ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

サンナシ小屋に春が来た

2015-04-27 | 花と自然


1年ぶりにサンナシ小屋を訪れた。2年前に見た巨大なヒグマの足跡も、今は気配もないようだった。エゾアカガエルがいっぱい卵を産んでいる。ギョウジャニンニクが萌えだしている。道東も春だなあ。


比叡山で雪道歩きを思い出す

2014-02-20 | 花と自然
近頃和服で過ごすことが多くなった。仕事も辞め、家で和服でくつろぎ、テレビを見ていると、ついつい体を動かすことを忘れてしまう。これではいけないと、久しぶりに雪の中を歩こうと、真っ白に雪をまとった比叡山に登った。気温は低いが天気は良い。青空が気持ちよい。登り口は、京都側の玄関口である元三大師道だ。比叡山に上る僧が利用する古来からの道だ。「登山口」という名前のバス停から急な階段が続く。比叡山の回峰行者の登り道でもある。

バスから降りたのは二人。もう一人は杖にすがって歩くご老人。ところが登り始めてみると、驚くような健脚だ。すぐに追いつくだろうと後ろからついて行ったが、まったく追いつけない。杖を頼りに歩いているようだが、その健脚さはびっくりだ。休みを取ることもなく、どんどん登っていく。毎日のように登っているのだろうか。むしろ間は広がっていった。運動不足がたたって、自分の方が遅れ気味だ。

ちょうど1時間で、青龍寺に到着。雪が深くなった。先のご老人は、ここで引き返した。どうやら頻繁にここにお参りしているようだ。ここは法然が籠もって修行をつんだところだ。法然の座像が本堂の前に座っている。お寺がきれいに雪を払った階段がまっすぐに続く。 雪も20cmくらいある。夏なら参拝客や観光客が歩いている道なのだろうが、ロープウエイもバスも動いていない今は、歩いて登ってきた人以外は歩いていない。

やがて西塔の釈迦堂に着く。参拝し、法華堂を周り、浄土院を超えて再び元三大師道を途中までたどり、八瀬に降りた。比叡山は、雪があるときもないときも、生き物のおもしろさはほとんどないが、歴史を思わせる古刹や神社などは至る所にある。京都周辺の山に登る楽しみは、そこに見いだすしかない。

久しぶりに雪の中を一人歩いた。北海道の雪道を思い出す。東京や関西の人間はこの程度でも大雪と喜んだり苦労したりするが、雪国の人たちは、これが当たり前の生活なのだということを、あらためて思った。

大文字山から京都を望む

2014-01-27 | 花と自然
風邪を引いて、何年ぶりかの寝正月を過ごした。今年からは、着物を着ることを増やしたので、ついつい出不精になり、しかも運動不足になってしまった。体重も高値安定だ。久しぶりに大文字山に登る。といっても、出だしの登山口までの上り坂で早くも息が上がる。体がなまってしまっている。30分くらいの登りで大文字の火床にたどりつく散歩程度の山登りなんだが、久しぶりだとこの寒空に汗がにじむ。途中、160段の階段がまっすぐに続く。



そこを過ぎると、さらに80段の階段があり、ようやく火床にたどり着く。京都市内が一望に見える。本当は、大文字山の頂上までは、さらに20分ほど登らねばならないが、今日は、ここまでにしておく。いずれ、からだができてくれば、これくらいは毎日の散歩にしよう。

サンナシ小屋とヒグマ

2013-09-04 | 花と自然
酷暑の京都から逃れて、道東にやってきて10日、こちらは西日本の暑さとは無縁の世界だ。夜も毛布一枚では寒く、夜中に冬布団を出して寝た。さらに8月末からは、確実に秋になった。京都も涼しくなったようだが、こちらはストーブを入れている人もいる。30分だけでも暖房を入れて、部屋を暖めないと寒いという人がいる。私は、それほど寒いとは思えないが、温かいシャワーを浴びるときに、体が冷えていることを感じる。

