ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

暑さの夏を各地で経験

2010-08-31 | 日記風
8月も終わるというのに、猛暑日は治まりそうもない。仕事も手に付かないし、頭はぼーっとしている。スーパーマーケットやデパートや図書館に行けば、エアコンがきいていて涼しいのだが、それも10分もいると体が変調を来す。やはり体には人工的な冷気は良くない。汗にまみれて夏は仕事もしないで呆けているのがもっとも正しい過ごし方なのかもしれない。それでも仕事は次々とやってくる。原稿の締め切りは、なにもしなくても近づいてくる。

 先週末には埼玉県川越市に帰った。京都の部屋よりは少し周りが広々としているせいか、多少風が涼しいような気がしたが、それでも埼玉は名にし負う猛暑地帯。川越からさらに東に向かった。着いたところは茨城県大洗。夕方になると涼しい風が吹いてくる。夜は窓を開けていたら明け方は寒くなるほどだった。同じ関東と言っても埼玉と茨城はずいぶん違うものだ。

 朝早く起きて大洗サンビーチの砂浜を散歩した。ここには広い砂浜ができており、海まで歩いて到達するのがなかなかだ。朝の6時頃だったが、海岸には早くも人が出ていて、子供連れの家族が泳いでいる。波打ち際を歩いていると若い二人連れの女性に声をかけられた。写真を撮って欲しいという。少し話を聞いたら、群馬県から夜中に車で走って明け方ここに着いたという。高校生なのかそれともOLなのか、私服なので分からないが、けばい化粧はしていないので、おかしな若者ではなさそうだ。町に遊びに行くよりも、海で波や砂と遊ぶ若者の方が、やはりずっとすてきだ。

 しかし、朝食を済ませる頃になると太陽は容赦なく照りつけ、暑さはやはり尋常ではない。それでも日陰に入れば京都のような蒸した暑さはなく、風が心地よい。海辺に行き、海水につかると、水の冷たさが心地よい。水温は22-3度くらいだ。汗をかいた体にはこの水温は身が引き締まるように冷たく感じる。泳ぐ準備をしてこなかったので、足を海水に入れる程度だったが、ちょうど足湯で暖まるのと逆に、足を冷やして気持ちよい。頭も冷やしたかったが。

 大洗から高速道路を利用して川越に帰った。ETC装置などを持っていないので、日曜日だったが、正規料金を払って走った。合計2900円。高速1000円が浸透してきたので、ほとんどの車がETC装置をつけているようだ。一般のゲートに入る車は1割程度か。でも、ETC装置をつけようとは思わない。たまの日曜日に車で出かけるのはしばらく無さそうだから、ETC装置を買う金を取り戻すのはかなり先になりそうだ。それにしても民主党政権の高速料金への対応は分かりにくい。マニフェストどおりの無料化が支持されていないなら、高速料金をどうするのか、道路行政全体の見直しを含めて、考え直す努力が見えてこない。菅首相は官僚のいいなりになりそうだから、結局は自民党と同じ政策をやることになるのだろうか。形式的な政治資金規正法違反を理由に、もっとも官僚政治を打破してくれそうな小沢一郎こそ、民主党にとって必要だと思う。でも民主党を支持しているわけではないので、菅首相で自民党のまねをして沈んでいく民主党をみるのも、別にかまわない。もっと本当に国民の生活を大事にする政党が出て欲しい。このままでは暑さはますます蒸し暑くなるばかりだ。

食べるものがない

2010-08-24 | 日記風
暑くて食欲もなくなっているのに、体重は減っていかない。馬肥ゆる秋になったらどうなるのだろうか。心配だ。なにはともあれこの暑さだけはどうにかして欲しい。最近、暑さの中で、石川五右衛門が釜煎りにされたときの熱さや、織田信長に焼き討ちされた比叡山の僧侶や、織田信忠に焼き討ちされた甲州恵林寺の快川和尚の熱さをしきりに思い出す。そう、最近の暑さは、熱さと言った方がいいようだ。

