岩手県の陸前高田市、宮城県の大船渡市、気仙沼市、南三陸町を訪れてきた。どの町も大津波に町の大半を飲み込まれたところばかり。これらの町を見て回って、大津波のパワーの大きさに、今更ながら驚いた。人々を恐怖に陥れたこの大自然の営みは、地質学的な時間から見れば、何も驚くほどのこともない。縄文時代から考えても、おそらく10回近い頻度でこの程度の地震や津波は人々が経験しているはずだ。それにしても人間が作ったものの砂上の楼閣としか言えない道路や橋や鉄道やビルが、いとも簡単に普通の水の塊に押し流されている。ほとんどのビルの1階が、柱だけを残して何もなくなっているのを見て、水の流れの強さを想像することができた。
がれきの処理は、町によってかなり進み具合が異なっている。これは被害の大きさによるものなのか、それとも自治体の取り組みの違いなのかよく分からないが。陸前高田市では、がれきのほとんどが集積所に集められ、しかもかなりきれいに分別されているのをみて、驚いた。一方、大船渡市や南三陸町では、まだまだがれきがそのままになっており、手のつけようがない状態になっている。どうもがれきの処理が進んでいない地域は、地盤が沈下して満潮時には海水が入り込んでいるようなところが多いようだ。海に帰ろうとしている埋め立て地を再び埋め立てて町を作るのか、それとも元の海に戻すのか、住民の住む場所が決まらないため、処理も遅れているのだろう。
津波が実に内陸の奥深くまで侵入したことを示すのは、木の上に引っかかっている漁具や浮き球の存在である。巨大な樹木の梢の方に、これらの漁具が残っているのを見ると、津波時にはあそこまで水が盛り上がったことを想像して、身震いする。これだけの津波に(わずか)2万人の犠牲者で済んだことにむしろ意外に感じるほどである。津波の恐ろしさを十分先祖から聞いて知っていたこともあるし、昼間の地震であったことも幸いしたのだろう。夜中だったら、津波警報でも避難しない人が多い最近の傾向があったからだ。オオカミ少年の比喩はいつの時代も当てはまる。
被災地のみならず、内陸の方でも、ホテルや民宿はどこも満員だった。泊まる宿を探すのに苦労した。家を流されて避難している家族もあり、復興工事で動員されている労務者も多い。ボランティアできている人たちはほとんどが公民館や学校で寝袋で寝ている。探し回った末に内陸の町でやっと宿を探すことができた。大地震はあったが、津波の被害がなかった内陸は、平穏そのものだ。これで福島第一原発の事故がなければ、地震の被害はそれほどのこともなかっただろう。
津波の被害を受けた二つの地域で、今後息の長い支援をしていくつながりを作ることができそうだ。復興は、これまでの三陸沿岸の姿を元通りにするのではなく、もっと人間が住みよい町を作るという視点で支援していきたい。それは、家を失い仮設住宅でひっそり暮らしている人たちの意見をどうやってくみ取ることができるか、そこにかかっているような気がする。どうやればそれができるか、考えることの多い毎日だ。
がれきの処理は、町によってかなり進み具合が異なっている。これは被害の大きさによるものなのか、それとも自治体の取り組みの違いなのかよく分からないが。陸前高田市では、がれきのほとんどが集積所に集められ、しかもかなりきれいに分別されているのをみて、驚いた。一方、大船渡市や南三陸町では、まだまだがれきがそのままになっており、手のつけようがない状態になっている。どうもがれきの処理が進んでいない地域は、地盤が沈下して満潮時には海水が入り込んでいるようなところが多いようだ。海に帰ろうとしている埋め立て地を再び埋め立てて町を作るのか、それとも元の海に戻すのか、住民の住む場所が決まらないため、処理も遅れているのだろう。
津波が実に内陸の奥深くまで侵入したことを示すのは、木の上に引っかかっている漁具や浮き球の存在である。巨大な樹木の梢の方に、これらの漁具が残っているのを見ると、津波時にはあそこまで水が盛り上がったことを想像して、身震いする。これだけの津波に(わずか)2万人の犠牲者で済んだことにむしろ意外に感じるほどである。津波の恐ろしさを十分先祖から聞いて知っていたこともあるし、昼間の地震であったことも幸いしたのだろう。夜中だったら、津波警報でも避難しない人が多い最近の傾向があったからだ。オオカミ少年の比喩はいつの時代も当てはまる。
被災地のみならず、内陸の方でも、ホテルや民宿はどこも満員だった。泊まる宿を探すのに苦労した。家を流されて避難している家族もあり、復興工事で動員されている労務者も多い。ボランティアできている人たちはほとんどが公民館や学校で寝袋で寝ている。探し回った末に内陸の町でやっと宿を探すことができた。大地震はあったが、津波の被害がなかった内陸は、平穏そのものだ。これで福島第一原発の事故がなければ、地震の被害はそれほどのこともなかっただろう。
津波の被害を受けた二つの地域で、今後息の長い支援をしていくつながりを作ることができそうだ。復興は、これまでの三陸沿岸の姿を元通りにするのではなく、もっと人間が住みよい町を作るという視点で支援していきたい。それは、家を失い仮設住宅でひっそり暮らしている人たちの意見をどうやってくみ取ることができるか、そこにかかっているような気がする。どうやればそれができるか、考えることの多い毎日だ。