ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

温暖化と危機感

2007-01-30 | 環境
最近、銀行、市役所、法務局、裁判所、郵便局などへでかけることがあった。驚いたことはこれらの建物の中がきわめて暑かったことだ。暖房がすごく効いている。いま、地球温暖化が進み、京都議定書で日本は温暖化ガス(おもに二酸化炭素)を大幅に減らすことを約束しておきながら、約束を守れそうもないことがはっきりしてきている。

 政府は省エネルギーやクールビズやウオームビズを奨励してきながら、温暖化ガス削減はなかなか進まない。しかし、私の職場などでは室温は20℃を下回っている。上着はもちろん膝掛けも必要だ。しかし、これらの建物の中は汗をかくほどの暑さが。その証拠に、これらの建物の中で働いている人たちはほとんどが上着を脱いでワイシャツ姿で仕事をしている。外から入ってくるわれわれは上着はもちろん外套を着て手袋までもしている。それでは汗をかくほどの暑さだ。

 いったいこれらの人たちは温暖化の危機感を持っていないのだろうか。きっと温暖化が進んでも自分たちは被害を受けないと思いこんでいるのだろう。政府はこんなことを知っているのだろうか。中央省庁でもちゃんと省エネルギーを進めているのは環境省だけだと言う。他の省庁では暖房はぬくぬく、冷房はひやひやなのだろうか。不都合な真実とは、何か。これらの建物の中で働いている人たちよ。よく考えて欲しい。

女は子供を産む機械?

2007-01-28 | 政治
柳沢厚生労働大臣が、女は子供を産む機械と発言したとか。いまだにこんな発想を持っている人がいること自体驚きだが、そんな人が厚生労働大臣をやっていることには怒りがこみ上げる。安倍内閣のいいかげんさはまだまだ続きそうだ。

 人権感覚のない人たちが、教育再生だの家族再生だのと騒いでいる。少子化対策とやらも、しょせん国のために子供を産めという、それこそ女性を「機械」と考えている発想だろう。機械は子供を産めない。子供を産めるのは生きているものだけだ。生き物に産めよ増やせよと言うなかれ。生き物は産む時には産むし産みたくない時には産まない。生き物は彼らが考えているよりもっと上等だ。

 機械の頭数しか頭にないようでは、厚生労働大臣の資格はない。辞めた方が良いんじゃないの。厚生労働省がやらねばならないことは、安心して子供を産み育てる環境を作ることだ。その上で産むか産まないかは女性が決めること。教育も本来そうなのだ。政府がやることは安心して教育をする環境を作ること。その上で、どういう教育をするかは教師が考えること。政府が言うべき事ではない。

 人よりも国が大事だという逆立ちした発想の人が増えてきたように思う。時代はまた一回りしなければならないのかもしれない。
 

戦後から戦前へ

2007-01-28 | 政治
賞味期限が切れた安倍内閣の首相が、施政方針演説というのをしゃべるのをふと聞いてしまった。跳ね上がるような声は、彼の政治姿勢にふさわしい。

 彼が強調している「戦後レジームからの脱却」とは、なんだろう。ここでも外国語が使われているが(今度はフランス語だけど)、ようするに戦後体制から抜け出そうと言うことらしい。そしてどこへ行くのか?もちろん、戦後体制から戦前体制へ。戦争のできる(をする)国造りへ。

 徹底的に異端を排除し、非国民と名指しし、軍事力を行使し、財界に奉仕する。第二次大戦前の日本と違うのは、今度は奉仕先にアメリカが入っていることだ。正義ではなく力を尊敬し、悪魔に国を売る。

 すでに有事法制のほとんどは作られてしまった。教育基本法もこれまでとまったく逆の国の要求を国民に強制する法律になってしまった。教育はこれまでは権利だったが、もう今では義務でしかない。防衛省ができ防衛大臣が内閣に入った。憲法を変えるための国民投票法案が今国会で成立しそうだ。いよいよ、憲法改正が視野に入ってきた。施政方針演説で憲法改正を方針として述べたのは安倍晋三が初めての首相だろう。