 でもやはり食べることは至上の喜びでもある。生きるために食うか、食うために生きるかといえば、何とも言えないが、働くために食うか、食うために働くかといわれれば、即座に食うために働くと言える。でも私は最近食べるものがあまりなくなってきた。

 まず、私は肉を食べない。菜食主義に近いが、本当の菜食主義とは違って、魚や貝は食べる。むしろ大好物だ。何故肉を食べないかと聞かれたら、仏教徒だからと答えることにしている。この回答は外国で言えば簡単に納得してくれる。モスレムが豚を食べず、ヒンズーが牛を食べないように、仏教徒にとっては獣(四つ足)を食べることは戒律を犯すことになるからだ。でも日本では誰も納得してくれない。私がそんなに信仰が厚いとはとても思えないからだろう。実は、肉を食べないのは、単に肉が嫌いだからにすぎない。

 ではなぜ肉が嫌いになったのか。それはずいぶん昔のこと。給食には滅多に肉は出てこなかった。給食に出る肉と言えば、赤いウサギの肉か大きいが固くて不味い鯨の肉。牛肉や豚肉は一年に一回出てくるかどうかだ。何かお祝い事でもない限り、そのような肉が給食に出てくることはなかった。不味い鯨肉を無理矢理食べさされたことは、アメリカから輸入した豚の餌だった脱脂粉乳のミルクと同じように、私にとってトラウマになっている。

 ある日、友達のうちに遊びに行った。友達の家はと殺業だった。その家でウサギを殺すところをつぶさにみてしまった。それから給食の肉は食べられなくなってしまった。家では肉を食べることはなかった。なぜなら、肉を買うお金はなかったからだ。いっしょに暮らしていた祖父も祖母も肉を食べることは無かった。祖母が亡くなってからは、私たち兄弟が交代で家の炊事を行ったが、肉を食べるという発想はもとから無かった。一日100円で家族5人の3食を用意しなければならなかったからだ。

 肉を食べないから牛乳を飲めと言われていた。しかし、給食の不味いミルクを鼻をつまんで飲んでいた私には、牛乳がおいしいとはとても思えなかった。かくて、乳製品も食べ物のリストから外された。いまでもヨーグルトは食べられない。一度、ホテルの朝食にヨーグルトが出されていたが、トッピングにだまされて一口入れて、吐き出した。イタリアに行ったときには、モッツアレーラチーズがお皿に盛って出された。私は卵料理だとばかり思い込んでその丸くて白いものに噛みついて、思わず吐き出した。ことほどさように肉と乳製品は好きになれない。だからヨーロッパに出かけると食べるものがない。おいしいものはパンだけだ。ヨーロッパやアメリカに行くのはだから気が進まない。

 お酒も私は苦手の一つである。アルコールにはからっきし弱い。どうやら遺伝らしい。親父も酒粕の匂いで顔が赤くなったと言うほどの下戸だったらしい。酒を飲めば心臓が苦しくなるだけで楽しいことは何もない。だいたい酒の席でくだを巻く輩が大嫌いだ。宴会に行くと一刻も早く帰りたくなる。最近はわがままが言える年になったので、アルコールは一切お断りしている。もうかれこれ20年くらい、アルコールは口にしていない。

 その他に私は自分に課したタブーがある。高校生の頃、岡山県を中心にして森永乳業の赤ちゃん用ミルクにヒ素が混入し、多くの赤ん坊が死んだり重篤な症状を示したりした。森永ヒ素ミルク事件だ。この事件への対応を巡って、森永の責任逃れの姿勢に私の正義感が刺激を受けた。それ以来、森永製品はいっさい口にしない。

