ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

ヒグマの影におびえる山菜採り

2013-04-23 | 花と自然
暑くなったり寒くなったり、今年の春はどうも気候が安定しない。3月に入ったばかりの時に初夏のような陽気になったと思ったら、4月も終わりに近づいた今頃に、まるで冬のような寒さが来る。だいたい暑さ寒さも彼岸までと言われたように、西日本や関東では、春分の日を過ぎれば、よほどのことがなければ寒さに震えることはなかった。気候の異常さは、毎年のように過去の記録にないという事象が起こっていることからも伺われる。これは地球の温暖化なのか、それとも異常気象だけなのか、判断は難しいが、個人的な直感では、どうやら喜ばしいものでは無さそうである。

 久しぶりに道東のサンナシ小屋にやってきた。釧路空港に降り立ったときは、気温が5度前後で、空港の周囲ではまだ多くの残雪が黒ずんで残っている。しかし、道東太平洋岸の冬の特色である抜けるような青空で、気持ちは明るく、寒さもそれほどのこともないように感じる。

 サンナシ小屋へ行く途中、大変なものを見つけてしまった。ヒグマの足跡だ。それも非常に新しい。きっと今朝、もしくはさっきヒグマがこの道を通ったのだろう。ひょっとしたら、われわれの姿を見て、あわててこの足跡を残して逃げていったのかもしれない。ヒグマとのニアミスが起ころうとは、サンナシ小屋を建てて以来考えたこともなかっただけに、この足跡にはショックを受けた。足跡は巨大で、明らかに成獣の足跡だ。一行は、とくに怖じけた風は無かったが、それでもみんな心の中で少しばかり恐ろしくなったのではないだろうか。ヒグマの存在は、去年から言われていたし、昨日もこの近くでシマフクロウの調査をしている人がカメラトラップでヒグマの写真を6頭撮ったと言っていた。それでも「ヒグマね。それはいるかもしれないね」などとうそぶいていたものの、この新鮮な足跡を見ると、恐ろしさが実感となって迫ってきた。1つの足跡の幅は優に20cmを超える。そして、爪の跡が5本、鋭く泥に跡を残している。

 周りには福寿草が黄色の花を一面につけて、美しく咲いている。その周囲にはまるでキャベツ畑のように、薄い緑のフキノトウが一面に茎を伸ばし始めている。そして、それらの周辺では、北海道の人たちがもっとも好む山菜のギョウジャニンニクが緑の葉を伸ばし始めている。ヒグマの足跡を見るまでは、ギョウジャニンニクを夢中で採り、福寿草の花に見とれていたが、いまではそれどころではない。山菜を採りながらも、背後のちょっとした音にもぎくりとする。早々にサンナシ小屋に逃げ込んだ。

 先月の震度5の地震で、サンナシ小屋の家具類のみならず建物そのものも心配だったが、どうやら目覚まし時計が一個棚から落ちて壊れたこと以外は、たいした影響もなかったようだ。もっとも、土台の丸太のうち、さらに一本が腐食し、またまた小屋がやや傾いているようだ。今回はそれを直す時間的余裕がないので、そのままにしておいたが、やがては土台をコンクリート製に直さないと、小屋そのものの存在も危うくなる。もっとも、私が小屋よりも先に死ねば、小屋を修理する必要も無い。誰も直そうと言わず、隣りにあった昔の小屋のように、やがて朽ちていき、小屋の存在も分からないように、草丈に埋もれてしまうだろう。

 サンナシ小屋の名前の由来のサンナシの樹は、健在だった。でもまだ花が咲くには早すぎる。5月末から6月始めにかけて、サンナシの樹は白い花をいっぱいに付ける。その頃は、草原にもシコタンキンポウゲの黄色い花で埋め尽くされる。その頃にも来たいが、そうそう来るわけにもいかない。旅費がかかるのだから。サンナシ小屋から京都は遠くになりすぎた。

 サンナシ小屋で数時間過ごしたあと、あんなに晴れていた空が曇り始め、冷たい雨も降り始めた。あわてて小屋をあとにする。タンチョウヅルが近くで一羽、歩いている。いつもは必ず2羽で歩いているタンチョウヅルも、この巣作りを始める前だけは、一頭で歩いているのを見かける。巣作りの材料を雌雄が別々に探しているのだろう。まもなく、巣に座って卵を温めているつがいのタンチョウヅルをみるようになる。国道に出て温泉を目指して走り始めたとたん、雨は大粒の雪に変わった。そしてみるみるうちに周りを白い世界に変えていった。温泉でのんびりと暖まったあと、帰りの車はたいへんだった。スピードを上げるとスリップが始まる。ハンドルを取られながら、なんとか道路からはみ出さないように気を付けながら帰った。途中、国道から側溝へ落ちた車が何台かあった。この時期の雪はビチャビチャの雪なので、滑りやすい。

 10cmほども積もった雪も翌朝は再び快晴で、雪解け水で道路は冠水状態。変わりやすい異常気象の天候に悩まされながら、再び本州に帰ってきた。帰り着いた京都の夜は、ひょっとしたら北海道よりも寒さがつのる。また、サンナシ小屋へ行ける日が来ることを祈ろう。

