ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

津波被災地を歩いて

2011-07-24 | 日記風
岩手県の陸前高田市、宮城県の大船渡市、気仙沼市、南三陸町を訪れてきた。どの町も大津波に町の大半を飲み込まれたところばかり。これらの町を見て回って、大津波のパワーの大きさに、今更ながら驚いた。人々を恐怖に陥れたこの大自然の営みは、地質学的な時間から見れば、何も驚くほどのこともない。縄文時代から考えても、おそらく10回近い頻度でこの程度の地震や津波は人々が経験しているはずだ。それにしても人間が作ったものの砂上の楼閣としか言えない道路や橋や鉄道やビルが、いとも簡単に普通の水の塊に押し流されている。ほとんどのビルの1階が、柱だけを残して何もなくなっているのを見て、水の流れの強さを想像することができた。



 がれきの処理は、町によってかなり進み具合が異なっている。これは被害の大きさによるものなのか、それとも自治体の取り組みの違いなのかよく分からないが。陸前高田市では、がれきのほとんどが集積所に集められ、しかもかなりきれいに分別されているのをみて、驚いた。一方、大船渡市や南三陸町では、まだまだがれきがそのままになっており、手のつけようがない状態になっている。どうもがれきの処理が進んでいない地域は、地盤が沈下して満潮時には海水が入り込んでいるようなところが多いようだ。海に帰ろうとしている埋め立て地を再び埋め立てて町を作るのか、それとも元の海に戻すのか、住民の住む場所が決まらないため、処理も遅れているのだろう。



 津波が実に内陸の奥深くまで侵入したことを示すのは、木の上に引っかかっている漁具や浮き球の存在である。巨大な樹木の梢の方に、これらの漁具が残っているのを見ると、津波時にはあそこまで水が盛り上がったことを想像して、身震いする。これだけの津波に(わずか)2万人の犠牲者で済んだことにむしろ意外に感じるほどである。津波の恐ろしさを十分先祖から聞いて知っていたこともあるし、昼間の地震であったことも幸いしたのだろう。夜中だったら、津波警報でも避難しない人が多い最近の傾向があったからだ。オオカミ少年の比喩はいつの時代も当てはまる。

 被災地のみならず、内陸の方でも、ホテルや民宿はどこも満員だった。泊まる宿を探すのに苦労した。家を流されて避難している家族もあり、復興工事で動員されている労務者も多い。ボランティアできている人たちはほとんどが公民館や学校で寝袋で寝ている。探し回った末に内陸の町でやっと宿を探すことができた。大地震はあったが、津波の被害がなかった内陸は、平穏そのものだ。これで福島第一原発の事故がなければ、地震の被害はそれほどのこともなかっただろう。

 津波の被害を受けた二つの地域で、今後息の長い支援をしていくつながりを作ることができそうだ。復興は、これまでの三陸沿岸の姿を元通りにするのではなく、もっと人間が住みよい町を作るという視点で支援していきたい。それは、家を失い仮設住宅でひっそり暮らしている人たちの意見をどうやってくみ取ることができるか、そこにかかっているような気がする。どうやればそれができるか、考えることの多い毎日だ。

脱原発の菅首相を支持する

2011-07-14 | 政治
菅首相が脱原発社会を目指すとはっきりと記者会見で述べた。当然と言えば当然なのだが、「いまだに安全対策をすすめていく、原発は必要だ」とか、「原発なしでは日本の経済はなりたたない」などと、命よりもお金を大事にしようという人たちの発言が相次ぐ中で、首相の脱原発発言は、大いに評価したい。菅憎しの民主党内の人々や、原発政策を進めてきた自民・公明のA級戦犯が、いまだに原発は大事という姿勢を示しているのは、もうどうしようもない人々だと思う。読売、産経、日経などの新聞が、菅たたきをやっているのも、自分たちが原発安全神話を作り上げた責任を顧みない姿勢が批判されないように、ごまかしているのだろう。

 菅首相のいろいろな言動や、消費税増税、国民総背番号制など、おかしなことはいっぱいあるが、いまは、菅首相の姿勢を大きな声で支持したい。菅首相、辞職をなるべく先に延ばして、少しでも脱原発の路線を築いて欲しい。与謝野大臣のように表立って反対するものは、首にしてもいい。脱原発の具体的な工程を提示して、解散総選挙を行うべきだ。原発は是か非か、この一点で、選挙をしよう。コイズミの郵政選挙など、アメリカのための解散よりは、よっぽど大事で必要な選挙になるだろう。菅首相+福島みずほ副首相の組み合わせで新しい脱原発政府を作り、ドイツ、イタリアと脱原発新三国同盟を作ろう。

