ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

日本は海賊と同じレベルになった

2009-01-29 | 政治
ソマリア沖に出現する海賊に自衛艦を派遣することを決めたという。海上警備行動としての命令らしい。しかし、海上警備行動は本来なら海上保安庁の仕事だ。自衛隊が出る必要があるのだろうか。自衛隊は戦争のための軍隊。外国の、しかもアフリカ沖の海上警備行動をすることが許されるだろうか。今回の海上警備行動の命令には自衛隊の中に強い反対論があったようだ。交戦がそもそも許されていない自衛隊だから、海賊と銃撃戦になったら、どうするか。海賊が他国船を襲ったのを見つけたらどうするか。技術的な問題も多い。いいかげんな根拠で危険なところへ追い込まれる自衛官も辛いだろう。

そもそも、麻生首相の発想は低レベルすぎる。ソマリアの海賊対策を船首組合から要請されたら、すぐにも自衛隊の出動を決めた。そこにはソマリアの国のことを考えたことがまったく感じられない。なぜソマリア沖で海賊行為が頻発するようになったのか?ソマリアの国民は海賊行為を昔からやっていたのか?瀬戸内海の村上水軍、北欧のヴァイキングやフィリピンーインドネシア間のビサヤ諸島など、海賊行為が歴史的に文化として行われてきた地域はあるが、ソマリアにはそのような文化があったわけではない。

 ソマリアの漁民たちが海賊行為を行うようになった背景には、ソマリアの貧困がある。飢え死にするよりは、まだましと彼らが海賊行為に走ったのは、充分想像することができるだろう。海賊から被害を受けないようにするには、武器で武装して海賊と同じレベルになることではなく、海賊にならなくても生活できるようにソマリアを支援することではないだろうか。海賊行為を正当化するわけではないが、自衛艦が重武装して護衛している船には、先進国の金持ちが遊んで暮らすための金銀財宝が積まれており、それを食うに困った貧民が貧弱な武器で狙うという構図が目に浮かぶ。そうしたら、本当に海賊行為を心から憎むことができるだろうか。

 日本がやることは武装自衛艦を派遣することではなく、ソマリアの人びとが人間らしい生活ができるように、政治の安定、経済の自立のために日本ができることを探すことではないだろうか。日本には外務省はないのか?武力で紛争を解決しないという決意をわれわれ日本人は60年前に世界に向かって宣言したはずだ。

反省しない人々

2009-01-28 | 政治
数日前、朝日新聞を読んでいて驚いた。署名入りの解説記事「100人のビンラディンを生んだ」で、イギリスの外相が「対テロ戦争」は間違いだったと雑誌に意見を発表したことを論評し、記憶はおぼろだがたしか、いまだに対テロ戦争を唱えているアメリカを批判したものだった。論評自体はまともなものだし、驚くことは何もなかったのだが、アメリカが「敵か味方か」と言って世界にアメリカの「対テロ戦争」への参加を脅したときに、まっさきにしっぽを振ったコイズミとともに、いっしょになって「対テロ戦争」を国民にたきつけた朝日新聞をはじめとしたマスコミの反省については、これまで新聞のどこを見ても書かれてはいないことに驚いた。マスコミはいったいそのときに何をしたのか?未だに反省をしていないのは、ブッシュではなくてコイズミとマスコミだ。

 ガザを徹底的に痛めつけ、女や子供を殺し続けたイスラエルは、この攻撃・侵略を「自衛のため」と強弁している。イスラエルに向けて発射されるおもちゃのようなロケット弾から自衛するために、ミサイルや白燐弾や劣化ウラン弾を雨あられのように民衆の頭に降り注ぐことが「自衛」だという。アメリカの「対テロ戦争」というアフガニスタン・イラクへの侵略が「自衛のため」というのとまったく同じ言い逃れでしかない。それでも世界の国々はアメリカの軍事力をおそれて非を唱えることもない。日本はアメリカの国債を買い続けてアメリカの侵略戦争の費用の3分の1をまかなっている。中国でさえも、最近では日本に匹敵するほどのアメリカ国債を買っているらしい。このお金でアメリカは自分の戦争費用だけでなくイスラエルに多額の援助と武器弾薬を惜しげもなく供給している。ガザの子供たちの上に降り注ぐ武器は、すべてアメリカ製だ。驚くことにアメリカの対外援助資金の半分近くがイスラエルへの援助なのだ。ガザの難民たちを殺戮しているのは、実はアメリカであると言っても過言ではない。そしてガザの虐殺に使用されるお金を出しているのは、日本のわれわれが納めた税金からという構図が見える。なんと哀しいことだろう。

