シチリア島パレルモを前夜に出港したMSCメラビリアは、旅行5日目の2月28日午前9時にマルタ島ヴァレッタに入港します。
マルタ共和国
イタリア・シチリア島から南93kmにあり、首都であるヴァレッタは世界遺産に指定されています、人口は約40万人の小国ながらカルタゴ、共和制ローマー時代には地中海貿易で繁栄、その後一時イスラム帝国の支配下に入ったが、それに抵抗して戦ったマルタ騎士団が「マルタ」を有名にしました。
1565年にオスマントルコ軍との戦いの経験から市街地全体が難攻不落の城塞都市として1571年に完成させている、なおヴァレッタの名前は当時のマルタ騎士団長で町の建設に尽くしたジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレットからきているそうです。
日の出は午前6時33分
早起きをしてキャビンのテラスから撮影 ヴァレッタの街が見えてきた、まさに城塞都市
海から侵攻する敵軍を威圧する石造りの要塞
午前8時30分、間もなく接岸です
ヴァレッタ観光は午後1時から、それまでは自由行動、早速下船して港近くを散策
私のキャビンは船首に近い最上階(18F)
町に出るには車で丘に登る必要がある為、港付近を散策してから埠頭の土産物屋をのぞく
埠頭に日本の貨物船が停泊中
乗員1,200名、乗客5,000名を収容する巨大なクルーズ船、現在はピークシーズンでは無い為、船内施設には余裕がある
午後1時過ぎにバスで観光ツアーに出発、市街地は丘の上
ヴァレッタの港が一望できる「アッパーバラッガガーデン」に到着
絵になる風景
海に向かって並んだ砲台の列
観光名所のアッパーバラッガガーデン
首相官邸 国民に人気があると言うムスカット首相
警備員も見当たらず、無防備な首相官邸
首相専用車のアルファロメオ、無造作に官邸脇に置かれていた
聖ヨハネ大聖堂
マルタの観光案内によるとオスマン帝国によってエルサレムやロードス島を追われた騎士団は、1530年神聖ローマ帝国の皇帝カール5世より、キリスト教勢力の防衛線としてマルタ島を与えられます。1565年オスマン帝国の攻撃を退けた騎士団は、一時中断していた街の建設を再開します。それまでの功績と騎士団員の多くが有力貴族の出身者だったことから、騎士団には莫大な寄進が集まりました。その富を背景に、豪華な建物が次々と建設されますが、その1つが聖ヨハネ大聖堂です。
聖ヨハネ大聖堂は、建築家ジェラーロモ・カッサールの設計で1578年に完成しました。外観はシンプルな造りですが、内観はバロック風の絢爛豪華な造りとなっており、当時の騎士団の資金の豊かさが窺えます。
外観は地味な石造り
金色に輝く聖堂内
協会に附属する美術館に飾られたあったカラバッジオの「洗礼者ヨハネの斬首」
どの道も坂を下ると海に至る
騎士の館の庭にあったオレンジの木
騎士団の館
マルタ共和国の政府施設として、現在も利用されているそうです
年代を感じさせる甲冑が並ぶ
写真左下の土産物屋さんで買った「マルタ騎士」(€7.00)
土産物やさん この店でオリーブのオイル漬けとドライトマトのオイル漬けを購入(日本の1/3の価格)
ヴァレッタの中心部
レンガが剥がれた城壁が年代を感じさせます
ヴァレッタ観光終了、バスで船に戻ります 入船時は必ず顔認証のIDカードで照合され、手荷物検査を受けます
MSCメラビリアのブリッジ上部が「ヨットクラブ」専有エリア、16階がバー「TOP SAIL LOUNGE」、その上階がレストラン、私のキャビンも同階に見える
ヴァレッタ観光ツアーから戻ってから、TCのA氏と16Fのヨットクラブのバー「TOP SAIL LOUNGE」で小休止
TCのA氏も〝顔”でラウンジに入り、お勧めのドリンクをオーダー(A氏は昨年就航したMSCメラビリアの処女航海にヨットクラブメンバーとして乗船していてクルーと顔なじみ)
CAP買いました アルコール、ノンアルコールの飲み物をテースティング中
午後5時の出港をバーからお見送り 次の寄港地はスペイン・バルセロナ
今日の夕食は「ヨットクラブ」ではなくツアーの皆さんと船内のステーキハウスで食べたが、当然ながらヨットクラブのレストランとは比べるべくもなかった
午後9時から船内Carousel Loungeで開演される「シルク・ド・ソレイユ・ショー at Sea -VIAGGIO 」-「色の世界への冒険」、「画家の想像の中の旅」を鑑賞(ドリンク+ショーで€15}
最前列に席が確保されていた
旧来のサーカスのイメージだったが、新しい概念のパフォーマンスで時間が経つのを忘れた
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