ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

辺野古へ土砂を投入するな

2018-12-13 | 南の海
何度も何度も辺野古の米軍基地の新設に反対の意向を示してきた沖縄県の人たち。しかし、どこからみても違法と思われるやり方で、基地建設でアメリカの機嫌をとろうとする安倍政権。日本の土地と独立をアメリカに売り渡して、自らの保身を計るアベシンゾウ。どうしても明日、辺野古に土砂を投入するのだろうか。許せない売国行為。辺野古・大浦湾の海は絶滅危惧種のジュゴンの生活場所だった。その他にも極めて多くの海の生き物が棲んでおり、沖縄島でも数少ないサンゴ礁の残ったところでもある。生物多様性の高い海。それもこれもみんな埋め立てられたらおしまいだ。沖縄県民の、いや日本国民の貴重な資産が永久に失われる。埋立をやめよ。基地はいらない。米軍は占領政策を止めて、日本に主権を返せ。戦争を企む安倍政権は、アメリカに行け。

南の海は平和だ ジュゴンに再会

2014-02-28 | 南の海
ジュゴンをまた見たいと、フィリピンのミンダナオ島を再び訪れた。再びと言っても、もう10回以上は来ている。今回は昨年の2月末以来、ちょうど1年目。昨年と順番を違えて、まずは、東ダバオ州の州都Mati市に行く。ここのプハダ湾でもう一度ジュゴンを見たいと言うのが、今年の願いの一つだった。一日ボートを借り切って、プハダ湾口にある島の周りを重点的に見て回った。湾口には二つの島がある。大きい島と小さい島だ。小さい島に最初行った。島の周りをゆっくりと回り、海草が生えているところ、ジュゴンの食べ跡があるところを探して進む。しかし、どうやらあまり良い場所はなさそうだ。

 今度は大きい島の周りを進む。島の西側から南へ回る。西側には海草の藻場が広がっているが、ジュゴンの食べ跡はあまりない。島の南側に、砂だけでできている島がある。「象牙の島」Ivory islandと呼ばれている。流れによって砂が寄せられて陸地を造ったのだろう。砂が堆積したり流失したりしながら存在している島なのだろう。椰子の木の一本も生えていない。観光客がたまに船を寄せるくらいらしい。2-3人の人影が見えた。大きく回り込んで東側にやってきたとき、目の前にジュゴンが現れた。ジュゴンは何度も見ているが、こんな近くでジュゴンを見たのは初めてだ。続けて2頭、合計3頭が水面に体の前半を現わした。一緒に船に乗っていた地元の保護管も、きゃーわーと大騒ぎ。聞くと、彼女もジュゴンを見たことは初めてだという。地元の人も漁師以外はほとんどジュゴンを見たこともないし、知らない人さえいる。はるばる遠くまで見に来たかいがあったというものだ。

 もっとも写真を撮る暇などはありはしない。ジュゴンは現れたら、すぐに潜ってしまう。しばらく待っていたが、ついにその後は現れなかった。この島の周辺では、4年前にも7頭のジュゴンが群れて次々に湾内に入ってくるところを見たことがある。そのときとほぼ同じところで見たことになる。ここはジュゴンの通り道のようだ。食事をするところでは無いらしい。なぜなら食べ跡のある海草の藻場がこのあたりには見つからないからだ。

 それから湾口の東海岸に寄り、少し北へ行ったところで、ジュゴンの食べ跡をたくさん発見した。プハダ湾でのジュゴンを見る試みは今回もうまくいった。一緒に行ってもジュゴンを見ないままの人もいるけど、私はいつもジュゴンをちゃんと見ることができる。ジュゴンが寄ってくると言われている。そんな気もしないでも無いほど、私は運が良い。