世界の「期待の星」オバマ大統領は中東情勢について初めてコメントして、「イスラエルの安全」を心配して見せた。彼の言葉の中についに一度もガザの子供たちの安全を心配する言葉は出てこなかった。オバマといえどもユダヤ資本=シオニストの手中にある。アメリカは反省しない。

富山大学の学長よ。恥を知れ

2009-01-24 | 正義と平等
富山大学の学長選考で、きわめて非民主的な選考が行われた。大学内の投票で60%以上の得票でトップだった人が学長に選ばれず、その次の人でもなく、わずか20%の得票しかとれなかった第3位の現学長が、再び学長に選ばれたという。びっくりびっくり驚いた。

 なぜこんなおかしな事が起こるのか。それは国立大学を法人化する時に、法人化法に「学長選考は選考会議で行う」こととし、それまで国立大学で行われていた学長選挙を行わないことにしたことがその原因である。それでも法人化した国立大学の多くは、大学人による投票(意向投票という)を行ってきた。それは、憲法に保障された学問の自由と大学の自治を守るためには、民主的な方法で学長を選ぶ必要があると考えたからである。

 東京大学や京都大学では、意向投票の結果を「尊重して」選考会議が学長を選考するという選考規定が作られている。しかし、多くの大学では意向投票を「参考にする」という程度の規定であり、意向投票の結果がそのまま選考会議に反映されたわけではない。実際に、これまで滋賀医科大学、岡山大学、新潟大学、山形大学、大阪教育大学、高知大学、九州大学などの大学では、投票で2位だった人が学長に選ばれている。これらの大学のいくつかでは不正な選考もあったとして裁判になっているものもある。しかし、それらの場合はほとんどが十数票程度の差であった。今回の富山大学の場合は、現学長の得票率は20%くらい。つまり、今までの学長が引き続いて学長をやることを8割の人が拒否したはずなのだ。現学長は不信任されたに等しいはずだった。それが学長に選ばれるというのは異常ではないだろうか。

 選考会議というものはどういうものかを見てみると、この富山大学の学長選考結果がなぜ出てきたかがよく分かる。選考会議は学内の教育研究協議会と学長が選んだ学外選考委員が同数ずつで作られる。つまり、学長は自分もしくは自分が支持する人が学長候補になったとすれば、自分を支持する人を選考委員として選ぶことができるのだ。こんなおかしな選考が天下の国立大学で起こっていることは、一般の人はあまり知らないのかもしれないが、これも自民党とその意向を汲んだ文部科学省官僚が仕組んだことなのだ。なぜか?文部官僚の意のままになる学長を選びたい、大学人による投票で民主的に選ばれると文部科学省の言うことを聞かない奴が学長になりかねないからなのだ。

 しかも、国立大学法人化によって文部官僚が大学の学長に天下りする道が開けたのだから、やりようによっては文部官僚が学長になり、その大学を文部科学省の意のままに動かすことさえこの法律では可能になっている。私立大学ではそんなことはいっぱい起こっているが、国立大学さえもそうなってしまう危機が迫っている。

 自民党政府は、政府の財政危機を救うためと称して、国立大学を国の管理から切り離し、名前だけの国立大学にしてしまい、予算も毎年1%ずつ永久に減らし続ける政策を採っている。そのために、各大学では研究や教育に使うべきお金を減らし、教員や支援要員を非常勤職員や派遣職員でまかない、さらに減らされればこれらの非常勤職員の首を切るということにならざるをえない。京都大学では非常勤職員を5年で雇い止めすることとしたと報道されている。派遣切りが大学にまで及んでいる。

 日本は先進国の中では高等教育に掛けるお金がもっとも少ないとしてユネスコから何度も改善するように勧告を受けている。大学の授業料がこんなに高い国立大学は、世界でも珍しい。自民党政府はその勧告を一顧だにせず、報告義務もほおかむりし続けている。むしろ大学へのお金は減らし続けているのだ。こんな自民党政府は一刻も早く退場してもらいたい。そして、政府言いなりの大学学長は一刻も早くやめて欲しい。富山大学の学長よ。そんなに恥知らずの手を使ってまで学長になりたいのか。そんなに儲かるのか、富山大学の学長は? 恥を知れ。


