ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

天上の楽園 苗場山

2008-07-30 | 花と自然
今から20年近く前の頃、どこであったか忘れてしまったが、山の温泉で男の人と話をした。その人は「私は赤湯という温泉宿をやっている」と赤湯のことをいろいろ話してくれた。私は赤湯が苗場山の登山道の途中にあることを知ってはいたが、もちろんまだ行ったことはなかった。苗場山の頂上付近の広大な湿原のことと赤湯は、それ以来結びついて、そこへ出かけることは私の長年の夢の一つであった。今回その夢が実現した。

 本当は今週、北アルプス槍ヶ岳に登る予定であったが、日程がとれないのと最近の私の体調から、槍はあきらめて、一泊程度で出かける山を探していて、前日になって苗場山を決めた。数日前から苗場山の麓の越後湯沢周辺のスキー場で、「富士ロック」という若者のロックグループの大集会が開かれるというので、大音響のロックの響き渡る中で苗場山に登るのは避けたいと思ってもいたので、出発が少し遅れてしまった。

 新幹線で早朝の越後湯沢駅に降り立ち、同乗者を捜して登山口までタクシーを飛ばす。昔は登山口近くまでバスが出ていたはずなのだが、登山人口の減少と車の利用増大で、バスはかなり前に廃止になったという。もっと手前のスキー場までは朝6時半に一本だけバスが出るらしいが、始発の新幹線に乗ってもこのバスには間に合わない。夜行列車もなくなっているので、このバスは不思議なダイアで走っている。

 和田小屋でタクシーを降り、霧と雨の中を歩き始める。昨日の豪雨の後なので、道路がぬかるんでいるが、登山道のほとんどが大きな岩を踏みながらだったので、助かった。合羽を着て歩き始めたが、すぐに雨が止んで、日射しも出始めた。暑いので合羽を脱ぐと今度はまた雨が落ち始める。猫の目のように変わる天候に、汗で濡れるよりはと霧雨の中を雨具をつけずに歩くことにした。幸いなことにその後は強い雨になることもなく、時々の霧雨で頭髪からしずくを垂らしながらも雨具無しで歩き続けた。

 7合目あたりまではほとんど花は終わってしまっており、イワカガミの花の終わった花柄ばかりが目立つ。7合目を過ぎるあたりから、ゴゼンタチバナ、キンコウカ、ニッコウキスゲ、ウスユキソウ、ソバナ、コゴメグサ、ハクサンシャジン、ミヤマシシウド、シモツケソウ、オニシモツケ、トモエシオガマ、オタカラコウ、クルマユリ、ウツボグサなどが次々と現れてきて、やがてお花畑という看板が出ている。
      

 そのあたりから登りは急激になり、呼吸も激しくなるが、高度はどんどん高くなる。かなり疲れてきたころ、ようやく頂上の一角にたどり着いた。それまでの岩の道から一転して湿原の板の歩道に代わり、息をのむようなすばらしい高層湿原を一望にする。湿原の中の板道を歩くとまもなく霧の中に山小屋が見えてくる。小屋の裏庭が苗場山の頂上だ。普通の山の頂上とはまったく風情が違っていて、なにもない普通のちょっとした空き地に頂上を示す木の柱が立っているだけだ。2145m。55番目の「日本百名山」登頂達成だ。


 頂上が広々とした湿原になっているので、いつもならお弁当を食べてすぐに出発するのだが、今日は湿原をゆっくり見て回り、約30分も頂上のあたりに滞在した。平日だがそれでも頂上には10人程度の登山者の姿があった。その後、湿原を縦断して赤湯方面に急斜面を降り始める。昌次新道と呼ばれる道だが、歩く登山者は少なく、今日はたった1パーティに出会っただけだった。歩きにくい道を花を眺めることで慰めながら降っていく。しかし、降ったと思ったらまた登りがあり、上り下りでかなり体力も消耗する。脚がそろそろ棒のようになってきた頃、川に掛かった鉄橋を渡り、さらに急坂を100mも登り返し、ようやく今日の宿「赤湯温泉山口館」にたどり着いた。7時間半歩いた。