 春以来、数ヶ月ぶりにサンナシ小屋を訪れた。春にはヒグマが出たので、用心して熊鈴を購入、おそるおそる出かけた。最近、シカや馬の活躍が減っているのか、草丈が伸び、腰より高い草むらをかき分けかき分け進む。途中、一カ所で強い野獣の臭いを感じた。見ると近くのフキがまとまって折り取られている。どうやらついさっきまでここで熊がいたようだ。まだまだ熊の心配はしなければならない。小屋の使用が減ったことや近くの牧場の馬の放牧が少なくなったことが、熊が近くまでやってくるようになった原因のように思われる。ここでもやはり人間の後退が熊の進出と関係しているのだろう。熊にしてみれば、昔の環境が少しずつ返ってきたということなのだろう。それはそれで良いことなのかもしれない。サンナシ小屋の使用は、これからどうなるだろうか。

 でも、無事に小屋へ到着。しばし、小屋での静寂を楽しんだ。今度はいつサンナシ小屋での生活を楽しめるだろうか。

蓬莱山から比良岳へ

2013-07-09 | 花と自然
体温を超えるような気温が、京都にやってきた。今年に限ったわけではないが、梅雨明けの頃のこの暑さは、体が慣れていないせいか、もっとも辛く感じる。ここのところ、週末は京都市内のいろんなイベントや講演会などでつぶれてしまい、そのせいか体がなまり、体重は高止まりのままだ。先週末は、本当に久しぶりに山歩きをした。しかし、体を動かしていないせいもあり、寄る年波もあって、とても長い間歩く自信がなくなっている。そこで、一日はケーブルカーを利用した山歩きにして、もう一日は、温泉で体を休めることにした。

 ケーブルカーによる山歩きは、比良山系のびわ湖バレイからだ。休日だけ動くケーブル駅までの始発バスに乗って、びわ湖バレイに到着。ケーブルカーは、20分おきに出発している。120人乗りの大型ゴンドラだ。琵琶湖の風景を見ているうちにすぐ頂上駅に到着した。わずか5分。でもここは打見山の頂上1050mだから、京都の気温が35度のときなのに、ここは20度。霧が掛かり、高山の様相もする。でもそれも早朝だけだった。霧が晴れてくると、打見山から比良山系第二の高峰である蓬莱山まで、レジャーランドの芝生が続く。冬はスキー場になるところだ。きっと開発される前は、湿地帯などもある高山の草原が続いていたのだろう。腹立たしい光景だ。ゲレンデスキーが自然を破壊する好例がここにある。

 ドッグランまで作られているレジャーランドに目を背け、ジャイアントと称する標識のあるスキーのゲレンデを下りる。かなりの急傾斜だ。下りきる前に右にキャンプサイトがあり、そこから右手の登山道に入る。登り始めるとすぐに木戸峠だ。そこから比良山系縦走路が始まる。足慣らしのつもりで来たので、帰りもケーブルカーに乗って下りるつもりだ。日が昇るにつれて気温が上昇してきた。それでも風は高原の風で心地よい。比良岳までの道は尾根伝いなので、比較的平坦だ。写真を撮りながらのんびり歩くことにした。帰りもケーブルの駅まで帰ってくれば、あとは座っているだけで家に帰りつく。そう思うとあまりにも怠惰な山歩きだなあと思う。それでも、山の空気はすばらしい。しばらく山歩きをしなかったので(大文字山とか比叡山程度は歩いていたのだが)、山の空気を吸うことも、うれしい。いつかなどは、うれしくて歩きながら涙を流しながら歩いたこともあった。そういえば、小学校の低学年の頃、冬の終わり頃、近くの山の麓を歩きながら、やはり涙が出て止まらなかったことがあった。哀しいのでは無く、うれしいのだ。まだ寒いときだったので、目に入ったのはヨモギの芽生えに、瑠璃色のヨモギハムシを見つけただけだった。だが、それが子供心に涙を流すほどうれしかったのだ。こんな気持ちは、きっと他の誰も分からないのではないかと、子供心に思った。