 ここが踏ん張りどころだ。憲法だけはなんとしても守る。命に代えても。

裁判所の責任

2007-01-26 | 政治
強姦罪で懲役3年の判決を受けていた男性が、真犯人の自供で無罪だったことが判明した。富山県警の誤認捜査で犯人にされた男性は、刑務所に入れられてそれまでの人生のすべてを失った。痛ましいとしか言いようがない。

 富山県警は謝罪をしたようだが、謝ればいいと言うわけではないだろう。えん罪を作り出した警察の責任は重大だ。警察幹部は責任を取るべきだ。辞職するなり、かわりに刑務所に入るなり、責任の取り方はいろいろあるだろうが、無実の罪で3年間懲役刑を受けた男性の無念さを思えば、謝罪で済む問題ではない。

 それにしてももっとも責任を感じなければならない裁判所は何をしているのだろう。裁判所長なり裁判長の謝罪の一言もない。警察は無実の人を犯人と決めつけて捜査をした。それは責められる。しかし、最終的にその男性を有罪と決めつけたのは裁判所だ。無実であれば有罪とした裁判所が責任を取らねばならない。裁判所長は辞職して謝らねばならない。たまたま今回の事件は真犯人がわかったから、犯人とされた男性が無実と判明した。真犯人がわからないまま無実の人がどれほど多く獄に繋がれているか計り知れない。

 再来年から裁判員制度が始まる。あなたも人を裁く席に座らせられるかもしれない。あなたは無実の人を有罪としないと確信できるだろうか。警察の言うことを信じていると、無実の人を獄に落とすことになりかねない。もし無実の人に有罪判決をしたことがわかったら、あなたはどんな責任を取るつもりだろうか。それだけの覚悟を持って裁判員を引き受けられるだろうか。無実であっても知らん顔をしているつもりだろうか。

 裁判所が責任を取らないのは今に始まったことではない。治安維持法という戦時法律によって無実の罪で起訴され約30人が有罪とされた特高警察のデッチアゲ事件として有名な横浜事件。敗戦を受けて連合軍が廃止命令を出したのにもかかわらず、廃止までの僅かな期間に有罪の判決をしてしまい、4人の獄死者を出した。あきらかな裁判所の責任を、いまだに裁判所は認めない。先にあった再審請求を「免訴」なので再審できないというおかしな理論で自らの責任を絶対認めようとしない裁判所。司法改革という名の下に裁判所はますます自らの責任をごまかし、裁判員という名の国民に共同責任を負わせようとしている。

 いまもっとも必要な司法改革は、検察や政府の都合の良い判決しか出さず、決して違憲判決を出さない裁判所を根本から是正することだ。権力や政府から真に独立した裁判官の判決を保証することだ。

食品の安全とスローフード

2007-01-24 | 日記風
不二家の問題に端を発して、食べ物の安全と安心に関していろんな問題が出てきている。何を食べていても安心はなかなか無い。

 回転寿司を食べながら考えた。マグロが余り回って来ないようになった。これはマグロの資源が減少していること(とくにミナミマグロとホンマグロ)が、マグロ一般の価格の高騰を招いているせいだろうと。

 納豆の効能を嘘八百並べたテレビの影響で納豆が売れなくなったという。そういえば、納豆巻きが回転寿司にいっぱい流れてくる。価格が安くなったせいだろうか。納豆はテレビがうそを言わなくとも、立派な健康食であることは自明のことだ。テレビにいわれたら買いに走るというなさけない消費者が多すぎる。テレビがいうことの80%は嘘だと思っていたほうがいい。

 納豆は健康食品なので関西出身の私もときどき納豆を食べる。おいしい。しかし、回転寿司に流れてくる納豆巻きには手が出ない。なぜなら、スーパーで買うときは、容器に書いてある賞味期限とともに、組み換え遺伝子を使っていないことを確認して買うことができる。しかし、回転寿司に流れてくる納豆巻きはどのような納豆を使っているのかわからない。賞味期限が過ぎているくらいならいつものことだからそう気にしないが、遺伝子組み換え大豆を使っていたら絶対食べたくない。それが回転寿司ではわからない。

 そういえば、回転寿司で回っている製品についてはいっさいそのような情報が無い。鯛はどこのものか、養殖ものかどうか、何も書いてない。鯖はノルウェーのものか近海のものか、それによって食べるかどうか考えることができる。原則として私は回転寿司や刺身では、はまち、たいを食べない。おそらくすべて養殖ものだから。はまちや鯛の養殖には大量の抗生物質が使われ、その他多くの化学物質が養殖施設その他に使われている。養殖業者はぜったい自分が作ったこれらの魚を食べない。自分たちは天然の魚を買ってきて食べる。

