ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

国交省は原状に回復せよ

2008-03-18 | 花と自然
春爛漫の荒川の土手に土筆を摘みに行った。見当を付けていったのだけど、どうやら見込み違いらしくって、土筆は見つからなかった。もう出ているはずなのだけど。そのかわりに、変なものを見つけた。ススキやオギの河原の一部に近所の誰かが畑を作っている。わずか2-3坪を開いて大根や菜の花などを植えている。家庭菜園を楽しんでいるのだろうか。そこに真新しい立て札が立っていた。


 その立て札には「告 ここは一級河川荒川河川区域です。河川区域内での耕作は原則として河川法によって禁止されています。速やかに係る行為について撤去し、現状を回復してください。 国土交通省荒川上流河川事務所」と書いてある。まるで江戸時代の高札みたいだなと笑いがこみ上げてきた。しかも字が間違えている。「現状」を回復したら、耕作を続けることになってしまう。正しくは「原状を回復」だろうに。

 しかし、そのあとに今度は怒りがこみ上げてきた。それは以下の写真のような「現状」をみてしまったからだ。この立て札のすぐそばで国土交通省がやっているこの「原状」への破壊工作はどうなんだろう。まるで河川を壊してしまうために全力を費やしているようだ。莫大な税金をそそいで自然を破壊し、ささやかな栽培を非道にも押しつぶし、そこに外来種の芝を植える。誰もわれわれの税金でそんなことをして欲しいと言った覚えはない。先ほどの立て札はこの工事現場にこそ立てておきたい。


野に出でて春菜摘む

2008-03-17 | 花と自然

暑さ寒さも彼岸までというけれど、今年は暖かくなる日が早かったような気がする。九州から帰ってくると、関東も春いっぱいの気候だった。上着を脱いでも寒くない。3月の中旬という頃は、まだ三寒四温の時期で急に冷え込むこともあった。今年はどうだろうか。どうやらこのまま春から初夏へと行きそうな気配だが・・・・。

 近くの荒川の土手には写真のようにカラシナの花盛りで、一面真っ黄色に染まり始めている。秋のヒガンバナの真っ赤な色もきれいだが、この時期のカラシナの黄色は春が来た喜びといっしょになってひとしお嬉しいものだ。カラシナは摘んで帰っておしたしにしても美味しい。毎年付近の住民がとって食べているが無くなる気配はない。その他にも、この時期はツクシ、ノビルなど春の菜を摘む楽しみがある。

 しかし、国交省の河川管理事務所がやっている土手の改修工事があるとすべての植物が無くなってしまう。後に残るのは外国産の芝生だけ。このむなしさと怒りを管理事務所の役人たちは判っているのだろうか。

  

困った花咲爺さん

2008-03-15 | 日記風
蝦夷富士と呼ばれている北海道の後志羊蹄山には、コマクサは生えていない。ところが最近コマクサが生えているのが見つかったという。このニュースは北海道の自然愛好家の間に広まった。しかし、どうやらこのコマクサは自然に分布が広がったのではないことがまもなく判明した。どうやら誰かがコマクサを植えたらしい。蝦夷富士といわれる北海道の名山にコマクサが生えているのがふさわしいと考えたのかどうか、わざわざ頂上付近まで運び上げて植えた人がいるらしい。

 最近、この手の人が増えているという。いろんなところに花の種をまき、苗を植えていく。それももともと生えていないような植物を植える。外国の花を植えていく人さえもいる。「国土緑化」運動とか「花いっぱい」運動とかの影響かもしれない。人呼んで「花咲爺さん」。それもどうやら困った花咲爺さんのようだ。それも善意にあふれてこういう事をやっているらしい。しかし、この行為は自然の秩序を混乱に陥れ、生態系を破壊する行為だと知っているのだろうか。

 そういうことを理解していない人がどうやら多いらしい。もっともそれも仕方ない面がある。一昔いや二昔くらい前までは、世間はこういうことを奨励していたのだから。かくいう私も子供の頃にあちこちの原っぱや他人の家の庭に花の種を撒いたことがある。いろんな花を咲かせて町をきれいにしようという小学校のスローガンに乗って、なにか良いことをしようと考えてやったことだった。そういう行為が生態系の攪乱を招くということを知ったのは大人になってからだった。小学校では十和田湖にヒメマスを放流して魚がいなかった十和田湖に魚が棲むようにした和井内貞行という人の好意を英雄のように学んだ覚えがある。しかし、それもいま考えれば昨今のブルーギルやバスを釣りのためにあちこちに放流して歩いている釣り人と同じ事だった。そのおかげで各地の川や湖で日本古来の魚が大絶滅の危機に陥っているらしい。われわれは間違ったことを教えられてきたことになる。学問は進歩するのだから、昔言われていたことが間違っていたということは十分あり得るから、それも仕方ないのかもしれない。

