梅の香りは人を癒やし、桜の花は人を狂わせる。
3.11からずっと精神状態が不安定になり、血圧が上昇していた。もっとも被災者に比べればそのくらい何でも無いことなのだが。とくに原発事故のニュースは初体験だったこともあり、しかも未だに終息の気配も見えないことから、気分をふさがせる。
昨年と比べて春の来るのが1週間ほども遅かった今年。春もわれわれの気分に同調したのかも、と感じていた。でも、ようやく桜が咲き、満開になってきた。毎年楽しんでいる近所のベニシダレ桜も、今日あたりが満開だ。毎日何人かの人が朝早くから訪れて、この桜を眺めている。近くの琵琶湖疎水沿いの桜並木もそろそろ満開に近い。疎水の流れに差し出された枝に、爛漫と咲き誇る桜を見れば、こころは浮き立ってくる。
「国難にあたって、花見は自粛しろ」と、品も格も無い都知事が言ったとか。「自粛」を「強制」するとは、論理が通らない。小説家だったはずの知事が言うことかと思うが、それよりもおまえに言われたくないと思った人が多かったのでは無いだろうか。その人が、前回と同じ260万票をとった。東京都民の情けなさ。
それはともかく、桜の花は人の心を狂わせる。いや、桜が咲く頃の陽気が人の気持ちを変えるのだろうか。これから被災地にも桜の花が咲き始める。桜の花を是非とも眺める余裕を持ち、これからの希望に向けての気持ちを持つことができたら、花見は悪いことでは無い。花を見ると称して酒を飲むのは、止めた方が良い。それは、花見とは言い難い。天災に会った人たちを「天罰」だと言い、「我欲」だというのは論外だけれど、人災の原発事故から逃れてきた人には、「天罰」の言葉が似合うかもしれない。あなたたちが原発を受け入れたのでは無かったか。原発避難者の多くが、再び元の街に戻り、原発の仕事をしたいと言っているのを
聞いていると、「懲りない人々」という言葉が浮かんでくる。
何はともあれ、美しいものは美しい。醜い原発は醜い。桜が日本中を巡って咲き乱れるさまを、天災に会われた人々もいっしょに楽しんでもらいたい。