 子供たちや孫たちが生き残れるかどうか、日本が存続できるかどうかは、経済が落ち込むかどうかなどよりももっと重要なことなのだ。消費型経済が冷え込んでも、再分配をきちんとやれば、日本人は大事な命を守り、幸福な生活を送ることができる。私たちは、一部の金持ちとアメリカの金儲けのために、命を投げ出し、不幸になることを選択する日本人ではないはずだ。

加賀の花の名山「白山」に登る

2011-07-11 | 花と自然
いきなり暑さにやられた。熱中症のような症状で頭がくらくらする中で、考えた。どうも寝不足が体力を奪ったらしい。そしてこの暑さだ。

 2年越しの計画だった加賀白山に登った。一般的な登山道は、砂防新道と観光新道。どちらも登山口の別当出会から、標高差1400m。最初の急登がかなりきついとされる観光新道を、登路に選んだのは、初めの体力のあるときに少々きつくても頑張った方が後が楽になるだろうというもくろみからだ。どちらかというと砂防新道から登る人の方が多いようだ。でも、砂防新道にしろ観光新道にしろ、もう少しいい名前はつけられないものか。

 京都から金沢駅まで、夜行バスで行った。昔は夜行バスや夜行列車で登山に行くのは普通のことだったので、あまり躊躇なく夜行バスを選んだ。これが失敗だったようだ。夜中の11時40分に出発し、金沢駅に6時前に着く。その間、ほとんど寝られず、2-3時間うつらうつらした程度だった。そこから2時間、登山口の別当出会につくまでも、あまり眠れない。なにしろ初めての土地に行くときは、眠っていてはせっかくのチャンスがもったいないと思ってしまうので、眠らない。そして、寝不足のまま、観光新道の登山口から登り始めた。
 
 いきなりの急登だった。1歩目からそうだ。胸突き八丁がいきなり始まる。それでもしばらくは、眠気も覚めて、急な坂を一歩一歩登っていった。登り始めたのが、午前9時。もうすでに太陽は上空の高みに輝いている。一昨日までは、梅雨末期の大雨だったこの地方だが、この日から一転して梅雨明け。それでも雨は覚悟して準備をしていた。ところが、朝からカンカン照り。汗は滝のように流れ、Tシャツも下着もズボンも、びしょ濡れになった。そのうち、めまいがしてきた。どうやら熱中症気味だと気がついた。ザックを下ろして水を飲む元気もない。45分くらいで稜線に出るはずだが、1時間過ぎても稜線が見えてこない。足もとはふらつき、前になかなか進めない。普段、山に登るのにあまり休憩を取らないのだが、今日は、しばしば腰を下ろして休んでしまう。どうやら荷物が多いことも、原因らしい。普段は、低い山に登ることが多いので、ザックも小さく、荷物も最小限にしている。しかし、人が集まる白山とはいえ、2700mの高山である。いざというときのために、持っていくべき荷物はそれなりにある。山小屋泊まりだから、それでも多くはないのだが。
 
 1時間15分かかって稜線にたどり着いたときは、もう体が言うことをきかない状態だった。ザックを投げ出して、大休止に入った。こんなはずはないと思いながらも、すぐには稜線を歩き出そうとは思わなかった。思い切り水を飲み、よろよろしながら稜線を歩き出した。これまでの登りに比べるとたしかに稜線歩きは傾斜が緩く、体力があったら、ゆうゆうの尾根歩きになりそうなのだが、体力を使い果たした体では、わずかの登りもきつい。休み休み歩いていると、次々と人が追い抜いていく。いつもの山行なら、追い抜いていく私なのだが、今日はどうぞおさきにと、無関心。そのうち、白山の高山植物が次々と現れ、写真を撮りながら、休憩もついでにとりながら、ゆっくり登る。今日は、室堂まで行き、そこから頂上まで空身で登ろうと計画していたが、この体調では室堂までたどり着くのがやっとかもしれない。
 
 さすがに花の白山だけあって、しかも季節は最適の時期。ササユリ、ニッコウキスゲ、ヨツバシオガマ、ハクサンチドリ、エビネチドリ、ハクサンフウロ、コバイケイソウ、アカモノ、コケモモ、ハクサンシャクナゲ、コイワカガミ、イワカガミ、マイヅルソウ、ミツバオウレン、ミヤマカラマツソウ、ミヤマタイゲキ、ハクサンコザクラ、ハクサンキンポウゲ、アオノツガザクラ、ショウジョウバカマ、ハクサンハタザオ、エンレイソウ、キヌガサソウ、サンカヨウ、ミヤマダイモンジソウ、イワツメクサ、イブキトラノオ、アカバナイチゴ、キバナノコマノツメ、ミヤマタンポポ、ミヤマキンバイ、ミヤマクワガタ、オオバダイコンソウ、ナナカマド、クロユリ、コバノミツバツツジ、スダヤクシュ、オオバキスミレ、ヤブレガサ、ウコンウツギ、マタタビ、ミズキ、オオカメノキ、ミヤマシシウドと、写真を撮っただけでも45種を超えた。疲れたけれど、白山の花は、きれいだった。これだけ見られただけでも、来て良かったと思わせる。