 最近は自然を取り戻すために木を植えようという運動が盛んになってきているが、どんな樹種を植えるかは慎重に専門家の意見を聞いて決めなければかえって逆効果になるということを知らない人が多いのではないだろうか。それが困った「花咲爺さん」があちこちに現れるようになった背景だろう。

 専門家に聞くと、こういう善意の「花咲爺さん」(女性の場合もあるけど)がもっとも始末に悪いとのこと。本人は善意からやっているので説得するのも苦労するという。気をつけないといけない。私もいつ困った「花咲爺さん」になるかわからない。考えてみれば怖いことだ。
もう上着も脱ぎたくなるような暖かさだ。桜(彼岸桜)の花もあちこちで咲いているらしい。

戦争犯罪を反省できずに

2008-03-14 | 政治
国民を天皇主権国家に縛り付けるための治安維持法で敗戦後になってから有罪とされた人たちが名誉回復を求めた横浜事件再審裁判で、最高裁判所はとうとう無罪判決を言い渡すことなく、裁判所の戦争犯罪を隠蔽してしまった。日本の政府権力は、第二次世界大戦に突入した日本の侵略戦争について、いまだに何の反省もしていない。欧米ソによる極東裁判によって戦争犯罪人は断罪されたが、日本人自身の手では結局何も断罪しないままだ。裁判所も結局自分たちの犯罪を断罪し反省する機会を自らの手で葬った。日本の民主主義は一時的な流行でしかなかったということか。

 当時の裁判記録はGHQの戦犯訴追を恐れてすべて証拠隠滅してしまい、どのような理由で有罪とされたかも不明のままだ。そのうえ、横浜事件の被告たちを拷問で4人まで獄死させた特高(特別高等警察)の警察官たちは有罪とされたものの、サンフランシスコ講和条約の特赦で一日も服役しないで釈放されている。徹底的な拷問で多くの無辜の人たちが獄につながれ、無念の日時を過ごしたことを考えると権力の犯罪は、許されるものではない。きちんと裁判所が自らの誤りを認めるべきではなかったか。

 最近顕在化してきた冤罪の数々。検察と裁判官の癒着が有罪率99.9%という恥ずべき記録を残している。そのために警察・検察はいい加減な取り調べで送検・起訴しても、裁判所が有罪にしてくれると信じている。そして冤罪は後を絶たない。いつあなたが警察に逮捕されるかわからない。何もしていなくても、警察が罪を考えてくれる。「それでも私はやっていない・・・」と言っても裁判所は被告の言うことはまともに聞いてくれない。被告の言うことは「信頼するに足りない」と判断し、検察の言うことは「十分信頼できる」のだ。

 そんな中で裁判員制度が始まろうとしている。裁判所のおかしな判決を市民の力で是正できるチャンスだと思う人もいるかもしれないが、大部分の市民は裁判官の判断誘導におそらくそのまま流されると思った方がいい。おそろしい時代が来る。
 
福岡は雨だが、気温は高い。北海道なら真夏だ。

軍隊の本質は暴力

2008-03-12 | 政治
季節がどんどんどんどん移ろっていく。昨日、あることを密かに決めた。それはいずれ皆さんにもお知らせすることになるが、しばらくは秘密にしておきたい。時の流れが加速しているときに、一つの決断をいつまでも暖めておくことも難しいけれども。

 沖縄県知事が防衛大臣らに日米地位協定の見直しを求めるために東京へやってきた。高村外務大臣は地位協定の見直しはできないと無碍に断った。石破防衛大臣は、日米安保条約が片務的な条約であることを認め、全体的な見直しを検討したいと述べた。これは本当にそう言ったのなら、前進ではあるかもしれない。しかし、アメリカ軍に依存し続ける安全保障体制では安保条約はむしろ米軍の意のままになる日本を作り上げることにしかならないだろう。次の言葉が軍隊の本質をよく明らかにしてる。