オバマに失望

2009-01-22 | 政治
オバマ米大統領の就任演説を聴いた。人々の期待は極めて大きかったのだろう。就任演説に200万人が集まったという。お祭り騒ぎだ。リンカーンやケネディの再来だと期待した人も多かったらしい。私も多少は期待した。チェンジをうたい文句に選挙を戦った人だから。

 しかし、改革改革といって、まったくの食わせ者だったコイズミと同じように、オバマの就任演説を聞いて、まず大きな失望を感じた。就任演説では、いっさいチェンジという言葉を使わなかった。ブッシュを持ち上げ、国民にアメリカの偉大さを語り、責任を自覚しろと言っただけだった。共和党のこれまでの大統領と何も変わるものはない。

 核兵器の脅威を減らそうと言ったのだが、それは決してアメリカの核兵器を削減しようと言ったわけではない。イランや北朝鮮の核の脅威を遠回しに言っただけで、アフガニスタンはあくまで武力で解決しようとし、イランにも脅しをかけた。結局今までと同じだ。一国主義から協調主義へ変わるという宣伝は入ったが、それも味方を増やしてまつろわぬ国を武力ででも従わせようと言うだけのことだ。イスラエルにはこれまで同様の支持を続けるだろう。

 所詮、オバマの歴史的な役割は、黒人として初めて大統領になったと言うだけに過ぎない。アメリカ国内では、たしかにそれは画期的なことかもしれないが、世界のリーダーとしての位置さえも投げ出さざるを得ない経済と信頼の低下に、とても国内でいがみ合っている余裕はないと言うだけに過ぎない。オバマの愛国主義をあおる言説を聞いていると、アメリカのこれまでの攻撃的な外交姿勢は変わらないと痛切に感じる。さらにイスラム世界やアジア・アフリカの多くの人々や子供たちがアメリカに殺される歴史は、まだまだ当分続きそうだ。

 やはりアメリカの大統領に期待したのが間違いだ。私たち自身の力でチェンジをしていかなければならない。世界に本当の平和をもたらすために。

なぜ消費税なんだよ

2009-01-21 | 政治
麻生首相が消費税をどうしても2012年に上げたいと、「ぶれない」姿勢を貫いている。どうやらだれか後ろでコイズミのように「ぶれない」のが支持率を上げるのだとささやいている奴がいるらしい。麻生首相の話によると、定額給付金を一度だけばらまいて、景気が回復したら消費税を上げて国民にばらまいたお金の何倍ものお金をそれからずっとまきあげる、という手順らしい。

 そしてマスコミも含めて、消費税は社会保障をやるために上げざるを得ないのだ、という論調がまかり通っている。冗談じゃないよ。貧乏人からお金を巻き上げてそれで貧乏人を救おうなんて、そんな話はおかしいと思わないのだろうか。マスゴミの連中は。

 金持ちからお金を取って、貧乏人を助けるのが社会保障なんだ。だから、社会保障のお金を消費税などという貧乏人に相対的に重荷になるような税金を課すのではなく、金儲けをしているやつからしっかり取る所得税をこそ増税するべきなのだ。消費税を増税しないと社会保障が行き詰まってしまうなどと、いかにも経団連が言いつのっているようなことを本気にしているようでは、マスゴミは本当にゴミ箱行きになってしまうよ。

 所得税の掛け率の上限を撤廃しろ。毎日の生活をするには、金持ちも貧乏人も必要なお金はそうちがわない。だったら余計なお金を儲けすぎた人からは、遠慮しないで税金を納めてもらったらいいんじゃないの。麻生さんなんて、いくらでも払えるんだろう。消費税の増税は絶対反対だ。

 話は突然変わるが、今頃、オバマが就任演説をしている。オバマへの期待は大きいようだが、本当に新自由主義、金融資本主義を根本から変えることができるとは思えない。早晩、アメリカもオバマへの失望感に満たされていくだろう。もっともそれが早いのは、パレスチナの人たちかもしれない。オバマはイスラエルには決して強い態度をとれない。ユダヤからお金をもらって大統領になったのだから。ガザの子供たちの地獄はこれからも無限に続く。

