ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

手塚治虫少年の「昆虫つれづれ草」

2009-06-29 | 読書
鉄腕アトムなどの漫画家、手塚治虫は私の若い頃のあこがれの人であった。いや、多くの人のあこがれでもあった。鉄腕アトムは当時の雑誌に連載していたのを、毎号真っ先に飛びついて読んだ覚えがある。雑誌の名前は「少年」だったか、「少年クラブ」だったか、「冒険王」だったか、よく覚えていないが。そのあとの「リボンの騎士」は、「少女」だったか「少女クラブ」だったかに連載されていた。これも夢中になって読んだものだった。もちろん自宅でこれらの雑誌を購読していたはずはない。とてもそんな雑誌を買う余裕はなかったからだ。小学校のクラスで、これらの漫画雑誌を共通で購入していた。毎月新しい号が発行になると、クラスで雑誌の引っ張り合いになる。たいてい強いガキ大将が勝って、跡のものは順番が来るのを待っていなければならない。喧嘩に弱い私はいつも順番が最後の方だった。しかし、雑誌はクラスのものだから、自宅に持って帰ることはできない。だから帰るときにはまだ読み切っていなくても次の生徒に渡して帰る。どうしても雑誌を読みたかった私は、じっと辛抱強く待って、日が暮れるまで待つ。日が暮れるとさすがに雑誌よりは家が恋しくなるので、生徒たちはみな帰って行く。そうするとようやく私の番が来る。灯りもつかない暗い教室の隅で、机にかじりついて手塚漫画を読んでいたころが懐かしい。

 今日、手塚治虫の手作り本を復刻した本、手塚治虫著「昆虫つれづれ草」を読んだ。これは手塚治虫が宝塚の北野中学の生徒だったときに、一人で文章を書き、昆虫標本の絵を描き、紙が手に入りにくい戦中に紙に清書をし、手で製本をした自家本だった。合計20巻を作って友達と半分づつ保管しておいたものだ。中学生といえばまだ10歳そこそこで、これだけの文章が書け、絵が描ける人は、天才といって良いだろう。インクが手に入らないので、蝶の標本の絵の赤は、自分の血を使ったと手塚さんは後に語っている。

 彼の「昆虫つれづれ草」を読んでいると、網を持ってあちこちの山を歩き、昆虫採集をしていた昔を思い出す。あのころ感じたことや知識として知っていた昆虫のことを、また思い出してしまった。当時、昆虫好きな少年だった人は、おそらく同じようなことを感じるだろう。手塚少年も私もおそらく感じたことはそう違いがないに違いない。でもそれを大人びた文章で書き残し、絵を描いた人は、おそらく彼以外にはいないだろう。

 あらためて手塚治虫の天賦の才能を感じ、鉄腕アトムに結実した彼の心に敬服する。現代にあのような巨人はもう現れないような気がする。鉄腕アトムの中に各所に散らばる手塚治虫の昆虫好きの心。森の木を切る開発に嘆き悲しむ老学者の姿を描けたのも、開発一辺倒のあの時代に、開発反対の心を描けたのも、彼が蝶を追いかけた箕面の山の自然があったからなのだろう。いまはもう宅地開発に飲み込まれたしまった都市の森をこれから再び取り戻せるだろうか。


カモシカの遊ぶ街を

2009-06-28 | 花と自然
テレビのニュースを見ていたら、どこかの町にカモシカが現れ、警察や役場の人たちが総出で2時間だか3時間だか追いかけ回したというニュースが放送されていた。それをみて、前から不思議に思っていたことを思い出し、書いてみようと思った。

なぜ警察はカモシカを追いかけるのだろうか。カモシカに限らない。警察は、猿が出たと言っては追いかけ、イノシシが出たと言っては追いかけ、どこかでカメが歩いていたといっては出動し、動物たちを追いかけている。警察ってそんなことをするところだったの?私が不思議と思ったのは、そう言う疑問だった。警察ってそんなことをするところだったの?