「あの沖縄の少女レイプ事件のようなことが起きると、決まって米軍の司令官が頭を下げて謝罪しますが、本当は内心喜んでいるんです。私も沖縄で海兵隊の訓練を受けました。それは、ただ『殺せ、殺せ、殺せ』というものです。普通の人間を『殺せる』兵士に訓練することは容易ではありません。徹底的に洗脳し、間化し、殺人者にするのが訓練なのです。沖縄の基地は外から見るとなにか静かで平和に見えるかもしれませんが、中ではそのような訓練が行われているんです。あそこは戦時です。一日の訓練を終え、シャワーを浴び、兵士は夜の町に繰り出します。そのとき暴力を基地に置いていくことはできない。一緒に持っていくのです。兵士はもう人間ではありません。レイプでも殺人でも平気でできるのが『優秀な兵士』です。だからあの司令官は、レイプできるまでなった自分の兵士に満足しているのです。これで戦争の準備が整った、と」(アレン・ネルソン=アメリカのベトナム戦争従軍兵士)

 軍隊の本質は暴力。当然のこのことを人々は忘れがちになる。軍隊で平和を守れない。平和を守るのは非暴力。憲法九条こそ平和を守る。

明日から福岡へ出かける。予報によると明日の福岡の最高気温は20℃とか。暑くなりそうだ。 

税金の電子申告はしたくない

2008-03-11 | 日記風
今年初めて税金の確定申告というのをやった。少し税金を払いすぎていたので返してもらうために。なんとか還付金がもらえそうなので嬉しい。年金や社会保障に使わずに、軍事費や自然破壊の道路、大企業優遇に税金を使う予算案を見ると、税金をもっと返して欲しいと思う。

 今年から、インターネットを使って税金の確定申告が出来るようになったと聞いた。国税局のパンフレットを見ると、e-taxというらしい。しかもe-taxで申告すると税金額から5000円を引いてくれるらしい。私のように還付申告の場合は5000円余計にくれるかもしれないというので、インターネットで確定申告をしてみようと調べてみた。

 国税局のe-taxの宣伝を見ると「e-taxでらくらく」といかにも簡単そうに書いてある。しかし、このe-taxをするためにはいろんな手続きや機械の購入が必要であることがわかった。列挙すると、まずインターネットにつなぐためにパソコンと通信回線への接続が必要。これはインターネットをするための最低条件だからしかたない。次に必要なのは、「電子証明書」の取得。この証明書をもらうためには、「住民基本台帳」に基づく「住民基本台帳ICカード」の発行をしてもらい、電子証明書発行申請書を提出。手数料を支払って電子証明書を手に入れる。続いてこのICカードを読むためのICカードリーダーを電気屋さんで買ってこなければいけない。そこまでの準備が済んだら、ICカードリーダーのドライバーをパソコンにインストールし、さらに電子証明書読み込みのためのソフトウエアー(JAVA実行環境にするJREと公的個人認証サービス利用者クライアントソフト)をインストールする。

 もうこれだけで嫌になってしまうほど複雑だし、お金がかかる。これから国税局のe-taxのホームページに入り、登録をし、ルート証明書をインストールし、開始届出書を提出し、利用者識別番号照会に対応してログインし、さらにICカードを読み込ませ、あれこれ個人情報を入れて、ようやく確定申告の書類を電子的に作成する。これも書類上で鉛筆なめなめ書いても大変な作業をコンピューター上で何度も書き直し行ったり来たりして書かねばならない。源泉徴収票などの証拠書類はまた別のファイルを作らねばならない。それらを結合ファイルにしてようやく保存、送信する。考えただけでもう嫌だ。

 5000円もらったってICカードリーダーを買ったら足が出てしまう。しかし、どうやらこの電子申告のねらいは、「住民基本台帳ICカード」を発行させることにあるのではないか。憲法違反の疑いが濃い「住民基本台帳」制度が始まったが、「住基カード」を発行する人は全体で1%以下という不人気が続いている。これをなんとか発行を増やしたいと電子申告制度を考えたのではないだろうか。しかし、このe-taxをいったいどのくらいの人が利用したのだろう。住基カードの利用は相変わらず増えていないようだから、電子申告制度もあまり利用されてはいないように思える。

 利用者のことを考えたというよりも、役所の都合を考えただけの電子申告制度は、結局みんなにそっぽを向かれるだろう。住民基本台帳制度と同じように。百害あって一利なしの制度が役人のために作られている。

 サンナシ小屋付近なら真夏の気温が、今日は小江戸で観測された。一気に春が進んだようだ。これから春を探しに野山を歩く楽しみが増える。
  

春本番?