 室堂に到着したが、もう一歩も動けない。夕食を待ちかねて、急いで食べたら、もうあとは眠るだけ。夜、トイレに起きたときに時計を見たら、まだ10時半だった。いつもの時間に寝ていたら、トイレに起きるのは午前5時頃なのだが。しばらくうとうとしていたら、また眠ってしまった。夜中に周りがうるさい。ご来光を見るために起き出しているのだろう。でももう少し眠ろうとまた寝てしまった。はっと気がついたら、午前6時。部屋にいたはずの20人くらいの登山客はもう誰もいなかった。あわてて起きだし、朝食をたべて、身支度。ザックは小屋において出かけた。空身で頂上の御前峰(2702m)まで登る。空は快晴、空気は澄んで、遠くまで透明だ。まだ暑くはなっていないが、日射しは強い。昨日と違い、今朝は快調だ。荷物がないのが良いのかもしれない。室堂の周辺に広がる広大な雪渓を眺めながら、一歩一歩頂上に向かう。久しぶりの2500m超の山だ。



頂上にはまだたくさんの人が詰めかけていた。遠く北アルプスの山並みが見えている。穂高連峰や槍ヶ岳の姿も、識別できる。反対側には別山の勇姿も間近に見える。十分に堪能した。あとは、ゆっくりと砂防新道を下りて、別当出会まで帰るだけだ。足の疲労は増しているが、花を見ながらバスに間に合うように、ゆっくり下りよう。今朝の登りは、コースタイム50分のところを、30分で登れた。日頃のペースに戻ったようだ。やはり、寝不足、荷物の多さ、暑さの3要因が昨日の敗因だろう。今後、心して山行きを計画しなければイケナイ。年齢を考えて。百名山の58座目。温泉には車がないと行けない。残念ながら。


海江田大臣は 九電のために働く?

2011-07-03 | 政治
海江田万里経済産業相が、佐賀県を訪れ、古川佐賀県知事に面会して、玄海原発の安全を宣告して原発の再稼働を承認するよう要請した。福島第一原発の事故が収束の見通しも見えない中で、玄海原発の再稼働を求めるとは、いったいいかなる了見なのだろうという、誰もが考える疑問はもちろんだが、それにもまして私が不思議でならないのは、いったい彼はどのような立場で行ったのかということだ。

 経済産業省が、安全性を二の次にしてこれまで原子力発電を推進してきたことは、よく分かっている。そしてそれが大きな批判を今浴びていると言うことも。私も上関原発の埋め立て工事を一時的に中断して環境アセスを見直すように、民主党議員の紹介で経済産業省にお願いに行ったことがある。しかし、民主党政権でも経済産業省の大臣も副大臣も、原発計画の変更などと言うことは、聞き置くだけという態度だった。まったく相手にしない。その経済産業省に原子力安全・保安院があり、そこが原発の安全性をチェックするということだった。

 経済産業省は、国の省庁である。その代表は国の閣僚である。その閣僚が、九州電力という一企業の事業である原発の再稼働を、知事に同意するようお願いに参上するというのは、どう考えてもおかしい。いったい、いつから海江田大臣は九州電力の社員になったのだろうか。なぜ国のお金を使って、九電のために出張しているのだろうか。佐賀県知事にお願いに上がるのは、九電の社長でなければならない。玄海原発の安全が保証されるかどうかは、原子力委員会か、原子力安全・保安院がチェックして言うことだ。それも九電の社長が出向いて、安全性を立証し、お墨付きをもらう。経済産業大臣が出向いて知事を説得するのは、国民の税金を使って九電の仕事をする、いわば背任行為にあたるのではないか。どう考えてもおかしい。それとも九電からお金を貰っていったのか。

 経済産業省から、まず原発のチェック機関を外へ出し、経済産業省の官僚の手によらない人選をしなければならない。福島第一原発の事故を反省したら、まずやることはこのことではないか。これができなければ、政府に原発の安全宣言など、やる資格もない。そうでないなら、経済産業省を無くしてしまうことだ。経済産業省は、経済を上向かせるという口実で、常に経済界の代弁をしてきた。国民のことを考えたことはない。こんな経済産業省はいらない。即刻解散し、せめて公務員の大幅削減に貢献すべきだ。

 さらに不思議なことがある。海江田大臣が佐賀県知事を原発再開に向けて説得したことに、どのメディアも一言もおかしいと言わなかったことである。こんな明白な越権行為、背任行為に、メディアはまったく鈍感だ。権力に飼い慣らされた記者クラブのメディアは、もう存在価値もない。