ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

えん罪が蔓延している

2008-03-05 | 日記風
北九州で兄を殺して放火したとして殺人や放火の疑いで起訴されていた女性が無罪判決を受けた。警察が物的証拠がほとんど得られない中で、半年後になって殺人・放火で逮捕したが、被疑者が否認し続けたものだ。警察は自白を得られないので、同じ留置場にいる別の女性からこの女性が「兄を殺した」と打ち明けられたと証言したことを証拠として起訴したものだが、どうやら警察はこの女性に刑を軽くするからなどと言ってスパイ行為をさせていたらしい。

 警察に都合の良い供述をすれば刑が軽くなると思いこんだこの女性が警察の心証をよくしようと聞かなかったことまで警察に言った可能性がある。そもそもこのようなスパイ行為による捜査は許されるものではない。他に何一つ決めてとなる証拠がないことから裁判所も無罪判決をだし、警察の捜査のあり方を強く批判した。有罪率99.9%といわれる裁判の中で、この裁判長は正義を貫いたと言えよう。

 ただ、火災の翌日に死んだ兄の貯金通帳で500万円引き出したとして窃盗罪を認めて有罪とした。しかし、親族が死んだ後、その預金をいったいだれが下ろすべきだろうか。本人名義でも本人が死んでいる。法律では預金者本人が死んだら、誰もそれを下ろすことは出来ない。遺産相続をして相続税も払ってから相続した人が下ろすことができる。けれども普通は死んだら親族が急いで下ろして現金にしておき、遺産相続者が分けるか葬式代に充てることが多い。周りの人々の様子を見るとそうすることが多いように思う。相続税はかなり高いので残された子供たちのためにそうすることが多いように思う。しかし、それも裁判に掛けられたら窃盗になるのだ。気をつけよう。

 最近、しょうもない法務大臣が「冤罪ではない」とついつい強弁したくなるほど警察や検察の非道な捜査・起訴が増えている。法務大臣がそう言わねばならぬほど冤罪事件が増加していると言うことなのだろう。重大事件の検挙率もずいぶん減った。1960年代頃は重大事件で検挙できなかったのは「府中3億円強奪事件」くらいのものだった。そのほかの重大事件の検挙率は80-90%くらいあったのではないか。今ではそれは50%を切っているはずだ。それほど警察や検察の能力が落ちてきた。それでも有罪率が99.9%というのは検察と裁判所の「仲間意識」によるほとんど100%の信頼だろう。検察が起訴した以上はこれは有罪だという先入観が裁判官に出来ているためではないだろうか。

 来年から裁判員制度が始まる予定だ。一般から選ばれた裁判員が検察をどう信じるか、裁判官のいうことに引きずられないで独立した裁判員としてどう判断できるか、きわめて疑わしい。ますます冤罪は増える一方ではないか。真の司法改革は、すべての裁判官が本当に独立して裁判を出来るようにすることであって、今のような上の判断を常に意識し、政府の判断を追認するだけの裁判をなくすことではないか。裁判官の自由な判断を尊重しないでは、裁判員制度は傀儡裁判官を覆い隠す役割しか果たせないだろう。

 今日は啓蟄。虫も動き出す頃だけど、寒い北風が吹いていた。それでも確実に春は近づいていることが判る。無罪になった女性に本当の春がくると良いが。検察は控訴をすべきではない。

アメリカ大統領選挙へのわずかの期待

2008-03-04 | 政治
今日、3月4日はオハイオ州とテキサス州で民主党の党員選挙がある。ヒラリー・クリントンがここで負けたら大統領選挙から撤退せざるを得なくなるという最後の戦いになるだろう。ブッシュの後の大統領は誰が見ても民主党候補が大統領に当選しそうだ。とすると、事実上のアメリカ大統領が明日にも決まることになりそうだ。

 クリントンでもオバマでもいいけれど、私の関心は9.11事件の真相がどちらが大統領になったら明らかになるかということ。様々な情報を総合してみると、9.11事件(同時多発テロとマスコミは言っているが)はどうもアメリカ政府の仕組んだことだった可能性が非常に高い。

 数年前からアメリカ政府の中で検討されていた軍事訓練のシナリオとほとんど瓜二つの事件が9.11に起こっていること。数日前からアメリカ航空会社の株が大量に売買されてインサイダー取引と思われる取引があったこと。国務長官がワシントン市長に当日の飛行機での出張を控えた方がいいと電話で話したこと。2ヶ月前に病院に入院していたオサマ・ヴィン・ラディンをアメリカCIA幹部が見舞いに行って話し込んだこと。ペンタゴンにつっこんだボーイング機の残骸が見あたらないこと。大型航空機が衝突したとは思えない小さな穴が開いていること。しかも2.5mというコンクリートの壁をジュラルミン製の飛行機が開けたという不自然。ペンタゴンに突っ込む前の飛行機の速度が非常識に速いこと。ミサイルのようなものであった可能性が高いこと。貿易センタービルが不自然な崩壊を起こしたこと。崩壊の時にいくつもの爆発が見られていること。同じような崩壊を起こした第七ビルは飛行機の突入を受けていないこと。突入に失敗して墜落したはずの飛行機と同じ機体番号の飛行機が、その後もアメリカの別の空港に永らく留置されていたこと。などなど政府の説明を疑問視する不思議なことがいっぱい報告されている。