長~いジュゴンの食べ跡を見つけた

南の海にジュゴンを見に行く

2013-03-26 | 南の海
しばらくブログの更新ができなかった。2月末からフィリピンへ10日間ほど出かけていた。今年もミンダナオでジュゴンを見る旅をした。ジュゴンもすぐに現れてくれたが、現地の人に聞くと、ジュゴンも少なくなっているという。私たちが危惧したように、陸上のバナナのプランテーションの拡大が、深刻な影響を海に与えている。それは一目見ればわかる。海が濁ってしまっている。日本の近海のように赤潮の汚れなどではない。土壌が海に流れ込んでいるせいで、透明度が極端に落ちている。いつもジュゴンを見ているところの透明度は、ここに来始めた10年前頃には、20mは十分あった。ところが今では、2-3mにまで落ちている。ジュゴンの餌の海草は、これでは衰退するばかりだ。ジュゴンの絶滅もそう遠くないかもしれない。



 もう一ヶ所、ジュゴンを見に行った。そこの湾には海草が繁茂しており、ジュゴンの生息も問題無さそうだった。でもわれわれの前には姿を見せてくれなかった。その方が、ジュゴンにとっては良いことなのかもしれない。あおい海、海底までよく見える透き通った水、これこそジュゴンと海草が喜ぶ海だ。ジュゴンが無事子供を育てる環境が永遠に続きますように。

ジュゴンの食べ跡があちこちに見られる。潜水してジュゴンの食べ跡をみる。 -->

南の海が心を癒やす

2012-12-19 | 南の海
 1週間ほど、タイのリゾート地プーケットに出かけていた。仕事だったのだが、ついでに少しリゾート気分を味わうことができた。寒い京都を離れ、あまり暑くもなく寒くも無いプーケットで涼しい夕風に吹かれていると、いやな日本のことなど忘れてしまう。のんびりとコーヒーを飲み、朝昼晩の美味しいごちそうを食べ、タイ伝統のマッサージに体をゆだね、疲れを忘れた。

 一日、マリンツアーに出かけた。SCUBAダイビングツアーとシュノーケリングツアーがあったが、ダイビングは2月にフィリピンに行く予定があるので、今回はシュノーケリングツアーにした。ちいさなダイビングボートに満員のツアー客を乗せて、シャロン湾の沖に浮かぶコーラルアイランドへ向かう。リゾートのプーケットといえども、海岸線のほとんどはプライベートビーチなので、なかなか泳ぐところがない。このあたりの小さな島もほとんどがリゾートやツアーのための観光ビーチなので、どこも人がいっぱいだ。

 島の桟橋にボートが着くと、そこはきれいな砂浜で、魚がたくさん泳いでいる。しかし、砂浜に並んだ安楽椅子は有料で、その前の砂浜にいてもお金を請求される。きれいな海に似合わない。シュノーケリングツアーというものに参加したのは初めてだったので、ちょっとびっくり。どこか人気の無い海岸でのんびりとシュノーケリングできるとおもいきや、人があふれている海水浴場の片隅で泳ぐとは。もっともここが本当の目的地ではなく、海水浴場でも少しお金を落とさせようという主催企業の思惑があるのだろう。そこからボートで少し海岸を回り込んで、サンゴが比較的発達しているところへボートを停泊し、そこから次々飛び込んでサンゴ礁をみるという趣向だった。




 プーケットはタイの海岸としてはサンゴ礁が発達しているところなのだが、それでも八重山諸島や慶良間島、パラオ諸島やニューギニア、ニューカレドニア、フィジー諸島などのサンゴ礁を見てきたものの目には、貧弱なサンゴ礁にしか見えない。それでも、シュノーケルを咥えて、透き通った海水を通して海底のサンゴを見ているのは、心が躍る。魚も色とりどりのサンゴ礁おなじみの魚がフル出場してくれた。だれかがボートで売っていた魚の餌用のパンを与えたらしく、餌付けになれたここの魚たちが泳いでいる私たちの周りに集まってくる。これも初心者には楽しいことなのかも知れないが、私には余計なことに思えてしまう。




 乾期に入ったはずのタイなのだが、毎日のようにスコールがあり、天候も安定しない。落雷もあり、停電もあった。リゾートホテルはさすがにただちに自家発電に切り替えていたが、心配でエレベーターは乗らないようにしていた。ホテルのプライベートビーチに下りるには、専用のケーブルカーが運転されている。これは途中で止まっても、歩いて行くこともできるから、そう心配することは無い。海岸には安楽椅子が並べてあり、ゆっくりできる。これは宿泊客にはもちろん無料だ。金曜日の夜にはディナーショウもあり、タイのコミカルな踊りも堪能できた。

