ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

フキ泥棒

2006-06-29 | 日記風
庭に茂っていたフキがごっそりと盗まれてしまった。毎年のように盗んでいく奴がいるのだが、この2年くらいは盗まれていなかったので、油断してしまった。悔しい。

 数年前に盗んでいくところを見つけて叱責し問いただしたら近所のおばさんだったことがあった。昔は庭のフキをほとんどすべて盗まれたこともあった。あれだけのフキを持って帰るにはトラックが必要だったはずだし、一人で取ることも難しかっただろう。

 今回はどうやら観光客が車で近くまで遊びに来たついでに取っていったような気がする。茎の赤い味の落ちるフキまで採って行っている。よく知った人なら周りの青い茎を選んでいくはずだ。しかし、わざわざ人の庭に入ってまでフキを盗んで行かなくてもこの周りの山にはいっぱいフキが生えている。どうしてそう言うことをするんだろう。腹が立つ。

クシロハナシノブ

2006-06-21 | 花と自然
はなしのぶ という花をご存じだろうか。美しい可憐な花だ。
「はなしのぶ」は、比較的高い山の草原に生える亜高山植物だが、北海道東部の湿原に生えている種類もある。それをクシロハナシノブという。

 別寒辺牛湿原というのはご存じないと思う。釧路湿原に次いで日本で二番目に広い湿原といっても、知らない人は多いだろう。釧路から東に約50km、厚岸湿原ともよばれる湿原である。広大で国立公園になった釧路湿原や、多彩な花の湿原として有名な霧多布湿原にくらべて、地味な存在なのだが、この時期になると、この可憐なクシロハナシノブが咲く。

 薄紫の、本当に今にも倒れそうな弱々しい茎に可憐に花をつける湿原の花だ。今日は、この別寒辺牛湿原のクシロハナシノブを見てきた。皆さんにもこの美しさをぜひ堪能してもらいたい。

 いつもの年なら、葦の茂みの中でひっそりと咲いているのだが、今年は何故か葦の成長が遅かったので、クシロハナシノブが湿原を彩って咲いているのがよく見える。今年のようによく見えた年はこれまで無かったように思う。来年から見えるとは限らない。


林道を歩く

2006-06-20 | 日記風
昨日の日曜日、みんなと霧雨の降る中を林道を歩いた。そろそろホウノキの花が咲いている頃だと思ったので。しかし、ホウノキの花はまだつぼみ。ようやくつぼみを付けたばかりのようだ。例年に比べて少し遅いようだ。6月になっての寒さに遅れているらしい。

 今年は桜も遅くなるという予報だったが、5月に入って暖かな日が続いた結果、桜は例年より少し遅れた程度で咲いてくれた。例年よりも桜の花の色が濃い色だったのは、遅れたお詫びだったのかも。

 しかし、6月に入ってお日さまを見る日がほとんど無い。霧か雨か曇り。まるで梅雨のようだ。ここは冬の寒さはあっても、梅雨だけはないと喜んでいたのに。寒さが続き、まだストーブなしでは生活できない。

 しかし、林道ではエゾタチツボスミレ、ノビネチドリ、シコタンキンポウゲなどの花が迎えてくれた。ミズナラの新緑が美しい。ミズナラの花がいっぱいに垂れ下がっている。細かい雨に濡れながらも、すがすがしい緑たちの精一杯の競演に、心が洗われる。屋根のあるところへ避難して、お弁当を食べた。歩いたあとのおにぎりのおいしいこと。

 夜中に玉蹴りなど見ないで、昼間に外を歩いてみよう。

(昨日の天気:

イラク戦争に反対するアメリカの人たち

2006-06-17 | 政治
ハワイ生まれのアメリカ陸軍現役将校アーレン・ワタダ中尉が、イラク派遣を拒否した。彼は「侵略に値する罪もないイラク国民への不法で不道徳な戦争に荷担することを拒否する」と声明を出した。一説によると、約7900人の米軍兵士がイラクへの派兵を拒否しているという。しかし、将校による拒否は初めてとのことだ。

 ワタダ中尉の行為に、アメリカ軍当局は立件・起訴の準備を進めているらしい。アメリカ国内でイラク戦争の不法性を指摘し拒否したワタダ中尉に感謝し、彼を支持する運動が広がっているらしい。

 ワシントン州のオリンピア港からイラクへ向けてワタダ中尉らの隊が使用する予定のストライカー戦車を積み込むことに反対し、市民たちが2週間にわたってデモや座り込みで積み込みを阻止してきたことが伝えられている。多くの逮捕者を出して、積み出しは終わったが、市議会では抗議の公聴会が開かれた。報道は、キング牧師の「悪への非協力は、善への協力と同様に、我らの道義的義務である」という言葉を引用して、彼らの行動を褒め称えた。

 ベトナム戦争の時に、米軍相模原廠からの戦車の搬出を途中の橋で交通法違反を楯に阻止した市民運動のことを想い出す。あの当時のベトナム反戦の熱気がいまアメリカ国内に広がりつつある。