 温泉は河原に作られていて、三つある。もちろんすべて露天風呂。たまご湯、藥師湯、青湯。ごく近接してあるのだが、どれも泉質がわずかに異なり、温度も違う。青湯は女性専用となっているが、宿の主人に聞くと今日は他に誰もいないのでどうぞといわれて、三つの湯にそれぞれ浸かってみる。今日ははるばる来たなあ、と感慨深い。20年前の宿の主人との出会いを話してみるが、おそらく先々代のお祖父さんだろうという。80歳になるが、いまだに現役で、夫婦でいつもは小屋番をしているという。夏休みに入ってからは孫夫婦が代わりに小屋をみているらしい。80歳でこの山道を歩いてくると言うだけで驚きだが、いまでもボッカをやっているというのでさらに驚く。上には上がいるもんだ。

 電気もない温泉小屋の夜のランプの生活を少し楽しんで、夜は早めに眠った。夜の温泉には手製の行灯をもって行く。夜中のトイレも同じだ。ぼんやりとした行灯の明かりが心に優しい。宿の泊まり客は私一人。広い客室の真ん中に布団を敷いて眠った。

 翌日は国道までの4時間だけ歩けばいいので、朝もゆっくりと起きた。昨日と違って天気は晴れ。青空が狭い谷間から見える。朝ご飯をすませて、出発。国道からのバスがあまり多くないので、急ぐ旅ではないけれど、バスの時刻に合わせなければならないので、のんびり歩くわけにもいかない。後は下りだけだと思ったが、とんでもない。上り下りが続き、途中は林道を1時間以上も歩く。林道は歩きやすいが、単調なので飽きてしまう。いよいよ最後の山越えと思ったが、最後の1時間は100m急坂を上り、また河原まで一気に下り、さらにまた100mほど急坂を登る。さすがに最後の峠に着いたときは、汗にまみれ、息は切れ、座り込んでしまった。

 長い間の懸案だった赤湯温泉にも入り、久しぶりの日本百名山にも登り、槍ヶ岳はお預けになったけれども、それなりに満足できた山行だった。ちょっと筋肉痛なのは、ここしばらく歩いていなかった報いだ。

都会の中の作られた自然でもないよりまし

2008-07-28 | 日記風
 突風や大雨、落雷など雷神も風神も大暴れの様子。なんでもかんでも温暖化の影響とは言えないが、これもその一つのような気もする。昨日は我が家も床上浸水。といっても我が家は団地の2階だ。水が入ってきたのは窓から。わずか10分足らずの間の豪雨で、網戸を通して吹き込んだ雨で畳の上は洪水状態になった。窓を閉め忘れた私が悪いのだが。雨の後には素晴らしく大きな天空いっぱいの虹が出た。こんな大きな虹を見たのは久しぶり。何十年ぶりだろうか。しかも二重の虹だった。



 今日も予報は夕方に雷雨と突風。でも家でじっとしているのもそろそろ飽きてきたので、今日は埼玉県の中心のさいたま市にある見沼用水沿いの散歩コースをウオーキングすることとした。もっとも昨日のような豪雨に遭うといやなので、傘をしっかり片手に持って用水沿いの緑地を求めて歩いた。

 この見沼用水は江戸時代に開かれた農業用の用水路であり、いまでも田んぼに水を引くために利用されている。もっとも一時は廃止の計画があったのだが、近くの住民たちの願いで維持されることになったものだ。農業用水路として開鑿されたものだから、もちろん自然の川ではない。今ではコンクリート三面張りの用水路に近くの荒川から引いた水がとうとうと流れているだけのものだが、それでも用水路の周囲は緑地が点々と配置されており、用水路沿いの道は散歩コースに絶好だ。

 ゴミゴミした家が建て込んでいるところもあるが、多くのところが植え込まれた木々が緑陰を造っていたり、湿地にヨシが生えたまま残っていたり、野生化した栗の木や桃の木や梅の木がちょうど今、青い実をつけているところもある。自然とはとても言えない緑だけど、都会の真ん中でのそれなりの楽しみができるコースだった。

 夕方になって少し涼しくなると、次々とウオーキングにやってくるおじさんおばさんがいっぱいだ。日射しがなくなると若い女性も姿を見せる。久しぶりに歩いたので、95%がコンクリート舗装のこの道は、脚にこたえる。もっとゆっくり歩けばいいのかもしれない。緑陰に座って本を読んでいると、蚊に襲われる。これは我慢できないのでやはり延々と歩くしかない。

 やはり暑くて、雨には振られなかったが、汗にまみれてびしょ濡れだ。でも気分はすっかりよくなった。明日はもっと高い山で歩きたい。

ドーキンスの挑戦

2008-07-26 | 日記風
「利己的な遺伝子」や「延長された表現型」などの著書でダーウインの自然選択説を遺伝子だけでなく文化までに拡げて論述を張ったリチャード・ドーキンスの最近の著書「神は妄想である」を読み終わった。宗教批判の書は少なくないけれども、この書はこれまで科学者が横目で見ながら決して「触らぬ神」としていた「神」そのものに正面から立ち向かい、科学的な視点から解析を加え、「神」は存在しないことを証明しようとした書物である。

 アメリカなどではダーウインの進化論さえ認めず、学校で進化を教育することに反対し続ける「キリスト教原理主義者」の人々がかなりの割合になるという。原理主義者からの進化論批判に対して科学者はそれを無視するか相手にしないようにしてきた。中には科学者でありながら、神を信じている(この世界を作ったのは神であることを信じている)ものがいっぱいいるという不思議な現象がある。彼らは宗教への敬虔さゆえに、自らの理論と宗教との間の矛盾にただひたすら目をつむり続けてきた。これも神を信じていない私にとっては不思議なことであった。

 私はあまり真面目でない日本の仏教徒の一人であるが、仏教の教えと科学が齟齬を来すことは「天国」や「地獄」の存在以外にはあまり気にならなかった。天国も地獄も実在することを仏教は信じることを強いているようにも見えない。ドーキンスによると、仏教は神の存在を持たないから、宗教とは言えないという。仏教や儒教は宗教と言うよりも道徳なのだそうだ。そういわれればそう言う気もする。

 でも一神教であるキリスト教、ユダヤ教、イスラム教は、どれもオールマイティである「神」の存在を前提とする。そういうものが宗教なのだそうだ。ドーキンスの論述は科学的に「神」の存在を否定するだけではなく、「神」を信じるという宗教の存在がダーウインの自然淘汰説によってどのように説明されるかを論じていて、きわめて興味深かった。

 厳格なキリスト教の家庭に育てられた子供が、文化の遺伝子(ミーム)を自然淘汰でどのように親から受け継いでいくか、文化の進化論としての検証の仕方はきわめて面白い。彼の文化の進化論は行き着くところまで行ってしまったという感じだ。科学者でありながら神を信じている人々は真剣に自分の立ち位置を悩むべきであろう。

 イギリス人であるドーキンスは、アメリカ社会のキリスト教原理主義者から口を極めて罵られている。イギリスではそれほど反撥は強くないというが、彼の仕事がこれからの科学と宗教の関係に重要な第一歩を記したことは間違いない。マルチン・ルターの宗教改革を上回る出来事といって良いだろう。

雷神と風神

2008-07-25 | 日記風
道東から帰ってきました。暑いね~~。道東は寒いくらいの天候が続いている。最高気温が20℃くらいだから、近年では低い方だが、温暖化が騒がれる前は、夏の気温はこんなものだった。20℃を超えれば暑い暑いと言ったものだ。それにしても埼玉県のこの暑さには参ってしまう。

 じっとしていても身体から汗がしたたり落ちる。ちょっと動くとまるで滝を浴びたようになる。頭がぼお~として、これが熱中症の始まりなんだなあと思う。昼間はただただ昼寝をしているのがもっとも良い過ごし方だ。熱帯地方の人々が昼間っから木陰で昼寝をしていたり、談笑をしているのを不思議に思っていたが、やはり熱帯には熱帯でもっとも過ごしやすいやり方があったのだろう。でも熱帯地方でこの埼玉県の暑さに匹敵するほどの暑さを経験したことがない。木陰に入れば熱帯地方といえども涼しい風が吹いているからだ。

 夕方になって、突然真っ黒い雲が空を覆い、ものすごい音と光が襲ってきた。風も突風が吹く。稲光と雷音の短さと大きさから、すぐ近くで雷が発生していることがよく分かった。落雷でどこか近くで停電も起こっているようだ。なにか事故もあったらしく、救急車や消防車も走り回っている。

 そのうち、篠つくような大雨が降ってきた。とたんに気温がきゅっと下がる。飛び散るしぶきの中に出て万歳を三唱した。雷神と風神には感謝感激あめあられ。やっと生き返ったと思ったのもつかの間、あの激しい雨もすぐに上がってしまった。その後はまた気温が上昇、水蒸気のむっとした暑さが加わり、湿度の高い耐え難い暑さがまた始まった。

 雷三日と言うから、明日も夕方には雷雨が期待できそうだが、それまではやはり暑さに耐えて生きていかねばならない。ああ、北海道が呼んでいる!
     