カモシカが街を歩いていたら、私なら素敵だなと思う。奈良にはシカが歩いているが、警察が追いかけたという話はあまり聞かない。熊が歩いているというのも、素敵だなと思うけれど、まあ熊の場合は危害を加えられることもあるので、警察なりが熊を追い払って欲しいと思うが、熊の場合は警察よりも猟友会などがしゃしゃり出て、すぐに鉄砲で殺してしまう。これも不思議だ。野生動物は野生動物の立場があり、人間に直接の危害を加えない限り、いっしょに生活できるはずだ。カモシカが街を歩いていたら、それこそ自然と共生できる町ということで、町の知名度アップにもつながる。それをみんなで追いかけ回し、捕まえたり、殺したりする。なぜなんだろう。不思議で仕方ない。

ニュースを聞いていると、どうやら住民がカモシカを見つけて、警察に連絡したらしい。まず、ここが分からない。なぜカモシカが歩いていたら警察に届けるのだろうか?カモシカは不審者なのだろうか?カモシカはひったくりもしないし、幼女を誘拐もしない。それでも警察に連絡するという住民はいったいカモシカをなんだと思ってれんらくするのだろうか?

連絡を受け取った警察も警察だ。そんなことは俺たちの出る幕ではないと一喝すればいいものを、へっぴり腰で駆けつける。よっぽど警察って暇なんだろうか。それともカモシカを見たことがないので、一度見てみたいと思って駆けつけるのだろうか。もしそうなら、好奇心いっぱいの警察官を尊敬したい。しっかり見て、写真も撮って、そしてさよならって言えばいい。役場にも連絡していっしょになって追いかけ回し、捕まえることはするべきではない。野鳥を勝手に捕獲すれば鳥獣保護法違反になるが、カモシカなら、警察がやれば、違反にならないのだろうか。

 もっと野生の動植物に寛容な町を作って欲しい。町の中にリスが遊び、ツルが舞い、カモシカが歩いている、そんな町に私は住みたい。


臓器移植法案を一度廃案に

2009-06-27 | 日記風
臓器移植法改正案のA案というのが衆議院を通過して参議院に送られた。これまでの臓器移植法とまったく違う内容なのに、ほとんど議論らしい議論もなく、あっという間に衆議院で可決された。でも、この法案は危険きわまりない。

 これまで「脳死」を「人の死」と認めるかどうかは、非常に多くの議論がなされてきた。現在の臓器移植法は、それらの議論から生まれた妥協の産物だった。つまり「脳死」を一律に「人の死」とは認めず、臓器移植する場合だけ「死」と認めるものだった。また、臓器移植を商取引などに利用させないためにも、15歳以下の子供の臓器移植を禁止したものである。

 今回のA案は、それをいきなり「脳死」をすべて「人の死」と認め、年齢制限もすべて無くしてしまうというこれまでの議論と妥協を覆してしまう無茶苦茶なものだ。それも十分な議論をすることもなく、多数決で決めてしまうというこれまでの関係者の努力をまったく無視するものでもある。ただ、もっと臓器移植を増やしたい、15歳以下の子供からも移植をしたいという、移植ありきの医学界からの要請と、ただ病気を持って生まれた自分の身内の命を救いたいという人の気持ちを短絡的に臓器移植に繋げて考えるための法案だ。

 でも、「脳死」を「人の死」と認めることは、そう簡単なものではない。自然科学的にどこかに死の線を引くことはできても、それをもってすべての人が納得して死を迎えることができるかどうかは別の話だ。「脳死」と判定されても、体温を持つ植物人間の子供を支えることが自分が生きる価値と思う人にとっては、「脳死」は「死」そのものとは絶対思えないに違いない。しかし、のう「脳死」を「死」と判定されれば、法律的には医者は生命維持装置を家族の気持ちとはまったく別に外してしまうこともあり得るようになる。医療に金がかかるからという理由で社会保障や医療費の自己負担を増やしてしまうコイズミやアベのような新自由主義の政権ができたら、「脳死」と判断されれば家族がどう考えようとも直ちに生命維持装置を外しかねない。

 もう一度、「脳死」を「人の死」と認めるかどうかを国民的議論にすべきだ。そのために、一度この法案を廃案にして、もう一度真剣な議論をすべきではないか。移植に携わる医学者の多くは移植を増やすべきだという声明を発した。しかし、それはダムを造るべきだと土木学者が言うのとかわらない。科学者全体が、哲学者や生命倫理学者も含めて、議論してみてはどうか。

 そもそも私は臓器移植は良いと思わない。他人の死を前提にした臓器移植は、病気を持った人にとって生きのびる可能性を開いたけれども、他人の死を待ち望む心も作りだした。私は尊厳死は望んでも、臓器提供はお断りする。他人の臓器で生き延びようとは思わない。人はみな、いずれは死んでいく。死んでいく時をいつと定めるか、それをどうやって決めるかは、それぞれの人が考えるべきである。医学の発展は無限定にいいことではない。臓器移植も、遺伝子治療も、発展させる必要のない医学ではないだろうか。

韓国料理に舌鼓?