2008-03-10 | 日記風
急激に暖かくなったようだ。もう春は本番と思っても良いのだろうか。暑さ寒さも彼岸までというように、まだ少し早いような気がする。でも一斉に花が咲き始めるのを見るのは、本当に心躍るものがある。花だけでなく、地面から草の芽が萌え始めるのは、生命の声を聞くような気がする。

 まだ彼岸までは寒くなるときが来そうな気がするが、とりあえず今は春を心から楽しんでおきたい。今週後半は九州へ出かけるが、あちらはもっと暖かくなっているはずだ。季節の変わり目なのでちょっと体温維持に狂いが生じて鼻風邪をひいたらしい。気をつけて、今晩は早めに寝るとしよう。おやすみなさい。

初めて見たセツブンソウの花

2008-03-09 | 花と自然

暖かい南風が吹いて冬から脱却したと思ったら、もう夏の暑さを心配するほどの変わり様だ。長い間吹き続けていた風も少しだけだが治まってきた。名前と写真では長い間頭に残り続けていた花(春の妖精)の一つ、セツブンソウの自生地を奥秩父の山里に見に行った。

 小鹿野町の堂上というところの雑木林の下にセツブンソウが見事な群落をつくって咲いていた。日本でもセツブンソウの群落としては最大とか。落ち葉の間から可憐な白い花を開いている。遠くからでも白い花がかたまっているのが見えるほどだ。一つ一つの花は思ったよりも小さいが、これだけの群落になるとさすがに圧倒される。初めて実物を見たうれしさについつい写真をいっぱい撮ってきた。多くの人が撮影を主な目的出来ているらしく、大きな三脚と長焦点の望遠レンズを構えている人が目立った。ここにはセツブンソウ以外にもアズマイチゲやニリンソウの自生地でもあるが、まだこれらの花は落ち葉の下でまったく姿を見せていない。アズマイチゲやニリンソウは北海道ではそれほど珍しい植物ではないが、関東ではもうあんまり見ることが無くなってきた植物なのだろう。この場所だけにセツブンソウの花が見られるというのも、開発や杉・檜の植林でいわゆる二次林が無くなってきたのが原因だろう。昔はきっと武蔵野の多くの林で見られたに違いない。

 ここは自生地とはいえ、ロープやフェンスを囲って、自由に見せてはいない。見るのも有料というところが寂しいが、やはり勝手に盗掘していく不心得者がいる以上、このように管理するのも仕方のないことなのだろう。淋しいことではある。

「亡国のイージス」はいらない

2008-03-07 | 政治
海上自衛隊のイージス艦が漁船に衝突して漁船を沈没させ、乗っていた親子二人が行方不明になった。あれからもう2週間もたつが、二人ともいまだ還らない。この事件では、イージス艦が漁船団の中に自動操縦のまま突っ込んでいき、見張りも十分しないままに漁船を蹴散らしたことが明らかになってきた。しかも石破防衛大臣が直ちに航海士をヘリコプターで呼び寄せ、4時間半にわたって事情聴取という名目で事態の収拾をどうするかという協議を続けていたことも、少しずつ明るみに出てきた。

 石破防衛大臣は最初、航海士を呼び寄せて事情を聞いたことも公にせず、隠せないとなってやっと認めるというありさま。大臣と自衛隊の保身を諮ろうと画策していたことをごまかし続けている。福田首相に至ってはまったく他人事のようで、石破大臣には防衛省の改革をやってもらうことが責任の取り方だと辞めさせる気配もない。しかし、これだけおかしな隠し事が次々と明らかになってきた以上、石破大臣は直ちに辞任すべきではないだろうか。それが責任の取り方だ。

 彼に防衛省の改革をやれと言うのは、泥棒に縄をなえというのと同じこと。彼もいっしょに保安庁の捜査をごまかし、どうやって自衛隊の責任をごまかすかを相談した人物が自衛隊の改革など出来るわけがない。