 心安らかになって、寒い日本に帰ってくると、おそろしい選挙結果がまっていた。原発推進を隠さない政党がわずか有権者の20%の支持で、80%の議席を占めて、戦争準備のための憲法改定を狙っている。原発にこれだけ多くの人が被害を受け、日本を人間の住めないところにしてしまっていながら、原発を止めようという政党が選挙に勝てないのは、いったいどうしたことなのだろう。日本人に、そして日本に絶望した。日本を捨てることを真剣に考える時が来たのかも知れない。

沖縄の海は危機にある

2012-05-28 | 南の海
梅雨の真っ最中の沖縄へ出かけていた。5泊6日の旅行だったが、そのうち一日は大雨に遭った。しかし、それ以外は、天気予報を裏切るように連日の晴天だった。
おかげで、青い空、青い海をゆっくりと見ることができた。顔は真っ黒だ。もう夏が来たように。

一日、ジュゴンがしばしばやってきている嘉陽の海岸で泳いでみようと思ったのだが、低気圧の通過で、海が濁って、とても潜る気にはならなかった。残念。でも嘉陽の砂浜海岸で、のんびりと時間を過ごし、ジュゴンの話で盛り上がった。

その後、泡瀬干潟を訪れた。泡瀬干潟は現在沖縄に残っている最大級の干潟なのだが、数年前から人工島の建設が行われ、この貴重な干潟を埋め立てている。人工島を作って何をするかというと、スポーツ公園のようなものを作るという。沖縄県民の健康のために作るのだという。裁判でも経済的な合理性が見られないとして、埋め立て差し止めが認められたが、その後の計画を見直して合理性が出てきたといって、民主党政権の国交省が埋め立て続行を認めてしまった。

最干潮が過ぎた頃に泡瀬に到着したので、有名なウミエラの群れ棲んでいる砂州には、行くことができなかったが、一見何もないような砂干潟を歩いていると、実に多様な動物や植物たちが見られる。かつて一度ここを訪れたときに見た、一面の青々とした海草の原っぱは、ほとんど無くなってしまっていた。第1期工事で、潮の流れが変わってしまったことや、工事による土砂の堆積もあり、海草の多くは枯れてしまったようだ。なんて残念なことが起こっているんだろう。スポーツジムを作るために、こんな美しい風景と多くの種類の生き物を殺さなければならないなんて、頭がどうかしているのじゃないのか。それとも頭の中はお金のことしかないのだろうか。

泡瀬では、おじいさんたちが彼らの生活のすべてをかけて埋立反対の運動をやっているのに出会った。彼らのやり方はそれぞれ違っているが、この泡瀬干潟を守ろうと一生懸命なのが伝わってくる。泡瀬干潟の正面に喫茶店兼博物館を作って反対運動の拠点を提供しているおじいがいる。喫茶店の経営はまったく赤字のようで、何年続くかと心配されている。でも、こんな店をつぶしたら、沖縄県民の恥になる。他県からやってくる観光客は、大型リゾートに泊まって、作り物の人工ビーチで遊んでいないで、こんなところをこそ見に来たらどうかと思う。博物館を兼ねたその喫茶店の名前は「ウミエラ館」。泡瀬干潟も、ウミエラ館も守っていきたい。

島にんじんは甘い

2012-02-19 | 南の海
全国的に雪が多いようだ。京都も雪が5cmも積もって、人々もびっくりのようすだった。ちょっとしたイベントを企画していたので、人々の出足が心配だったが、まあまあの人出で安心した。もっとも室内でも企画なので、交通機関が大幅に混乱しない限り、大きく影響することはないのだろう。

先週は沖縄に出かけていた。沖縄も、今年は寒いという。寒緋桜の咲くのも一週間ほど遅かったという。名護市では、まだ満開の桜を見かけた。那覇市もこれからのところが多い。なぜか沖縄では桜前線は北から南へ動いていくらしい。

