ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

沖縄人の覚悟

2012-09-26 | 政治
今年7月1日に、沖縄県知事は米軍がオスプレイを沖縄に強行配備するようなら全基地を閉鎖することになると、オスプレイの配備を沖縄県抜きで強行しようとする米軍と日本政府に強い調子で不快感を表明した。知事が沖縄の全基地閉鎖を口の端に上げることなど、これまでの沖縄県では考えることもできなかっただけに、沖縄の人たちのオスプレイ配備反対の気持ちは強烈であることがわかる。これまで沖縄のすべての県市町村議会でオスプレイ配備反対の意見書が可決されている。それも意見書に反対の議員はほとんどいなかった。自民党沖縄支部でも全員がオスプレイ配備強行に反対している。ということは、すべての沖縄市町村および県の議員はオスプレイ配備強行に反対していることになる。

 それでもなお、日本政府は米軍のオスプレイ事故調査の結果を信じて、オスプレイの沖縄配備と日本各地でのテスト飛行を容認してしまった。オスプレイの機体には問題はない、というのが安全宣言につながった。原発の安全宣言と同じように、なんの根拠もない安全宣言だ。機体に問題はないならなぜあんなにオスプレイは落ちるのか。操縦士が誤った操縦をしたから事故が起きたというなら、それはけっして安全とは言えない。操縦士は決して間違わないとは言えないのだから。操縦士が間違っても機体は安全に下りられるというのなら、安全と言えるのだろうけど、実際に何度も事故を起こしている以上、安全と言うことはできない。

 沖縄の人たちは、10万人を超える過去最大の県民集会でオスプレイ配備反対を表明した。それでも日本政府はオスプレイを今月末に沖縄に配備させるという。これは沖縄への差別だと沖縄の人たちは思っている。オスプレイだけの問題ではないと沖縄の人たちが気づいたのだ。

 今日から沖縄で、今月末のオスプレイを実力で阻止するために宜野湾市の普天間基地ゲート前に座り込みを始めた。そしてこう呼びかけている。すべての県と市町村議会議員たちは覚悟を決めてゲート前で座り込もう。65歳から75歳の人たちは、逮捕覚悟で座り込もう。実力でも阻止すると。そして、沖縄の留置場を沖縄県と市町村の議員でいっぱいにしようと。そうなれば、日本政府と米軍は、世界に恥をさらすことになるだろう。

 彼らの決意と覚悟を知ったとき、領土問題で危機を煽り米軍の意のままに沖縄の人たちを危険な目に会わせて平気でいられる自民党総裁候補の醜い5人の顔が、ことさらこの世の人間とは思えなくなる。沖縄を差別し続け、日米同盟とちっぽけな無人島が国民の安全よりも大事だという妖怪たちよ、消えて無くなれ。

規制委員会はムラの人

2012-09-20 | 政治
昨日、国会の承認も得ないで、原子力規制委員会と規制庁が発足した。国会が終わるのを待って、この人事を強行した野田内閣の違法性は、明らかだろう。規制委員会の田中俊一氏は、かつて原子力安全委員会の副委員長をしていたれっきとした原子力ムラの住人だ。他の委員もムラの住民だった人が二人ほど含まれているようだ。事務局を勤める規制庁の8割くらいの職員が、原子力ムラの一員とされてきた原子力安全・保安院の職員がそのまま流れ込んでいる。これが原子力ムラの延長でないという保証は、誰もできない。

 昨日の規制庁発足での田中俊一委員長の話をテレビで聞いていて、びっくりした。規制庁と規制委員会の最大の責務は、原子力行政への信頼を取り戻すことだと言っている。田中俊一氏は、原子力ムラの人間だったが、3.11の原発事件(事故ではないと主張している人に賛同して)のあと、これまでの原発安全神話を作り上げてきた15人の人々と共に、反省の声明を出したことで知られている。野田内閣が新しい規制委員会の委員長に田中氏を選んだのには、反省の声明を出したことが評価され、いわゆる原子力ムラの人間とはもはや考えないというのが、人事案の理由になっていた。しかし、昨日のこの言葉を聞いた時、私はやはり彼は原子力ムラの人間であることを確信した。