 そもそもイージス艦っていったいなんだろう。今回の「あたご」は他の艦船といっしょにハワイ沖の米軍空母といっしょの合同訓練に参加した帰りだった。そもそもイージス艦とは、航空母艦を護衛する船のこと。日本の自衛隊には航空母艦は無いのになぜイージス艦が自衛隊にあるのか?自衛隊がイージス艦を導入するときの公式の理由では「海上自衛隊がもつすべての護衛艦やヘリコプターなど全体を守るため」としたが、それは表向きのこじつけた理由。本当はアメリカの航空母艦を守るために導入されたものだ。今度のハワイ沖の訓練で対艦ミサイルを迎撃する訓練に成功したと大喜びで報道されていたが、これこそイージス艦「あたご」の本来の役割だったのだろう。米軍航空母艦を守るためのイージス艦だから、日本人の漁船や日本人の女の安全などは視野にない。まさに「亡国のイージス」だ。

 防衛省を改革しよう。最初にやるのは防衛庁に再び降格すること。そして、防衛予算を大幅に削り、基礎年金や医療費に充当すること。ヘリコプター部隊は、過疎地域の病人、けが人、妊産婦、医師や看護師の輸送に使うこと。背広組を大幅に削減すること。制服組も現場の人間以外の上層部を大幅に減員すること。不要な訓練をやめてCO2排出を大幅に減らすこと。アメリカを守る「亡国のイージス艦」はいらない。すべて廃船にすること。ぜひ新しい防衛大臣にやってもらいたいものだ。
明日からどんどん暖かくなるらしい。いよいよ春本番だ。花も咲き始めるだろう。楽しみだ。

武州から奥多摩へ抜ける

2008-03-06 | 花と自然
降りるバス停を間違えて二つほど手前で降りてしまったので、国道をしばらく歩いて名栗温泉の前の林道を棒ノ嶺に向かって登り始めた。この林道を歩いたのはもうずいぶん昔のことだ。今週のハイキングは今冬の初めに登った奥武蔵の棒ノ嶺から尾根を通って奥多摩に抜ける道を選んだ。先週の氷から用心して今回もアイゼンを用意してきたが、林道は雪も氷もなく、まだ花は何も咲いていないが春の日射しを浴びてのんびりと歩いた。

 林道を離れて登山道を登ると尾根に登って岩茸石に出る。ここからは今冬棒ノ嶺に登った覚えのある道を通ってゴンジリ峠に出た。日射しが暖かい。さすがにこのあたりは雪と氷が残っているが、氷が続かないのでアイゼンをつけるのも面倒で、そのまま歩いていくが、やはり斜度の強い道では油断できない。落ち葉が厚くつもっていてもその下は厚い氷があるので、油断すると滑ってしまう。今日は一日で4度ほど滑って危うく転びそうになった。そして3度滑って転倒した。

 先週滑って転んだときに岩角にお尻を打ち付けてしまった。ズボンを探ったがとくに破れた風でもないのでたいしたことはないと思って家に帰ってみたら、太ももの後ろ側に長い亀裂が入っていた。たいして深い傷でもないのでそのままにしたが、まだその傷の痛みが残っている。今日滑ったところはなんともなっていないのでやれやれであるが、滑らないように一歩一歩地面を注意しながら歩いたので、肝心の景色がほとんど頭に残っていない。


 ゴンジリ峠の脇の登山道に、写真のようなレリーフが岩にはめ込まれており「高橋某、ここに眠る」と刻まれていた。ゴンジリ峠で遭難したのだろうか?冬山でも遭難するようなところとは思えないが、滑落ならありうることだ。この碑を見てちょっと気が引き締まった。

ゴンジリ峠からは棒ノ嶺に登らずに尾根を南にとって奥多摩方面に歩く。10分ほどで黒山(842m)の頂上。奥武蔵の杉と檜の陰々とした人工林から奥多摩方面に行くと突然明るくのびやかな尾根が広がる。奥多摩には落葉樹林がまだ多い。しばらく小さな上り下りを繰り返して、逆川ノ丸(841m)を過ぎ、一度大きく降った後、奥多摩登山の初級コースである高水三山のうちの岩茸石山(793m)に登り返す(写真)。


 さらに惣岳山(756m)を登って、あとは奥多摩の御嶽駅にどんどん降っていく。膝が痛くなりそうな下りの道だったが、なんとか膝の痛みを感じる前に御嶽駅にたどり着いた。今日の歩行時間は6時間。帰りは温泉でゆっくり汗を流して帰った。