桜の時期とはいえ、沖縄はやはり温かい。半袖の人もいる。もっともそれは本州から来ている観光客で、沖縄の人は、厚手の防寒服を着込んで寒そうにしている。京都の寒さから逃れてきた私たちは、沖縄の暖かさにホッとした。海は青く、砂浜は白くてきれいだ。でも、離島を除くと沖縄の海岸は全国でももっともコンクリート化が激しいのだそうだ。人工ビーチの数も日本で一番多い県だ。この美しい海岸をなぜコンクリート化しようとするのだろうか。

沖縄では、いまが島ニンジンの出荷時期らしい。島ニンジンは、太く短かく、しかも色がやや黄色い色をしている。食べてみると本州で売られている西洋ニンジンとはまったく味が違う。島ニンジンは甘く美味しい。生で食べるともっともその甘さを感じることが出来る。まるで果物を食べているように甘い。そして今は島らっきょうも出荷時期だ。島らっきょうは有名で多くの人が知っているが、島ニンジンは私は初めて知った。しかも、この時期の津堅島でとれる島ニンジンが津堅ニンジンと称して、とびきり美味しいらしい。沖縄の人に津堅ニンジンをお土産にもらって帰ってきた。かえってすぐに生のニンジンを丸かじり。美味しい。今夜は島ニンジンのシリーシリー料理。いわば、ニンジンチャンプルーだ。これも柔らかくてニンジンの味が美味しい。こんなニンジン料理なら、沖縄にはニンジン嫌いの子供はいないのではないだろうか。

ジュゴンを見て 異常気象に驚く

2011-12-24 | 南の海
フィリピンのミンダナオ島に、またまたジュゴンを見に行ってきた。今回は、前回と同じように2ヶ所の町へ行き、3ヶ所の海を見てきた。今回は、まったく幸運なことに、どの場所でもすぐにジュゴンを見ることが出来た。最初の場所のニューアルガオでは、到着して塔にのぼって見始めていると、地元の人たちが、やあいらっしゃいと挨拶に来た。彼らと笑顔で話していると、村長がやってきて、やあやあと挨拶を交わした。その直後、村長がジュゴンがいる、と指さす方を見ると、なるほどジュゴンが現れた。しばらくみんなでそのジュゴンを見ていると、やがて右の方にもジュゴンがいることに気がついた。さっそく2頭のジュゴンを見ることが出来た。それもすぐ近くの海だ。いっしょにいった3人とも今回初めて見たというので、興奮気味。こんなに近くで見えると思わなかったという。

 もう一つの町、マティにでかけた。ここではプハダ湾とマヨ湾という海があり、どちらもジュゴンが現れるという。プハダ湾は大きい湾だ。マヨ湾は小さな湾。マヨ湾では砂浜で大きな波が打ち寄せていて、若者たちがサーフィンを楽しんでいる。ここからもしょっちゅうジュゴンが見られるという。ジュンとよばれるサーフィングループの頭が、ジュゴンの姿を見つけてくれた。けれどもここは波が荒くて潜水するのが大変だ。近くに桟橋がないので、沖にボートを浮かべて、そこまで潜水道具などを運ばねばならない。海岸からエントリーするのは、波が荒くてとてもじゃないが無理だ。みんなシュノーケリングでボートまで泳いでいき、現地の海人にタンクやウエイトをボートまで泳いで運んでもらうしかない。かれらは大波の中をフィンも付けないで、ウエイトやタンクを運んでいく。すごいなあと眺めるしか、われわれにはできない。

 帰る日に、朝から雨が降っていた。テレビも新聞も読んでいないので、まさかその雨が台風の雨だとは思いもしなかった。空港に来ると、台風がやって来ているという。早朝にダバオ空港を飛び立ち、マニラに向かう。接続の悪さからマニラ空港で5時間待たされて、日本へ飛び立った。マニラの国際空港(ニノイ・アキノ国際空港)は、比較的新しい空港なのだが、チェックインしたあとは、まともなレストランもない。ちょっとした免税店があるだけで、あとはコーヒーを飲む店が一軒あるだけである。こんなところで5時間過ごすのは、もう退屈の一言。日本はもちろん、東南アジアでもどこの国の国際空港でも、いろんな豪華な店がところせましと並んで、観光客に最後の財布の紐を緩めさそうと、競っているのに、マニラの空港はあまりにそっけない。商売気はまったくないのである。