 日本はどうなのだろうか。2003年の自衛隊のイラク派遣の時に、事実上の派遣拒否(配置転換)をした隊員は52人だったそうだ。彼らに自衛隊内部でどのような扱いがなされているのだろう。自衛隊内部の自殺者が、00年度73人、01年度59人、02年度78人、03年度75人、05年度94人と増え続けている。隊内における陰湿ないじめが横行しているという。派兵拒否をした隊員がどのような境遇にあるか、心配だ。

ワタダ中尉(日系三世)の声明を良く読んで欲しい。

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声明
アーレン・ワタダ中尉
2006年6月7日

家族、友人、信仰心篤い地域のみなさん、マスコミのみなさん、そしてすべてのアメリカ人同胞のみなさん。本日はおこしいただき、ありがとうございます。

私はアーレン・ワタダと申します。アメリカ合衆国陸軍中尉であり、3年間服務しています。

合衆国陸軍の将校として、重大な不正義に対して声を上げることは自分の義務であると考えます。私の道徳と法的義務は、憲法に対するものであり、無法な命令を下す者に対して負うものではありません。きょう私がみなさんの前に立つのは、兵士たち、アメリカの民衆、そして声を上げることもできない罪なきイラクの人たちのために何かを行い、彼らを守ることは私の任務だと考えるからです。

米国軍隊の将校として、イラク戦争は道義的に過ちであるばかりでなく、合衆国の法をも手荒く侵害する行為であるという結論に達しました。私は抗議のために退役しようと試みましたが、にもかかわらずこの明白に違法な戦争に加わることを強制されています。違法行為に参加するようにという命令は、間違いなくそれ自身が違法です。
私は、名誉と品性を重んじる将校として、この命令を拒否しなければなりません。

イラク戦争は、抑制と均衡というわが国の民主的システムを侵害しています。この戦争は、憲法の規定によってアメリカの国内法と同等とされる国際条約や国際的慣習に違反しています。ほとんど満足な説明もなされていないイラク民衆への大量殺戮と残虐行為は、道徳的に重大な誤りであるにとどまらず、陸上戦に関する軍事法そのものの違反行為でもあります。この戦争に参加すれば、私自身が戦争犯罪の片棒を担ぐことになるでしょう。

平常であれば、軍隊にいる人間も、自分の思うことを話し、自分の利益になるよう行動することは許されます。そうした時代は終わってしまいました。私は上官に対して、われわれの行動の意味するところを大局に立って判断するよう求めました。しかし、まっとうな回答は得られそうにありません。私は将校に就任するとき、アメリカの法と民衆を守ることを宣誓しました。違法な戦争に参加せよとの違法な命令を拒むことにより、私はその宣誓に従います。

ありがとうございます。
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すばらしいアメリカ人がいたことを驚き、感動します。



小泉の最後っ屁に注意

2006-06-16 | 政治
国会が事実上終了した。毎年のように繰り広げられる会期延長劇が今年はなく、小泉内閣の最期の国会が終わった。重要法案の教育基本法改正(悪)案、国民投票法案、共謀罪新設の法案、などなどを継続審議にして終わった。これらの法案はこのさい廃案にすべきだった。小泉内閣が通したのは、またまた国民の負担を拡大する医療改革法案だけ。

 小泉さんは、この国会では医療改革法案以外はほとんど関心を持っていなかったようだ。彼は郵政民営化を成し遂げたので、満足してしまったのだろう。いったい彼の首相としての努力は誰のためだったのだろう。

 小泉さんの関心はあとブッシュ大統領と会って、お土産を渡すだけ。その土産は、郵便貯金をアメリカ資本へ差し出すことと、米国産牛肉の輸入再開と、米軍再編の経済的支援3兆円。国民の健康と財布をアメリカに貢ぎ、ひたすらアメリカに土下座する小泉外交。小泉の最後っ屁に気をつけよう。

 その陰で、米軍再編は日本を名実ともに米軍の指令下に置こうとしている。沖縄の辺野古の基地建設だけに気を取られていると大変なことになる。これまでアメリカ本土にあった米軍の司令部が日本の座間基地に置かれようとしている。アメリカが日本を(軍事的な)植民地としか考えていないことがよく分かる。自衛隊はアメリカのためにある軍隊だったのだ。

 小泉外交の罪は深い。

血圧が下がった

2006-06-16 | 日記風
今日、血圧を測ってみたら大幅に減少している。風呂上がりに計った血圧が最高118、最低74で、昔の状態に回復している。これはうれしい。体重も60.5kgくらいに下がっている。食事前なので割り引いて考えなければならないが、やはり体重の減少が血圧にもいい効果をもたらしていると思う。

 とくに食事に気をつけたとか、薬を飲み続けているとかは、何もしていない。それでも下がったのは、なぜだろう。医者は薬を飲み続けないとだめだ、といわれたが、薬を飲み続けていたらきっともう薬をやめられないようになってしまったかもしれない。もらった薬も外国へ行った時に心配して何回か飲んだだけで、あとは捨ててしまった。それでよかった。