 また、アメリカのベトナム侵略以来、ハイチやアフガンやイラクなどへの侵略を続けるアメリカへの反感から、アメリカ帝国主義の象徴としてのコカコーラは口にしなくなった。ジュース類の自動販売機でも、コカコーラ社の販売機からは絶対買わない。さらに、イスラエルのパレスチナ侵略やパレスチナの人たちへの容赦ない殺戮を財政面から支えているアメリカ企業のマクドナルド、スターバックスなどの店舗には絶対近寄らないし、食べない。

 さらに、あやしい食品添加物はできるだけ避けたい。ハムを買うにも、発色剤の亜硝酸ナトリウムを使っていないハムを探す。置いていないスーパーが多いのだが、大きいスーパーなら最近は置くようになってきた。その他の食品も、なるべく添加物の少ないものを買うようにしている。

 最近では、好き嫌いの上に脱肉食こそ地球環境にやさしい食事だという思いも強くなって、さらに菜食主義を強めつつある。以上の好き嫌いやタブーを積算したら、私はほとんど食べるものがないということに思い至った。どうやら自分で食料を探してくるか栽培するしかないのかもしれない。時間が許せばそうしたいところだが。いや、やがてはみんながそうせざるをえない日が来るだろう。あと20年もしたら魚はほとんどの種類で食べられなくなると言われている。人間が食べ尽くしたんだぞー、と言われて。マグロやカツオがもうすでにそうなっている。サメもヒレを取るだけのために殺され続けている。少しでも早くそのような贅沢をやめる必要があるだろう。そうそう、私はフカヒレのスープを食べることもやめている。  

秋の風を感じる

2010-08-19 | 日記風
相変わらず暑さは凶暴だ。京都はとくに暑い。もっとも埼玉県も同じように暑い。どうしてこんなに暑いところばかりに住むことになったのだろうか。しかも京都は冬が寒い。やはり住みやすいのは釧路だろうか。暑くても25℃程度だから。冬は冷たいが、寒くはない。

 この夏もエアコンを使わずに過ごしてきた。仕事場は午前中は外よりも部屋の中の方が涼しい。夜の冷気が多少とも残っているからだろう。昼近くになると部屋の中も蒸し風呂のようになるから、少しでも空気が動くことを期待して窓やドアを全開にする。最近の建物はエアコン仕様になっているので、風を通しやすく設計されていない。だから夏になる前からみんながエアコンを使用する。それでさらにヒートアイランド現象が加速する。結局のところ、昔のような風を取り入れる住まいを取り戻さない限り、ますます都会は暑くなり、ますます人は部屋を閉め切ってエアコンに頼る生活になる。

 昼頃になると気温は最高に達し、部屋で扇風機にあたっていても、汗が体中を流れ落ちる。仕事に熱中できているときはそれでもあまり暑いとは感じないこともあるのだが、たいていは暑さで仕事に熱中できない。頭はぼーっとしてしまう。今年は久しぶりに(実に何十年ぶりに?)あせもに悩まされている。子供の頃にあせもが体中にできて、天花粉を塗りたくったことを覚えているが、それ以来なのかもしれない。体のあちこちにあせもができ、かゆい。

 それでも一昨日からあきらかに風が変わったと感じた。午後の3時頃になると微風が吹いてくるのだが、その風がそれまでと違う。気温は変わらず、いや、むしろ高く猛暑日が続いているのだが、たしかに夕方吹いてくる風はそれまでと何か違うことに気がついた。秋風の匂いだ。おそらくエアコン生活をしている人にはこの微妙な違いはまったく気がつかないだろう。気温がとくに低くなったわけではないが、風の肌触りと匂いにかすかな秋の気配を感じることができた。この感覚は心を癒す。どんなに暑くても、秋が来ているという気配を感じること。そこに季節の移ろいと幸せを感じることができる。

秋きぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる
                             藤原 敏行

微笑みと憎悪

2010-08-15 | 読書
微笑
                    峠 三吉

あのとき あなたは 微笑した
あの朝以来 敵も味方も 空襲も火も
かかわりを失い
あれほど欲した 砂糖も米も
もう用がなく
人々の ひしめく群の 戦争の囲みの中から爆じけ出された あなた