 さんざん待たされて、日本へ帰ってきた。そしてテレビのニュースを見て驚いた。ミンダナオを台風が襲って、1000人を超える人が洪水にあって死んでいると言うじゃないか。いやあ、びっくりびっくり。ちょっとの差で、大変なことになるところだった。もっとも被害の多くはミンダナオの西側、カガヤン・デ・オロやイリガンなどの地方のようだ。私が行っていた南ダバオ州、ダバオ州、東ダバオ州などは、雨は多かったようだが、洪水の被害が出るほどではなかったようだ。それにしても、もうとっくに雨季が終わっているミンダナオで毎日のように雨に遭うとは思わなかった。そして、台風。ミンダナオに台風が来るのは、4-5年に1回程度。非常に稀なことだ。地元に人の話によると、今年は異常な天候だという。日本でも津波だけでなく、西日本では異常な大雨があり、タイではバンコクまでも未曾有の洪水に逢っている。どうも気候がおかしくなってきている。原発のせいとは言わないが、あらゆる異常な現象がつながっていると感じるのは私だけではないように思う。真剣に考えると恐怖だが、そういって考えないようにしていた原発の事故が、やっぱり起こってしまったように、考えないことはその場しのぎでしかないのだ。もっとみんな真剣にその恐怖を考える必要があるのではないだろうか。

沖縄は嘆きの島

2011-10-26 | 南の海
暑い暑いと言っていた日が昨日のように思われるが、急激に冬に向かって気候は変化している。今朝は寒さに震えた。

 沖縄に出かけてきた。病に倒れてふさぎ込んでしまった友人を見舞いに行った。もはや移植手術以外に道はないと言われて、苦しみに耐えながら、ただひたすら移植の順番を待つだけの毎日を過ごしている。見舞いの言葉も探せなかったが、われわれの見舞いを心から喜んでくれた。体調も良くなりそうだと言う。そうだ。その調子。病気などに負けてはいけない。がんばれ。かわいい娘さんは、母親の病をどう受け止めているだろうか。もういろんなことが分かり始めている年になった。娘さんのためにも頑張って欲しい。

 病の友人宅ばかりにいるわけもいかず、せっかくの沖縄だから、海へ出かけた。京都は土砂降りの雨だと聞くが、こちらは澄み切った青空が続く。もっとも先週までは沖縄は台風並みの雨風だったらしいから、やはり晴れ男の私のせいだ。南国の日差しは夏そのもの。暑いが、日陰で海風に肌をなぶらせると、懐かしい南国の心地よさが、沈んだ心も癒やしてくれる。本部半島まで車を走らせ、観光客が押し寄せている美ら海水族館を横目で見ながら、備瀬の浜辺に腰を落ち着けた。沖縄の都会と違って、このあたりの民家は、昔ながらの赤瓦の屋根を持ち、家の周りは福木(ふくぎ)を密に植えて、立派な屋敷林ができている。民家の路地を
通ると福木の並木が連なり、空が見えないほどだ。森林浴を毎日家の中でできる。すばらしい環境ではないだろうか。こんな家をやめて、都会の新建材やコンクリートの家に住もうという人たちの気持ちは分からない。コンビニがないことなど、なんのつらさでもないと思うのは、コンビニがあるところで住んでいる人間の考えることだろうか。そうではないように思う。

 帰りに辺野古に寄った。辺野古への米軍ヘリ基地建設反対の座り込みがもう2000日以上も続けられている。有名なテント村ともう一つの基地建設反対の小屋があった。行ってみるまでよく知らなかったが、辺野古の港の前には、二つの座り込みが行われていたのだ。もう一つは、地元のおじいとおばあを中心とした「命を守る会」の人たちが行っている。「命を守る会」の代表の人と話をした。この会は、全国からの100を超える多数の団体が行っているテント村の座り込みとは異なり、地元の住民だけで行っている行動だった。全国からの支援はありがたく受けるが、あくまで地元住民だけで反対運動をしたいという人々の集まりだった。30人以上いた当初の会員も、老人中心の故に、いまでは半数近くになったという。それでもこれから起こる民主党政権による日米合意(辺野古新基地建設)の実行に、ただ淡々と反対の意志を示すだけだと覚悟を語ってくれた。テント村の行動も「命を守る会」の行動も、ただアメリカ一辺倒の自民党、公明党、民主党の政治家たちへ、強い私たち国民の気持ちを代弁していると思っている。おじいやおばあの健康を祈りながら、いとまごいをしてきた。