 食品の安全は消費者がどれだけその食品を知って食べるかにかかっている。知らないものは食べないというのがもっとも懸命な対応だろう。スローフードとはそういう食べ方をいうのだ。


安倍外交の失敗続き

2007-01-24 | 政治
アメリカと朝鮮(人民民主主義)共和国の舞台裏での話し合いがどうやら軌道に乗ってきたようだ。六カ国協議に両者が前向きな姿勢を示している。キムケガン代表も「すべては変わりゆくもの」とこれまでのかたくなな態度を和らげている。アメリカが金融制裁を解除する気配を感じたのだろうか。なにはともあれ、六カ国協議が開かれて、核兵器の廃棄に実効ある進展が図れるとすれば、こんなに良いことはない。

 それにしても日本の外交は、日中国交に続いて、またしてもアメリカに捨てられる。アメリカが一足先に朝鮮と外交関係を結ぶことになったら、アメリカに追随しているだけの日本はもうどうしようもない。アメリカがいないと生きていけない日本外交の恥をまたさらすことになる。

 拉致事件をうまく利用して首相に成り上がった若造が、落ち目の首相の座をなんとか起死回生しようと六カ国協議で拉致拉致とさわいでみても、親分のアメリカさえもしらんぷり。朝鮮共和国には「日本は六カ国協議に参加する意味あるの?どうせアメリカと同じことしか言わないんだから」なんて馬鹿にされて。

サンナシ小屋に春が来た?

2007-01-22 | 日記風
朝はマイナス13℃と冷え込んだが、今日はすばらしい快晴だった。雲一つ無い青空で、しかも風がまったく無く暖かい。サンナシ小屋の周囲も雪も少なく長靴で十分歩ける。しかも雪が凍っているので潜らずに歩ける。

 冬至を過ぎて太陽の光は明らかに強さと輝きを増している。雪の結晶が太陽の光でまばゆい七色の虹のように光って、春はまだまだのはずなのに、春が近いことを教えているようだった。エゾシカの群れも陽射しをいっぱいに浴びて心なしかノンビリとしている。空高く悠然と舞うオオワシの白と黒のツートンカラーが光に照り映えている。オジロワシの若鷲が二羽、やや心許なげに飛んでいる。昨年このあたりで巣立ちした若者だろう。

 今日のサンナシ小屋の仕事は、馬の落とし物をかたづけることだった。ところかまわず落としていった山のような馬糞が小屋のすぐ前で凍り付いている。シャベルで掘り起こし、遠くへ捨てる。この作業で汗をかいた。ベランダは陽射しいっぱいで実に暖かく、気温は氷点下なのに日だまりで、ストーブは必要ないほどだ。

 このサンナシ小屋をもっとみんなに利用してもらおうと思う。どうしたらいいだろうか。
  

バイオエタノールは地球をすくえるか

2007-01-21 | 環境
化石燃料である石油に代わる燃料として、バイオエタノールが最近脚光を浴びてきた。なたねやひまわりは油を取る植物として有名だが、バイオエタノールは油ではなくアルコールだ。トウモロコシやサトウキビなどいろんな植物を発酵させて作ることができ、これまで捨てていたトウモロコシやサトウキビの葉などもすべて利用できる。しかも、燃やしても二酸化炭素の総量は変わらないので、京都議定書でもバイオエタノールを燃やしても二酸化炭素の排出計算には入れていない。

 アルコールというと心許なく燃えるアルコールランプを想い出す。すぐにお酒を思い出す人も多いだろう。あんなもので石油の替わりになるのだろうかと心配する人もいるだろう。しかしすでに山形県などでは直接ガソリンに混ぜて自動車の燃料として使われている。しかしコストはまだガソリンよりも高い。ガソリンも原油の高騰で高くなったが、バイオエタノールはまだそれよりも高い。しかもバイオエタノールだけだと車の部品の腐食が起こるという。そこでヨーロッパなどではバイオエタノールをさらに加工して、ETBE(エチルターシャリーブチルエーテル)というものにして燃料としている。