2009-06-24 | 日記風
しばらく韓国へ出かけてきた。韓国のもっとも南にある町の順天市というところに行った。古い友人にあったり、新しい友人に出会ったり、広大な干潟を眺めたりして、楽しく4日間を過ごしてきた。その間、大雨に遭遇し、近くにある露天市場に魚を見に行ったときには、小さな傘だったために、下半身はずぶ濡れになってしまった。その大雨の中でも干潟などで掘ったり捕まえたりした貝や魚、カニ、海老などを洗面器の大きいような入れ物に入れて売っているおばあさんたちは、平気だ。頭にビニールを載せて、元気な声で「買って行きな」と叫んでいる(らしい)。

 日本の有明海では、もう絶滅危惧種となったムツゴロウも洗面器の中で売られている。貝も昔日本ではいっぱいいたと思われる種類だが、最近日本にはいなくなったものが多い。韓国は日本の有明海をさらに大きくしたような広大な干潟が多い。世界自然遺産にしようと努力しているほどだ。黄河や漢河などの大河が運んできた土砂が溜まって、あの広大な干潟ができたのだろう。しかし、韓国も日本と同じように埋め立てが進み、干拓事業や工場地帯が干潟を潰して作られてきた。その規模は日本よりももっと大きい。セマングムの干潟の沖に作った閉め切り堤防は、諫早の閉め切り堤防の数倍もあるという大規模なものだった。日本では裁判所が開門調査を行うべきだという判決を出しても、農水省は言を左右にしてやろうとしない。しかし、韓国はセマングムの締め切り堤防の問題点を指摘されると、はやばやと堤防を開削し、開門して海の水を入れることを決めた。環境門対に対する対応でも日本よりも進んでいる。

 先日、東北の民宿で食べきれないほどの食事が出て、もったいないという話を書いた。韓国でも同じ話を書かねばならない。写真のようなものすごい量のご馳走がでた。お鍋はプルコギというすき焼きにスープを入れたような料理だ。毎日のように朝から夕食までこのような豪華でたくさんの食事が出た。韓国料理を思い切り堪能できたのだが、やはり大量の料理が余る。韓国はいろんな種類のキムチや総菜をお皿に入れてたくさん並べる。




 食べる方はいろいろ味わいたいので、少しずつ箸を付けるが、すべてを食べきることはできないのが普通だ。箸を付けた大量の残り物はどうなるのだろうか。また使い回すとは思えないので、みんな捨てることになるのだろう。日本食よりももっと捨てる部分が多いのではないかと心配になった。韓国では、客人をおもてなしするときには、とても食べきれないほど多くのお皿を出すことがおもてなしの気持ちを表す方法だという。どこでもこのようなやり方が行われている。いっしょにご馳走を食べた中国上海からの友人は、中国でも同じだと笑う。たしかに私も上海に行ったときに、食べきれないご馳走の山にびっくりし、それでも頑張って食べようとして、お腹を壊した思い出がある。中国でも同じように客人が食べきれずに残すほどの量を出すことが、おもてなしの良い流儀だという風習がある。

 おそらく世界中でそのような風習が多くのところであるのかもしれない。しかし、一方では、一日の食事も事欠く人びとも世界に多い。このような風習が少しずつでも改善されないとダメなんじゃないだろうか。日本の食糧自給率は40%という。しかし、食べずに捨てる食料の割合は30%もあるという。捨てないでちゃんと食べたら、日本の自給率は80-90%になる計算だ。

 おいしい韓国料理を腹一杯食べながら、そんなことも考えてみた。なにかいいアイデアはないものか。コンビニ弁当も賞味期限切れのを価格を下げて販売できるようにしてはどうか。賞味期限は切れても、消費はできる。痛んだものでも火を通せばまた食べられるものもある。食べるもののない時代を過ごしたわれわれは、その知恵を知っている。若者も痛んだ食べ物を食料に回復させる知恵を学んだ方が良いのではないか。食糧危機はすぐそこに迫っているのだから。

叫びたし 寒満月の 割れるまで

2009-06-18 | 正義と平等
叫びたし 寒満月の 割れるまで

この句に込めた作者の胸をかきむしるような想いをどうすれば受け止められるだろうか。足利事件の管家さんと同じように、警察と検察と裁判所に無実の罪をかぶせられて、死刑台に送られた作者が、獄窓から寒々と凍り付くような満月をみて、月が壊れてしまうまで理不尽な世の中に無念さを叫びたいと思ったのだろう。いや、本当は月ではなく、この地球こそが割れてしまい、世の中のすべてがきれいさっぱりと無くなって欲しいと、幾度思ったことだろう。

管家さんに県警本部長が謝ったという。管家さんは許す気持ちになったという。でも本当に許せるのだろうか。当時、管家さんを取り調べた警察官や検察官は、マスコミの取材に、直接謝ってもいいが・・・と言葉を濁している。中には謝るつもりはないと言い切る検察官もいるらしい。彼らは本心で謝ろうと思ってはいないだろう。そんなことをしていたら、日常の仕事はできなくなると考えている。それだけ警察や検察のやっていることは、いつでもえん罪を作りかねないものなのだ。裁判官に至っては、誠心誠意良心に従って裁判をしたと謝るつもりはないことをはっきり言った。彼らは自分たちは悪くないと思っている。たまたまえん罪で立件された人が災難だっただけで、自分たちの責任はないと思っているらしい。

管家さんはそれでも18年の刑務所暮らしから救われた。でも、「叫びたし 寒満月の 割れるまで」と、血のような悔しさを吐いた飯塚事件のNさんは、DNA鑑定によるという証拠だけで、警察や検察や裁判官に殺された。彼は逆さづりにされ、足の間に棒を挟んで正座させて踏みつけるというような拷問によって、自白させられたという。裁判官は彼の無実の叫びにまったく耳を傾けなかった。同時に共犯で逮捕され死刑を宣告された人が、Nさんは無実だといくら訴えても、裁判官は聞く耳を持たなかった。そして罪を認めた共犯者は恩赦で無期懲役に減刑されて出所、Nさんは死刑になった。なぜNさんが減刑にならなかったか?共犯者とされた人は自分の罪を認めたが、Nさんはあくまで無実を主張したからだった。自分はやっていないと主張することが、司法権力の気に入らなかったからである。

管家さんのようにえん罪がはっきりと検察によっても認められることは非常にまれなことである。鑑定結果でも検察に不利な場合は証拠として出されないこともある。圧倒的に被告に不利な条件で裁判は行われる。そのような裁判に、市民が裁判員として引き出される。しかも、裁判員が参加するのは死刑か無期懲役に相当する重罪が問われるケースだけである。Nさんのような場合もおそらく多い。裁判員は良心に従って裁判に参加したと言ったとしても、Nさんのように無実の人に死刑を宣告することも十分ある。それでもあなたは裁判員に参加する勇気がありますか?

今一度、心を澄ませて彼の声を聞いて欲しい。

「叫びたし 寒満月の 割れるまで」

西川社長を辞めさせよう

2009-06-16 | 南の海
かんぽの宿売却問題や郵便割引不正事件など、郵便局の民営化に絡んだ疑惑が噴出している。でももっとも大きい疑惑は、300億円を超える日本の郵便貯金をアメリカのハイエナ金融資本へ献上したコイズミ・タケナカ疑惑だ。アメリカに日本の資産を朝貢した郵政民営化をもっと本気で見直す必要がある。

かんぽの宿の怪しげな利益誘導事業を進めようとした西川善文社長の続投を認めないとする鳩山総務相が、アソウ首相に解任された。鳩山総務相によるとアソウ首相は西川社長の後任人事まで考えていたという。それを信じた俺が馬鹿だったと言っているが、ウン、馬鹿だったな。アソウ首相のぶれまくりはとっくに予想されていたはずだし、盟友である鳩山邦夫が知らなかったはずがない。それでも信用していたのなら、やはりそれは馬鹿だ。

アソウ首相は、コイズミ内閣で総務相をしていた。当の郵政民営化の担当大臣だった。それが、「実は民営化に反対だった」などと本当にお馬鹿な発言をして、失笑を買った。コイズミにまで「笑うしかない」と嘲笑された。民営化に反対だったのに、総務相という身分を失いたくないだけのために、自分の主張を言わなかったことを自分で認めたことだ。それって、政治家としての資質がないということを証明しただけじゃないか。