 パレスチナの人たちの解放は、これからも難しい。しかし、わたしたちにやれることは、イスラエルを国際社会からボイコットすること。これなら私たちにできる。イスラエルには観光に行かない。イスラエルで国際会議をしないし、行かない。イスラエルの製品は買わない。そして、イスラエルを支援しているアメリカの企業、スターバックス、マクドナルド、ネスカフェなどの製品を買わない。国際社会からイスラエルを追放し、経済制裁を民衆の力でやろう。どうせ日本政府はアメリカにどこまでも追従するだけだから。

バンコクでタイ料理

2009-01-18 | 南の海
3年ぶりにタイのバンコクを1週間ばかり訪問した。バンコクはいつ行っても暑くて、交通が混雑して、空気が汚れているという印象が強い。だからいつもタイに行くときはバンコクを避けて田舎へ行く。バンコクにあまり長く滞在した事はなかった。

 今回はバンコクに用事があったので、中5日のすべてバンコクで過ごした。暑さを覚悟していったのに、予想外に涼しくて、ホテルの部屋ではまったくエアコンを入れることはなかった。私はエアコンは嫌いなので、いつも暑さに耐えながら汗を流して寝ている。高層階なら、窓を開けて夜気を入れるが、低層階では蚊が入るのでそれもできない。それでも耐えきれず30分だけエアコンを入れるということもしばしばあった。ところが、今回は夜中に寒さで目が覚めた。熱帯地方のホテルは上は薄いシーツ1枚だけのところが多い。寒くてふるえが来るほどだったけど、掛ける毛布も見あたらない。しかたがないのでTシャツを2枚着込んで寝たほどだった。

 昼間は少し暑くなるが、それでも心地よい風が吹き、暑さはほとんど感じない。Tシャツ一枚だと少し寒いくらい。現地の人はみなセーターや暑そうな上着を着ている。ショートパンツも持っていったが、今回は出番がなかった。やはりバンコクも異常気象らしい。

 タイの国際空港は最近新しくなった。前のドンムアン空港とは町の反対側に新しくスバナブミ国際空港を作った。先月、首相府から逃げ出した政府が立て籠もり、民衆がそれを取り巻いて占拠した空港がこの新しいスバナブミ国際空港だ。しかし、あの時の騒動が想像できないほど空港はきれいで広い。端から端まで歩くのに30分くらい掛かりそうだ。そういえば、新しくなった首相はいまのところ評判はそれほど悪くなさそうだ。みんなは模様眺めのようだ。

 バンコクはどんどん変わっている。いたるところに高速道路ができている。高層ビルも至る処で建ち並んでいる。変わっていないのは、道路の渋滞と大気汚染。空気の汚れは相変わらず。バンコク滞在一日でのどが痛くなった。寒さと空気の悪さで風邪気味になり、のどの痛みがひどくなって帰ってきた。

 一日、タイのチャオプラヤ川をフェリーボートで下り、王宮の素晴らしい壁画をゆっくりと見て、ワット・ポーの涅槃像を白人の観光客といっしょに押し合いへし合いしながら見た。きんきらきんの仏像をあちこちのお寺で拝んで、日本の寺の暗くて色彩のない雰囲気と、タイの開けっぴろげで明るくてカラフルな雰囲気の違いを実感した。大乗仏教徒小乗仏教のちがいなのか、それとも熱帯と温帯の違いなのか、または、民族性の違いなのか、本当のところは分からないが、じつに興味深い。





 しかし、タイ料理はなんといっても美味しい。今回もタイ料理を食べるのが一番の楽しみで出かけたが、期待は裏切られなかった。毎食毎食ちがった美味しさを楽しむことができた。タイ料理は辛いというイメージが強いが、辛いだけではない。タイ料理の美味しさは実は香りにある。タイ料理にはミントをはじめとして、様々な種類の香りの植物が使われている。名前はほとんど知らないし、覚えられなかったが、この種類の魚のこの料理にはこの香葉をというのがあって、タイの人びとはみんなそれをよく知っている。そして、その付け合わせが非常に良く合っている。