 まあ、とにかく石油を燃やすよりは地球に優しいことは確かだ。バイオエタノールの使用が増えて石油の消費量が減るのはうれしい。しかし、これにも問題はある。風力発電が自然エネルギーの利用として奨励されたけれども、あちこちにいっぱい風車が回り始めると渡り鳥が大量に死んだりする弊害もでてきた。

 バイオエタノールも多くの自動車が使い始めると問題が起こる。なぜなら燃料の安定供給には原料の植物をたくさん作らねばならなくなる。現在原料のトウモロコシやサトウキビからバイオエタノールを作って輸出しているのはブラジルとアメリカだけだ。しかし安定供給にはそれぞれの国でこれらの植物を生産しなければならなくなるだろう。そのために何が起こるか。現在縮少気味の農地がこれからもっと必要になり、いたるところで森林を切り開き農地開発が進むだろう。けっして地球に優しい燃料とは言えなくなる。

 しょせん、自動車社会による燃料の大量消費をそのままにして、石油をバイオ燃料に代えたとしても、一時しのぎにしかならないと言うことだ。政治がトヨタに遠慮していては、所詮地球を救うことはできない。自動車社会をどう変えていくか、それこそ考えなければならないことだ。

 車がないと生活できないような社会をなぜ作ったのか。道路ばかりが大きく長くなった日本。もっとスローなしかし豊かな社会を作りたい。パパラギ(先進国人)の国はアイツウ(悪魔)の国だ。

地球のために何ができるか(4)プラスチック

2007-01-20 | 環境
プラスチック製品は、原料は化石燃料「石油」だ。今もっとも困るゴミ問題の元凶でもある。燃やせば有害なけむりが出、埋めればすぐに埋め立て処分地がいっぱいになる。そこらに散らかせば汚らしい。熱を加えると水に有害な物質を溶出させる。子供が舐めると病気になる。ほんとうに困った存在だ。

 だから私はできるだけプラスチック製品を避ける。ペットボトル入り飲料は買わずに、ステンレスとガラスの魔法瓶を使う。持っていない時はスチール缶かアルミ缶入りの飲料を買う。弁当箱もアルマイト製。いまどきなかなか売っていないので探すのに苦労する。ちょっとした物入れには木や紙の箱を使う。プラスチック製品は安いが、やはり木の製品は落ち着きがあり品格もある。100円ショップにいっぱいあるようなプラスチック製品はできるだけ身の回りに置かないようにしている。

 しかし、何か買う時には苦労する。ほとんどがプラスチック製品だから。いつかも木製品だと思って買ったお椀がプラスチックだった。悔しい。もっとみんなが木製品や金属製品を使い、プラスチック製品を遠ざける生活をしてはどうだろう。木のぬくもりはスローライフにはぴったりだし、なによりも地球の環境を守る大きい手だてになる。

NHKと流言飛語

2007-01-19 | ちょっと一言
先日のマグニチュード8.3という巨大地震のときに、津波警報が発令され、避難勧告が出て私も山の上の避難場所に避難した。地震直後に津波警報がでて、NHKテレビが釧路市の幣舞橋からカメラで中継していた。そしてアナウンサーが伝えた事が人々の流言飛語の原因となった。アナウンサーは、海の水が1メートル以上も退いている、と言った。

 津波警報が出ている時に、海の水が1メートル以上もひいているとテレビが言ったら、人はどういう反応をするだろう。当然、津波が来る、今度は本当に来る、というように思うだろう。実際に私の周りの人々もそう言う反応をした。しかし、この海水が退いたのは干潮だったからだった。NHKのこのアナウンサーは一日に2回海水が退いたり満ちたりすることを知っていたのだろうか。それも知らずに津波警報が出ている、いま、海水が1m以上も退いてきた、といえば、人々を流言飛語で混乱させる。

 NHKはいったいアナウンサーにどのような教育をしているのだろうか。これではますます人々は警報を本気で受け止めなくなる。今回も私が避難した避難場所にはわずか15人くらい。指定避難場所によってはたった1名だったところもある。すでにもうみんなは津波警報や避難勧告を信用しないようになっている。オオカミ少年はもうみんなに危険を知らせることができない。本当に津波が来た時に、何が起こるだろうか。