水道国有化で格差是正を

2008-07-23 | 政治
北海道の東部K市の水道料金の高さには驚いてしまった。1ヶ月わずか4㎥の使用に、上下水道料金を合計して、約4,700円。今すんでいる埼玉県のK市では、一ヶ月の使用水量が30㎥を超えるのに、2ヶ月でも2,800円くらい。北海道のk市は埼玉県のK市の10倍近くすることになる。ちなみに北海道のK市のとなりのA町では、4㎥で1600円/月くらいだから、それに比べても3倍くらいも高い。

 同じようなサービスなのに、なぜこんなに大きな違いがあるのだろう。その原因は
いろいろあるだろうが、もっとも大きいのは水道事業は各自治体で独立採算でやっているからであろう。もちろん、自治体も水道料金を抑えるために一般会計から水道会計へ補助を回していたりするのだけれども、もともと人口が少ない自治体では、独立に水道事業をやっていくのにどうしてもコストが高くなってしまうのだ。

 しかし、水道事業は、国民にとっては食料と同じくらい重要な生活資源であるし、今では電気・ガスと水道は市民のライフラインそのものだ。このような基本的でしかも重要な生活サービスがこんなに自治体によって価格が異なるというのはあまりにも不公平ではないだろうか。

 水道事業の広域化も多少は取り組まれているらしいが、それは都市圏が多い。コストのかかる地方では広域化もままならない。むしろ地方のほうが必要なことなのだが、広域化でコスト減にならないことも多い。

 私は水道事業の国有化を提言したい。日本で生活すればどこにいても同一料金で水道サービスが受けられるのは、当たり前の要求ではないだろうか。便利な都会の人が同じサービスを受けるために地方の人の分を負担する、これは日本政府としてやっていくしかない。自治体に任せることは不公平をさらに拡大する。もし、自治体の水道事業が破綻したら利用者は過大な負担を強いられたり、水道のサービスも受けられなくなる可能性はこれから高くなる。電気会社は民営化されてしまったが、それでも国策の面があるので、日本をいくつかのブロック制にしているため、料金は比較的全国で差が大きくない。国有化が無理だとしても、せめて電気くらいの広域化が必要なのではないか。

民営化と地方分権で小さな政府を目指すやり方は、格差を固定化し、拡大してきた。そろそろ政府をもっと大きくして、住民サービスを充実する方向に転換させよう。

いまなぜ竹島で騒動を起こしたいのか

2008-07-21 | 政治
日本中が酷暑にあえいでいる中、ここサンナシ小屋周辺では、昼間でも肌がひんやりと涼しい。朝夕は寒くてもう一枚長袖を羽織りたくなる。夏はやはり道東に限る。おかげでなかなかブログを更新できないが、この涼しさのためならそのくらいは仕方ない。

 韓国や中国などアジアの国々を敵視し、蔑視してアメリカ追随の外交をしてきたコイズミ・アベの内閣と違ってフクダ内閣は外交を転換したと多少は評価してきたが、今回の竹島を中学校の指導要領に書いた件については、本当に呆れてしまった。フクダ首相が何事もリーダーシップを取れないことがこれほど明らかになったことはない。

 韓国の世論を考慮して、中学校の指導要領に書くべきかどうか、フクダ首相の決断が求められていたにもかかわらず、フクダ首相は自ら決断することを避けて、官房長官と文部科学相と外務大臣の3人のせいにしてしまった。無責任首相の面目躍如というところだ。

 そもそもどんなに歴史を調べても、竹島(独島)が日本の固有の領土であるという証拠は見つからない。あきらかに朝鮮半島併合の一部として竹島を日本の領土としたのであり、朝鮮半島が日本の領土でないのと同じように、竹島も日本の領土とは考えられない。日本の教科書の指導要領としてもこれまで竹島をまったく書いていない。今この時点で竹島問題を北方領土と同じだとして指導要領に記述する必然性は全くない。これは極右アベ内閣が韓国を敵視し、帝国主義的な発想から領土問題を声高に唱えることを要求したことを文部官僚が受け入れて教育に取り入れようとした、無理難題のごり押しだった。