信じられない人たち

2013-04-08 | ちょっと一言
加藤登紀子さんのトークショーを聞きに行った。京都の小さな町家で、膝をつき合わせるようなトークだった。ご主人である藤本さんのことなど、個人的な話しも知らなかったことが多くて面白かったが、彼女の語ったことで印象に残ったのは、レイチェル・カーソンの沈黙の春が出版された後、ケネディ大統領はそれを読んで、アメリカ国内での農薬の規制を始めたということ、そして、その翌年以降、アメリカが国内で使われなくなった大量の枯れ葉剤をベトナムの大地に降り注いだと言うことだ。そして、それと同じ事が、アメリカが国内での原発の新設を抑制した後に、日本に原子力の平和利用と称して原発の輸出を強力に進めたことだ。危険なものは外国に押しつける。国内の原発運転で処理に困った放射能汚染物質を劣化ウラン弾に加工して、東洋人やアラブ人に向けて使う。これも同じ考え方なのだろう。そして、障害を持った子供たちが苦しみ続ける。

同じ事を日本がやろうとしている。アメリカのまねだろうか。日本の原発が悲惨な事故を起こして、これから日本では原発は抑制的にせざるを得ないという状況を見て、これからは原発を輸出しようとする。危ないものは日本で作れなくなりそうだから、トルコやベトナム、インドなどの国へ輸出して儲けよう。人間とも思えない人間が金儲けのために、そんなことを考える。本多勝一さんが言うように、相手を人間と見ない心がそういうことを推し進める。原発も原爆も、作るものにとって、被害を受ける人は人間のうちに入っていないのだ。だからそういうことができる。人間が被害を受けると思ったら、そんな行為はできないだろう。原爆やナパーム弾や劣化ウラン弾で焼き殺されるものは、人間では無いと思うから、そういうことができる。

 このフクシマの現実を見ていて、原発を輸出して儲けようという日本人がいること、私には信じられない。そんな政治家がいることも、私には信じられない。おーーー。信じられないことばかりだ。加藤登紀子さんの歌を聴く機会はなかったが、お話を聞きながら、私は信じられない人たちのことを考えていた。

危機一髪の日本

2013-04-05 | 政治
彼岸を過ぎても寒い日が続いていたと思っていたが、4月に入って、今日はいきなり夏日の予想だ。そして、その後はまた冷え込むという予想。いったい気候はどうなってしまったのだろうか。おかしい。やはりおかしい。

東京の桜は、いつもよりずいぶん早く咲いたようだ。京都では、少し早かったようだが(開花宣言は3月22日)、それでもようやく満開を迎えた。満開の時期は平年とあまり変わりないように思う。もっとも私の子供の頃と比べると桜の咲く時期は早くなっている。昔は入学式に満開の桜の下でというのが、普通だった。最近は卒業式にもう桜が咲いている。気候の不順さと温暖化が、地球がおかしくなっていることを実感させられる。

あれから2年が過ぎた。あれとは3月12日の原発事故発生のことだ。ただちに健康に影響が無いという政府の言ったことの本当の意味が、今頃になってそろそろ現れてきたようだ。じわじわと健康に影響が出ている。福島県飯舘村で、事故後も居残って飼育馬を飼い続けてきた人がいる。30頭ほどの馬を飼い続けてきた。もちろん出荷などはできない。しかし、馬を捨てて餓死させることは我慢ならなかった。馬は、餌を与えられ、これまで生き延びてきた。ところが昨年秋以降になって、その馬たちがバタバタと死に始めた。その人は馬の内臓や血液などを検査してもらった。感染症にかかったのかもしれないからだ。しかし、検査の結果は、病気では無い、飢餓でも無いと言うことだった。考えられることは、放射線の影響しかない。この人は、すでに白骨が皮を被っているだけの馬の死体をそのまま保存している。原因を追及して欲しいという思いからだ。次は人間だと誰でも思う。彼もすでに覚悟を決めているという。これから、福島県の人たちに恐ろしいことが始まりそうだ。もっとも、放射線の影響を受けるのは福島県の人だけとは限らない。ホットスポットは日本各地のいろいろなところに見られる。アメリカの西海岸でも甲状腺異常の子供や乳児の増加が報告されている。

 福島県では、2011年の終わり頃に、産婦人科病院の新生児の7人のうち5人に異常が見られたという看護師からの裏情報が知らされた。最近の裏情報でも、高率の異常児出産があること、そして中絶率が非常に高くなっていることが、知らされた。政府が決して発表しない内容である。そして、公的な統計報告では隠される情報だろう。ある地域の70%の新生児に異常があったとしても、福島県全体の統計で見れば、0.001%の差でしか無いことになる。それは誤差の範囲に収まってしまう。ここに統計のウソがある。

3月に福島第一原発で停電があり、1、3、4号機の冷却装置の全電源が失われた。29時間後に、故障した緊急用変圧器を別の変圧器に切り替えることで、ようやく復旧した。それまでの間、炉心や貯蔵燃料プールの水温は、上昇し続けていた。そのままあと2日も冷却できなければ再びメルトダウンが起こる可能性もあった。そしてもしもその間に大きな地震があったら、おそらく日本はもう立ち直れないほどの地獄になるだろう。アベノミクスなどという小手先のごまかしに乗って浮かれている日本人は、明日の死を知らずに栄華にふけるボンペイ市民のようなものだ。

福島第一原発の終息に、政府も東電も全力を挙げるべきである。いや、東電はもう破産させてしまい、政府がすべてを引き受けて処理すべきである。そして、日本のすべての原発を廃炉にし、もちろん外国への輸出なども止めるべきである。事故を起こした国や会社が原発を輸出するなど、不謹慎そのものだ。許せない。国会は、今すぐ日本での原発の製造・販売を禁止する法律を作って欲しい。原子力は、軍事であろうが平和利用であろうが、すべて禁止である。核廃絶は、日本人の心からの願いだ。