 今まで何度かタイに来たが、タイ料理は辛いということしか知らなかった。美味しいのは分かっていたが、その原因が香葉の使い方にあるとは知らなかった。これまでは、ただただお腹をいっぱいにしようとしただけであった。今回、初めて美味しさの秘密に行き着いたような気がする。そして、毎食お腹いっぱい食べた。結果は、体重計が跳ね上がった身体で帰ってきたことだ。これから減量を何とかしなければ。危機的状態だ(笑)。 

イスラエルはナチと同じ蛮行をやっている

2009-01-10 | 正義と平等
今日は耐えきれずにイスラエルの蛮行を非難したい。ナチが行ったユダヤ人大虐殺と同じことをイスラエルはやっている。原爆を落とされた日本がもっと弱い国に原爆を落とそうというのと同じだ。われわれは認めない。殺すな!殺すな!

「イスラエルはついに地上戦を開始しました。40年以上も占領を続け、人権を侵害して苦しめてきた人々を逃げ場のない空間の中で追いつめて殺すという、こんな酷い行為は一刻も早く止めさせなくてはなりません。国連が設けた避難場所の学校さえも、イスラエルは砲撃を加え、45人もの子供や女性を殺しました。すでに800人以上が殺され、3000人以上が傷ついています。ハマースの手製のロケット弾で死んだイスラエル人はわずかに3人。アメリカの後ろ盾があるからイスラエルは安心して赤子の手をねじるような非人道的な行為を続けている。

イスラエルを非難する国際的な声は鈍く、多くのマスコミはイスラエルとハマースの「暴力の応酬」という構図を作り上げて事態を矮小化し、イスラエルの占領行為を免罪しています。しかし2006年のレバノン戦争と同様、イスラエルが「自衛」戦争を演出し続けなくてはならないような事態を作り出したのは、他でもないイスラエルによる占領です。

ガザのむごい光景は、私たちの安穏な日常生活の延長上にあります。アメリカのイラク占領を支援するためイラクに自衛隊を送り、インド洋で給油活動を続けることでアフガニスタン攻撃を支えて来た日本。目先の「安全」や政権の安定を得るために「対テロ」の名目で人を殺すことが当たり前のようになっている世界。もうこりごりです。
この日本社会の中から、今こそ戦争と占領をやめろ!という声を大きく響かせなければいけません。」

●今朝、国連(OCHA)の調査で、1月4日に、ゼイ トゥーンの一戸建ての家で、半数は子供ばかりの110人のパレスチナ人に、そこに留まるように命令し、その家を砲撃させて30人以上が死亡していたことが判明。

●イスラエルはこの60年間、こういう卑劣な蛮行を幾度も繰り返してきました!60年前のNAKBAから始まり、67年の急襲、82年のサブラ・シャティーラの虐殺、96年カナの虐殺、06年レバノン侵攻、その他無数の襲撃・暗殺、すべて無法な殺戮です。

●こんなことをハマースがやったらどうでしょう?北朝鮮やイランがやったらどうでしょう?世界中から非難の嵐どころか欧米はよってたかって攻撃・殲滅するでしょう。すくなくとも経済制裁・封鎖は、間違いなくやるでしょう。イスラエルだけが(アメリカも)、何をやっても許され謝罪も補償も一切しなくていいのです。

●いまフランスの市民団体は、国際刑事裁判所にイスラエルを提訴する準備をしています。可能なあらゆる国際組織でイスラエルを公正に裁き制裁を加えなければなりません!

●「テロリストと戦っている」というイスラエルの嘘の論法を、いまこそ国際社会は暴き粉砕しなければなりません!不法な軍事占領と無法な集団懲罰をこれ以上許してはなりません。このことを隠蔽してしまう「暴力の応酬」「報復の連鎖」というトリックを打ち破り、「反テロ戦争」といういわれのない呪縛からわれわれ自身を解放しましょう!ダブルスタンダードという「国際常識」をドブに捨ててしいましょう!

●ガザの子どものいのちは、私たちのいのち。パレスチナの若者、女性、大人たちの生きる戦いは、私たち自身の人間性の戦いです。人間の尊厳の闘いです。世界を変えるのはハイエナのような政治家でも予想屋をやって食っている知識人でもそれを垂れ流しているメディアでもなく、梃子は、私たち民衆の人間性を守る闘いです!

