ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

汗を流しながら かき氷を食べたい

2013-08-21 | 日記風
暑い!とにかく暑い!埼玉県から京都に引っ越してきたのは、何の助けにもならなかったようだ。京都は暑い!

熱中症にならないように、水をがぶ飲みするのだが、その端から汗となって流れていく。こんなときは、かき氷を食べたい! かき氷を食べたくなって、探すんだが、どうもおかしい。かき氷の旗が立っているところを探し当てて、小躍りしていくと、その店(喫茶店)は、室内をガンガンにクーラーを効かせており、しばらくいると寒くなる。そんな寒いところではかき氷など、食べたいとは思わない。入った直後に、すぐにかき氷を注文すると、かき氷がやってくる頃には、とても寒くて食べたくない。それでも食べていると、体が冷え切ってしまう。

どうしてかき氷を売っている店が、あんなに寒くしているのだろう。かき氷は、やはり「」よしず」の立てかけてある店の前の縁台で、汗を流しながら食べるのが、もっともおいしいかき氷の食べ方だろう。なぜそれをしないで、寒くした店の中でかき氷を売るのだろうか。不思議だ。

汗をかきかき、かき氷を食べたい! でも、いまはどこもそんな店がなくなってしまった。寒い店内で、フラッペとかいう高価で寒いだけのものを食べたくない。

にんげんをかえせ

2013-08-13 | 日記風
   ちちをかえせ ははをかえせ
   としよりをかえせ
   こどもをかえせ
 
   わたしをかえせ わたしにつながる
   にんげんをかえせ
 
   にんげんの にんげんのよのあるかぎり
   くずれぬへいわを へいわをかえせ
                峠三吉「原爆詩集」より

68年目の原爆記念日も、猛暑の中に終わった。戦争をしたがっているアベシンゾー首相もメッセージで空疎な言葉を羅列して見せた。私は、その数日前、実に何十年ぶりに映画「ひろしま」を鑑賞した。この映画は、戦後すぐに広島原爆の悲惨さを再現して、ふたたび戦争を繰り返させないという強い思いで作られた。私も子供の頃、この映画を学校の授業の一環として見た覚えがある。とにかく原爆の恐ろしさ、被害の非人間的なむごさなどが、幼い心を強烈に打った事だけを覚えていた。ところが、アメリカの占領政策によってこの映画は、その後日の目を見ないまま、どこかの倉庫で眠り続けていた。アメリカは原爆の悲惨な実態を世界の人に知らせることを拒否した。

あれから何十年も経ってようやく再び日の目を見た「ひろしま」。懐かしさもあったが、最後のシーンに目が釘付けになった。子供の目では何のことか分からなかったのだろう。ほとんど記憶に無いが、ラストシーンは、広島の町からあふれ出る人々の群れが平和公園に向けて集まってくる。彼ら彼女らは、戦争を再び起こそうとする人たちの策動に反対し、二度と戦争をさせないための平和集会に集まろうとしている姿なのだ。広島市で原爆に殺された20万人の人々の魂魄とそしてその後を生きる何十万人という人々の静かな意志が、この映画には描かれていたのだ。再びこの映画「ひろしま」を見て良かったと思う。そして、アメリカと日本政府がこの映画を見せたくなかったことが、よく分かる。軍隊を持ち、アメリカのために戦争をしようという安倍政権の今こそ、この映画が見られるべき時代的な必然性がある。

猛暑に負けずに読書

2013-08-12 | 読書

体温よりも高い気温が毎日のように記録される。以前住んでいた埼玉県も熊谷市が高温で有名だったが、京都はそれ以上かもしれない。幸いにと言って良いのかどうか、まだ40度には達していない。それでも病気の時の体温に匹敵する38度、39度という気温が毎日続くと、もう正常な意識ではいられない。それでもエアコンを使わないで扇風機に頼っている。パソコンも、熱中症と思われる症状がときどき現れる。これ以上酷使すると、すべてがパーになってしまいはせぬかと心配だ。

毎年恒例の下鴨神社で行われる納涼古書市に出かけた。下鴨神社の糺の森は、普段でも巨木の下は涼しいところなのだが、さすがに今年はうだるような暑さだった。それでもたくさんの読書愛好家が遠くからも駆けつけ、熱心に展示された古書に見入っている。手作り市や古道具市、ベジタリアンフェスなどいろいろな店舗が建ち並ぶイベントへ行ってみるが、古書市はこんなに人が大勢いるにもかかわらず、実に静かだ。深閑とした糺の森の古書市は、静かに静かに人々の熱気を吸い込んでいる。

一年に2~3回行われる古書市には、かならず出かけるようにしている。その度に、両手いっぱいの本を抱えて帰る。毎回、1万円から1万5千円くらいの買い物をする。そして、それから次の古書市まで、毎日のように読書が楽しみとなる。ところが、古書市以外にもいろいろ本をいただいたり、本屋で本を求めたりしているし、毎週読む週刊誌、月刊誌をそれぞれほぼ隅から隅まで読んでいるので、古書市で買った本が、次回の古書市まで読み切れなくなってきた。今回も、まだ前回買った本のうち、数冊が読み切れていない。そのためか、今回も多くの本を買ったが、合計は1万円を割り込んだ。1冊500円~1000円の本が多かったようだ。

古書市には、約4-50軒の古書店が出品している。本ばかりでは無く、古文書や浮世絵、昔の絵はがきなどもあり、一つ一つ見ていくととても一日では見きれない。お寺が多い京都の古書市には、経文の類いも多く出品されている。今回も、暑さのためもあって、およそ半数の店しか見ることができなかった。また、秋の古書市を楽しみに、これから本を読む時間をもっと増やせそうだと喜んでいる。