 これまでの原子力安全委員会や原子力安全・保安院などと違うはずの原子力規制委員会の委員長が、「原子力の(平和)利用」を前提とした原子力行政の信頼を取り戻すことを目的とすると述べたことは、はからずも彼のムラ体質を見せてしまった。規制委員会のやることは、原子力行政の信頼を回復することではなく、原子力の脅威から国民を守ることでなければならない。そのためには、原子力行政の信頼などない方が良いのだ。彼はそれがわかっていない。いや、おそらく規制庁の職員もまったくわかっていない。未だに原子力の「平和」利用(原発)を実行することを前提と考えている。

 その彼らの考えを認めたのが、野田内閣の、原発ゼロを可能にするという戦略であり、しかもそれさえも閣議決定から外すという欺瞞に満ちた政策である。民主党の野田政権は、ウソにウソを重ねた政権だったが、しかし、だからといって自民党は総裁に立候補している全員が原発推進だ。これまでの自民党政権がやってきた原発推進政策が福島の事件を招いてしまったことの反省などどこにもない輩ばかりだ。民主党がダメだからといって、自民党に票がいくと、それまでの原発推進政策がまたぞろ戻ってきてしまう。自民党政権が復活したら、再び国民の命は切り捨てられるだろう。


 

原発ゼロへの道

2012-09-13 | 政治
民主党が、新エネルギー政策の大枠を発表した。民主党は当初2030年に原発による電力を15%程度とすることでなんとかごまかそうとしていたが、パブリックコメントを寄せた人々の8割から9割が原発ゼロを選択したことから、今後「近いうちに」予定されている衆議院の解散総選挙で、民主党のこれ以上の没落をなんとか避けたいために、1930年の原発ゼロを「1930年代に」原発ゼロにする努力をす
るというごまかしに近い言葉を入れながらも、原発ゼロにするという言葉を入れざるを得なかった。

民主党のエネルギー戦略会議がまとめた政策原案では、同時に新しい原発の建設や増設は認めないとした。これで、山口県上関原発を新設することが事実上、中止になったと行って良いだろう。これは朗報である。中国電力は、ただちに上関原発建設を断念したという発表をして欲しい。奇跡の海と言われた上関周辺の海域が、徹底的な環境破壊から免れることができた。瀬戸内海の息の根も止まらず
にすんだ。やれやれだ。よかったなあ。

しかし、本当に安心できるのだろうか。これまで政治にはさんざん騙されてきたのだ。しかも野田政権は、これまでの民主党の選挙公約を次から次へとかなぐり捨ててきた政権なのだ。とても安心できるものではない。八ッ場ダム一つ見ても、政権獲得時に八ッ場ダム建設中止を掲げながら、いつの間にかダムは造られ続けることになった。もう野田政権が何を言っても誰も信用しない。きっとまた選挙民を裏切るだろうから。

まして民主党政権は、もはや風前の灯火である。今年の秋にも衆議院が解散したら、民主党は野党に戻るだけである。そして、自民党がもし第一党になったりすると、自公政権が復活しかねない。そうなると、原発ゼロの政策は、あっというまに元の木阿弥になるだろう。上関原発も復活するかも知れない。自民党は言うことが信用できるが、言うことは経済界とアメリカの意向を汲んだ国民弾圧と収
奪の路線だけだ。

瀬戸内海に原発を作らさないためには、緑の党、社民党、共産党などに期待するしかない。「国民の生活が第一」や、「新党きづな」などの政党も、原発反対の姿勢を示せば、戦術的にはいっしょに選挙を戦うことができるだろう。「維新の会」は、たとえ反原発を言ったとしても、いっしょにやることはできない。彼らは消費税増税路線、自己責任路線であり、TPP参加により、アメリカの利益を追求する新自由主義路線なのだから。きっと政権を取れば原発も必要と言い出すに違いない。橋下某の言うことは、野田以上にあやふやだし、しょっちゅう言うことが変わる。まったく信用はできない。