 那覇空港で帰りの切符を買ったあと、時間つぶしに、もっとも近くの自然海岸に出かけた。空港の近くは米軍基地と人工ビーチばかりだ。唯一残されたこの浜は、ながらく米軍基地だったため人間の立ち入りが禁止されていた浜だとか。でも今は自由に来ることができる。浜辺で線香を並べて功徳を説いていたおじさんの話によると、立ち入り禁止が解かれたとたん、多くの人がこの海岸にやってきて、貝やウニやナマコをとったため、「あっという間に何もいなくなったさあ」。潮の引いた海岸を1時間ほども歩いてみたが、たしかに何もいない。珊瑚のかけらや貝殻に厚く積もった泥が見えるだけだ。どうやら人間が獲ってしまっただけが
原因では無さそうだ。周りの土木工事の影響は大きいのだろう。陸は海岸沿いの道を除いて、いまだ軍事基地に占領されている。米軍から自衛隊に代わっただけで。

ミンダナオの新しいジュゴン

2011-03-08 | 南の海
一週間ほどフィリピンのミンダナオ島に出かけてきた。毎年出かけているジュゴンの観察行だ。ミンダナオ島の南ダバオ州のマリタという町でジュゴンがよく見られる場所がある。そこの海岸に建てられたツリーハウスの上から、ジュゴンが観察できる。もっとも地面からでもジュゴンは見ることができるのだが、目の悪いわれわれには少しでも高い場所から見ていないと気がつかないことが多い。ところが、昨年の嵐でこの観察塔がかなり傷んでしまい、階段も腐朽して、歩くとどんどん壊れてしまう。とても危なくて登っていけなかった。しかたなく、今年は3段になった観察塔の一番下の段から見るほかない。

 昨年は、この観察塔から観察してもついにジュゴンを見ることができなかった。地元の人に聞くと、ジュゴンの出現が少し減っているという。もっとも、昨年は観察時間をあまり取らなかったのが、ジュゴンを見ることができなかった原因かもしれない。そうそういつでもジュゴンが見られるわけではないので、ジュゴンを見るためには朝から夕方までこの観察塔に座って海を見つめている必要がある。それでも一日に1-2頭くらいしか見られないのが普通であるから、昨年は努力が足りなかったのだろう。今年は二日目の朝、ジュゴンが現れた。一頭の成獣が15分ほどいたが、その後見失った。

 今年はマリタだけではなく、他にもジュゴンが見られるところを探して、ダバオから東に向かった。車で時速80km以上でぶっ飛ばして、車とバイクと自転車とトライスクルとよばれるバイクタクシーと歩く人の間を縫って、車はぶっ飛んでいく。怖くて前を見ていられない。3時間ほどしてマティという町に着く。マリタよりも大きい町だ。この町は太平洋につながったプハダ湾に面している。このプハダ湾にはジュゴンがよく現れるというので、やってきた。プハダ湾の隣にマユ湾という砂浜がきれいな湾があり、その海岸に面したリゾートに泊まった。このリゾートはできたばかり。まだ塗料の臭いが残っていそうなほど、新しい。部屋は大きくてきれいで、ミンダナオ島の田舎の宿とは思えない。もっとも値段もかなり高い。高いと言っても日本のビジネスホテル程度だが、フィリピンの物価の安さを考えると、この値段はかなり高い。

 このマユ湾にもジュゴンが現れるという。しきりにベランダからも食堂からも海に目をやるが、そう簡単にジュゴンが見られるわけではない。結局、ここではジュゴンを見ることはできなかった。次の日に、船を借りてプハダ湾に向かった。プハダ湾のいくつかの点で潜ってみて、ジュゴンの食べ跡を探したが、いくつかの古い食べ跡を見つけただけだった。本当にここに多くのジュゴンが来ているのだろうか。疑問に思いながら、最後に湾口近くでファンダイビングを楽しんだ。といっても、楽しんだのは私以外の人。私は一つ前のダイビングのときに、深さ7-8mに素潜りをしていて、浮上の時に右耳の鼓膜を破ってしまったので、最後のファンダイビングはできなかった。船に残ってみんなが楽しそうに潜るのを見ていた。安全のために船に付き添ってくれた女性警官も、みんなと一緒に潜っていった。