終戦のしらせを
のこされた唯一の薬のように かけつけて囁いた
わたしにむかい
あなたは 確かに 微笑した
呻くこともやめた 蛆まみれの体の
睫毛もない 瞼のすきに
人間のわたしを 遠く置き
いとしむように湛えた
ほほえみの かげ

むせぶようにたちこめた膿のにおいのなかで
憎むこと 怒ることをも奪われはてた あなたの
にんげんにおくった 最後の微笑

そのしずかな微笑は
わたしの内部に切なく装填され
三年 五年 圧力を増し
再びおし返してきた戦争への力と
抵抗を失ってゆく人々にむかい
いま 爆発しそうだ

あなたのくれた
その微笑をまで憎悪しそうな 烈しさで
おお いま
爆発しそうだ!


原爆症で死んだ峠三吉の残した言葉の数々は、いまも鋭く私たちを刺す。戦争への力はいまも強く、抵抗を失う人はいまも増え続ける。 今日、敗戦の日。そして解放の日。

体質が変わると言うこと

2010-08-13 | 日記風
ある日突然、体質が変わると言うことがあるらしい。話に聴いたことはあったが、信じてはいなかった。しかし、自分がそうなるとは思わなかった。

 私はこれまで食べ物にあたってアレルギー反応を示したことはほとんど記憶にない。おそらく一度もなかったのではないか。食べ物だけではない。薬物への過敏な反応もあまりなかった。風邪をひいて医者が注射をする際も、手術や麻酔手術のときも、なんどもこれまでのアレルギー反応があるかどうかを聞かれる。もちろんいつも回答は「ノー」であった。よくある昆虫アレルギーもほとんどない。蚊に刺されても、一時的に腫れることはあったが、30分もすればかゆみも腫れも無くなるというのがほとんどこれまでの経験だった。そう言う意味では、みんなにうらやましがられたものだ。血も涙もないからだとか、虫もいやがる奴とか、いろいろ言われたが、それらは昆虫アレルギーを持った周りの人のうらやみと悔しさからだろうと、鷹揚に構えていた。

 ところが変わったのである。驚くような変化が起こった。けっしてうれしいことではないのだが。今年の4月にフィリピンでアレルギー反応が出た。この日は、熱帯の果物の王様と女王様と言われるマンゴスチンとドリアンを食べた。食べたといっても、ドリアンはあの臭いとチーズのような食べ心地にすぐに止めてしまい、食べたのは小さめの握り拳ていどの量だったが、あの味と臭いの強烈さから、アレルギー反応を起こしたのはドリアンだったと信じている。マンゴスチンはまあまあ美味しかったので、5-6個、いや10個くらいは食べたかもしれない。でもマンゴスチンは一個の食べる量はあまり多くない。マンゴスチンでアレルギーが出ることはないよと地元の人たちが言ってくれた。逆に言うと、ドリアンならアレルギー反応を起こす人がいると言うことではないか。

 ところがあれ以来、どうも体質が変わったように思う。今も4日前に瀬戸内海に面した小都市の藪で刺された蚊の跡が腫れて、夜も眠りながらかゆみに耐えるという状態なのだ。そんな経験はこれまであまりなかったから、とてもつらい。心配なのは、体質が変わってアレルギー反応を出しやすくなったとしたら、薬物へのアレルギー反応も過敏になったのかもしれないと言うことだ。風邪薬の注射でアレルギー反応を出してしまったら、健康上支障があるかもしれない。医者の事前の問診にどう答えたらいいのだろうか。体質が変わったというのも、確かな医学的証拠があるわけではないが、自分ではそう信じるに足るような現象がある。もっともそれも単なる思い過ごしかもしれないのだが。それとも年を取るとそう言うことが多くの人に起こっているのだろうか。