 しかし、その後の昼食で食べ過ぎた。夕食を食べられないほど胃にもたれてしまった。深く反省。

 明日は大雨の予報。いやだね。

庭のアキタブキを食べる

2006-06-15 | 日記風
霧の季節がやってきた。庭のアキタブキも1mを超えて伸び続けている。今日は、このアキタブキを料理して食べた。

 同じフキとは言っても、本州のフキと比べてアキタブキは何倍もの大きさである。茎の太さは直径1-2cmもあり、握ると棍棒を持ったような感触だ。長さは茎の部分だけでも1mくらいあり、まな板に載らない。

 まるで丸太のようなアキタブキの茎を、長さ5cmくらいにぶつ切りにして、鍋にいれ水で煮る。沸騰したら火を止めて、そのまま半日くらいつけておいてアク抜きをする。もう一度取り出して、もっと小さく食べやすく切る。アキタブキの茎は太いので、縦に半分に切り開いて、さらに細かく切る。

 油でさっと炒めて、スルメイカの切り身と油揚げをいっしょにして、砂糖、醤油、みりんで味付けして煮付ける。ダシとしてコンブや鰹節をいれると美味しい。

 アキタブキだと4-5本あれば、鍋一杯の料理ができる。一人で食べると3日くらいは毎日フキ料理だ。自宅の庭で取れた山菜を食べられるのは、理想的だ。ガラス戸を開いて手を伸ばせば、フキは手にはいる。時期を逃さなければ山菜のコゴミも庭には生えている。我が家の庭は山菜の宝庫だ。

 どうして庭が山菜の宝庫になったのかって?簡単だ。庭の手入れをしなければいいだけ。どうしてこんなに素敵な庭になるのに、みんなは手入れをしてフキもコゴミも手に入らない庭にしてしまうのだろう。ガーデニングなどと称して、つまらない輸入植物を植えている。放っておけば、昔からの地元の植生が庭に復活してくる。それを邪魔しないように見ていればいいだけだ。

 今年も、本来の植生に戻ってきた我が庭を楽しみたい。コロボックルの世界はかくこそあれ、という世界がそこにある。

何故そんなに急いでいるの?

2006-06-13 | 日記風
サンナシ小屋へ行くたびに、普段の生活が何故こんなに忙しいのだろうか、と思う。もっとゆっくりと生きることができるはずなのに、みんな急いでいるなあ。マスカルチャーのせいだろうとは思う。一方、スローライフを手に入れるためにわれわれは何を手放すべきなのだろうか。

 ロシアの作家ヴィクトール・アスターフィエフさんの言葉を林郁さんの本「大河流れゆく アムール史想行」から引用しておこう。彼は、ジャガイモが人間を救ってくれると考えている(ロシア人の食生活にジャガイモの占める役割は大きい)。
「私たちの生活は忙しすぎる。私たちはいつも急いでいる。マス・カルチャーにせき立てられて、自己を省みる暇が無く、他者を思いやる時間がない。私たちはジャガイモの前に座って、これからの生き方を静かに考えるべきでしょう・・・」

 サンナシ小屋のような考える空間と時間が、いま私たちに必要なのだろう。私の日常を振り返っての反省の文章だ。


サンナシ小屋 春から夏へ

2006-06-11 | 日記風
サンナシ小屋のサンナシの樹の花は、もはや散ってしまった。新しい緑の葉が、サンナシの樹を覆っている。夏が近い。サンナシの周辺には、誰が植えたのか、白い花びらにきれいな橙色の縁取りの水仙が、緑の草原に映えている。満開の花が昨日の雨に濡れて、やや重そうに下を向いている。

 サンナシ小屋は、いま黄色いキンポウゲの花の群れに包まれている。一面のシコタンキンポウゲだ。山頭火の句「歩けばキンポウゲ すわればキンポウゲ」を想い出す。クロユリもちいさな花をつけて短い春を謳歌している。

 頭上では、オオジシギが大きな羽音をたてながら急降下を繰り返している。向こうでは、タンチョウがコウーコウーと高い声をあげて悠然と空を飛んでいる。近くに営巣しているのに違いない。カッコウの鳴き声も聞こえてくる。人工の音がまったくしないサンナシ小屋の周りは、自然の音で満ちあふれている。

 ここにいるときは、こころ静まる。天気が少し良くないが、サンナシ小屋はいつでも素晴らしい。

雨の休日

2006-06-11 | 日記風
今日は一日中、雨だった。梅雨のない北海道の6月だが、こんなに梅雨らしい雨も珍しい。気温は上がらず、最高でも8度くらい。一日ストーブを切らせなかった。

 平年なら深い霧に包まれる時期なので、霧も雨も同じようにうっとうしいのだが、それでも霧はなんとなく幻想的な風景が見られるので、それなりに楽しめる。しかし、しとしとと降る雨はもっと気持ちが沈んでくる。

 結局、久しぶりの休日は本当の休日になってしまった。家からまったく外に出ないで、一日テープの歌を聴いていた。まあ、そんな日があってもいいか。明日は少しは太陽が出てくれればいいが。