 ところが、そのとき、湾口の海峡部を湾の奥に向かって泳いでくるジュゴンを見つけた。あれ、ジュゴンではないのか、と目をこすってよく見ていると、巨大な背中が次々と見える。どうやら一頭ではない。体長も3mくらいの成獣のようだ。数えると6頭が見えた。もっといたかもしれないが、確認できたのは6頭だ。船の船頭さんといっしょにしばらく(5分くらい)ジュゴンが群れになって泳いでいくのを眺めていた。船頭さんもこんな光景は滅多に見たことがないといっている。幸運はどこに転がっているか分からない。悠然と巨大な茶色い背中を水面に現しながら、ジュゴンたちはプハダ湾の藻場で夕食を食べるために泳いで通り過ぎていった。

 これらのジュゴンが湾の中のどこで餌を食べているかを是非知りたいと思ったのだが、予定の日程はもう終わった。耳も痛めてしまったので、ゆっくりしているわけにはいかない。潜っていた人たちはジュゴンを見ることができなかったが、それはまた次回にしてもらうしかない。マリタ以外にもジュゴンを見ることができる可能性が高い場所を見つけることができたことで、今回は満足した。また、来年もここに来たいと思う。

ベトナムにやってきた

2011-02-14 | 南の海
早朝の京都はうっすらと雪化粧。これからさらに雪が降るという予報だった。大阪はさらに多くの雪が路肩に残っていた。でも空は青空。飛行機は青空に向かって飛び上がった。2年ぶりのベトナム行きだ。朝早く起きたせいで、ハノイまでの5時間半、半分以上はぐっすりと眠っていた。ハノイからフエまでの飛行機は満席で予約が取れなかったので、しかたなくハノイ発ダナン行きの飛行機に乗った。ダナン行きの国内線もほぼ満員。ドイモイ政策が功を奏して、ベトナムでも飛行機を利用する人たちがずいぶん増えたようだ。中国の後を追いかけるように社会主義国のベトナムも市場原理を導入し、富めるものと持たざるものの格差は開いている。

 日本は出入国に必要だった出入国カードの提出を日本人には止めた。最近ベトナムも出入国カードの提出を止めたらしい。パスポートだけを見せれば簡単に入国できた。日本は日本人にだけカードの提出を止めたけれど、外国人には観光客にもビザの取得を求め、うるさい。観光客にビザの取得を求めているのは、日本以外には少ないのではないだろうか。あとは、アメリカと北朝鮮くらいか?日本はそういうところはいつまでたっても開国できない。アメリカ資本のために「平成の開国」をしようという菅政権でも、アジアの人に開国する気持ちはなさそうだ。

 ハノイからフエまでの飛行機がとれなかったので、ダナンまで飛んで、ダナンからタクシーでフエに来た。タクシーで2時間半。途中、ハイウエイを通ったが、ハイウエイというのは名ばかり、単なる有料道路に過ぎない。スピードはせいぜい60-70kmくらいしかでないし、出して欲しくない。狭い道路だし、バイクも通るし、人も歩いている。2時間半のタクシー代は、80万ドン。日本円にして約3500円くらいか。飛行機便を明日の早朝までまつにはハノイの宿代が必要だから、それを考えれば安いものだ。

 明日朝から仕事があるから、今日はそろそろ眠らねばならない。2年前に泊まった同じ宿だが、部屋は格段にきれいになっている。新しく内装をやり直したのだろう。快適になっているのに、値段は円高のせいで2年前に比べても安くなっている。LANも各部屋に装備されて快適にインターネットができる。中国に限らず、ベトナムの近代化も日本の過去に比べて早い。ベトナム戦争の時代は遠くなり、この国も他の国と同じように変わりつつある。ちょっとさびしいかも。社会主義国の名残は、レストランの従業員のつっけんどんな態度くらいだ。