残念ながら観光地化しており観光客相手の土産物屋や飲食店が並んでいて奈良井、妻籠の様な昔の佇まいは望むべくもありません、この日も観光バスが何台も観光客を送り込んでいました。
帰路はJR中央本線中津川までの路線バスに乗りました。
宿場は坂道の両側に細長く続いています、前方に恵那山が見えます
飲食店、民芸品店が目立ちました 右手に藤村記念館がありました
道は直角に曲がって(桝形)急な階段となります
宿場を裏側から撮りました 秋空の下のコスモスの花 稲の収穫が終わっていました
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます