今から20年近く前の頃、どこであったか忘れてしまったが、山の温泉で男の人と話をした。その人は「私は赤湯という温泉宿をやっている」と赤湯のことをいろいろ話してくれた。私は赤湯が苗場山の登山道の途中にあることを知ってはいたが、もちろんまだ行ったことはなかった。苗場山の頂上付近の広大な湿原のことと赤湯は、それ以来結びついて、そこへ出かけることは私の長年の夢の一つであった。今回その夢が実現した。
本当は今週、北アルプス槍ヶ岳に登る予定であったが、日程がとれないのと最近の私の体調から、槍はあきらめて、一泊程度で出かける山を探していて、前日になって苗場山を決めた。数日前から苗場山の麓の越後湯沢周辺のスキー場で、「富士ロック」という若者のロックグループの大集会が開かれるというので、大音響のロックの響き渡る中で苗場山に登るのは避けたいと思ってもいたので、出発が少し遅れてしまった。
新幹線で早朝の越後湯沢駅に降り立ち、同乗者を捜して登山口までタクシーを飛ばす。昔は登山口近くまでバスが出ていたはずなのだが、登山人口の減少と車の利用増大で、バスはかなり前に廃止になったという。もっと手前のスキー場までは朝6時半に一本だけバスが出るらしいが、始発の新幹線に乗ってもこのバスには間に合わない。夜行列車もなくなっているので、このバスは不思議なダイアで走っている。
和田小屋でタクシーを降り、霧と雨の中を歩き始める。昨日の豪雨の後なので、道路がぬかるんでいるが、登山道のほとんどが大きな岩を踏みながらだったので、助かった。合羽を着て歩き始めたが、すぐに雨が止んで、日射しも出始めた。暑いので合羽を脱ぐと今度はまた雨が落ち始める。猫の目のように変わる天候に、汗で濡れるよりはと霧雨の中を雨具をつけずに歩くことにした。幸いなことにその後は強い雨になることもなく、時々の霧雨で頭髪からしずくを垂らしながらも雨具無しで歩き続けた。
7合目あたりまではほとんど花は終わってしまっており、イワカガミの花の終わった花柄ばかりが目立つ。7合目を過ぎるあたりから、ゴゼンタチバナ、キンコウカ、ニッコウキスゲ、ウスユキソウ、ソバナ、コゴメグサ、ハクサンシャジン、ミヤマシシウド、シモツケソウ、オニシモツケ、トモエシオガマ、オタカラコウ、クルマユリ、ウツボグサなどが次々と現れてきて、やがてお花畑という看板が出ている。
そのあたりから登りは急激になり、呼吸も激しくなるが、高度はどんどん高くなる。かなり疲れてきたころ、ようやく頂上の一角にたどり着いた。それまでの岩の道から一転して湿原の板の歩道に代わり、息をのむようなすばらしい高層湿原を一望にする。湿原の中の板道を歩くとまもなく霧の中に山小屋が見えてくる。小屋の裏庭が苗場山の頂上だ。普通の山の頂上とはまったく風情が違っていて、なにもない普通のちょっとした空き地に頂上を示す木の柱が立っているだけだ。2145m。55番目の「日本百名山」登頂達成だ。
頂上が広々とした湿原になっているので、いつもならお弁当を食べてすぐに出発するのだが、今日は湿原をゆっくり見て回り、約30分も頂上のあたりに滞在した。平日だがそれでも頂上には10人程度の登山者の姿があった。その後、湿原を縦断して赤湯方面に急斜面を降り始める。昌次新道と呼ばれる道だが、歩く登山者は少なく、今日はたった1パーティに出会っただけだった。歩きにくい道を花を眺めることで慰めながら降っていく。しかし、降ったと思ったらまた登りがあり、上り下りでかなり体力も消耗する。脚がそろそろ棒のようになってきた頃、川に掛かった鉄橋を渡り、さらに急坂を100mも登り返し、ようやく今日の宿「赤湯温泉山口館」にたどり着いた。7時間半歩いた。