 フクダ首相は、自らの信念に基づいて断固として拒否すべきだった。日韓の外交関係がいまもっとも前向きになりそうなときに、なぜこんな馬鹿な事をやったのか?保守派の李明博大統領が日本との関係を「過去にこだわらず、将来を見据えて」前向きにとらえようと日本に最大限譲歩して日韓関係を発展させたいと言ってくれたのに、フクダ内閣の答えはこれなのか?しかも自分が決断したのじゃないなんて、まったく無責任な言い逃れをしている。恥ずかしい。
 

千年の舞に原発はいらない

2008-07-14 | 日記風
瀬戸内海に浮かぶ小さな島「祝島」を訪れた。山口県の東部、周防灘の出口付近の多島海の一つの島だ。人口は約500人。本土から高速艇で約40分。昔は瀬戸内海の島巡りの船と言えば、木造船か鉄船で、焼き玉エンジンの音をポンポンと響かせてのんびりと走っていたものだが、今はレジャーボートのようなFRP船だ。スピードは速いが、周りの景色を眺める余裕もない。デッキで瀬戸内海の景色を楽しんではいられない。波しぶきを頭から被ることになる。


 祝島は平坦な場所がほとんど無い小さな島だ。急な斜面にへばりつくように家々が石垣を築いて立ち並んでいる。島人はほとんどが半農半漁の生活。この祝島も若者はほとんどいない。小学校と中学校があるが、中学校は生徒がいないので事実上の廃校状態。小学校も現在一年生から六年生まで合わせても生徒はわずかに二人。一昨年、この島で30年ぶりという結婚式があった。島中の人がお祝いに駆けつけたという。

 島には携帯電話のアンテナは一塔もない。当然携帯電話は通じない。おそらく携帯電話を持っている島民はほとんどいないのだろう。時代の変化に取り残されたというのか、それとも時代の変化を拒否し続けている島といったら良いのだろうか。


 この島の家は独特の作りだ。道路(といっても人がやっとすれ違えるくらいの狭い小路だが)に面した家の壁は頑丈な木の板で窓はいっさい無い。全面を黒く塗りつぶしている。また、庭をめぐらした塀は土塀で、大きな石を漆喰で塗り固めたもの。まるで中国や西洋の集合住宅のように中庭を持ち高い土塀で取り囲んでいる。屋根は瓦屋根だが、瓦を厚く漆喰で塗り固めている。家によっては瓦を全面漆喰で塗ってしまっていて全体が真っ白になっている屋根もある。このような建築様式は、台風に備えた造りだと思われるが、ひょっとしたら1000年も昔の水軍の時代に外からの襲撃に備える造りを受け継いでいるのかもしれない。


 祝島には「神舞(かんまい)」と呼ばれる伝統的な行事がある。1100年以上も続くと言われている古い文化を伝えるお祭りである。神舞は4年に一度オリンピックと同じ年に行われるが、近代オリンピックよりはずっっと古くから行われている。このお祭りの始まりはいまから1100年以上昔の出来事に由来する。豊後の国(いまの大分県)の人々が山城の国岩清水八幡宮の分霊を持ち帰る途中に船が難破して祝島に流れ着き、当時の島の人が食うものにも事欠く貧窮の中で手厚くもてなしたことのお礼に、麦の栽培を島の人に教えた。その後、麦作によって島の生活は格段に良くなり、島の人たちがそのお礼に毎年8月に豊後の別宮八幡社に感謝の参詣をするようになった。それから4年に一度は別宮の神官を島に呼び、島に奉った荒神で感謝の合同神事を行うようになったもの。祝島と豊後の間には広い周防灘が広がり、当時の船で行くことは一大決心しなければ行けるところではなかっただろう。

 今年はその神舞の年にあたる。8月16日から20日の間、豊後の別宮から神官たちを御座船で迎え、合計5日間、神事と舞の奉納が行われる。せっかくだけどそれを見ることはかなわなかった。島には民宿が3軒あるだけで、報道陣も含めて多くの観光客は本土から通うしかないらしい。島の人々は老齢化が激しい。この伝統ある神舞がいつまで続けられるか、古老たちは心配している。

 この島のからみて正面の島が長島という。その正面の田ノ浦湾に原子力発電所の建設計画ができてもう30年になる。本土側の町民も含めて賛成6:反対4という比率は何度選挙しても同じ結果が続いている。周辺の市町村では反対が圧倒的なのに。祝島では反対が99%。電力会社による札束攻勢も島の人の結束を揺るがすことはできなかった。金で買えない文化と価値感を島の人は持っていたということだろう。いくつかの裁判闘争も地裁では勝ったが、広島高裁と最高裁では、つねに不思議な政治的判決で敗訴している。いよいよ来年から本格着工をする構えで、中国電力は先月末に埋め立て申請を行ったらしい。昨年のボーリング調査を阻止するために、祝島のおばあさんたちは身体を鎖で台船に縛り付けて命がけの非暴力の抵抗を続けた。


 平和で海と山とともに生きてきた人々の暮らしが、まもなく終わろうとしている。都会の人々の贅沢な暮らしを支えるために。神舞の千年の舞の面たちは、深い苦悩の皺を額に刻んで今年の神事を迎えるのだろう。
 

控訴した農水のメンツと民主党への期待

2008-07-11 | 環境
農水省は、佐賀地裁の判決を不服として控訴した。そのうえで農水大臣は、開門調査をする前提で環境アセスをすると述べた。開門調査をやるためのアセス調査というおかしな論理だが、すでに干拓を終え、農業者が入植しているので、その影響を見定めるという。それは佐賀地裁が3年間の猶予を与えたあと、5年間の開門ちょうさをやれと判決で述べたことを実質的には実行すると言うことだろう。

 その決定は是としたい。でもそれならなぜ控訴したのだろう。開門調査はせざるを得ないところに追い込まれた。でも、控訴しないとそれまでの農水省の施策の過ちを認めたことになるから、控訴したというのが本音のようだ。開門調査をこれまで拒否し続けてきた農水省が、開門を前提とした環境アセスをせざるを得なくなったが、それでも過去の2500億円を超える税金を投入して、生産調整をしている米作をするための農地を作るという政策のどこに正当性があるのだろうか。

 もっと農水省の役人は素直に過去の失敗を認めるべきだ。役人のメンツのために有明海の多くの生き物たちが殺され、全体の生態系がここまでおかしくなってきた。タイラギや多くの漁業資源が急激に減少し、漁業者には生活できずに自殺したり、都会に出てホームレスになった人もいる。

 民主党はどうしたのだろう。いまこそ民主党が「われわれが政権を取ったら、直ちに開門をして有明海を再生させる」と言明すべきではないか。入植者からのクレームは、そもそも干拓して入植させること自体が間違った政策だったのだから、入植者たちに売り払った干拓地の代金50億円を支払ってでも、有明海を元の海に戻す再生事業を国の威信をかけてやって欲しい。民主党に期待する。

 そして農水省の役人たちには失敗した干拓事業費2500億円をぜひとも弁償してもらいたい。退職金をすべて投げ出してでも。それだけの大きな罪が彼らにはあるのだ。

2600m関東第2位の山へ

2008-07-10 | 花と自然
お待たせしました。って、えっ? 誰も待っていなかった? 久しぶりに山歩きをしました。といっても病み上がりだし、体力にも自信がない。しかも暑さが心配。ということで、どこへ行くか昨晩悩んだ末、高い山で涼しいこと、しかもあまり歩かなくても良いところを探して、秩父多摩国立公園の最高峰、北奥千丈岳(2601m)を選んだ。この山は2600m級の山で、関東東海地方では、富士山に次ぐ二番目に高い山でありながら、登山口の大弛峠(おおだるみとうげ)からわずか1時間で頂上に登れるというお手軽な山でもある。病み上がりには絶好だ。

 朝6時に自宅を出て、圏央道→中央高速を乗り継いで勝沼インターで降り、そこから塩山経由で焼山林道をひたすら車を駆ける。私の持っているガイドブックは少々年代物なので、この林道はダートでしばしば不通になるので注意って書いてあった。ちょっと心配したのだが、今では立派な舗装道路。こんな山奥にまでなんでこんな立派な舗装道路がいるのかと思うほど。途中、落石もあったり、出水で道路が凸凹になっているところもあったが、無事に大弛峠に到着。付近は濃い霧に包まれていて、大弛小屋もよく見えない。付近は樹冠がシラビソで下生えがシャクナゲ主体の亜高山帯針葉樹林帯だ。さすがに高度があるだけあって植生も道東によく似ている。サンナシ小屋周辺の雰囲気を思い出して懐かしい。