それでもコイズミ路線への批判に乗って、選挙管理内閣を組織したはずなのに、いつのまにか自分が実力で総理になったと思い込んでいるお馬鹿さん。とっとと解散してしまえばいいのに、総理の椅子にしがみついて、結局時間稼ぎだけをやっている。西川社長の続投をやめさせるつもりだったアソウ首相が、盟友を切ってまで続投をさせようと思ったのは、もちろんコイズミ・タケナカの圧力である。郵政民営化に反対だったなどと言い、西川社長の更迭を考え始めたアソウに危機感を抱いたコイズミ・タケナカ一派は、猛烈な圧力をかけたらしい。

ここでもアソウが信念など全くなくて、自分の保身だけで動いた痕がよく見える。そして郵政民営化の弊害はこれからも日本に、日本人に重くのしかかってくる。うまい汁を吸っている何人かの政治屋と資本家を除いて。

民主党は政権交代を言うが、民営化を見直し、郵便局を国民のための郵便局にする覚悟がまったく見えていない。ゆうちょ銀行のお金で、アメリカの国債を買いまくり、アメリカのイラク戦争・アフガン戦争などの戦争資金を提供してきた日本の姿勢を変えようとはしていないようだ。まずアメリカの国債を国民の税金や貯金で買い支えることを止めさせなければ、アメリカの好戦的な姿勢は改まらない。オバマといえども、アフガンにさらに2万人の米軍を増派するという。戦争政策をCHANGEできないオバマちゃん。

まず、西川社長を辞めさせよう。そして民営化を止め、国民の手に郵便局をとりもどそう。ゆうちょ銀行の貯金は、金融マネーゲームから手を引かせ、日本の困窮している民衆のために使うよう限定させるべきだ。

京都の蛍は涙を誘う

2009-06-15 | 花と自然
毎日のように夜の散歩で楽しんでいた琵琶湖疏水の蛍だったが、東北へ3-4日留守にして帰ってみると、すっかり数が減ってしまっている。しばらく目をこらしていても、一つか二つ疏水の石垣にしがみついてひっそりと光っている蛍が目に入る程度だ。蛍を楽しむという季節は終わったのかなと、一抹の寂しさを感じていた。

 ところが、連れ合いがもっと大きい高野川にも蛍がいっぱいいるという情報を聞いてきた。少し遠いが歩けない距離ではない。夜の食事を済ませて、仲間たちを誘って出かけた。20分くらい歩くと、鴨川の上流の高野川に着く。ここらあたりは高野川と賀茂川が合流して鴨川になる下鴨神社の上手に当たる。もう数分歩けば鴨川だ。

 琵琶湖疏水が幅1m程度の狭い用水路なのに比べて、高野川は間違いなく本物の川だ。岸は道路があるのでコンクリートで固めてあるが、河川敷の中に散歩道があり、それより川側には草が生い茂り、その間を幅数mの川が流れている。車が頻繁に通る道路があるのでしばらく目が慣れないと蛍が目に入らなかったが、すぐに目が慣れてきたら、もうそこらあたり蛍の光がいっぱい点滅している。川面の上には蛍が飛び交い、草むらにはじっと止まって光を放つメスのホタルがいる。多いところと少ないところがあるが、多いところではまるで満天の星が瞬いているような趣だった。

 最初はウワー、スゴイー、などと叫んでいた仲間たちも、やがて静かになって、じっと闇のホタルを眺めている。やっぱり蛍の光は黙って静かに眺めていたい。昔ホタルを眺めた若い頃が目に浮かんでくる。なにより儚そうな蛍の光の点滅が、黙ってみていると涙腺がゆるんでくるのを誘う。なんなんだろう。この感情は。自然といっしょに生きてきた日本人の心が残っているのだろうか。今の若者にはひょっとしたらこの感情は分からないのではないだろうかと思ってみていた。しかし、いっしょにホタルを見に来たもっとも若い仲間は、やはり黙ってホタルを見つめている。なにかを感じているのだろう。もっとも、他の仲間はホタルも見ないでしゃべり続けている。やはり年ではなく人の性格なのだろうか。

