
鶴岡八幡宮で初詣、人出が多くて参拝まで時間がかかるが、社の佇まいが好きで毎正月に参詣しています。
いつもは藤沢から江ノ電に乗り江の島ー腰越ー鎌倉高校前までの湘南の海沿いを歩くが、今年は初詣と合わせて鎌倉幕府の初代征夷大将軍源頼朝が建てたと言われる永福寺(跡)を見る為、北鎌倉で下車して歩きました。
1月3日、松戸から常磐線ー上野東京ラインー横須賀線を経て北鎌倉まで要した時間は1時間30分でした。
都内近郊の指定地域内であれは終日乗り降り自由の「休日おでかけパス」を購入 北鎌倉駅で下車して鶴岡八幡を目指す
北鎌倉駅前の円覚寺 春秋の週末だけ解放する長寿寺、正月も閉門でした 鎌倉五山第一位の建長寺
建長寺前を過ぎると巨福呂坂切通(洞門) 洞門を過ぎると雪ノ下・鶴岡八幡宮の森が見えてきます
三の鳥居に続く段葛や通行止めとなった車道は参詣客が途絶えず 三の鳥居
源平池に架かる太鼓橋(通行止め)から見た八幡宮
参拝した人は参道左右の出口から出る為、参道はこれからお詣りする人だけが本殿に向かう
初詣客は参道を進むにつれて警察のロープによる人数制限を受けて待機 女性のDJポリスがマニュアルを見ながら本殿に誘導するアナウンスを行っている
ロープ規制を解かれて61段の階段を登り本殿に向かう
本殿に続く門が狭いのが渋滞の原因 階段下でロープ規制中
鎌倉宮
後醍醐天皇の皇子である護良親王を祭神とした神社、武家から天皇中心の社会へ復帰させることを目的とした建武中興に尽力した親王の功を賛えて明治2年(1869)に明治天皇が造営
萩の名所である宝戒寺前を左折 鶴岡八幡宮から徒歩30分、二階堂に建つ
参拝客も少なく、社も素朴な佇まい
永福寺
以下は鎌倉市の案内
ー永福寺は源頼朝により建久3年(1192年)、奥州合戦で亡くなった弟・義経や藤原泰衡ら数万の霊を供養するために建てられた大寺院。応永12年(1405年)の火事で焼失したといわれ、現在は廃寺。発掘調査により本堂、阿弥陀堂、薬師堂の三堂が横に並び、その前面には広い池が作られ、中の島や釣殿がある浄土式庭園を持つ壮大な寺院の遺構が確認されている。現在は、鎌倉時代を代表する遺跡として国の史跡に指定され、史跡を生かした公園として親しまれているー
頼朝は鎌倉に永福寺の他に勝長寿院、鶴岡八幡宮の大寺院を建立したが、鶴岡八幡宮以外の2つは焼失している、なお永福寺は頼朝が平泉の中尊寺の二階大堂のすばらしさに心をうたれ、それを模して建てたと言われ、地名も二階大堂からとっている。
瑞泉寺に行く途中に寺院跡があった
礎石が残されていた
永福寺跡の碑 帰途途中、そば処「段葛・こ寿々」でランチと考えたが行列ができており断念
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