 それらの疑問を後押しするのは、アメリカ政府がいっさいの証拠を出さないことである。ハイジャックされて突入した飛行機のボイスレコーダーは回収されているのにまったく発表されない。貿易センタービル周辺のがれきはまだ1000人以上の行方不明者が残っていたのに、大あわてですべて撤去し、外国の廃棄物処理業者に売り払われ、どこかの海に埋め立てられてしまった。

 これらおかしな事件をもとに、ブッシュ一派はアフガニスタンに侵攻して、令状無しで逮捕できる特権を大統領に与え、容疑者の裁判をすべて軍事法廷にし秘密裁判が出来るようにした。その上で、イラクに侵略し、10万人というイラク人を殺し、石油の利権を手に入れ、自らの懐を肥やした。その歴史的な真実を次の大統領が明らかに出来るかどうかを私はもっとも関心を持ってみている。

 ヒラリー・クリントンはおそらく大統領になってもこの真実を明らかにする勇気は持たないだろう。なぜなら前大統領は自分の夫だから。そして自分もイラク侵略に賛成したのだから。真実を知らされることもないかもしれないが、知ろうともしないだろうし、知ってもそれを明らかにはしないだろう。その点、オバマはひょっとするとその可能性があるかもしれない。オバマが大統領になったとき、歴史的な犯罪が明らかになるかもしれない。その可能性で私は少しどきどきしながらアメリカの大統領選挙を注目している。

下品になった日本の政治

2008-03-03 | 政治
南極海で環境保護団体のシーシェパードが捕鯨を阻むために実力行使をしたことが報じられた。タイミングの良いことに、今日は 「鯨類の持続可能な利用に関するセミナー」が東京で開かれており、その席で外務省はシーシェパードによる妨害を非難し、参加国に「感情的にならずに科学的に議論したい」と述べた。

 ところが実はこのセミナー、日本政府が日本の政府開発援助(ODA)の供与と引き換えに招待したもので、国際捕鯨委員会で日本の捕鯨支持を取り付けるためのものだ。参加国には、1994年以来、合計118億円以上の「水産無償援助金」が日本政府よりおくられている。

 どうも最近の日本政府の拝金主義的な動きが目に余る。米軍再編では政府の言うことを聞かない自治体には、一銭の助成もしない一方、政府案をそのまま受け入れた自治体には巨額の税金を注ぎ込む。そのやり方は露骨である。アメとムチの政策と言われているが、過去のそれと比べてもその露骨さは常軌を逸しているように見える。岩国市長の井原勝介さんが横田基地からの米軍艦載機の受け入れを住民投票の85%の反対に基づいて拒否すると、過去の約束だった市庁舎建設費用の助成35億円を突然打ち切り、井原さんが選挙で負けると手のひらを返したように直ちにこの助成金を復活させるなど、自治を土足で踏みにじるようなことを平気でやって恬として恥じない。

 捕鯨でも、ODA援助金を注ぎ込んだアフリカ諸国などの海を持たない国までIWCに加盟させて、捕鯨賛成の票を増やそうとしている。今日開かれたセミナーには日本がお金を出してアフリカやカンボジアなどの援助諸国の水産大臣を呼び、援助と引き替えに日本の捕鯨を認めさせようと露骨な工作を行っている。これらの諸国は、クジラは自分たちとは関係ないけど賛成すると援助がもらえる。

 まさに日本の政治の品格がここまで落ちたということだろう。品格ではなくて品が無く、下品になった。海上自衛隊は責任を隠すためにごまかしを重ねている。さらに今日はベトナムで貨物船に衝突した。いったい自衛隊がなんでベトナムなんかへ行っているんだろう。勝手に海外に行くようになったのはいつからか。沖縄では外出禁止令が出ていたにもかかわらず、またまた米兵の犯罪が起こった。軍隊は国民を守らないことが、今更ながら明らかになった。武力はいらない。非武装こそ平和の礎だ。
 