永山則夫の「無知の涙」を読んで

2012-09-10 | 読書
連続射殺魔事件として騒がれた永山則夫死刑囚が死刑執行されて15年が過ぎた今頃になって、なぜか永山則夫の著書「無知の涙」を読んだ。この本も、実は10年くらい前に買ったまま、2-3ページを開いただけで、本棚の隅でほこりをかぶっていたものだ。読もうと思って買ったのだが、最初のページの彼の詩とも何とも言えないものを読んで、一気に読む気を失ってしまったことを、かすかに覚えている。今回も、読み始めてしばらくは、同じような失望感を抱きながら読み進めた。

 その失望感は、おそらく作家としても名前が知られた永山則夫の文章に過大の期待を抱いたからに他ならない。それが分かったのは、彼の生い立ちを彼自身の文章から見いだしたからだ。永山則夫は、小学校も中学校もあまりろくに行っていない。高等学校も形だけは入学したのだけれど、ほとんど行くこともなく止めてしまった。その彼が、連続殺人を犯して捕まり、拘置所の中で書き始めた文章や詩が、稚拙で文法もおかしく、意味をなさない文章が多いのは、不思議でもない。

 しかし、彼の詩や散文を、日を追って読み進めるうちに、徐々に彼の文章にいのちが吹き込まれ、生き生きとした表現が見られるようになっていく。この本を読み終わる頃には、永山則夫の文章は、もはや小学校も満足に出ていない人の文章とはとても思えないようになっている。そればかりではない。その内容も、急速な進歩を示している。その大きな理由は、彼の読書力によるものだ。刑死を近い将来の自分の運命と見定めた生活で、彼の読書への努力、とくに哲学に関する読書は並々ならぬものがあった。3ヶ月以上も拘置所の運動時間に広場へ出ることも拒否して、マルクスの資本論全8巻を読み通し、カント、ヘーゲルを読み、そして詩作を続ける。

 永山則夫は、彼自身が無知であったことがこのような犯罪を犯した原因であるとは決して言わない。ただ、無知こそ自分をこのような境遇に陥れた世の中への対応を誤らせたと、強く反省している。貧乏こそすべての悪の温床であり、そして資本主義が続く限りこのような犯罪はけっして無くならないと喝破している。資本主義を倒す革命こそ、今必要であり、テロリズムも必要であると考えた。ただ、自分は無知だったために、テロの対象に罪もない人を殺してしまったことを悔いているのである。彼の本には、天皇制を倒さねばならないこと、それには武力も必要であることなども書き、東アジア反日武装戦線の天皇暗殺未遂事件とも、ほぼ同じ頃に同じ考えに至っているが、彼はその時すでに獄中で刑死する運命にあった。1997年、彼は多くの死刑囚の中から選ばれて絞首台に上ったが、それは彼の天皇制への言及が、法務官僚の死刑囚を選ぶメガネにかなったのかも知れない。

 わずか1年余の短い獄中生活で、これほどの勉強をして、知識と哲学を身につけて、自らの殺人の原因を社会的にも掘り下げていった永山則夫の進歩に驚嘆するばかりである。もっともっと前にこの本を読んでおけば良かったと、今更ながら後悔している。ところで、永山則夫が考えた社会の変革は、はたしてどのようになったのだろうか。永山死刑囚の資本主義は必ず社会主義に変革されるという信念は、残念ながら逆の方向に進んでいる。それは何故なのだろうか。社会主義がまちがっていたとは私には思えない。社会主義が官僚主義を克服できなかったことは、その通りであるが、資本主義が大手を振る世になるとは思いもしなかった。なぜだろうか。それは、永山則夫が指摘したような、貧乏大衆が無知から知識を付けた人民に変わることがなかったことによるのだろう。まさに無知の涙を、今も多くの貧困層に流させている。むしろ永山則夫のような読書によって勉強する人民は、いなくなってしまった。これは技術の進歩によるのか、それとも狡猾な新資本主義の策略なのか。無知こそ貧困人民が克服すべき課題であることは、永山則夫が指摘して以来、いまも厳然とした事実である。でも、無知な大衆が増え続けている現状。喜ぶのは搾取階級の人間だけだろうか。