 登山口の大弛峠はすでに標高2300m。地上とは10℃以上気温が低い。長袖を着てきたのは正解だった。歩き始めるとほぼ同時に雨が降り出した。今日は雨を予想していたし、濡れるほどの霧だったので、最初から合羽を着ていたのであわてることはない。10分ほども歩いた頃には、土砂降りに変わった。登りもきついので合羽の中は汗が吹き出る。いつもは頭にバンダナを巻いて汗よけにするのだが、この雨ではバンダナをしても意味がない。やけくそでフードも被らず濡れて歩いた。

 登り始めて10分たたぬまに「夢の庭園」というところに到着。巨大な岩の配置とシラビソとシャクナゲの点綴が日本庭園のようであるところからつけられた名前だ。北アルプスなど日本各地にこのような○○庭園というところがあるが、作り物の庭園よりも自然のままの景色の方が私はずっと美しいと思っているのに、わざわざそこに庭園などという作り物の名前をつけるのは、どうも嫌だ。庭園の方が自然の風景よりも良いはずがないだろう。まがい物なんだから。

 霧の中にギャーギャアーとホシガラスの声が響く。つがいのホシガラスが鳴き交わしているらしい。姿は美しいカラスなのだが、声はやはりカラスだなあ。急坂を登っているうちに雨が上がり、国師岳の頂上に着く頃には薄日が射してきた。国師岳は2592m。やはり一級の高さだ。頂上の巨岩に腰を掛けて昼食にする。今朝5時半に朝食にしたので、さすがにお腹がすいた。晴れていればここから西に金峰山や瑞垣山、東には奥秩父の山々が見えるはずなのに、今日は何も見えない。霧の中にシラビソの枯れ木が突っ立っているのが見えるだけだ。

 亜高山帯の針葉樹林帯なので花もあまりない。もっとも多かったのがミツバオウレンの花。あちこちで咲き乱れていた。ゴゼンタチバナの白い花。コケモモの薄いピンクの花。ミヤマカタバミの白い花は雨に濡れてすべて萎んでしまっている。マイヅルソウの花もちらほら。花はそれだけ。いっぱいあるシャクナゲも花はまったくない。もう終わったのだろうか?それともこれからだろうか?
  
ミツバオウレン                                        ゴゼンタチバナ


コケモモ

 国師岳から分岐点まで下りて南に緩やかな登りの途を登る。5分も登れば今日の最終目標の北奥千丈岳に到着。あまり疲れてもないので、写真を撮ってゆっくり散歩気分で下りに掛かる。この程度の登山なら散歩気分だ。でもしばらくの間、寝たり起きたりの生活をしていたので、筋力は落ちているのが判る。脚を踏ん張っても姿勢が安定しない。もっと筋力を回復しないと北アルプスへは行けないかもしれない。

 わずか2時間の登山は終わり、また長いドライブ。帰りは雁坂トンネルで秩父へ抜けて帰る。距離的にはこちらの方が近いが、高速道路がないので一般道路を渋滞の列に入りながら帰らなければならない。でもガソリン代が高騰している今、高速代が掛からないのは大事なことかもしれない。久しぶりに山に登ったら(散歩程度だったが)、心がすっきりした。不定愁訴も一掃されたようだ。明日からまた元気を出して頑張ろう。さっそく明日から山口県へシンポジウムに参加しに行く。忙しい日がまた始まる。

どうやら回復傾向

2008-07-09 | 日記風
まだ完璧とは言い難いが、どうやら体調不良に歯止めがかかったようだ。少しずつ日常にもどる努力をしなければならない。この一週間の間に3-4日ほど暑さの激しい日があったのが、いっそう体調回復を妨げたような気がする。それでも7月としては比較的涼しい日があったことは、ほっとさせてくれた。

 地球の温暖化は人間の生理も狂わせるようになるだろう。先進国の責任を逃げおおしたサミットという名の茶番劇が終わった。壊れた地球を押しつけられた途上国の人々は、あらためて先進8カ国の責任を問い続けるだろう。そうしている間に地球は壊れ続ける。