ガザの大学教授アブデル・ワーヘドさんからのメールです。
「30分前、2基のミサイルが自宅近所のアパートを狙い撃ちした;ぞっとして生きた心地がしなかった;子どもたちは恐怖で泣きわめいた!子どもたちをふつうの生活の雰囲気で包んでやりたくて、私はいっしょにトランプ遊びをした。この爆発で男性二人が亡くなったほか二人が負傷した。初日に、予防安全機構の一群の建物に対する最初の攻撃で4人が殺されたのと同じ場所だ。

昨夜のガザはほんとうに身も凍る思いだった。60回以上の空襲があり、加えて戦車や大砲による止むことない砲撃があたり一帯ところかまわずあった!ガザではいついかなる瞬間においても安全な場所などどこにもない!この間、私たちが経験している身の毛のよだつ恐怖を言葉では言い表せない。なかでも昨夜は、もっとも苛烈な晩のひとつだった。昼間であろうと夜寝ているときであろうと、静かな瞬間などないのだ!

ラファでは80軒の家々が複数のヘリコプターによって攻撃された!ハーン・ユーヌスのほかの地域、アル=マガーズィ難民キャンプ、アル=ブレイジュ難民キャンプ、ジャバリーヤ村、ビーチ難民キャンプでも散発的に狙われたところがあった。死者の数はうなぎのぼりで今日だけで30人以上が死んだ。負傷者は言うまでもない。死者のなかには、UNRWAのトラック運転手もいる。彼は車もろとも攻撃に見舞われた。これまでのところ10名もの救急医が他の命を救おうとするさなか落命している!死者の数は一挙に800人代に、負傷者は3100人以上に達した。ガザの病院の貧弱な設備では、これらの負傷者を手当することなどできない。」


明日の抗議行動です。フランスでは10万人が抗議に集まりました。日本はどうでしょうか。

スピークアウト&デモ:イスラエルは占領とガザ侵攻をやめろ!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日時:1月11日(日)
14時開場/14時30分開始(14時から映像上映あり)
16時45分終了(デモ出発は17時00分)
場所:四谷地域センター・多目的ホール(12階)
地下鉄丸ノ内線「新宿御苑前」駅より徒歩5分(四谷方向に向かってまっ
すぐ歩き、右手/新宿区内藤町87番地)
http://www2.odn.ne.jp/~hao65350/page002.html

■アピール:
阿部浩己さん(国際人権法/神奈川大学法科大学院教授) 
鵜飼哲さん(ティーチイン沖縄/一橋大学教員) 
小倉利丸さん(ピープルズプラン研究所/富山大学経済学部教員) 

■リレーアピール: 
国富建治さん(新しい反安保行動をつくる実行委員会) 
杉原浩司さん(核とミサイル防衛にNO!キャンペーン) 
園良太さん(憲法カフェ)
北林岳彦さん ほか 

早すぎる蝋梅に狼狽

2009-01-05 | 花と自然
京都は寒いと肌で感じるが、どうやら温暖化も進行しているらしい。年末から気になっていたのだが、近くの庭の木に黄色い花が咲き始めた。どうみても蝋梅のようだ。



私の知っている蝋梅は、2月頃のもっとも寒い頃に、梅に先駆けて裸の枝に香りの高い輝くような黄色の花を咲かせる。厳しい寒さの中でも春の訪れを感じさせる花なのだ。

ところが、今咲いている蝋梅は、まだ去年の夏の葉が散り残っている枝で黄色い花を咲かせている。まるで蝋梅の風情がない。だいたい12月に咲くなんて早すぎるのじゃないか。もっとも関西では昔から正月頃には咲いていたのだろうか?それとも最近の温暖化が蝋梅をこんなに早く咲かせるようにしてしまったのだろうか。そういえば、桜の花もあちこちで咲いているのを見る。いろんなものが狂い始めているのだろうか。政治家ばかりではなく、花までも。そうだとすると、恐ろしい。

思わぬ雪山を楽しむ

2009-01-03 | 花と自然
お正月は近くのお寺に参詣に行っただけで、昨日はゆっくりと大学箱根駅伝をみた。東洋大の奇跡の大逆転を楽しんだ。東洋大って、川越市にあるんだよ。知っていた?駅伝を見た後は、毎年楽しみにしている大学ラグビーの決勝戦を観戦した。普段テレビをあまり見ない生活だが、正月のこの番組はなるべく見るようにしている。スポーツもほとんどの競技を見たいとも思わないのだが、マラソンとラグビーだけは見たいと思う。なぜだかわからないけど。