 比良岳までは40分ほどの尾根歩きだった。しかし、しばらくぶりの山歩きだったので、体がなまってしまっていた。わずかの登りにも足が悲鳴を上げた。いかんなあ。こんなことでは。比良岳から帰って、そのままケーブルに乗るのはもったいない。ちょっと味気ないが、ついでに蓬莱山の頂上まで歩く。そのあたりにたくさんいる人たちは、ほとんどがリフトに乗って蓬莱山まで行く。その横を、スキー場のゲレンデの中の草地を、登っていくのは、うれしくない。しかし、リフトに乗ったら何しにきたのか分からない。黙々と汗を流しながら歩いた。蓬莱山頂上に来たら、リフトと反対側の山麓をのぞき込む。レジャーランドと逆の方向を向いて、後ろを無視すれば、比良山系第2の高峰の雰囲気が少しだけ味わえる。展望はすばらしい。時間があるのでゆっくりと腰を下ろし、周りの展望を見る。残念ながら白山の雪景色は霞んで見えなかった。すっきりと晴れたら、若狭湾も見えるらしい。

 傍らに若いアベックがやってきたのを潮に、ケーブルまで帰り、帰途につく。久しぶりの山歩きにしては、良い景色を眺められ、良かった。また、ここから比良山系の縦走をしたいものだ。

 もう一日の休日は、大阪市内にある温泉施設で半日のんびりと静養した。ここの岩盤浴で寝っ転がっていると、体中の汗といっしょに疲れが飛んでいく。何も考える必要の無いときには、ここの温泉施設で夜までごろごろしているのが、もっとも心身の癒やしになる。

淡路の海へ

2013-06-06 | 花と自然
しばらく山を歩いていない。その代わり海へ出かけた。明石大橋を渡って、淡路島の海を見てきた。淡路島で大きな地震があった直後のことである。あの地震があって、そういえば昔、阪神淡路大震災があったことを思い出した。あのとき、私は北海道にいたので、阪神淡路大震災を身を以て経験していない。そこであまり地震のことを考えていなかった。あのときの北海道は、釧路沖地震、東方沖地震、日本海地震と続けさまに震度5以上の大地震を経験していたので、その直後に起こった阪神淡路大震災も、一連の地震の連鎖の一つとしか思わなかったから、被害の大きさにもかかわらず、あまり自分の身に引きつけて考えられなかったのだろう。なにしろ、あの年は、家が壊れるかと思う地震が一年のうちに3度もおこったのだから。

 淡路島へは、車で渡った。ちょうど3連休だったので、阪神地方の高速道路は渋滞が続き、淡路島へ渡る明石大橋に掛かったのは、もう昼をかなり回っていた。渋滞無くスムーズに走れば、京都から目的地の南あわじ市までは、2時間強で到着できるはずだが、休日に動くしか無い私の場合は、渋滞を覚悟で片道3時間半は覚悟しなければいけない。日帰りだったので、往復だけでも7時間かかる。現地でゆっくりできるのはほんの1~2時間しか無い。これは車で行っても、バスで行っても同じ事だ。現地での動きを考えると、来るまで行く方が良いことになる。

 淡路島は、今年の初めにも行った。もっともこれは仕事だったが。仕事にしろ遊びにしろ、淡路島へ渡ったのは、今年が実に初めてだった。瀬戸内海のもっとも大きい島なのに、来たことが無いというのも不思議な感じがする。淡路島は人の動きのメインルートから外れていたのだ。今でも、明石―徳島の架橋がなければ、淡路島へ来ようとは思わないかもしれない。それほど、淡路島の存在感は私にとって薄かった。しかし、海を見ようと思ったとき、京都から行ける海として思いつくのは、京都府の日本海側の舞や天橋立付近か、和歌山県の白浜くらいだ。この両方とも何度か出かけているので、どこか違う海へ行きたいと思ったときに、ようやく淡路島を思いついたと言うわけだ。

 京都から行く海としては、もっとも近いのが大阪湾か神戸の海だが、どちらもコンクリートで固められた海しかない。そんな海には行きたくもない。釣りを楽しむならそんなコンクリートがあっても、気にならないかもしれないが、釣りを楽しむというのは、私の好まざるところだ。そうすると、近畿地方でもっとも近い海は、やはり淡路島と言うことになる。やっと気がついた。

 しかし、行ってみて、淡路島の海はすっかり気に入った。とくに、南あわじ市の海は、西側の瀬戸内海側も、南の太平洋側も、美しい。慶野海岸の松林は、名勝にも指定されているだけあって、一見の価値がある。ただ、松林の周辺が開発され、松の痛みも激しい。徐々に松林が減少して、松の勢いも衰えているらしい。名勝の指定を取りやめるという話しも出ているらしい。地元の人は、もっとこの松原の貴重さを知った方が良いのではないか。

 南側の太平洋側は、黒潮が直接入ってくることもあり、海の水は透明できれいだ。ここでいつかは是非とも潜ってみたいと思ったが、この日は時間が無い。しかも、吹上浜は遊泳禁止になっている。すぐ前が渦潮で有名な鳴門海峡なので、おそらく浜辺の近くも潮流が激しいのだろう。潜水できるところがあるかどうか分からないが、潜ってみたくなる海ではあった。

ヒグマの影におびえる山菜採り

2013-04-23 | 花と自然
暑くなったり寒くなったり、今年の春はどうも気候が安定しない。3月に入ったばかりの時に初夏のような陽気になったと思ったら、4月も終わりに近づいた今頃に、まるで冬のような寒さが来る。だいたい暑さ寒さも彼岸までと言われたように、西日本や関東では、春分の日を過ぎれば、よほどのことがなければ寒さに震えることはなかった。気候の異常さは、毎年のように過去の記録にないという事象が起こっていることからも伺われる。これは地球の温暖化なのか、それとも異常気象だけなのか、判断は難しいが、個人的な直感では、どうやら喜ばしいものでは無さそうである。

 久しぶりに道東のサンナシ小屋にやってきた。釧路空港に降り立ったときは、気温が5度前後で、空港の周囲ではまだ多くの残雪が黒ずんで残っている。しかし、道東太平洋岸の冬の特色である抜けるような青空で、気持ちは明るく、寒さもそれほどのこともないように感じる。

 サンナシ小屋へ行く途中、大変なものを見つけてしまった。ヒグマの足跡だ。それも非常に新しい。きっと今朝、もしくはさっきヒグマがこの道を通ったのだろう。ひょっとしたら、われわれの姿を見て、あわててこの足跡を残して逃げていったのかもしれない。ヒグマとのニアミスが起ころうとは、サンナシ小屋を建てて以来考えたこともなかっただけに、この足跡にはショックを受けた。足跡は巨大で、明らかに成獣の足跡だ。一行は、とくに怖じけた風は無かったが、それでもみんな心の中で少しばかり恐ろしくなったのではないだろうか。ヒグマの存在は、去年から言われていたし、昨日もこの近くでシマフクロウの調査をしている人がカメラトラップでヒグマの写真を6頭撮ったと言っていた。それでも「ヒグマね。それはいるかもしれないね」などとうそぶいていたものの、この新鮮な足跡を見ると、恐ろしさが実感となって迫ってきた。1つの足跡の幅は優に20cmを超える。そして、爪の跡が5本、鋭く泥に跡を残している。

 周りには福寿草が黄色の花を一面につけて、美しく咲いている。その周囲にはまるでキャベツ畑のように、薄い緑のフキノトウが一面に茎を伸ばし始めている。そして、それらの周辺では、北海道の人たちがもっとも好む山菜のギョウジャニンニクが緑の葉を伸ばし始めている。ヒグマの足跡を見るまでは、ギョウジャニンニクを夢中で採り、福寿草の花に見とれていたが、いまではそれどころではない。山菜を採りながらも、背後のちょっとした音にもぎくりとする。早々にサンナシ小屋に逃げ込んだ。

 先月の震度5の地震で、サンナシ小屋の家具類のみならず建物そのものも心配だったが、どうやら目覚まし時計が一個棚から落ちて壊れたこと以外は、たいした影響もなかったようだ。もっとも、土台の丸太のうち、さらに一本が腐食し、またまた小屋がやや傾いているようだ。今回はそれを直す時間的余裕がないので、そのままにしておいたが、やがては土台をコンクリート製に直さないと、小屋そのものの存在も危うくなる。もっとも、私が小屋よりも先に死ねば、小屋を修理する必要も無い。誰も直そうと言わず、隣りにあった昔の小屋のように、やがて朽ちていき、小屋の存在も分からないように、草丈に埋もれてしまうだろう。

 サンナシ小屋の名前の由来のサンナシの樹は、健在だった。でもまだ花が咲くには早すぎる。5月末から6月始めにかけて、サンナシの樹は白い花をいっぱいに付ける。その頃は、草原にもシコタンキンポウゲの黄色い花で埋め尽くされる。その頃にも来たいが、そうそう来るわけにもいかない。旅費がかかるのだから。サンナシ小屋から京都は遠くになりすぎた。

 サンナシ小屋で数時間過ごしたあと、あんなに晴れていた空が曇り始め、冷たい雨も降り始めた。あわてて小屋をあとにする。タンチョウヅルが近くで一羽、歩いている。いつもは必ず2羽で歩いているタンチョウヅルも、この巣作りを始める前だけは、一頭で歩いているのを見かける。巣作りの材料を雌雄が別々に探しているのだろう。まもなく、巣に座って卵を温めているつがいのタンチョウヅルをみるようになる。国道に出て温泉を目指して走り始めたとたん、雨は大粒の雪に変わった。そしてみるみるうちに周りを白い世界に変えていった。温泉でのんびりと暖まったあと、帰りの車はたいへんだった。スピードを上げるとスリップが始まる。ハンドルを取られながら、なんとか道路からはみ出さないように気を付けながら帰った。途中、国道から側溝へ落ちた車が何台かあった。この時期の雪はビチャビチャの雪なので、滑りやすい。

 10cmほども積もった雪も翌朝は再び快晴で、雪解け水で道路は冠水状態。変わりやすい異常気象の天候に悩まされながら、再び本州に帰ってきた。帰り着いた京都の夜は、ひょっとしたら北海道よりも寒さがつのる。また、サンナシ小屋へ行ける日が来ることを祈ろう。

京都北山 天ヶ岳に登る

2013-02-13 | 花と自然
かなり長い間山歩きをしなかったような気がしている。これ以上、山歩きをしないと私の体はダメになりそうだ。ということで、バスに乗って大原へ。観光客がそろそろ増えてきそうな時間の寂光院の前を通って、山道を歩く。雪が少し残っている。山道に入った頃から、雪が静かに降り始めた。分かれ道の峠まではきつい登りが続く。峠に出て、天ヶ岳への道をたどる。ここからは尾根と平行したトラバースの平坦道だった。雪があるのでちょっと危険なところもあるが、楽な道だ。1時間ほど平坦な道を歩く。途中までは植林の縁の鹿よけネットに沿った道だが、途中から植林帯が無くなり、雑木林になる。新緑の頃なら、この道をのんびり歩くのは楽しいだろう。ぜひその頃、また来てみたい。天気は時々青空になり太陽が降り注ぐが、それでも細かい粉雪が常に降り続いている。足下の雪も増えてきた。ところどころ滑りやすい斜面がある。
 祝日で連休だというのに、ほとんど人に会わない。途中、外人さんの男二人連れに遭遇した。英語で挨拶しようかどうしようかと思いながら、コンニチワというと、コンニチワと答えが返ってきた。今日の一日、山で出会ったのはこの二人だけだった。百井への道と分かれて、天ヶ岳経由鞍馬駅行きの道に入ったところで、今日は終わりにした。頂上はもうすぐだと思うが。到着が12時32分。



頂上付近で蛇のような枝を持つ樹木があった。雪の重みでこうなったのだろうか。蛇年の今年の記念に写真を撮る。



 帰りは慎重に下りたいので、簡易アイゼンを装着。初めて使ったアイゼンだったが、装着に時間がかかった。簡易アイゼンだと言うことで、前もって足に合わせて調節していなかったから、装着には時間がかかった。雪道で滑落したら危険と思うところが2-3ヶ所あったが、アイゼンを付けていればなんと言うこともない。平坦だが、横が切れ落ちているトラバースを半分歩いて、ヒノキの人工林に来て、アイゼンを外した。ところが、アイゼンがザックに絡まって、横の斜面をころころと転がっていった。10mほど落下して、木の陰に止まった。どうしようか。簡易アイゼンなので、高いものでは無いが、新しいし、また買いに行くのも面倒だし。ザックを降ろして、慎重に立木にすがりながら斜面を下る。かなり急な斜面で、木から手を離すとそのまま下まで落下しそうだ。ゆっくりと雪の中に足を入れて、地面を確認しながら下りていく。アイゼンを回収して、また急な斜面を登る。寂光院前に2時に到着。
 夜、のどがおかしいことに気がつく。どうやら風邪をどこかでもらったらしい。今日の雪山で汗をかいたのが、引き金になったようだが、ウイルスをもらったのは新幹線の中だろうか。葛根湯を飲んで早めに寝る。雪山は久しぶりだった。しかも北海道ではアイゼンを使うことも無かったので、アイゼン装着は本当に久しぶりだ。久しぶりのアイゼンウオークで、足が痛くなってきたのは二日後からだった。

二上山と中将姫・大津皇子

2012-12-26 | 花と自然
奈良県葛城市の二上山に行くことにした。8時に家を出て、大阪経由で当麻寺駅まで約3時間。11時ころに到着。当麻寺(たいまでら)でまずはゆっくりと大曼荼羅を拝観する。中将姫が蓮の糸で織り込んだというもの。4m四方もある。伝説ではこれを岩屋の中で一晩で織ったという。

 中将姫は、藤原鎌足の曾孫藤原豊成の娘で、生みの母を4歳で亡くした後、豊成が妻とした継母の照夜の前にいじめられる。中将姫は美貌で才女であったようで、9歳の時、孝謙天皇に召されて、百官の前で琴の演奏をし、賞賛された。これはさらに継母にいじめられるきっかけになり、14歳の時、豊成が諸国巡視の旅に出たときに、継母は家来に中将姫の暗殺を指示する。家来は、命乞いもしないでひたすら西方浄土へ召されることのみを願い、読経を続ける姫を殺せず、雲雀山青連寺に姫を隠した。姫はそこで1000巻の経文を写したという。

 その後、天平宝字7年(763年)16歳の時、淳仁天皇に後宮に入るよう望まれたが、姫はそれを断り、二上山の麓の当麻寺で尼となる。そして、翌年当麻寺に今も伝わる大曼荼羅を蓮の糸で織り上げる。当麻寺の本堂には、国宝に指定されている六角堂がヤコウガイを象眼した須弥壇の上に乗り、そこに4m四方の大曼荼羅が納められている。本堂の横には、新しい建物があり中将姫の像が祀られている。建物は糸繰り堂と名付けられており、ここで蓮の糸を繰ったということになっているらしい。二上山の雌岳頂上の下に天然の岩屋があり、ここで一夜にして大曼荼羅を織り上げたという言い伝えにもなっている。しかし、この大曼荼羅を科学的に分析した結果では、大曼荼羅は絹で織られているようで、蓮の糸が使われたとしてもほんの一部だけだろう。それなら一晩でもできそうだ。大曼荼羅自体はどうやら大陸から持ってきたものらしい。