ザゼンソウの花 山里にも春が来た

2008-03-02 | 花と自然
弥生三月が来た。いよいよ春本番である。サンナシ小屋の周辺ではまだまだ春は遠いけれども、こちら関東では春は音を立ててやってきている。今日は雪解けとともに花を咲かせるザゼンソウを見に行った。ザゼンソウはミズバショウと同じサトイモ科の植物で形もミズバショウによく似ている。色は暗赤色から黄色に近い色まで変異がある。ミズバショウと同じように水辺や湿地に咲く。

 今年はどうやらザゼンソウの花も咲き始めるのは例年よりも遅かったようだ。埼玉県で唯一残っている自生地は、わずか1アール程度の広さだった。そこに約70個ほどのザゼンソウの花が落ち葉の下から顔を出している(写真)。昔は小さな池があってその周りにザゼンソウがいっぱい生えていたらしいが、すぐ上に道路ができてザゼンソウの群落は多くが道路の盛り土に埋められてしまった。残った場所も池が干上がりわずかに流れるようになった水のほとりにザゼンソウが残っている。


 土地所有者の老夫婦が、花の時期には毎日朝晩やってきて花を守るために目印の棒をたてたり夜は霜よけに落ち葉をかぶせたりと親身の世話をしているらしい。こうして世話をしていると盗掘を防ぐことが出来るらしい。しかし、貴重な植物の自生と知っていながら盗掘していく人がいるのは本当に腹立たしい。

 ザゼンソウの花が咲いたら、もう春は一気に始まる。途中の山里のあちこちでフクジュソウの花を見た。もうフクジュソウの花は終わりに近い。咲き始めには葉を見ることはないが、いまはもう青々と茂った葉にフクジュソウの花は埋もれてしまいそうだ(写真)。


春一番の樹木の花マンサクも満開だ(写真)。うらうらと春の日射しを浴びてこれから始まる花の春を予感して楽しんだ。


ヒトは鯨の友達だった?

2008-03-01 | 日記風
エレイン・モーガン女史の「人は水辺で進化した 人類進化の新理論」を読んだ。これはアリスター・ハーディ博士のアクア説を新しい発想も入れて支持したものだ。最近長い間人類進化についての本を読んでいなかったので、アクア説という新しい進化理論を知らなかったので、驚きとともに楽しくこの本を読むことが出来た。

 エレイン・モーガンのこの本は、前著「女の由来-もう一つの人類進化論」に続くもので、前著は人類進化における女性の位置という視点も加えてアクア説を紹介したもので、それはベストセラーになったという。私はアクア説そのものを知らなかったので、この本も読んだことはなかった。

 人類進化のアクア説とは、類人猿から人類が進化で別れるときに何が起こったのかといういわゆる「失われた環」についての推論である。人類進化のこれまでの主要な説は、「サバンナ説」であった。森林から何らかの理由で降りざるを得なかったヒトの祖先がサバンナという草原に生活することによって二足歩行や武器の使用を発達させて人類へと進化したというのがサバンナ説である。

 一方、アクア説とは人類は森林から草原を経ないで直接浅い水辺に降りて、海の生き物を食べていたというもの。水の中に入って貝や魚を捕っているときに、水の中では餌を食べるのに立ち止まって二本足で立つことを容易に覚えたというのである。その証拠がヒトの無毛性。陸上の哺乳類で体毛を無くした動物はヒト以外にいない。しかし、海に住んでいる哺乳類は鯨・いるか類、ジュゴンなどの海牛類などがみんな体毛を無くしている。また、体毛の並び方はヒトは類人猿類とはまったく違う体毛の並び方をしている。その並びは泳いでいるときの水の流れに見事に一致しているという。また、顔を水につけたときにヒトは血中酸素の消費量が著しく減少する「潜水反射」という現象を持つが、同じような現象を持つものは陸上動物には居ない。やはり海産の哺乳類に同じ反応を持つものが多い。

 極めつけの証拠はヒトの性交姿勢。腹と腹を合わせて対向姿勢で性交するのは陸上の動物にはヒト以外にはあまり居ない。しかし、鯨も海豚もジュゴンも対向姿勢で交尾する。水の中に棲む動物にとってはこれがもっとも効果的な交尾姿勢らしい。

 そんなこんなを考え合わせると、人類は類人猿から別れる際に一度浅い海に住むように適応して二足歩行などを獲得してヒトへの道を歩き始めたらしいというのが、アクア説である。ヒトはその後何らかの理由で陸上に戻ったのだ。アクア説では、これらの進化の事件が起こったのは北東アフリカの一部で、そこでは海進時に陸が海になり、ヒトが生まれた後に今度は海が無くなって陸地化したことが地質学の研究から分かっている。そこで人類は始まっただろうという。しかし、その時期(350万年から1200万年前)のヒトの化石はまだどこからも見つかっていない。最初の人類と考えられているオウストラロピテクスの化石は350万年前からだ。

 人類の歴史を一冊の本から思い起こす楽しい時間を過ごさせてもらった。