温泉は河原に作られていて、三つある。もちろんすべて露天風呂。たまご湯、藥師湯、青湯。ごく近接してあるのだが、どれも泉質がわずかに異なり、温度も違う。青湯は女性専用となっているが、宿の主人に聞くと今日は他に誰もいないのでどうぞといわれて、三つの湯にそれぞれ浸かってみる。今日ははるばる来たなあ、と感慨深い。20年前の宿の主人との出会いを話してみるが、おそらく先々代のお祖父さんだろうという。80歳になるが、いまだに現役で、夫婦でいつもは小屋番をしているという。夏休みに入ってからは孫夫婦が代わりに小屋をみているらしい。80歳でこの山道を歩いてくると言うだけで驚きだが、いまでもボッカをやっているというのでさらに驚く。上には上がいるもんだ。
電気もない温泉小屋の夜のランプの生活を少し楽しんで、夜は早めに眠った。夜の温泉には手製の行灯をもって行く。夜中のトイレも同じだ。ぼんやりとした行灯の明かりが心に優しい。宿の泊まり客は私一人。広い客室の真ん中に布団を敷いて眠った。
翌日は国道までの4時間だけ歩けばいいので、朝もゆっくりと起きた。昨日と違って天気は晴れ。青空が狭い谷間から見える。朝ご飯をすませて、出発。国道からのバスがあまり多くないので、急ぐ旅ではないけれど、バスの時刻に合わせなければならないので、のんびり歩くわけにもいかない。後は下りだけだと思ったが、とんでもない。上り下りが続き、途中は林道を1時間以上も歩く。林道は歩きやすいが、単調なので飽きてしまう。いよいよ最後の山越えと思ったが、最後の1時間は100m急坂を上り、また河原まで一気に下り、さらにまた100mほど急坂を登る。さすがに最後の峠に着いたときは、汗にまみれ、息は切れ、座り込んでしまった。
長い間の懸案だった赤湯温泉にも入り、久しぶりの日本百名山にも登り、槍ヶ岳はお預けになったけれども、それなりに満足できた山行だった。ちょっと筋肉痛なのは、ここしばらく歩いていなかった報いだ。
本当は今週、北アルプス槍ヶ岳に登る予定であったが、日程がとれないのと最近の私の体調から、槍はあきらめて、一泊程度で出かける山を探していて、前日になって苗場山を決めた。数日前から苗場山の麓の越後湯沢周辺のスキー場で、「富士ロック」という若者のロックグループの大集会が開かれるというので、大音響のロックの響き渡る中で苗場山に登るのは避けたいと思ってもいたので、出発が少し遅れてしまった。
新幹線で早朝の越後湯沢駅に降り立ち、同乗者を捜して登山口までタクシーを飛ばす。昔は登山口近くまでバスが出ていたはずなのだが、登山人口の減少と車の利用増大で、バスはかなり前に廃止になったという。もっと手前のスキー場までは朝6時半に一本だけバスが出るらしいが、始発の新幹線に乗ってもこのバスには間に合わない。夜行列車もなくなっているので、このバスは不思議なダイアで走っている。
和田小屋でタクシーを降り、霧と雨の中を歩き始める。昨日の豪雨の後なので、道路がぬかるんでいるが、登山道のほとんどが大きな岩を踏みながらだったので、助かった。合羽を着て歩き始めたが、すぐに雨が止んで、日射しも出始めた。暑いので合羽を脱ぐと今度はまた雨が落ち始める。猫の目のように変わる天候に、汗で濡れるよりはと霧雨の中を雨具をつけずに歩くことにした。幸いなことにその後は強い雨になることもなく、時々の霧雨で頭髪からしずくを垂らしながらも雨具無しで歩き続けた。
7合目あたりまではほとんど花は終わってしまっており、イワカガミの花の終わった花柄ばかりが目立つ。7合目を過ぎるあたりから、ゴゼンタチバナ、キンコウカ、ニッコウキスゲ、ウスユキソウ、ソバナ、コゴメグサ、ハクサンシャジン、ミヤマシシウド、シモツケソウ、オニシモツケ、トモエシオガマ、オタカラコウ、クルマユリ、ウツボグサなどが次々と現れてきて、やがてお花畑という看板が出ている。
そのあたりから登りは急激になり、呼吸も激しくなるが、高度はどんどん高くなる。かなり疲れてきたころ、ようやく頂上の一角にたどり着いた。それまでの岩の道から一転して湿原の板の歩道に代わり、息をのむようなすばらしい高層湿原を一望にする。湿原の中の板道を歩くとまもなく霧の中に山小屋が見えてくる。小屋の裏庭が苗場山の頂上だ。普通の山の頂上とはまったく風情が違っていて、なにもない普通のちょっとした空き地に頂上を示す木の柱が立っているだけだ。2145m。55番目の「日本百名山」登頂達成だ。
頂上が広々とした湿原になっているので、いつもならお弁当を食べてすぐに出発するのだが、今日は湿原をゆっくり見て回り、約30分も頂上のあたりに滞在した。平日だがそれでも頂上には10人程度の登山者の姿があった。その後、湿原を縦断して赤湯方面に急斜面を降り始める。昌次新道と呼ばれる道だが、歩く登山者は少なく、今日はたった1パーティに出会っただけだった。歩きにくい道を花を眺めることで慰めながら降っていく。しかし、降ったと思ったらまた登りがあり、上り下りでかなり体力も消耗する。脚がそろそろ棒のようになってきた頃、川に掛かった鉄橋を渡り、さらに急坂を100mも登り返し、ようやく今日の宿「赤湯温泉山口館」にたどり着いた。7時間半歩いた。
温泉は河原に作られていて、三つある。もちろんすべて露天風呂。たまご湯、藥師湯、青湯。ごく近接してあるのだが、どれも泉質がわずかに異なり、温度も違う。青湯は女性専用となっているが、宿の主人に聞くと今日は他に誰もいないのでどうぞといわれて、三つの湯にそれぞれ浸かってみる。今日ははるばる来たなあ、と感慨深い。20年前の宿の主人との出会いを話してみるが、おそらく先々代のお祖父さんだろうという。80歳になるが、いまだに現役で、夫婦でいつもは小屋番をしているという。夏休みに入ってからは孫夫婦が代わりに小屋をみているらしい。80歳でこの山道を歩いてくると言うだけで驚きだが、いまでもボッカをやっているというのでさらに驚く。上には上がいるもんだ。
電気もない温泉小屋の夜のランプの生活を少し楽しんで、夜は早めに眠った。夜の温泉には手製の行灯をもって行く。夜中のトイレも同じだ。ぼんやりとした行灯の明かりが心に優しい。宿の泊まり客は私一人。広い客室の真ん中に布団を敷いて眠った。
翌日は国道までの4時間だけ歩けばいいので、朝もゆっくりと起きた。昨日と違って天気は晴れ。青空が狭い谷間から見える。朝ご飯をすませて、出発。国道からのバスがあまり多くないので、急ぐ旅ではないけれど、バスの時刻に合わせなければならないので、のんびり歩くわけにもいかない。後は下りだけだと思ったが、とんでもない。上り下りが続き、途中は林道を1時間以上も歩く。林道は歩きやすいが、単調なので飽きてしまう。いよいよ最後の山越えと思ったが、最後の1時間は100m急坂を上り、また河原まで一気に下り、さらにまた100mほど急坂を登る。さすがに最後の峠に着いたときは、汗にまみれ、息は切れ、座り込んでしまった。
長い間の懸案だった赤湯温泉にも入り、久しぶりの日本百名山にも登り、槍ヶ岳はお預けになったけれども、それなりに満足できた山行だった。ちょっと筋肉痛なのは、ここしばらく歩いていなかった報いだ。