 こんなに沢山のホタルを見たのは、久しぶりだ。西表島のヤエヤマボタルはもっといっぱいいた。あのときもやはり感動したものだ。蛍の光のはかなさが、きっと心の琴線にふれるのだろう。京都の町の真ん中近くでこんなにたくさんのホタルがみられるなんて、これまで思ったこともなかった。野坂昭如の小説「火垂るの墓」が、突然胸に浮かんだ。「お兄ちゃん、お腹すいた」「節子、お腹すいた」。戦争で焼かれ、幼い兄妹が残され、食べるものもなく、サクマのドロップのかけらを最後に貰って息を引き取っていく妹の節子のことを思い出したら、また涙腺がゆるんできた。京都のホタルは、涙無しでは見られないのかもしれない。

みちのく雨のち晴れ

2009-06-13 | 日記風
久しぶりに東北の旅をした。仙台に2泊。南三陸町に一泊の旅だった。仙台は、大雨警報が出るほどの雨で、訪れた松島は煙のような雨のしぶきで霞んでしまっていた。遊覧船で松島観光を予定していたが、これでは船に乗っても濡れそぼるだけ。潔くあきらめて、瑞巌寺を訪れた。この大雨でも松島には観光客が大勢集まっていた。瑞巌寺にも三々五々と観光客が訪れる。

 子供の頃、学校の運動会で「大漁唄い込み」の音楽に合わせて、民謡を踊るパーフォーマンスをやらされたことがあった。それ以来、エンヤドット エンヤドット まつしまあ~の~ という歌声が折に触れて口に出るようになってしまった。あの瑞巌寺だ。雨の瑞巌寺は思っていたよりもこぢんまりとしていた。本当は境内はもっと広いのかもしれないが、この雨では歩き回る気も起こらなかった。

 そうそうに瑞巌寺を出て、土産店が建ち並ぶ道を抜け、魚市場の中にできたような今はやりの地産品土産店と食堂の合体したようなところで、美味しいお寿司を食べた。ネタは美味しい寿司だったが、冷蔵庫のようなところに置いてあったらしく、寿司飯が冷たい。これはちょっと冷や飯を食わされた感じで、不満が残った。

 南三陸町へ向かう頃には雨も小降りになり、雄大な北上川を渡って、緑したたる漁村にたどり着いた。民宿の夕食は、これでもかというほど海の幸が満載で、とても食べきれない。山盛りの生ウニが出されて、美味しいのだが、お腹には限度というモノがある。泣き泣き美味しそうな生ウニも残してしまった。民宿へ泊まるといつも思うのだが、宿の主人は一生懸命サービスしてくれる。その気持ちは本当にうれしいのだが、それでも食べきれないほどの料理が出てくることが多い。悔しいし、申し訳ない気持ちで残してしまう。これはやはりいい習慣だとは思えない。中国へ旅行すると、個人の家では食べきれないほどの料理を出すことが、もっともいいおもてなしだという風潮がある。日本でも同じだが、中国はそれが度を過ごしていると思える。

 食べ過ぎでかなり苦しいお腹を抱えて眠りについた。翌日は朝方小雨がぱらついていたが、やがて雨が上がり、薄日が差し込み、そのうち晴れ上がった。海を見て、海岸で海藻を拾って、海藻おしばを試みて、一日を海辺で楽しむことができた。ここのところ、なんとなく気分が晴れない日が続いていたのだが、しばらくぶりで晴れ晴れとした気分になれた。やはり海や山へ行かねば、私は生きられないようだ。


えん罪の恐ろしさと裁判員制度

2009-06-05 | 政治
18年間もの長い間牢獄に閉じこめられて人生をなくしてしまった足利事件の菅家さんがようやく釈放された。無実を訴え続けていた彼の声も、裁判所にはまったく届かなかった。18年間、無実で囚われの身を過ごすこと、自分の身に引き付けて考えただけでも恐ろしい。でも、どうやら菅家さん一人だけの話ではない。九州の事件では、DNA鑑定以外に証拠もなかった殺人事件の犯人とされた人が、2年前に死刑になっている。本人は最後まで無実を主張していたという。恐ろしい。