 秋葉原事件など、理由の分からない若者の殺人事件が頻発するようになった。でも、この原因は、マスコミがあれこれと興味半分に言及しているが、原因ははっきりしている。永山則夫の犯罪が、今も続いているということなのだ。貧困こそ、理由の分からない犯罪の本当の理由なのだ。そして、貧困はますます増えてきている。それは、コイズミがアメリカの新資本主義路線に沿って日本を作り替えたことの必然的な結果として、起こっている。そして、無知な大衆は、まったく同じ路線を進んでいる橋下「維新の会」を大手を広げて歓迎している。彼らこそ、貧困大衆の真の敵であることを知らずに。無知はやはり地獄への道である。


それぞれのパワースポット

2012-09-05 | 日記風

 北海道の阿寒湖で、遊覧船に乗って、パワースポットとして近年若者の間で人気を呼んでいるというチュウルイ島へ出かけた。チュウルイ島の周辺はマリモの群生地としてもよく知られており、小さな島には小さなマリモの博物館がある。桟橋に大型の遊覧船が横付けになり、そこから10mも歩いて博物館に入る。マリモの勉強をして、飼育中のマリモを見て出てくると、島を全部歩いてまわることができるほどの小さな島だ。この島にパワースポットがあるという。近頃の観光は、名所旧跡よりもパワースポットがあることの方が観光客を呼ぶことができるらしい。でも、いったい誰がパワースポットを決めるのだろうか。あやしい。

 阿寒湖の温泉街でも、シャッター街よろしく締め切った商店が目立つ。ホテルも閉館したものがあり、阿寒湖の観光も少しずつ厳しさが感じられる。町並みも少し寂しくなったような気がする。阿寒湖は平成の大合併で釧路市と合併し、阿寒湖も釧路市になってしまった。でも、ここが釧路市とは思えない。ただ、観光情報センターの立派な建物が、釧路市になったことを誇示している。このセンターで、昔なじみに出会った。ここに勤めているらしい。自然を観光の対象として、エコツアーをガイドしている。彼女にもっとも似合った仕事のようで、実に生き生きと働いているようで、見ていてうれしかった。何事もやりたいことがやれる仕事に就くのが、もっとも幸福なのだろう。今の自分に引き比べて、実にうらやましい。

 弟子屈では、私の大好きな喫茶店「三城」に行き、コーヒーを飲んだ。この喫茶店は、これまでいろんなところの喫茶店に行ったが、その中でももっとも気に入っている。客席は、6人用のテーブルが一つ、4人用のテーブルが一つ、2人用のテーブルが一つの3つだけ、あとはカウンター席に4人程度が座れるくらいなのだが、部屋全体は広々としており、天井も高い。部屋には、グランドピアノが置いてあり、巨大な振り子時計があり、出窓には様々な花や調度品が置いてある。調度品は、古い時代の理化学機械を、いかにもアート風に飾っている。和室も横にあり、客は入れないが、そこには豪華な花嫁衣装が掛けてある。外観は西洋のお城のようで、周りには美しい花畑が建物に似合った風情で作られている。

 喫茶店を経営しているのは、美人のママさん。ご主人もときどき店を手伝っている。ご主人の趣味とする絵が飾られているが、この絵がまた私の大好きな絵なのだ。弟子屈に来るたびにこの店には寄っている。毎年ご主人の新しい絵が掛けられるのを楽しみにしている。ご主人がいるときは、絵の話を伺うのも楽しみだ。コーヒーの値段は500円とちょっと高めだが、味も雰囲気もすばらしく良いし、チョコレートやお菓子、時には朝取りのトウモロコシを茹でてくれたり、コーヒー以外のサービスも至れり尽くせりだ。500円だけで良いのかと心配になるほどである。最近、開店が午後からになったので、行こうとする人は注意が必要。閉店も5時と早い。昔は阿寒付近の山に登る時には、帰りにここによってコーヒーを飲んで帰途についたものだったが、最近は北海道へ来ることも少なくなり、ちょっと残念だ。ここは、わたしにとってのパワースポットでもある。