 しかし、二日間もじっとしていると、身体がおかしくなりそうになった。歩くと足が痛む。これではならじと、今日はハイキングを思い立った。2週間ほど歩いていないので、遠くはやめて京都市内の山歩きをしようと、大原の裏山を登ってみようと思った。大尾山(だいびやま)という684mの山がある。近くだし、山も低いし、どうせ杉の人工林だろうから、散歩の延長くらいのつもりで登り始めた。

 自宅を出るときは少し雨が落ちていた。どうも京都の山行きは雨が多いような気がする。これは自分の行いが悪くなったと言うよりは、京都が日本海に近い事によるのだと勝手に思いこむことにした。天気予報は悪くなかったので、そのうち晴れてくるだろうと思って出発した。大原につくと、一面雪景色。せいぜい5cmくらいの積雪なので、まあ大丈夫だろうと歩き始める。散歩のつもりできたので、雪山の道具は何も持ってきていない。スパッツだけはいつもザックの底に入れていたので、スパッツを着けて歩き始めた。

 三千院までは観光客もかなりいる。しかし、そこを過ぎたとたん、雪の量も増え、人はいなくなった。空からは雨とも雪ともつかない細かいものが降っている。音無の滝を越えて沢沿いの道を登る。雪がどんどん深くなってきた。ウサギの足跡、シカの足跡、イノシシと思われる足跡などが雪の中に見られる。雪の無いときには動物の気配もあまりしないが、雪があると動物の気配までしそうな気がする。森が生きていると肌に感じるような気がする。

 沢沿いの道はだんだん細くなり、雪が深くて道が分からなくなる。しばしば道を見失い、必死でルートファインディングをする。道標もほとんど無い道なので、自分の勘がたよりだ。雪の下になった丸太橋を見つけ、平らになった場所を調べ、それでも道が見つからないときは、川の流れの中を歩くしかない。三度目に道に迷ったときは、かなり沢を詰めて標高550mくらいまで登っていた。しかし、どうやらこの雪の多さでは沢を詰めて頂上まで行くのは難しそうだと気がつき、磁石で確かめたらかなり違った方向を向いていることが分かった。どうやら沢を間違えたらしい。


 道らしい道はない。沢の両側はかなり急な傾斜の山で、小さな雪崩が起きたら、少々やばいなと思いつつ、もと来た沢を慎重に下る。雪は膝まで没し、ときどき腰まで潜る。雪の下の岩や倒木が見えないので、足を踏み込むとずぼっと入ったり、岩に滑ったり、木の枝に足を引っ掛けて転んだり、雪と格闘しながら、こけつまろびつ雪だるまのようになって下っていった。

 ようやく道がハッキリしたところに帰ってきて、そこから沢をあきらめ急な尾根を直登することにした。少し歩いたところで、登山者が残したビニールの目印を発見。ほっとする。この道を登れば良さそうだ。急な坂をあえぎながら登る。靴は軽登山靴なので、雪山用ではない。しかし、雪が固く締まるほど温度は低くないので、軽登山靴でもキックステップができる。滑らないように慎重に急斜面を登る。登りついたところが大尾山の頂上だった。



 頂上の眺めはあまり良くない。それはほとんどが杉の人工林に覆われているからだ。しかし、東側が少し開けていて、琵琶湖がよく見える。軽い気持ちで登り始めたので、頂上までは1時間もあれば登れると思ったのだが、この雪と迷い道をしたおかげで、2時間以上掛かってしまった。しかし、雪山の楽しさも味わえたのは望外の喜びだ。しかも、かなりの道が沢登り。この道は夏には涼しい登りが楽しめそうだ。



頂上から比叡山方面に歩き、仰木峠から下山するつもりで歩き始めたのだが、途中でまた道を間違えたらしく、道無き道を一直線に沢を下って、1時間。もとの大原に降りついた。来迎院で藤原時代の作という釈迦牟尼仏、薬師如来、阿弥陀如来の三尊仏を拝観し、観光客でいっぱいの大原に降りてきた。今日は山に入ってから一人の人にも出会わず、人間の足跡一つ見なかった。たった一人で雪山を歩けたのは、大満足。幸先の良い年になるのかもしれない。