 こんな経験は普通にあるのだろうか。体質が急に変わるというようなことが。みんなに聞いてみたい。

今更ながら京都の暑さ

2010-08-12 | 日記風
瀬戸内海に面した地方都市にやってきた。最高気温は京都と変わらないけれど、その暑さはずっとしのぎやすい。都会の熱気は高い湿度を伴っているが、ここの街では海風がここちよい。日向に出れば暑さは相当なものだが、日陰に入れば風が心地よい涼しさを運んでくれる。しかも夜は冷え冷えとして裸同然で寝ていると朝方には寒さで目が覚めるほどだ。やはり都会の暑さは、気温で示される以上の何かがあるにちがいない。

 そして京都に帰ってくると、やはり暑い。昨夜は台風の影響で目が覚めるほどの大きな音で雨が降っていた。今日も一日雨模様だ。最近の雨はなぜか豪雨が多い。世の中の動きに合わせて、雨も風情を失ったのだろうか。台風一過で涼しくなると良いのだが、天気予報ではむしろ暑くなると出ている。早く夏が過ぎて欲しい。昔の夏の恋しさはいったいどこへ行ったのだろうか。いや、瀬戸内の小都市なら今もそれほど暑くはない。気温は猛暑日でも、木陰にいれば風が気持ちよい。風もけっして熱風ではない。海を渡る涼風が吹く。盆地の京都市内ではどうしても暑くなってしまうのだろう。こんな都市に平安時代に首都を作ったのはどうしてだろうか。1000年前はきっともっと涼しくて住みやすかったのだろう。

天国から地獄へ

2010-08-06 | 日記風
しばらく夏の暑さを避けて、北海道の釧路周辺にいた。全国的に酷暑が続いている中で、道東の涼しさ、いや寒さは、まるで天国のようだ。しかし、仕事を持つ身では、いつまでも北海道に滞在するわけにはいかない。一週間ぶりに京都に帰ってきた。まるで炎熱地獄だ。入獄する囚人のように、うちしおれてとぼとぼと京都に帰ってきた。この暑さは耐え難い。食欲も失せる。楽しみは、かき氷やアイスキャンデーを食べるくらい。道東ではとてもアイスキャンデーを食べようとは思わなかった。長袖は離せないし、夜は冬用の夜具を着て寝てちょうどいいくらいだから。京都では、布団もいらない。

 これから一ヶ月以上、この暑さに耐えて生きていかねばならないと思うと、本当につらい。エアコンを使わずに生活できるだろうかと心配になる。軽度の熱中症で苦しんだ一昨年の夏を思い出す。あの二の舞が今年も繰り返すことになるのだろうか。対策として考えているのは、保冷剤を首や頭にあててなんとかしのぐことくらいだ。涼しいところへ出かけられればいいのだが、近くで涼しいところを探す必要がある。エアコンの無い涼しいところは、近くではなかなか思いつかない。雷雨注意報がときどき出るが、こうなったら雷を伴う夕立は大歓迎だ。雷注意報ではなく、雷期待予想を出して欲しいくらいだ。

 それにしても異常な暑さだ。毎年のように今年は異常だという言葉を聞いているような気がする。異常さがさらに増加しているのだろうか。だとするとそれはいったい何のせいだろうか。人間の活動以外に思い当たる節はない。 今年はまた台風の発生が無いという。それも異常だ。フィリピンの東方沖の海水温が異常に高くなっていると言うが、それでも台風が発生しないのは不思議だ。ひょっとするとこれから猛烈に台風が次々と発生するのかもしれない。嵐の前の静けさかも。いずれにしてもあまり良いことはなさそうだ。

 日本は2010年までにCO2の排出量を25%削減すると鳩山前首相は見得を切った。それは政権交代した日本を希望を持って見つめることができた一つの出来事だった。しかし、菅首相はいっさいそのような希望を持たせる言葉を言わない。異常気象はこれからも毎年人々の暮らしに牙をむいて襲ってくるようになるのだろう。