 それはともかく、中将姫は29歳の若さで入滅。しかし、西方浄土から阿弥陀如来をはじめとして25体の菩薩が彼女を迎えに来て、生きたまま西方浄土に向かったと伝えられている。そんな阿弥陀仏を信じ、西方浄土に召されることだけを望んで生きた、美貌と才能に恵まれながら現世に恵まれなかった女性の物語を、心に刻んで二上山に登ることにした。

 当麻寺を出ると、雪が舞っている。門前の料理屋で昼食をとったあと、二上山を登る。1時間ほどで雄岳の頂上。途中の渓谷も低い山ながらなかなか風情がある。雄岳頂上には殺された大津皇子の墓が・・・。大津皇子は天武天皇の第3皇子であったが、天武天皇の死後1ヶ月にして、川島皇子による密告で謀反の疑いを受け、24歳の若さで自害させられた。草壁皇子を天皇の位に就けるために大津皇子を亡き者にする謀略があったと伝えられている。大津皇子の辞世の歌が万葉集にある「ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」(磐余の池に鳴く鴨を見ることは今日までか。私は死んでいくんであろうな)である。妃の山辺皇女は、裸足で髪を振り乱して彼のもとに駆けつけ、殉死したと伝えられる。大津皇子は、恨みを呑んで死んだため、死後に祟りをなした。草壁皇子は、大津皇子の亡き後3年で死亡。その後、文武天皇も25歳の若さで死亡。皇子の祟りと怖れられた。

 いったんコルに戻り雌岳へ。雌岳の頂上は整備されてまるで街中の交差点のよう。国定公園なのにこんなことをするとは。登山道も整備されている。きっと良い季節には人があふれるのだろう。頂上まで車道を通さないように願うのみだ。下りも1時間足らず。麓のたいま温泉を探すが、26年前に廃止になったという。ところが最近整備された道標にはちゃんとたいま温泉の名前があちこちに書いてある。これはどういうことだろう。代わりの市営施設のお風呂につかり、ゆっくりとして帰る。帰宅したのは20:45。

雪虫と土栗と紅葉

2012-11-26 | 花と自然
京都にも雪虫が飛んだ週末だった。暦の上では小雪。朝夕に冷え込みは強くなってきた。それでも日曜日は全国的に秋晴れになり、京都は紅葉を愛でる人たちであふれかえった。この時期にバスに乗ることは覚悟を決めなければならない。いつ到着するか分からないからだ。この秋晴れに家でじっとしているのも辛いので、家から歩ける近くの山を散歩した。落ち葉がはらはらと落ちてくる山道を歩いていると、星が落ちていた。いや、これはツチグリというきのこなのだ。



 それほど珍しいきのこではないのだが、意外に人は知らない。きのこだと思わないのかも知れない。冬など山道を歩いていると、この星形のまま枯れて硬くなってしまったツチグリをみることがある。忍者の放った手裏剣が落ちているようにも見える。

 常緑樹が多くなってしまった京都の東山だが、秋になると意外に広葉樹もいっぱいあることが分かる。赤い色だけが紅葉ではない。緑から深紅までのグラデーションも、嘆声がでるほど美しい。黄色の黄葉も秋の日差しを浴びて黄金色に輝いている。小春日和の一日を、美しい葉っぱを見ながら歩くことができた。今年の秋は雨が多い。雨の紅葉もそれなりに風情があるが、やはり日の光をいっぱい浴びた紅葉や黄葉にまさるものではない。今年はこの日で紅葉狩りは終わりかも知れない。