 警察と検察がむりやり菅家さんを真犯人と決めつけ、自白を強要したことは明らかだ。自白の強要は、警察と検察の常用手段である。それも脅迫や拷問と言えるような手段が普通に執られているというのが、取り調べを受けた人たちの共通した認識である。それでも警察も検察も、その事実を認めようとしない。そして自白しない容疑者には、代用監獄にたたき込み、自白するまで決して出さない。裁判所は検察のいいなりだ。

 多くの反対意見を無視しながら裁判員制度が始まった。そのために、警察や検察の取り調べを録画・録音するという可視化の方向が始まっている。しかし、警察や検察が公開を認めるのは、容疑者が自白を始めたときの様子だけだ。自白を始めるまでにどのような取り調べがあったのかは、表に出そうとしない。それでは検察に都合の悪い場面は決して裁判で明らかにされない。そして、検察の意のままの裁判所が検察と一緒になって書いた筋書きを裁判員は認めさせられ、無実の人を牢獄へ送る手伝いをさせられる。時には死刑台に背中を押す仕事を手伝わせられる。そんな裁判員に私は絶対にならない。

裁判員制度などで司法の闇は正せない。ますます司法の横暴が隠され、市民にその責任が転嫁される。裁判員制度を導入すべきなのは、行政訴訟だ。行政の不法なやり方を司法がきちんと法に照らして断罪しないから、官僚の横暴が正せない。選挙で選ばれたわけでもない官僚が、まるで自分が世界を支配しているような顔をしているのは、司法が行政のわがままや不法を許してきたからだ。沖縄変換時の日米密約や沖縄県の泡瀬干潟の埋め立てや、関東の八ッ場ダム建設など、行政の無駄使いと横暴は、市民が裁判員として行政訴訟に参加できれば、とっくに止まっている。権力側はそれをこそ一番おそれたのだろう。

 裁判員制度をいますぐ葬ろう。死刑判決に荷担させられるのを拒否しよう。そして、裁判所が検察とぐるにならない司法制度を作らなければならない。そうでなければ、菅家さんの身に起こったことは、明日の私たちの身の上に起こる。

蛍の光ははかなく寂しい

2009-06-03 | 花と自然
ここ10日ほど、毎晩のように琵琶湖疏水に沿った小道を散歩している。もちろん、
夜の闇に光るホタルを見るためである。ゲンジボタルの飛び交う光景を子供の頃
に何度か見た。大人になっては、意図しないところで数度見たことがある。一度
子供たちに見せたいと家族連れで出かけた覚えがあるが、それがどこだったか記
憶にない。どちらにしても、久しぶりのホタル鑑賞だ。何年ぶりだろうか?

 北海道東にはゲンジボタルはいない。ヘイケボタルならかなりいる。時期を見
てその場所へ見に行けば見られる。しかし、ヘイケボタルの光は寂しくて、気温
の低い道東では寒さに震えながらホタルのかすかな光を見ることになる。その点、
ゲンジボタルの光は強く、蛍の光でも集めれば本が読めるかもしれないと思える
ほどだ。そんな強い光のゲンジボタルでも、やはりホタルの光ははかなさを感じ
てしまう。あの明滅する光がはかなさを演出しているのかもしれない。

 沖縄県先島諸島の西表島で見たヤエヤマボタルは、光はそれほど強くもないが、
闇の深さとホタルの数の多さで、感動的だった。思わずその光のすごさに立ちす
くんだことを思い出す。ヘイケボタルでも闇の深さと数がそろえばきっと感動す
るのだろう。

 それにしても京都の街の中でホタルの飛び交う姿を見ることができるとは! 
毎日ホタルを鑑賞できる環境にあることが信じられない。一昨日の新聞にこのホ
タルが写真入りで報じられたらしく、昨日はいつになく人が大勢来ていて、その
せいかホタルの数はかなり少なくなっていた。川の水がきれいで餌のカワニナが
たくさんいて、そしてやはり人が少ないことがホタルにとっては重要なのかもし
れない。

 遠くから見に来ている人もいて、関東弁も聞こえてくる。タクシーで駆けつけ
る人まで出て、琵琶湖疏水の小さな散歩道は大騒ぎ。日本人はマスコミに動かさ
れやすいのだなあとつくづく思う。ホタルはそんなに遠くまで行かなくても近く
で探せばいろんなところで見られるはずだ。近くに住む私たちにとって、この小
さな水の流れにホタルが棲むことを幸せに思う。
 
 それにしても、ホタルの光ははかなく寂しい。